第30話:克白(こくはく)

 告白の決意を固めた翌日。


 顔を合わせての呼び出しは高い確率で失敗することがわかってる。

 だからメッセージアプリ『Direct』で朝の内に時間をもらっておくことにした。

『おはようございます。今日の放課後に少し会えませんか?』

 前の勢い任せと違って既読マークも確認したし、いいよのスタンプも返してきた。


 そして放課後。

「一緒に帰ろうか」

 いつものとおり優愛ゆあちゃんが誘ってくるけど、今日は大切な話がある。

「…ううん…今日はちょっと…」

 口を濁して断った。

 あたしが教室を後にすると、彼が少し遅れてついてくる。

 その様子を優愛ちゃんが眺めていた。


 いつも話をする場所。


「…白須賀しらすか…さん…取り消された…告白を…もう一度…させてください…」

 これで何度目だろうか。

 散々遠回りしてきて、やっと辿り着いたあたし自身の答え。

「…同じクラスになって…あたしに関わってきて…放っておいて欲しいと…思ってました…けど…こうして喋るきっかけを…もらって…それから…白須賀さんは…なんでもできる…超人みたいに…思ってました…」

 これまでのあたしは、彼をなんでも卒なくこなす人と思っていた。

「…でも…よく考えたら…あたしより秀でてるところだけ…見て…そう…思い込んでました…だから…側にいるため…釣り合いが取れるようにと…やれることは全部やるって…決めて…やってきたつもり…でした…」

 冷静に彼を見ると、成績はあたしの方が上だし、お互い特別に運動ができるわけでもない。

「…白須賀さんは…よく見て…それでもいい方へ…と考えてるところが…あたしよりずっと…優れてるんだって…気づいたんです…」

 多分、見えないところでたくさん失敗してきてるはず。

 それはあたしと同じ。

「…至らないところは…お互いに…補いながら…支え合いながら…共に歩んでいくのが…一緒にいる意味だ…と思いました…」

 喋るようになったとはいえ、まだ考えながらだから立て板に水を流すような会話は程遠い。

「…あたしには…心を許せる…唯一の…男の子…白須賀さんと…共に…これからの時間を共有したいと…そう思えるんです…あたしは…白須賀さんのことが…好きです…あたしと…一緒に…いてください…!」

