第27話:再念(さいねん)

「結局来られたのは最終日だけだったな。緋乃あけの

「別にいいじゃない、しょう。どこぞのイベントみたいに日替わりで出展内容が変わるわけじゃないみたいだし」

 穏やかな面持ちで文化祭の一般入場ゲートへ差し掛かる夫婦二人がいた。

まもる詩依しよ氷空そら雪絵ゆきえの子がここに通ってるなら、一度は顔を出さないとな。まさか氷空が雪絵の婿養子なるとは思わなかったけど」

「確か中等部よね。小中高一貫で同じ敷地だから、まずは中等部に行きましょう。今回来られなかった娘にいい土産話ができるといいんだけどね」

「仕方ないさ。娘もこの日に文化祭をやってるんだから。昨日は娘の、今日は親友夫婦の子に会うってことで納得したんだろ?」

「うん。行こ」

 ゲートの受付で招待券が切られ、学園の敷地に足を踏み入れる。

「そういえば石動いするぎグループと業務提携したんだっけ?」

「ずいぶん時間がかかった経営再建だったけど、やっとその話ができる程度にはなってきて安心したよ」

 銘苅めかるしょう銘苅めかる緋乃あけのの二人は、石動一家に散々かき回されてきたため、心象は実際悪い。

 しかし仕事としての付き合いは別。そのあたりは割り切った考えをしている。

「翔が社長のお義父さんを補佐する副社長かぁ。あの騒ぎが起きたときはこんなことになるなんて思わなかったわ」

石動いするぎ芽衣めいとの婚約発表会見か。あの時は流石に終わったと思ったよ。まさかあの日に不正発覚で経営層がまとめてしょっぴかれるとは夢にも思わなかった。それよりその頃に色覚を失ったのは心因性だったんだよな?」

「うん。その頃に身投げしたあたしを助けてくれた人は、結局誰かすらわからなかったわ。名乗りもせずに立ち去ってしまったらしいの」

「その人に感謝しなきゃな。でなきゃ今頃、緋乃はここにいなかったんだから」

「そうね」

 思い出話に花を咲かせて、中等部の校舎に向かっていく夫婦の姿は、増えてきた一般来場者の雑踏に消えた。


「ちょっと!話が違うじゃないの!」

 白須賀しらすかくんに食って掛かっているのは優愛ゆあちゃんだった。

「これも委員の宿命だと思ってくれ」

 初日は点検巡回。二日目は午前に焼き係と午後は指摘事項の改善確認で終わった。

 最終日はあたしが完全にフリーだと思っていたけど、そうはさせてくれないらしい。

「納得いかないわ!なんで明梨あかりをあなたと二人で行かせなきゃなならないわけ!?」

「これにはしっかりとした理由がある。昨日、焼き機が故障した時に俺は台数を減らして対応をしようとしたんだけど、鐘ヶ江かねがえさんが故障してない焼き機の存在を覚えていて、それを教えてくれたんだ。俺一人じゃ間違った指示をしていたかもしれない。一人では間違えるかもしれないことを、二人なら補い合える。次に何か起きた時、二人なら間違った対応をせずに済むんだ。だから有事に備えて別行動は避けたい」

