第25話:煩芻(はんすう)
午前中に高等部すべての見回りが終わり、あたし達はお昼にしようということでお好み焼きを選んだ。
出来上がったものを見ると、ソースで翼の絵を描いてあることに気づく。
「…テーマの…『飛翔』…いろんな工夫を…してるんだね…」
「
とても誇れない。
元はと言えば、目の前にいる
あたしはその案をそのまま提案しただけ。
けどこのことを言うと白須賀くんは手助けを打ち切ると言っている。
まだ二日と半日が残っている。
初日を迎えた今、手助けを打ち切られても構わないかと思ったけど、まだ何があるかわからないから、黙って出かかった言葉を飲み込む。
「…あの家族…幸せそう…でしたね…」
彼の言ったことに答えること無く、話題を逸らすのが精一杯だった。
「しかしあの
そういえばそう名乗っていたような気がする。
「…明先…って…財閥の…?」
「そう。あの明先財閥だ。しかもその若代表とはな。貴重な体験をしたよ」
「…名前は…知ってるけど…そんなすごい人が…来てたんだ…」
「あの若社長は破天荒で有名だな。他社が仰天してたという反応をニュースでやってた」
「…破天荒…?」
「あの人はアメリカの名門大学を主席卒業したんだけど、望んで入ったところではないから、何の誇りも無ければ思い入れもないって断じたんだ」
「…何が…あったんだろう…」
「それを裏付けるように、明先グループの全求人に対して、あの社長が全ての書類選考を行うって方針に舵を切った。紙の履歴書は一切受け付けず、明先ホームページ経由のネット応募のみ。その応募フォームには学歴欄が綺麗サッパリ無いんだ。学歴についてコメントした応募は無条件に落とされるらしい。名前を書かずに高校、大学、大学院という学位の表現程度ならセーフだそうだ。中には在学中に採用されて、高校を中退までした応募者までいたという。そう切り替えてから数年で売上を倍近くまで引き上げたから驚きだよ」
「…そこまで…学歴を否定…するんだね…」
「とことん徹底した方針だからこそ、説得力があるんだ。他にも従来の手順に従ってきた採用担当が震え上がるような方針を次々に打ち出してきて、何かと世間を騒がせている稀代のやり手社長だよ」
「…そういえば…あの子には…勘違い…されちゃったかな…」
「何をだ?」
「…あたしたちが…結婚してる…って…」
「気にする必要はないさ。校外の女児が騒いだところで、ここまで騒ぎが及ぶことはないだろう。それに常識のある人なら、そもそも本気にすらしないよ。高校生の身分なんだしな」
そこまで破天荒な大物だと、娘さんの発言にも何かしらの重みが出たりしないだろうか。考えすぎかな。
「それにあれだけ幼い子どもなんだし、すぐに忘れるよ。善悪の区別無く
ビクッ!
あたしは思わず体が飛び上がって顔がこわばる。
白須賀さんは翼の絵が描かれたお好み焼きのソースを平らに均して箸を突き立てる。
「鐘ヶ江さんはそっちの半分ね」
気のせいか、切り分けた半分がやけに大きく感じる。
「…あの…あたし…こんなに…食べきれないかも…」
「食べきれなかった分は責任もって食べるから、今は入るだけお腹を満たしておけばいいよ」
食い下がっても無駄と判断したあたしは箸を進める。
「あの、白須賀さん。今、自由時間なんですけど一緒に回りませんか?」
横から知らない女子が声をかけてくる。
「ごめんね。今は準備委員の見回りなんだ。まだ初日だし、今日は遠慮してくれないかな?」
「そうなんだ。委員の仕事じゃ仕方ないわね」
あっさりと引き下がる知らない女子。
「…いいの…?」
「いつも囲まれて少し疲れてるんだ。今日くらいは鐘ヶ江さんとまったり過ごしたいかな」
やっぱり、あたしはダシに使われてる気がする。
「それじゃもう一度見回りをしようか」
食べ終わって、立ち上がる白須賀さんはそう切り出した。
「…あの…もう終わったはず…かと…」
「あんな事故を起こさせないために、今度は電源じゃなくて展示物を対象に建て付けの点検だ。この点検で多分今日の開催時間いっぱいまで使うことになる」
開始は10時で、今は12時半。4時終了だから3時間半かかるってことか。
再び、この教室内展示から点検を始めた。
倒れそうなもの、落下しそうなもの、足を引っ掛けそうなもの。
