第28話:失連(しつれん)
文化祭を終えて、片付けも終わって振替休日も明けた。
魔法が解けたように戻る日常。繰り返される授業は年末まで続く。
「ねえ、
本当の意味で日常が戻ってきている。
彼が女の子に囲まれているいつもの光景まで。
それを見るたびに、思わず割って入っていきたくなる衝動に駆られる。
でも、あたしにはそうする資格なんて無い。
あたしが彼の隣に立って他の女の子に牽制するのは、まず気持ちを伝えてから。
それくらいはわかっているつもり。
年が明けると進級考査を経て進級後は大きな催しがいくつかある。
成績は問題ないから進級はできるとしても、彼との距離はなかなか縮まっていない。そもそもあたしがなりたい自分になれるまで距離を保つと彼に求めたから。
変わろうと決意してから、髪を切って軽いお化粧もして、文化祭の実行委員長…は立候補したものの役立たずだったけど、白須賀くんのおかげで乗り切ることができた。あたしに興味を持ってくれた男の子の気持ちを何度も無にしてきた。
他に何をしていいのか、もうわからなくなってしまっている。
完全に行き詰まってしまった。
こうなったら、もう一度告白をする勇気を出す!伝えれば、あたしの中で何かが変わるかもしれない。
あたしがそうしてきたように、断られるかもしれない。
でもここで立ち止まっているより、一歩でも半歩でも前へ進む。
そう決めた。
登校してから席につく。
離れてしまった彼の席が遠く感じる。
前期は隣だったのに、後期の今はこんなにも遠い。
お昼休みに入った。
帰る前に時間をもらうよう、話しかけよう。
「…あの…」
「それじゃ行きましょ」
「そういえば今日は君とだったな」
あたしの声掛けを遮るように、別の女子が彼を誘って出ていってしまった。
「明梨」
「…
「わたしが呼び止めようか?」
「…ううん…あたしが…自分で…」
今のあたしは単なるクラスメイトその1。
約束している人との時間を邪魔していいわけではない。
「それで、明梨は彼を呼び止めてどうするわけ?」
優愛ちゃんと一緒に食堂でお昼を食べながら聞いてくる。
「…白須賀さんと…お話…したくて…」
「文化祭が終わったから、テーマを押し付けられたことでも聞くの?」
白身のフライをほぐしながら話題を振ってくる。
「…それもあるけど…」
「明梨は確かに彼から寄ってきてくれてるけど、彼を狙ってる人はあまりにも多いから、ぼやぼやしてると取られちゃうよ?」
喋ってる時は口に入れる前の準備をして、喋り終わるともくもくと食べている。
あたしはまだ定食のスープを半分くらい口にしているけど、優愛ちゃんはもう全体の半分くらいを平らげている。
「…それならそれで…その気がなかったんだって…」
「それで、そうなったらずっと引きずるでしょ?明梨は」
言いながら、ひょいひょいと定食のごはんを口に運んでいる。
「…それは…」
「ごちそうさま」
ぽん、と両手のひらを合わせて誰にともなく挨拶する。
「ほら明梨、全然箸進んでないよ。喋らなくていいから食べちゃいなよ。別にダイエットしてるわけじゃないでしょ?」
「…うん…」
「だけど、未だに信じられないな」
喋らなくていいから、と言われた矢先だから定食に盛られた料理に手を付ける。
代わりに優愛ちゃんに視線を送った。
「ずっと明梨の側で喋らないで済むよう守ってきたのが、高校に上がってすぐ明梨が喋り始めるようになるなんてね」
食べる方に集中するため、こくんと頷いて聞いてる意思表示をする。
「もし彼が入ってこなかったら、まだ明梨は喋らないままでいたのかも」
視線を優愛ちゃんの肩越しに送る。