「だったらわたしが一緒にいてもいいでしょ?あなたと明梨が一緒にいればいいんだから」

「それは…」

 白須賀くんにしては珍しくタジタジしている姿を見る。

 本当なら三日間とも優愛ちゃんとサッチにミキチーで一緒に回るはずだった。

 けどなぜか二日間は白須賀くんと行動を共にした。本来頼まれてすらいない点検と称した理由で。

 委員として巡回を頼まれてなんていないことは知らないながらも、予定を狂わされたことに対して優愛ちゃんは心底頭にきているらしい。

「反論できないね。はい決まり」

「はぁ…仕方ないか」

 がっくりした様子で白須賀くんは受け入れたようだった。

「…あの…サッチと…ミキチーは…?」

 姿が見えない二人について疑問を持った。

「今の時間は当番やってる。三日目の午前なんだよ。初日と昨日は三人で回ったの」

「…そうなんだ…」

「だから午後からは合流して一緒に回ろ」

 白須賀くんは周囲を気にしている。

 その理由はほどなくわかった。

「白須賀さーん!」

 黄色い声が飛び込んでくる。

 それを聞いた彼は苦い顔をするけど、あたしはその一瞬を見逃していた。

「さすがに最終日じゃ委員の仕事は無いですよね?」

「いや、委員はともかく…クラスの出し物で緊急対応がいつ飛び込んでくるやら」

「だったらその時までは一緒にいていいですよね?」

「あー、なんというか…」

 珍しく端切れの悪くなる彼に新鮮な印象を受けた。


「なんとか丸く収めてきたけど、鐘ヶ江さんを見失ってしまったか」

 一人で歩きながらこぼす。

「最近、鐘ヶ江さんのことを考えてばかりだ。一緒にいて心地いいと感じるだけでなく、他人事のようにどうしても放っておけない」

 彼の脳裏には、片手を振り上げたぼんやりとした人の影がよぎる。

「あの子なら、あんなことにはならないはず」

 親しくしている女の子と、その仲がいい敵意を向けられている女の子の姿を求めて視線を巡らせていた。


「ずいぶんと手間取ってたみたいね」

「…あの…優愛ちゃん…」

「わたしたちは普通に文化祭を楽しんで回っているだけよ。その間につきまとっている人がはぐれただけ」

 優愛は明梨の手を引いて気になる出展のクラスへ向かっていたら、白須賀がお誘いしてくる女生徒の対応に追われて自然と離れた。

「…あたしたちのこと…応援…してくれてるんだよね…?」

「もちろんよ。初めて明梨が自分で決めたことなんでしょ?」

「…うん…でも…」

 振り返ると、そこに彼の姿はない。

「ここ最近、ずっとあの人に明梨を取られっぱなしだったからね。今日くらいは二人で一緒に楽しもうよ」

 優愛は明梨と白須賀を二人きりにさせたあの時を思い出していた。

 ボイスレコーダーに録音されていた白須賀の言葉を何度も反芻はんすうした。

 自分が明梨の独り立ちを邪魔しているという指摘。

 明梨の告白に対して、理由をつけて先延ばしにしていることからも、二人が恋仲になるのは確実で時間の問題だということもわかった。

 だったら、せめてその間までは楽しい思い出を作りたいと考えている。

 二人が付き合いだしたら、そんな思い出作りの機会は無くならないとしても大幅に減っていくはず。

 どこかで白須賀を撒こうと考えていたけど、早々に撒けて安心した。

「昨日ね、中等部へ少し顔を出してみたんだけど、よさそうな出展があったんだ。行ってみようよ」

「…あ…うん…」

 足早に中等部の敷地へ移動する。

 小中高一貫で、外に出ないで行き来できる作りになっているとはいえ、やはり別の等部へ行くのは抵抗があるらしく、中等部の校舎は中等部の生徒が多い。

 それは高等部も同じだった。

 高等部は中等部や小等部を見て懐かしみ、小等部や中等部の生徒は高等部を見て新鮮な刺激を受けられる。学園祭はまさに大手を振って行き来する絶好の機会になっている。


「危ない!走らないで!」

「…え…?」

 中等部の出展教室内から可愛らしい声の呼びかけと共に、小さい影があたしに飛び込んできた。


 どんっ


 小等部の制服を着た子供が教室から飛び出してきて、あたしの足にぶつかる。

 倒れるほどではなかったけど、子供は弾き飛ばされて尻もちをつく。

「ごめんなさい、大丈夫ですか?」

 教室から出てきたのは大人と子供の端境はざかいにいる独特の空気を持った女の子だった。

「…はい…あたしのほうは…」

「ぼくは大丈夫?」

「うんだいじょーぶ」

「こうしてぶつかっちゃうことがあるから、よく左右を確認してね」

「うんそれじゃーね」

 ピューッと走り去る子供。

 教室から出てきた女の子の胸には小さな名札がついていた。学園祭の出展中は装着が推奨されているもの。

「…えっと…えい、さん…ですか…?」

「はなぶさです。はなぶさ夏海なつみ

 パッと花が咲いたような笑顔を向けられる。

「さすがに知らなきゃ読めないわね。わたしたちは高等部からきました」

「はい、制服でわかります」

「あ、そっか」

 お互い静かに笑い合う。あたしもつられて顔が綻ぶ。