校内校外問わず人が多く行き交う中での点検は意外に難航した。
「…なるほど…これは…時間がかかりそう…ね…」
「でしょ。さっきは電源容量の確認という明確な対象物だけに限定したけど、今度は教室全体をチェックだ。もしかすると今日中に終わらないかもしれない」
釘を打たずにガムテープだけで固定している板がまだあって、しっかり固定するよう展示クラスの生徒に注意を促して教室を後にした。
「おっ、あいつは瞬だナ。しっかり鐘ヶ江を横に置いてるじゃねーカ」
「ねえ、あの二人って付き合ってるの?」
手をつないで連れ添っている彼女が聞く。
「まだだナ。けど時間の問題だロ」
「彼氏ってすごく人気のある人でしょ?あんな人と付き合って大丈夫なのかな?」
「だからまだ彼氏じゃねーっテ。時期にもよるけど手は考えてあル」
すぐそこの教室に入っていく二人を見送って、二人は幸せそうな顔で微笑み合って歩みを進めた。
(手を打ったとしても、やっかむ奴らは出てくるだろウ。けどそれほど多くはないはズ。そいつらの処理は任せてもらうカ。あいつらが付き合い始めたところで、やっと不安材料が消えるってもんダ。気張れよ、鐘ヶ江)
「ここは短くて細い釘打ちをしておくように。同じ様な展示で事故寸前だったクラスが出ている。釘と金槌は工作室の準備室にある。長い釘や太い釘は撤去の際に困るから使わないことだ」
「はい。わかりました」
テキパキと具体的な指示をして、次の教室へ入る。
あたし、ほとんど後ろをついていくだけ。こんなの、いる意味あるのかな?
「…あの…」
「どうした?」
「…ここは…あたしに…やらせてもらえませんか…?」
「いいよ。しっかりね」
さっき白須賀さんのやり方を見て、要点は抑えた。
あたしの点検箇所を、白須賀さんは後ろから見ている。
緊張する。
ヘマしないよう、念入りに確認しておかなきゃ。
倒れそうなもの。転んでひっかけたり倒れ込むことで危険が及びそうなもの。ぶら下げている落下しそうなもの。
充分に安全性を確認して、安全性が欠如しているところを出し物の責任者に注意喚起した。
やった。多分完璧にできた。
「…どう…だったかな…?」
「そうだな。安全確保という意味では充分だったと思う」
よし。白須賀さんお墨付き!
「でもさすがにあそこまでやらせるのは、予算オーバーが過ぎるんじゃないかな」
え…?
「あの指摘内容だと、教室中背丈より高いところに頑丈な
「…そんな…」
やりすぎということか。
「ある程度ゆるめるところはゆるめておいて、重要な部分だけしっかり対策させる事を考えたほうがいいかもね」
聞き終わって、ガックリする。
また役に立てなかった。
「それと、この見回りは今日一日だけの予定だから、あのペースでやってたら二日目が終わる頃に回りきれるかどうかというところだろう。最後の方は三日目に反映させるのも難しくなる」
そう言って、白須賀さんは次の教室展示に目線を送る。
「例えばこの重ねた机は固定されていない。ただ乗せてるだけだ。ズレて崩落する可能性があるから、下の机と上の机を紐で上下に一周して結ぶだけで充分だ。左右連結の結びは上部分だけでいい。それとこの垂れ幕は落下しても特に大怪我するような害はないから無視していい。鐘ヶ江さんは見た目まで完璧にしようとするあまり、準備の時間と予算が度外視の指摘になってしまった」
「…なるほど…」
「それを踏まえて、もう一度点検してみてね」
「…はい…」
白須賀さんに言われたとおり、危険回避に特化した見方をしてみる。
「上出来だ。この調子で行こう」
ササッと点検してクラスの生徒に指摘事項を伝えた後に言われた言葉だった。
よかった。こんな感じでいいんだ。
「あ、明梨と白須賀くん」
「やあ
今日の当番を終えた優愛ちゃんが学園祭を楽しんでいる。
「…サッチと…ミキチーは…?」
「これから当番だって。一緒に回る人が居なくてね。そっちの見回りはどう?」
「…電源の点検…だけだったけど…トラブルがあって…安全性の点検中…」
「トラブル?」
「明先のご家族が来ている。あの人たちは瞬発力がすごかった」
「明先一家が!?」
「ああ。秘書の奥さんとお子さん、SPと思われる人も一緒だった。特にSPは只者じゃない何かがあった。元・軍関係者と見て間違いなさそうだ」
そんなすごい人だったの…?
