第31話:訪擁(ほうよう)
「おめでとう、
あの後、
「…ありがとう…」
でも不安は大きくなる一方だった。
「と言いたいところだけど、悩みはむしろ増えたよね」
あれだけ人気のある彼と特別な関係になったと知られたら、何をされるのかわかったものではない。
「…うん…」
「当面は内緒にしておくのがいいかも」
「…バレた時は…もっと大変かも…」
「なら彼のことは諦める?」
「…そんなの…無理…!」
せっかく勇気を出して告白して受け入れてくれたのに、これで終わりにするなんてできっこない。
「それにしても明梨、抜けてるよね」
「…だって…いっぱいいっぱい…だったから…」
お互いに好きって伝えあったけど、恋人として付き合うかは置き去りになっていた。
優愛ちゃんがそこを念押しで確認してくれた。
これで晴れてお互い、恋人として交際を開始することになる。
とはいえおおっぴらにできないもどかしさはあるけど。
(やれやれ、やっと明梨は女の子らしくなってきたわね)
優愛はホッとしつつも、どこか寂しい気持ちを持て余していた。
あの日。優愛が白須賀と電話をした時のことを思い出していた。
「今の鐘ヶ江さんは、変わること自体が目的になっているように見える。周りが見えていないんだ」
「それで?」
「手段の目的化ほど愚かなことはない。多分鐘ヶ江さんは、俺という存在を半ば神格化しているのだろう。けど俺にだってできないことはたくさんある。鐘ヶ江さんが俺より遥かに上というものまである。それぞれの良さを認めて、劣るところも認め合う心の余裕が必要だ。仮に、もし仮に俺が今の鐘ヶ江さんと付き合うことになったとしたところで、今の鐘ヶ江さんでは俺に失望する。それで俺はそのままさようならされるのがオチだ。お互いに得手不得手、優劣を客観的な目で見て、それでも鐘ヶ江さんにとって俺が必要と思えるか。その煮えたぎらせながら突っ走っている頭を冷やせ、と伝えたい」
「そんなことだったの!?」
電話を切ってから、優愛は白須賀と明梨がそれぞれどんなギャップがあるかを考えた。
男と女の性別差は言うまでもなく。
コミュニケーション力は明らかに白須賀が上。
運動はお互いそれほど得意ではない。
勉強は…圧倒的に明梨が上。それどころか優愛自身も圧倒されている。
そこを皮切りにして、後は明梨が考えればいい。
「あいつ、わたしにそれを明梨に伝えさせようと、わざわざ具体的な例に触れなかったのね…その先回りする余裕ぶりが本当に頭くるわ。いつも手のひらの上で転がされてるような気がする。だから嫌いなのよ」
「わたしも彼氏、作ってみようかな」
「…えっ…!?」
突然のことに、思わず優愛ちゃんの顔を見る。
「明梨はもうわたしが心配する必要なさそうだし」
「…優愛ちゃん…!」
「な、何?」
「…彼氏作っても…いいけど…それで疎遠になるなんて…嫌だからね…!?」
「もちろんよ。明梨は誰よりも大切な人だからね。明梨こそ、白須賀くんにべったりで遊んでくれないのは嫌だよ」
「…あたしこそ…嫌だよ…」
二人で並んで、お互いの気持ちを確かめ合う。
「へー、やっとかヨ。けど壁に耳あり障子に目ありダ。会話には気をつけロ」
『ええっ!?』
突然後ろからかかった声にびっくりして振り返る。
「司東くんか」
「…それに…彼女さん…」
「おめでとう。花火以来ね。見ていてすごくもどかしかったのよ」
微笑みながら祝福されることがくすぐったくて、思わず顔を赤らめてしまう。
「それで当分は内緒の関係カ?」
「そうね。周囲に知られないよう用心するし、いつ知らせるかもよく検討しておかないと」
「知らせたとしても混乱は避けられねぇだろがナ」
そう。
付き合えることになったからといって、それで終わりじゃなくてむしろ始まり。
それは最初から茨の道かもしれない。
「私たちもできる範囲で協力するから。相談に乗るわ」
「…ありがとう…ございます…」
「へっ、やっとあいつに彼女ができたカ。随分と待たされたゼ」
「お向かいの友達だっけ?」
司東と彼女は歩みを早めて二人を置いてきた。
「まぁナ。はっきりしないでずっとフラフラしてきたが、まぁ仕方ないっちゃ仕方ない事情はあるんでネ」
