第18話:潔意(けつい)
しゅる…
帰ってきてから、まず帯を解く。
花火が炸裂した時に出た音の衝撃波で響いた振動の感覚が、まだ体に残っている。
つい…
ずっと我慢してきたけど、状況に流されて、耐えきれなくて…とうとう気持ちを打ち明けてしまった。
あの後、花火を最後まで見ることなく、オープニングの一部を見ただけで、足は家に向かっていた。
どうしよう…。
次にどんな顔して彼と…
返事を聞くのが怖くて、
最低よ、あたし…
わかってる。断られるって。
だから逃げ出した。
傷つくのが怖くて、そこから逃げてしまった。
もう、白須賀くんに合わせる顔が…無い。
浴衣を脱いで、寝間着に着替える。湯船に浸かるどころかシャワーを浴びる気にもなれない。
スマートフォンを見ると、2つの通知が来ていた。
その通知はメッセージアプリ「Direct」で、1つは優愛ちゃん。
『
ズキッと痛む胸を抑えつつ
『ちょっと具合が悪くなっちゃったから、もう帰ってきた。心配かけてごめんね』
と送る。
もう1つの通知は…白須賀くん。
『大丈夫?
告白のことは、一切触れてない。
それがホッとした反面、寂しくもあった。
『もう家に帰りました。それと、今日のことは忘れてください』
返事を送ったあたしは、目から止めどなく雫がこぼれ落ちていた。
「…もう…めちゃくちゃ…」
何が卒業まで耐える、よ。
決意は卒業までの約二年半どころか一ヶ月も持ちこたえられなかった。
感情ってこんなにも抑えられないものだったなんて、知らなかった。
まだ一年生の前半が終わっただけ。
あと二学年と半年くらいも残っている。
こんなこと、優愛ちゃんに相談すらできない…。
思い悩みながら、寝ることすらできず朝が来てしまった。
幸いなのはもう夏休みに入っていて、自分から望まなければ誰とも会わずに一日をやり過ごせること。
とはいえ母親は家にいるから、母だけは避けられない。部屋にこもり続けても余計に心配される。
ふとスマートフォンの画面を見ると、新着通知が来ていた。
優愛ちゃんからのメッセージか。
『急に帰って、何があったの?まさか白須賀くんに何かされた?そうだったら許さないから!』
別に、白須賀くんから何かされたわけじゃない。むしろその逆。
あたしが自分でやらないと決めていたことを自分で破ってしまった。
『ううん、彼からは何もされてない』
そう返信した。
白須賀くんは、ただそこにいただけ。
勝手に気分が盛り上がって、気分に流されるまま気持ちを打ち明けてしまった。
いくら優愛ちゃんでも、これだけは相談できない。
眠れない夜を明かしたからか、体がとても重たく感じる。
「…もう…寝られそうに…ないけど…」
そう呟いて、ベッドに身を預けた。
翌日
何もしないでいると、不安な考えばかりが浮かんでしまう。
不安を振り切りたくて朝から夏休みの課題を片付ける。
♪♪♪
電話の着信音に気づいて、電話に出る。
優愛ちゃんからだった。
「…おはよう…優愛ちゃん…」
「おはよう、明梨。今何してるの?」
「…宿題…」
これまではずっと文字のやりとりだった。
電話されても、喋らなかったから。
少しずつでも言葉を話すようになって、あたしは変わってきたと思う。
無謀にも学園でも有数の人気者、白須賀くんに告白してしまうなんて無謀なことをしてしまうくらいには。
「ねえ、前にすっごい混雑でロクに見ていられなかったショッピングモール行こうよ。そろそろ空いてるからさ」
「…でも…」
せっかく乗りかかった宿題を放っておきたくなくて、口ごもる。
「ね」
「よかった。だいぶ空いてるね」
結局押し切られてしまった。
「…ここ…空きテナント…?」
オープンからだいぶ経っていて、早くも退去しているお店が出ていた。
「何があったところなんだろうね?」
「…さあ…」
1Fは主に食品。2Fがレディースファッション関係。3Fがメンズファッション関係や生活雑貨を扱うお店を中心にしている。
大きな吹き抜けもあって、思わず目が変になったかと思えるほど広く感じる。
「…それで…優愛ちゃんは…何を見に…きたの…?」
「ん?別にここはいいんだよ。見たかったのは明梨の顔だから」
特に隠したりはぐらかす様子すらなく、あっけらかんと答える優愛ちゃんに、あたしは少し脱力する。
「どうせ
あたしの行動パターンはお見通しのようで、何ら否定の余地はなかった。
「そういえば、花火の時はどうしたの?」
「…飲み物が…冷たすぎた…かも…」
とっさに思いついた嘘をついてしまう。
「確かに氷漬けかと思えるほどキンキンに冷えてたよね」
「…うん…」
「明梨が探しに行ってから、打ち上げが始まった頃に司東くんと彼女が帰ってきてね、オープニングが終わった頃に白須賀くんが帰ってきたんだよ」
「…そうだったんだ…」
「オープニンとフィナーレがすごかったんだよ!もうこれでもかと大小様々な花火が打ち上がってて、夜なのに昼間かと思うほどあたりが明るくなって、色も白かったり青かったり赤かったり、見せ方もうまくてね、斜めに交差して横の広がりもすてきだった!」
興奮気味に優愛ちゃんはスマートフォンを取り出して、撮影した花火を画面に映して見せてきた。
「…ほんと…きれい…」
この花火、最後まで見たかったな。
あたしが踏みとどまれなくて告白してしまったばかりに、逃げるように帰ってしまった。
その時を思い出して、少し暗くなったあたしの表情を優愛ちゃんが見逃してなかったことを、あたしは気づけなかった。
「それでね、あの二人はもうべったりして見せつけてくれちゃって、こっちが恥ずかしくなってくるくらいだったわ」
「…うん…とっても…お似合い…だよね…」
あたしも、あんな風に白須賀くんと一緒にいられたらよかったのに。
微かな表情の動きも、優愛ちゃんは見逃していない。
けどあたしはそれに気づけない。
「明梨」
「…なに…?」
「わたし達、親友だよね?」
「…もちろん…だよ…?」
「なら、隠し事はナシにしようよ」
ひたと真っ直ぐ見つめてくる優愛ちゃん。
「…うん…」
返事をしてすぐに、思わず目を逸してしまう。
「で、あの夜何があったの?」
そんなこと、言えないよ。
卒業まで我慢して、それで諦めるなんて言っておきながら、秋を待たずして告白してしまったなんて、とても言えない。
めったに着る機会のない浴衣を着て、初めて好きになった人から誘われて、夜空に咲き乱れる光の華と体の芯まで震わせる大音響。
非日常だらけの条件が揃っていて、胸の高鳴りなのか、花火から放たれる爆発音が心臓を震わせているものなのかわからなくなって、ついしてしまった告白。
メッセージであの告白は無かったことにしたけど、夏休みが終われば、嫌でも顔を合わせることになる。
その時、どうしていいのかまだ決まってすらいない。
「黙ってちