第26話:按堵(あんど)
「それでは全校生徒のみなさん、文化祭二日目を開催します!」
校内放送が終わり、パチパチパチと拍手が校舎を包み込む。
昨日はあれから
まだ
信じて待つって言っても、待たせてるのはむしろあたしの方なんだけど。
「
「…うん…」
昨日は
本来今日担当の人が昨日に代わってくれて、その埋め合わせがやってきている。
隣を見ると
「今日はこっちを頑張ろうね」
昨日に引き続き白須賀さんが隣にいる。
「ねえ白須賀さん、こっちで手伝ってくれないかな?」
別台の焼き係をやっている女子から声がかかる。
「ごめんね。委員同士でしっかりやりたいんだ」
「もう、
「委員として半端なことをしたくないから、文化祭の間は勘弁してね」
「あーあ、こんなことなら委員長でも立候補しておけばよかったかな」
勝手なことばかり言いつつ、焼き始める女子。
じゅばあああっと音を立てて香り立つ教室がにわかに賑わってくる。
「羽根つきたこ焼き、おひとついただけるかしら?」
大人びた女性客から注文が入った。
「…はい…ただいま…準備します…」
白須賀さんと一緒に分担して焼き始める。
「おまたせしました。どうぞ」
「ありがとう。昨日から他の出展も見てきましたが、衣装はそれほど力を入れていないようですね」
「そのようです。手芸部がかなり手薄になっているようで、依頼するのもなかなか難しいそうです」
「そうですか。統合されたとはいえ、母校の手芸部OGとしては残念に思います」
どこか仄かに寂しそうな顔をしている。
「先輩でしたか。当時の手芸部はどんな感じでしたか?」
「学園祭で使う衣装をすべて手芸部で手掛けました。衣装が
「そんなことがあったのですか」
あたしは何か引っかかる感じがあって、頭がぐるぐると回る。
「…あの…審査委員長賞受賞って…その当時に出たり…しませんでしたか…?」
「よく知ってるわね。わたくしが今の夫にプレゼントするつもりのものが受賞の対象になったことはあります」
「…それじゃ…AYANEというブランドは…」
昨日明先の代表からチラリと聞いた名前を出す。
「わたくしが立ち上げたブランドです。ひところよりは落ち着いてきていますが、おかげさまで皆様に支えていただいています」
昨日、明先の代表が話していたことと一致する。
「わたくし、こういうものです。興味がありましたらご連絡をお待ちしています」
差し出した名刺に書かれていた名前は…
名前がブランド名になったんだ。
「それでは失礼します。評判の羽根つきたこ焼き、美味しくいただこうと思います」
ニコリと笑顔を向けて背を見せた。
「…はい…ありがとう…ございました…」
「とてもいい人生を歩んでいる人だな」
「…そう…なんですか…?」
「決して順風満帆ではなかっただろうけど、心からの笑顔だってことはわかる」
心からの…笑顔。
あたしなんてこれまで笑ったことがほとんどないし、白須賀さんのことでずっと悩んでいて暗い顔をしてると思う。
「…どうすれば…笑顔で…過ごせる…んでしょうか…」
答えようのない独り言みたいな問いかけが口から飛び出した。
「やりたいことをひたむきにやりきってみたらどうかな」
白須賀さんが即座にあたしと同じ声のトーンで返してくる。
「…やりたい…こと…」
今していることは、彼と釣り合いが取れるようできることをやりきることは、単なる通過点であってやりたいことではない。
あたしのやりたいことは、隣にいる彼の側にいること。あたしだけを見てほしい。
「…道は…遠そう…です…」
「それで諦められるなら、本当にやりたいことじゃないのかもしれないよ」
白須賀さんと釣り合う人になるため、できることをやる。
そう決めて実行委員になることを決めたけど、もう道を見失っている気がしている。
自分でやり遂げられたことなんて無いも同然で、白須賀さんに頼り切り。
こんなことでは釣り合うどころか、むしろ背中がますます遠くなってしまっている。
文化祭が終わるとしばらくは催し物が無くて、年度末に期末考査があるだけ。