「どんな事情なの?」
「他人が立ち入っていいもんじゃねぇから、気になるならあいつに直接聞いてくレ。ただ、あの二人が似たもの同士ってのは確かダ」
「似たもの同士…ね」
「そうダ。あの二人については…」
「わかってるわよ。誰に言わない。それでいいんでしょ?」
「さすがダ」
阿吽の呼吸で話がトントンと進む。
「でも、このままじゃ明るみに出た時、彼女さんが不利な立場に立つんじゃ?」
「それは考えてあル。けどまだ仕込み中でネ。その仕込みが終われば公表するように仕向けてあル」
「仕込みって…なんかラーメン屋さんみたい」
「はっ、ちげーネー」
昨夜のこと。
メッセージアプリ『Direct』で今日から彼氏になったばかりの人からメッセージがきた。
『今日から付き合うことになったけど、まだ吹上さん以外には隠しておいてほしい。俺の目に見えないところで明梨が追い詰められることになると辛い』
わかっていたけど、こうなると先が怖くなってくる。
「…そういえば…さっそく言いつけ…破っちゃった…」
『ごめんなさい。さっき司東くんと彼女さんにバレちゃった』
迷わずメッセージを送る。
あたしが及ばない部分は、彼に任せると決めた。
二人で一緒にいる意味はそこにあると自分に言い聞かせてるから。
『その二人なら大丈夫だ。司東のやつもよくわかってるはず。むやみに言いふらすことはない』
ほっ
胸を撫で下ろす。
「明梨、変わったね」
画面を覗き込む優愛ちゃんが肩越しに声をかけてきた。
「…えっ…?」
「まあ、あんな熱っぽい決意を聞かされたし、遠慮なく頼りなよね」
かあっ!
そういえば優愛ちゃんも、あたしの告白を全部聞いてたんだ。
耳まで真っ赤になってしまう。
「…もう…いじわる…」
「恋するとこんなにも変われるんだね。本気で彼氏探しをしてみるよ」
優愛ちゃんはあたしの大切な親友。
だからこそ親友も幸せになってほしい。
「…あたしに…できることがあったら…言ってね…」
「おーおー、彼氏持ちは余裕ですなー。頼りにしてるよ」
お互いにニコリと笑顔を見せる。
「…おはよう…ございます…」
教室に入っていつもの挨拶。
「おはよ」
普通に返ってくる挨拶を受けて、変わっていく自分を実感する。
高校に上がるまでずっと喋らないで過ごしてきた。
けど今こうして自分の意思で喋っている。
さらに学園有数の女子人気が高い男の子が彼氏になった。
彼氏になる前、彼を取り巻く女子を見て抱えた感情の正体がやっとわかった。
嫉妬。
その根源となるのは独占欲。
今すぐ出ていって「白須賀さんはあたしの彼氏です!近寄らないでください」と言いたい。
けどそれはまだ秘密にしておく、と彼に言われた。
あれだけ恋人同士になりたがってモヤモヤしておきながら、いざなってみたらもっとモヤモヤしてる自分に苛立ってしまう。
「明梨、我慢ね」
そっと耳打ちしてくる優愛ちゃん。
「…わかってる…」
わかってるけど、それで気が晴れるわけじゃない。
朝、登校してから。
午前、休み時間。
お昼、食堂。
午後、休み時間に放課後。
どのタイミングでも、彼の周りは女子が取り囲んでいて全く接点が持てない。
メッセージを送ってもなかなか返信がこない。
こうなることはわかってた。
これまでは単なるクラスメイトとして接してきたから割り切れたものの、いざ恋人同士になってみると、急に苦しくなる。
白須賀さんはたくさんの女の子に囲まれているから、それでいいのかもしれない。
けどあたしは…。
好きな人は見ていたいし、声も聞きたい。緊張するけど、触りたい。
「それじゃ、また明日」
「うん、白須賀さん。またね」
ひらひら手を振って見送る。
赤みがかっている空を見上げ、一人の女の子を思い浮かべて、夕暮れの空に重ね合わせている。
「恋人になってもこんな調子じゃ、きついな…」
「よっ、色男。なに黄昏れてんダ?」
「おまえか」
振り向きもせずに答える。
「あの二人から聞いたゼ。やっとその気になったんかヨ」
「どうせ盗み聞きしたんだろ」
「あーそーサ。まだお前らが付き合ってるのバレるわけにはいかねえからナ。警告はしておいタ」
やっと白須賀は司東の方へ体を向ける。
「だが目標値にはまだ遠いな」