 まっすぐと視線を絡ませながら、嘘偽りない気持ちのすべてを吐き出した。

 これが、今のあたしにできる精一杯。

 それでもダメなら、今度こそ諦める。

「………」

 ぶつかり続けた視線を終わらせたのは白須賀くんだった。

 目を閉じることで。

 …ダメ…だった…。

 もう、諦めよう。

 がっくりと肩を落とすあたしを余所に、彼は口を開いた。

「吹上さん。いるんだろ?出ておいでよ」

「なんだ。やっぱりバレてたんだ」

 物陰に身を潜めていたのか、あっさり優愛ちゃんが出てくる。

「約束は守ったんだろうな?」

 振り向きもせずに、あたしの目を見ながら問う。

「もちろんよ。あの影であなたが聞いてたときだけよ。明梨に気づかせるきっかけを作ったのは」

「…きっかけ…って…?約束…?影で聞いてた…?」

鐘ヶ江かねがえさん」

 何が何だかわからないまま、話を切られてしまう。

「丁度いいから、吹上さんには証言者となってもらう。みたいに録音してくれても構わない。鐘ヶ江さん。今度こそ、取り消しや保留もなしだ。俺の気持ちを伝える」

 彼から真っ直ぐな瞳を向けられて、言葉を失う。

「お…」

「待って。その前に知ってほしいことがあるわ」

 白須賀さんが口を開いた瞬間、優愛ちゃんが遮ってあたしに目線を送る。

「いい?明梨、彼にあのことを全部話しても?」


 あのこと。

 あたしが言葉を失った、あの忌まわしい事件。

 そうだった。

 あたしが向き合わなければならない、乗り越えなければならないこと。

「…いいよ…」

 喋るようになってから、優愛ちゃんには全部話した。

 それまでは手紙やメールで少しずつ、断片的なところもあったけど、喋るようになった後は、全部。


 優愛ちゃんは話を始めた。

 あたしの過去を。


 遡ること、小学一年生。

 あたしがここに入学してから数カ月後。十年近く建設中だった小中高一貫の大型学園が完成した。

 この完成を期に学区が再編成されて、小中高いずれの学位においても学区外から入学できるようになった。

 小学校から高校まで、学区外からも受け入れることになり、小中高一貫という大規模にも関わらず、学区は広がるどころか、むしろ狭くなった。

 周囲にあるいくつかの学校はこの学園に取り込まれ、併合される。

 それにより、ギリギリ学区から外れた児童・生徒は、かなり遠くの学区校へいかなければならなくなる。

 学区内は形式として入学試験はあるものの、卒業見込みがとても薄い生徒を除いて無条件で入学ができる。

 基本的にエスカレーター式ということと、偏差値も高めというふたつの要素から人気の学園になる。

 この学園に編入することが一種のステータスとなるため、学区内入学を狙って地価が高騰する現象まで起きる始末だった。

 児童・生徒数を調整するため、毎年のように学区再編成が行われている。

 あたしの地域はギリギリで学区内にいる。

 学区内にいる限り、ほぼ無条件で進学が保証される。 


「ママー、あのね!」

 小学校1年生の当時、ずっと母にべったりな母っ子だった。

「何?今度は何を見つけたの?」

 口から生まれたのではないかと言われるほど、おしゃべりな子供ということで近所では有名だった。

「3丁目の坂を登ったところに大きなおしろがあったの!塀も高くて、あんな大きいおしろに住んでる人なんだから、貴族か王族だと思うんだ!」

 あたしは目をキラキラさせながらお母さんに見てきたものを伝えた。

 今思えば、日本に貴族制度はすでに無いから、ありえないことだった。そんなことも知らない子供の無邪気さに母は

「そう、素敵なものを見つけたのね」

 否定せず、かといって肯定もしていなかった。ただ見つけたものから連想したことを受け止めてくれた。

「あたしもあんなところに住んでみたい!」

「いつかきっと行けるわ。将来、素敵な王子様に連れて行ってもらいなさい」

 そのお城というのは、門に黒い柳の枝のようなものが目いっぱいにぶら下がっていて、その奥がお城になっている。それがラブホテルだとも知らずに、お城だと思い込んでいた。

「いつかって、いつ?」

「そうね、あなたが大人になったらかしらね」

「そうなんだ!?早く大人になりたいな~!」

 その頃のあたしは、無邪気そのものだった。

 見聞きしたものをそのまま言葉にする。


 幼さゆえに、外で遊ぶ範囲は限られている。

「ねーねー、ワンちゃんが鎖で繋がれてたよ?どうして?」

「もし明梨ちゃんがそのワンちゃんに嫌われていて、噛まれたら大変でしょ?痛いのが好きなのかしら?」

「そうなの?痛いのは嫌だな」

「だから明梨ちゃんが噛まれないように動ける場所を小さくしてるのよ」

 お母さんはこうして何でも受け答えしてくれた。それも幼い明梨が納得できる形で。

 とても頭がいい。

 とっさのことでも、その受け答えは単純だから幼い子でも納得できる。


 見るもの、聞くもの、触るもの。何もかもが新鮮で、何だろうと思ったことは何でもお母さんに聞いてみた。

 そんなある日のことだった。

 ありきたりで平穏な生活が、音を立てて崩れたのは。


 子供の足ながら、憧れのお城を何度も見に行っていた。

「優愛ちゃん、おしろを見に行こ」

「うん」