「あ、いたいた。夏海ちゃん」

 行き交う人の中から、落ち着いた優しい声色で呼ぶ声が割り込んできた。

「これはこれは銘苅さん。夫婦で来ていらしたのですね」

 ぺこりとお辞儀する夏海さん。

「あなたのお母さんに招待券をもらったから、見に来なきゃと思っていたんです」

 声の主は年齢不詳ながらも幸せそうな夫婦だった。

「加賀屋くんはいるかな?」

 男の人が夏海さんに話しかける。

加賀屋かがやたけるくんはわたしと入れ替わりで今フリーだから、他のどこかを見てると思います。午後に来るはずです」

「そうか。午後にまた来よう」

 夏海さんはあたしたちに向き直って

「最終日の文化祭、お互いに楽しみましょう。それでは出展に戻りますので。銘苅ご夫妻も存分に楽しんで行ってください」

 と言い残して教室に戻っていった。

「それじゃ明梨、行こ」

「…うん…」


 優愛ちゃんに引っ張られる形であちこち見て回る。

 日が傾いてきた頃…

「本学園の文化祭はこれにて終了します。一般参加者は速やかにご退出ください。生徒の皆さんは生徒会主催の後夜祭に奮ってご参加ください」

 文化祭終了の放送が響き渡る。

 全三日間にわたる文化祭が終わりを告げて一気に緊張が解け、安堵の空気が立ち込めた。

「明梨、後夜祭行くでしょ?」

「…うん…けどダンスはいい…」

「でも白須賀くんとだけは踊りたいんでしょ?」

 あたしは顔を真っ赤にして言葉を失ってしまう。

 後夜祭は二部構成になっていて、まずは体育館と隣接する講堂を使って軽食が出る。

 一時間ほどの軽食を終えた後はグラウンドでキャンプファイアーを囲んでフォークダンスをする。

 例年、このダンスでカップル誕生が多いことは有名になっていて、それ狙いで参加する人も多い。

 去年までのあたしは、そんなことと無縁でいたけど、今年ばかりは参加したくなっている。

 でもすでに白須賀くんへ気持ちを伝えてしまっているあたしには必要と感じない。

「鐘ヶ江さん」

 声がしたほうへ振り向く。

「実行委員、お疲れ様でした」

 そこにいる男子の級友が労いの言葉をかけてきた。

「…いえ…あたしは結局…何もできませんでした…」

「そんなことないです。立派に実行委員をしてくれました」

 立派な実行委員…。

 白須賀くんの横に立っても釣り合う人になりたくて立候補したけど、望まれた委員ではなかった。不戦勝みたいなもの。

「それより、一緒に踊りませんか?」


 ふんふん


 かぶりを振って意思表示する。

「…ちょっと…疲れてしまいました…なので…ごめんなさい…」

 今のって、多分だけど遠回しの告白なんだよね。

 だとしたら、その気持には応えられない。

「そっか。点検したり、あちこち駆け回ってたんだっけ。それは疲れも出るよ。それじゃ今夜はゆっくり休んでね」

「…はい…」

 合併前の高等部では、弓道部の主将が屋上から矢を放って点火したことがあったらしいけど、その主将が卒業してからは点火の火矢を何本も外してしまい、安全確保の観点から火矢による点火は廃案となったという記述をどこかで見た気がする。

 今は科学部による花火を使った演出で点火されている。

 キャンプファイアーの下から導火線が引かれ、火種に着けると同時に小さな打ち上げ花火が夜空を彩る。

「鐘ヶ江さん、ここにいたんだ」

「…白須賀くん…」

 いつも周りを女の子に囲まれているのが日常だけど、どういうわけか今はあたし一人だけ。

「…踊って…来ないんですか…?」

 つい口から出た言葉だけど、否定してほしい。

 もし踊ってきて、そのまま女の子を連れて輪を離れてしまったときのことを考えると、胸が締め付けられるような感じがした。

「そういう鐘ヶ江さんは踊らないの?」

 返事は、質問に対する答えではなかった。

「…ちょっと…気分じゃなくて…」

「気が合うな。俺もだよ」

 彼と一緒なら、踊りたい。

 でも短い時間で交代してしまうから、できればこのまま一緒に居たい。

 ドクンドクンと脈打つ音がやけにうるさく感じる。

 花火の時はつい弾みで告白ってしまったけど、大丈夫。今は冷静な判断ができている。

 やっぱりどうしようもなく好き。

 この気持ちに嘘偽りはない。

 間違いなく消えずに残っている。


 学園祭の委員は、ほとんど何もできなかった。隣の彼がいなければ失敗は確実だった。

 この先は学年末考査まで催し自体は何度かあるけど、生徒会だけで運営していくものだから、あたしは関われない。

 無謀かもしれないけど、来年度はできれば生徒会にも立候補したい。

 でも彼と釣り合う自分になるための機会は来年度までお預け。

 後夜祭のフォークダンスを見ていて、あたしの気持ちは決まった。

 まだあたしが目指す自分にはなれてないけど、気持ちが抑えきれなくてこれ以上は待てない。


 だからもう一度、白須賀くんに気持ちを伝える。

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