「へっ、そっちは任せておきナ。口コミも使えばねずみ算式に増えていくだろうゼ」
不敵な笑みを浮かべる司東。
「年内には片付けたいところだ」
「そいつはちっとばかしきついナー。生徒会主催のクリパを使いたいところだが、もう少し後ろにずれ込むだろうヨ。バレンタイン企画までなら確実にいけるゼ」
傍から聞いていると、何の話をしているのかさっぱりわからない。
お互いの考え方は、幼馴染の特権としてよくわかっている間柄だからこそできる、暗号のような会話。
「できればクリパまでに間に合わせたい。俺の方からも働きかけるとするか。新年はすっきり気持ちよくスタートしたい」
「まあぼちぼちやろうゼ。てめえがやる気なら、協力は惜しまないからサ。またあんなことになっちまわないようにナ」
「言っただろ。もうお前の手を患わせるつもりはない」
「って、オイ。おまえどこ行くんダ?そっちは家と逆方向なゾ」
白須賀は司東と別方向に歩き出す。
「お前の手を煩わせないために必要なことをしにいくだけだ」
それを聞いた司東は、ハッと気づいたような顔をする。
「へっ、ならとっとと行ってこイ」
不敵な笑みを浮かべながら、その姿を見送る。
「…ん…?」
家に帰ると、台所に書き置きがあった。
なぜか朝は気づかないでいた。
『明梨へ。来月から少し仕事を減らします。奨学金の件が通ったので、学費は楽になりそうです。朝と夜は一緒にいられると思います』
よかった。あの奨学金が無事進んだんだ。
♪
メッセージアプリ『Direct』にメッセージが届く。
「…何だろ…?」
『明梨へ。今日は早く帰られそうだけど、醤油を切らしてるから買ってきて。小瓶じゃなくて500mlペットボトルくらいのね』
内容は母からだった。
部屋にカバンを置いて、私服に着替えて外に出る。
「…ほんとにあたし…白須賀さんの彼女に…なったんだよね…」
実感は薄い。
お互いに気持ちを伝えあって、付き合うことになったけど、彼とのふれあいが前と変わらないから。
でも、いつもと同じ何気ない景色なのに、いつもより彩り多く見える。
周りがキラキラして見える。
数少ない行き交う人の中には、仲睦まじく手をつないで歩いてるカップルがいた。
あたしも、あんなふうに白須賀くんと歩く日がくるんだろうか。
今も、男の人は怖い。
けど、白須賀さんだけは別。
とても優しく扱ってくれる。
あたしが幼少の頃にされた虐待を聞いて、我が事のように受け止めてくれた。
彼にはあたしが口と心を閉ざしてしまった過去を知られた。
ううん、教えた。優愛ちゃんが。
彼にだけは、教えてもいいと思えた。
いや、むしろ知ってほしかった。
初めて自分のことを知ってほしいと思えた男の子。
気心の知れた掛け替えのない親友は、そんなあたしの気持ちが分かっていたんだと思う。
だからお互いの気持ちが重なる直前に、優愛ちゃんはそれを話そうかと提案してきたんだ。
優愛ちゃんは白須賀さんのことが心底嫌いみたいだけど、あたしが彼を好きになってもしっかり応援してくれた。
余裕な態度で先回りしてくる人が気に入らないらしい。
だから多分、不器用でもひたむきな人こそが優愛ちゃんの心を掴むんじゃないかと、ぼんやり考えている。
近くのスーパーにたどり着き、中容量の醤油を手に取る。
この醤油ボトルですら、いつもと違って見えている。
醤油を買って帰ったあたしは、靴を脱いでリビングに醤油ボトルを置く。
ピンポーン
「…はい…」
ふと呼び鈴の音に気づいて、玄関を開ける。
「…え…?」
そこにいたのは、あたしの彼氏だった。
「ちょっといいか?」
そう言って、玄関の中へ入ってくる。
「人目があるから、見えないようにする」
彼氏が突然訪ねてきたかと思えば、誰もいないことを確認したかと思った瞬間、前触れもなくあたしに抱きついてくる。
「…な…何…?」
「俺が随分待たされたからな。明梨をチャージ中」
頭の上からかかった声と、その包み込むような体に、心に優しい小さな火が着き、しばしの安息を噛み締めた。
その体を、あたしも抱き返す。
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