どうすれば彼と釣り合う自分になれるのか、もうわからない。
「鐘ヶ江さん、焦げてる!」
ふとかかった白須賀さんの声で我に返ったら、たこ焼き器から黒い煙がモクモクと立ち上っていた。
「…やだ…ボーッとしてた…」
「もったいないけど、これはもう売れないな」
「…これは…あたしが…責任持ちます…」
加熱つまみを切に合わせて、表面が焦げているたこ焼きを紙皿に移す。
紙皿に移すため、焼け焦げたたこ焼きをピックで刺す。
パリッと焦げている部分が音を立てて崩れる。
一度恋の火がついてしまったあたしの心は、その火で焦げてしまったようなもの。
現に何をやっても空回りしている今、焦げたこれはまるであたしの心を表しているかのようなその有様に、ますます気分が沈んでしまう。
こんなふうに、あたしの恋も脆く崩れていってしまうのだろうか。
はあ…
だらしなく口を開けてため息をついていたら
「ほい」
ふと口にふわふわした玉を放り込まれた。
「あふっ!あふひっ!!はひほへ!?(熱っ!熱いっ!!何これ!?)」
焼かれるような熱さが口の中を暴れている。
ホカホカと熱いそれは、噛んだらもっと熱いものが口の中を満たす。
それができたてのたこ焼きと理解したのは、熱いそれを冷まそうとハフハフしているうちに歯ごたえがある塊を噛み潰した時だった。
「気にするな。また作ればいい」
熱々のたこ焼きを口に放り込んだ白須賀さんが、次のネタを鉄板に流し込みながら励ましてくる。
「…別に…失敗で…落ち込んでたわけでは…」
じゅばああっと盛大な音を立てた鉄板に、あたしの声はかき消された。
「というところで、そろそろ交代の時間だな」
焼き係はクラスのほぼ全員が持ち回りでやっている。三日間開催とはいえ、開催時間は1日につき6時間程度だから、担当の時間はそれほど長くない。
「…白須賀さんは…先に行ってて…ください…」
あたしは焦がしたたこ焼きを鉄板に戻して温め直すことにした。
1分程度で十分に温められたお焦げたこ焼き手に持ち場を離れる。
「あれ?それ焦げてない?」
「…優愛ちゃん…これは…あたしが焦がしちゃったから…」
「おこげってガンの元だって聞いたことがあるよ。いいの?」
「…えっ!?」
ガンって、死亡率の高い病気だよね。
「それは俗説だ。気にしないでいい。もらうよ」
横から入ってきた白須賀さんは、焦げたたこ焼きをヒョイッと摘んでパクリと食べてしまう。
「うん、熱すぎず冷えてもない、ちょうどいい感じだな」
「…俗説って…?」
「手術で摘出したガン細胞が黒くて、おこげみたいに見えることから言われ始めたことという説が有力だって話。焦げが好きな人は一生のうちにドラム缶いっぱいくらいなおこげを平らげてもガンにならなかったそうだ。ただ栄養価は下がるかもね」
「そうなんだ?」
お昼ごはん代わりの焦げたこ焼きを口に含む。
さっきみたいな火傷級の熱さのない、程よいホカホカが心地いい。
ただパリパリと焦げた香りが鼻を駆け抜けていく。
「白須賀さーん!」
慌ただしく行き交う人をかき分けて黄色い声が響く。
可愛らしい女生徒が駆け寄ってきた。
「出し物の当番、終わりですよね?この後一緒に回りませんか?」
目をキラキラと輝かせて彼を見ている。
「お誘いありがとう」
「それじゃ!?」
このやり取りを見て、あたしの心にモヤが立ち込める。
「けどごめん、昨日の点検巡回で伝えた指摘がどれだけ反映されているか、確認する必要があるんだ」
「…え…?そんなの聞いて…」
「忘れちゃった?早く行こう。午前中は当番で時間使っちゃったから、効率的に回らないと間に合わないよ」
言いつつ、白須賀さんはあたしの手を掴んで歩き出す。
手を引かれた拍子にたこ焼きを盛った容器が逆さまになる。けどすでに空っぽだから、鰹節が数枚落ちただけ。
「もう、白須賀さんってば最近あの娘にかまってばかりじゃない」
置き去りにされた女生徒は不満をこぼして、そこにいる優愛ちゃんに目線を移す。