 そのお城近くには公園があり、幼稚園で仲良くなった優愛ちゃんは小学校で同じクラスになって、唯一の親友となっていた。

「おっきーね」

「すてきなおしろだね」

 中が見えないだけに、想像しているのが楽しくて仕方ない。

 そんな時、黒いスダレをかき分けて一台の車が出てきた。

「あぶないよ。はなれよ」

 門の前にある背の高い植え込みへ逃げ込む。そして出てきた白い車には…

「あれ…?おとーさん…?」

 あたしは見覚えのある顔だった。

「となりに女の人がのってたよ?明梨ちゃんのおかーさんじゃないよね?」

「おしろの人に誘われてぶとーかいにでも行ってたのかな?」

 植え込みの影から出て、あたしたちは道路に足を踏み入れた。

 そのまま車は自宅とは反対方向へ走り去っていく。

「そーだ。こんどおとーさんにこのおしろへ連れてってもらえればいいんだ!」

「えー、ずるーい!抜け駆けするのー!?」

「そのときは優愛ちゃんも一緒だよ」

「ほんと!?」

「もちろん」


 そして数日が過ぎた、ある日の家族団らん。

『次のニュースです。イギリスの王室に対して匿名で爆破予告があり、警察と軍が出動しました』

「あっ、おしろだ!」

 テレビニュースに流れる物々しい警備が張り巡らされたお城の映像を見て、あたしは思い出す。

「あれよりは小さいけど、近くにもおしろがあるよね」

「そうね」

 母はいつもの調子で受け答えする。

「そういえばおとーさん、前にあのおしろへ招かれてぶとーかいに行ってきたんでしょ?」

 不意に沈黙が訪れた。重苦しい沈黙が。

 お母さんの明るい声が、なぜかこわばっていた。

 でもそれを気にするだけの積み上げがないあたしはそのまま続ける。

 お父さんは顔がひきつり、目が泳ぐ。

「あのねー、まえに優愛ちゃんとおしろを見に行ったとき、おとーさんの車がおしろから出てきたの。知らない女の人が乗ってたから、ぶとーかいにいってたんでしょ?」

「明梨、それは何かの見間違いじゃないのか?」

 お父さんが続ける。

「ううん、間違いじゃないよ。だって車の番号が同じだったもん。こんどあのおしろに連れていってね。優愛ちゃんも行きたがってたよ」

 お父さんの顔が引きつっていたけど、それに気づくことさえできない。

「ふーん、そう。でもお父さんとじゃなくて、素敵な王子様を見つけて一緒に行ったほうがいいんじゃない?」

「おーじさま?それってどこにいるの?」

「きっと見つかるわ。明梨ちゃんだけの、素敵な王子様が」


 その日の夜から、お母さんとお父さんはケンカが絶えなくなる。

 夜でも大声で言い合っている様子は、子供ながらに恐怖を覚えた。

 日を追うごとにケンカは激しさを増し、月が変わる頃には静かさを取り戻していく。

 しかし…その静かさと引き換えにしたものは、あたしに対する苦痛だった。


 バシィッ!!


「お前は、どうして余計なことを喋ったんだ!!」

 大きな手で思いっきり頬を叩かれて、衝撃の大きさに立っていられず床にへたりこむ。

「どーして!?どーして怒るの!?」

 ある日から、お父さんは毎日あたしに手を上げては、痛いことをしてきた。

 突き飛ばされたり、引っ叩かれたり、髪を乱暴に掴んで鬼の形相で迫ってきたり、子供には熱すぎるお風呂へ無理やり放り込まれたり…。

 そしていつも最後にはあたしの口を塞ぐようにして鷲掴みする。

「その口を二度と開けないように縫い付けてやりたい!」

 とあたしの口について、恨みがましい声で威圧してきた。


 そんなある日、家に帰ると…お父さんは家に帰らなくなった。

 どうして、と母に聞こうとしたけど、口を開こうとするたびにお父さんに虐待された記憶が蘇って、口を閉ざしてしまうようになった。

 やがて、自分がしたことの意味を知り、優愛ちゃんも何が起きたのか、その事情を理解する。

 白須賀さんと出会い、喋るようになってからは覚えている限りのすべてを優愛ちゃんに伝えた。


「だから、わたしが明梨を守らなきゃと思ったのよ。小学校の頃から、ずっと…。もちろん、小学生の頃はわけも分からず喋らなくなった明梨に戸惑ったわ。でも手紙やメールは短文だけど時々送ってくれて、事情がわかった。明梨が口を閉ざした理由が分かってからは、むしろ明梨を喋らせないようにしてきた」

 語り終えた優愛ちゃんは口を閉ざす。

「まさか…こんな偶然が…」

 白須賀がごく小さくこぼした言葉は、誰の耳にも届かなかった。

「辛い思いを…してきたんだな。やっとわかったよ」

 今にも泣き出しそうな涙を堪えながら目線を落とす。


 ふわっ


 大きな胸に抱きとめられて、あたしの顔が隠れる。


 トクン…トクン…


 大きな胸板から鼓動が伝わってくる。

 こうして、苦手意識のあった男という存在に抱き留められて心の安息を感じている今の自分が不思議に思える。

 包み込むような大きい腕と体が怖かったけど、白須賀くんなら安心できる。

「これからは、俺が明梨を守る。初めて愛したいと思えた人を、好きな人を、決して手放したりはしない」

 頭のすぐ上で、あたしに向けられた声が耳に染み入ってくる。

「…絶対…絶対に…守ってよ…?」

「今こそ返事をする。好きだ。

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