そこには数人の女子に囲まれている白須賀くんの姿があった。
確かに、優愛ちゃんがあたしに喋らせないよう人払いを続けてきたおかげで、長らくあたしと関わろうという人はいなくなっていた。
それを崩したのは他でもない彼。
中学を卒業して、エスカレーター式で高校に上がる春休みに出会った。
まさか編入してきて、そのうえ同じクラスになって、隣の席なんて偶然はまるで漫画でも見ている気分になった。
悪気や悪意なく見たままの事実として放つ彼の言葉は、胸に突き刺さるようなものばかり。
多分、優愛ちゃんはそれで傷ついてきたはず。
それでも無二の親友として接してくれる優愛ちゃんは、絶対に手を話したくない掛け替えない人。
十年近く口を閉ざしてきたあたしの口を開かせたのは、白須賀くんという、新しい風。
最初、優愛ちゃんはあたしに喋らせたきっかけを作った彼に敵意を向けてたな。
それからも辛抱強く彼はあたしに関わってきて、林間学校で偶然見かけてしまった愛の告白を見届けてしまい、彼を男の子として意識し始めて、髪を切った。
優愛ちゃん監修の元でお化粧にも挑戦した。
不慣れからくる下手だから、あまり手を入れるとセンスの無さが出てしまうし、別人みたいになってしまうから薄化粧を勧められた。
夏休みは花火大会に行って、彼と二人になった時、体に響く花火の大音響とロマンティックな光に堪えきれなくて告白してしまう。
思わずその場から逃げ出してしまい、優愛ちゃんにそのことを知られてしまった。
夏休みに白須賀くんと会えたのは花火で一度だけ。
これまでのことを思い出しながらも、箸を進めた。
「…多分…今も喋ってなかった…と思う…」
「ほんと、肩の荷が降りた気分だよ」
「…ごめん…」
「いいのいいの。それまでは喋らせないよう必死だったし、自分でそうしたいと思ってたからやってたんだし」
変わろうと決意したあたしは、文化祭実行委員長に立候補して、対抗馬が不在だからそのまま決まった。
何を考えたのか、白須賀くんが副委員に立候補してきた時はパニックになってしまい、却下しようとしたけどだめだった。
けどそうなってくれたからうちのクラスは出し物がうまくいったわけだし、悪いことばかりではない。
学園全体のテーマを押し付けられて、それが決まってしまったことを誰にも言えなくて、罪悪感を抱えてしまったこと以外は。
結局あたしは委員長らしいことの一つもできず、文化祭は終わった。
これ以上何をしていいのか、何をすれば白須賀くんの隣に立つことのできる自分になれるのか、わからなくなった。
後は勇気を出して、もう一度告白することくらい。
しかし、あたしは忘れていた。
彼に「なりたい自分になれたら、もう一度あの言葉を聞かせてくれ」と言われていたことを。
午後イチの授業が終わり、休み時間。
これが今日の放課後に時間をもらう話ができるラストチャンス。
「…あの…し…」
「鐘ヶ江さん、ちょっと来てくれる?」
先生に呼ばれて、口に出かかった名前を飲み込んだ。
「…もう…邪魔ばかり…」
彼の元へ進めた足を教室の外、廊下へ向け直した。
本日最後の授業が始まる鐘の音が鳴った。
「明梨、何の話だったの?」
「…奨学金…だって…」
「そっか。明梨は母子家庭だし、母親一人の手では結構厳しいんだよね」
母は夜遅くまで働いていて、それでも家計は少々厳しい事情がある。
「…うん…」
「それで、その話はどうするの?」
「…あたしじゃ…決められない…」
ちらりと視線を送るけど、肝心の白須賀くんはやっぱり今も女子に囲まれていて近づけそうにない。
「…今日は…タイミング…悪いな…」
午後の授業も終わり、放課となる。
行く!絶対に呼び止める!