世界を代表する日本の大企業トップが、こんなところに…。
「軍ではなく特殊部隊所属でした」
!?
「先程は危険に巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。おかげでけが人を出さずにすみました。かように子供だましの稚拙な祭典でありますが、お楽しみいただけると幸いです」
「子供だましなものか。玉石混交ではあるが、完成度の高さに驚いてる」
振り向くと、先程手助けしてもらった二人と、奥さんに娘がいた。
「恐縮です」
「統合されたから、実質ここの高校では手芸部の作品として出した物が審査委員長賞を受賞して、後にAYANEというブランドを立ち上げた例もある。驚いたのは学祭の衣装を全部手芸部で手掛けたというところだ。もしかするとここからも何かビジネスに発展する何かが埋もれているかもな。ビジネスチャンスを逃さないようしっかり見極めないと」
フッと微笑みを浮かべる明先代表。
「そんなことがあったのですか。それで、何かありそうですか?」
「君は話上手だね。まだここに来てから30分足らずだから、見極めるには程遠いよ」
ということはさっき初めて会ったあの時が来たばかりということ?
「隆紫、学生の頃を思い出すね」
「そうだな。微妙な距離感で接している様子など、そっくりだ」
「…何か…あったの…ですか…?」
ちらっと匂わせる言い方に、あたしは思わず聞き返す。
「たくさんあったよ。
「その話はやめておきましょう。そのせいであなたが心を閉ざしてしまったのだし」
「そうだな。もし君が出ていって姉のあれを見つけなければ、僕は一生自分を許せなかった。茜とこうしていることも無かったろう」
「そうね。それと誘拐の救出劇ではうまく立ち回ってくれていたわね。さすがにあの時は生きて帰れるか不安だったわ」
なんか穏やかではなさそうな事件だらけ。
「真弓のGPSが無かったらほぼ手詰まりだったがな」
「その真弓さんがここの中等部教師になってるなんて、考えもしなかったわ。おかげで招待状をもらえたけど、まだ認めてくれてはいないようね」
「人が持つ感情というものは、時に抑え込むのが難しいものだけど、感情があるからこそ退屈な日常も刺激的になるものだ」
「見たところ、二人は少し微妙な距離みたいね。この距離感、わたくし達の学生時代を思い出すわね」
「まあこれ以上は野暮だ。やめておけ、茜」
息が合っている夫婦はここで口を閉ざした。
「あの、少しいいですか?」
これまで圧倒されていた優愛ちゃんが、茜婦人に話しかける。
何やらこしょこしょと交互に耳打ちしている。
「茜、外野が人の恋路に口出しするのはゾッとしないな」
話が聞こえているわけではないだろうけど、呆れ顔で指摘する。
「あなたが言うの?隆紫は何事も言葉が足りなさすぎるのよ。おかげで散々回り道したんじゃないの」
振り向きもせずに言い返す。
茜婦人と目線が絡まる。
ふふ、と微笑んで茜婦人はあたしに顔を近づけてくる。
突然のことで少し顔を後ろに引くけど、追いすがってきた婦人の顔が耳元にやってくる。
ふわふわした羽毛が耳をくすぐるように、婦人の声はやわらかで優しい。
茜婦人が耳元で囁いた言葉が、あたしの頭に焼き付いて離れなかった。
『大丈夫。きっと時間が解決してくれるから、彼を信じてあげて』
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