「ねえ、あの二人って付き合ってる噂があるけど、本当なの?」
「明梨から、それはないって聞いてるわ」
優愛は細かい経緯を全部把握しているけど、それを広めるつもりはない。聞かれたことに対してイエス・ノーの返事だけした。
二人の姿を見送って、優愛は眉間にわずかなシワを作った。
「まずいわね。忘れてたけど、仮に彼と付き合うことになった場合、かなりの波風が立つことになるわ。のらりくらりとうまくかわす彼はともかく明梨が耐えられるのかしら…」
「…あの…白須賀さん…」
「それじゃ巡回を始めようか」
あたしの言葉を遮って先へ進もうとする彼の手を引く。
「…そうじゃ…なくて…」
「別に君を
「…あの…これを…ゴミ箱へ…」
手にした空容器を見せると、彼は呆気にとられた顔をしていた。
正攻法で問いかけてもはぐらかされて答えてくれないのはわかっているから、彼の気が済むように巡回は付き合うつもりでいる。
でも、語るに落ちたかまたは偶然か、期せずして彼の本音を垣間見た気がした。
…そうか。聞いても答えてくれないなら、話したくなるよう仕向ければいいんだ。
とはいえ結構難しそう。
「さて、午前はまるまる出展で使っちゃったから、効率よく回らないと今日中に終わらないからサクサク行こうか」
「…はい…」
「…この出展は…指摘事項クリア…」
「よし次だ」
最終日を除いて文化祭の時間は変わらない。
終わってからも片付けや掃除のため夜まで学校は生徒に開放されている。
その時間を使って、初日に見回りをして改善事項を伝えた箇所はほとんどの出展で実施されていた。
♪♪♪
「おっと電話だ。ちょっと待ってて」
「…はい…」
「え?たこ焼きが焼けない?それは一台だけか?」
電話で何やらトラブルの対応をしているらしい。
「まいったな。それじゃ焼き台を減らすしかない。調達した材料は余るかもしれないけど、どうにもならないから…」
「…あの…」
あたしは思い当たることがあって声をかけるけど、白須賀さんは手で待ったの意思表示をする。
「…空いてる焼き機が…あったはず…故障の代わりで…新たに持ち込まれた…」
彼の視線が向けられた。その顔はハッとしている。
「そうだ。準備台のところに使われてない二つの焼き機があるはずだけど、見当たるかい?」
探しに行ってるのか、少し時間が空く。
「あったか。故障していなければ、そのうち一台は使える。二台同時に電源を差していい。片方は故障しているから、電源容量は問題ない。今使ってる故障機はテープを貼ってその上から故障と書いてくれ。それと二台のうち温まらない方も同じだ。ああ、頼む」
白須賀さんは対応しながら、あたしに向かって親指を立てる。
終話ボタンを押してポケットに仕舞う。
「助かったよ。それをすっかり忘れてた」
「…いえ…大したことじゃ…」
忘れるなんて、抜け目ない彼にしては珍しいかもしれない。
「やれやれ、いざ自分が
バツが悪そうに頭を掻きながらこぼす。
「…白須賀さんが…テンパることなんて…あるんですか…」
「そんなのしょっちゅうだよ。一歩引いた位置から見てると気がつくことが多くて冷静に対処できる。そういう意味じゃ副委員でよかったと思ってる」
ということは…ヘルプ希望の合図を出したときにサラリとスムーズな進行に持ち込めたのは…まさかそのため?
「…まさかと思いますが…そっちの意味でも…あたしをダシに…していませんか…」
「さて、なんのことやら」
気持ちの読めない微笑みであたしを見る。
「よし、これでラストだな。時間もちょうどだ」
高等部出展分の点検巡回は、なんとか時間内に終えられそうだった。
「これを持ちまして文化祭二日目を終了します。ご来場の一般参加者は速やかに退出してください。学校関係者は点検作業に入ってください」
「無事に二日目も乗り切れたな」
ホッとした顔であたしの頭をぽんぽんと撫でてきた。
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