「ねえ、白須賀さん。一緒に帰りましょう」
「ん?ああ、そうだな」
先を越されてしまい、呼び止めもできなかった。
あたしはいつもそう。
こうして勇気を出すと先を越されたり空回りしたり、ちっとも思い描いたようにことが進まない。
勉強以外ではこんな調子。
そういう意味では勉強って好き。やればやっただけ素直に結果が出るから。
「明梨、彼への用事って今日じゃなきゃいけないの?」
「…わからない…でも…早いほうが…」
「焦らないで明日にしたらどうかな」
それでも、いいかなと思い始める。
奨学金の話を持ちかけられたし、だからといって早く帰ってくるわけでもないけど、少し心が折れかけている今のあたしじゃ、とても気持ちを伝えるなんて…。
ぼふっ
帰ってきて、ベッドに身を預ける。
「…だめだな…あたし…」
枕元に放ってある少女漫画が目に留まった。
白須賀さんを好きになったことを自覚したあたしは、少しでも参考になればと思って少女漫画を読み始めた。
パラパラめくると、線が細くて淡いタッチのヒロインとヒーローがお互いを思いつつもなかなか近づけない様子に、今の自分を重ね合わせる。
「…この
弱気で引っ込み思案な学生の
心が惹かれるものの、色々な邪魔が入って、なかなか肝心なことを伝える機会を逃す。二人はすれ違いながらもやがて距離を縮めていき、想いが重なる。
漫画だから盛り上がるように都合よく話を組まれているものの、それでもドラマティックでつい憧れる内容になっている。
ぽふっ
読み終わった漫画を置く。
窓の外を見ると、昼よりも赤みを帯びている。
やっぱり…今日じゃないとだめ。
明日になって、勇気を出せなくなったら、次はいつしっかり伝えようと思える日が来るかも知れたものではない。
スマートフォンを取り出して、メッセージアプリ「Direct」を起動してメッセージを打ち始める。
『もう家に帰ってるかもしれませんが、今から会えませんか?ショッピングモール外の広場で待ってます』
一気に入力して、勢いで送信ボタンを押す。
既読マークや返事を見る勇気が出なくて、勢い任せですぐに着替えて外へ飛び出す。
メッセージを送って外に出た以上、もう引き返す気にはならない。
意気地なしと言われても、これくらい勢いをつけなきゃ、途中で足を止めてしまうだろう。
足早にアーケードを抜けて、やがてショッピングモールが見えてきた。
大きな建物の横に見える広場には、子供が駆け回り大人が眺めている。
広場の入り口まであと数メートル。まだ白須賀さんは来てない。
ここまで来て、あたしは足が震えてしまい、一歩も踏み出せない。
「…やだ…ここまで…来たのに…」
どれくらいそこで立ち尽くしただろうか。
彼の都合も聞かず一方的に会う約束をして…いや、約束すらしてない。
来るかもわからない状態で、あたしはそこから動けずにいた。
辺りは次第に空からの光を失い、広場にいた子供は目の前の出入り口から飛び出していき、大人たちは後を追うように目の前を通り過ぎていく。
空はすっかり朱く染まっていて、人のいない広場は、差し込む赤い光も相まって、より一層の寂しさを漂わせている。
待ち合わせはこの広場。
この通りを行き交う人も少なくなり、雑踏が遠くで聞こえる。
「鐘ヶ江さん」
ふと後ろからかかった、聞きたかった声に身が
恐る恐る振り向くと、会いたかった人の顔がそこにあった。
「…白須賀…さん…」
「今日、俺に何か用事があったんだろ?気づいてあげられずに、ごめんな」
会いたかった。
こうして誰もいない二人きりで。
「…はい…二人きりで…話を…したかった…です」
目の前に好きな人が現れて、自分の気持ちを告白するという意識が、あたしの口を重たくするけど、必死に言葉を紡ぐ。
「もしかして文化祭のことかい?」
首を横に振る。
「…違い…ます…」
一呼吸、深く息を吸って吐いて、気持ちを落ち着ける。
大丈夫。言える。落ち着いてる。
自分をコントロールできている。
花火大会の時みたいに気持ちが先走ってはいない。
「…白須賀…くん…あの時…取り消したこと…取り消します…好きです…白須賀さん…」
あたしは目を見て、はっきりと伝えた。
「………」
黙る彼を見て、あたしは不安になる。
「その返事をする前に、聞いておきたいことがある」
「…何を…ですか…?」
「君は林間学校の後、急激に変わった。どこを目指しているのか知らないけど、目指すところまで、納得できるところまで行った時に、もう一度その言葉を聞くと伝えた」
「…はい…」
「それで、その目指すところまで行けたのか?納得できたか?」
「…いえ…まだ…です…けど…これ以上…どうしていいのか…わからなくなってしまって…今できることは…勇気を出して…気持ちを伝えること…」
ふう
彼は軽く息を吐く。
「なら、返事をする」
ごくり、と喉を鳴らした音がやけに大きく響く。
「今の君では、その気持ちに応えられない」
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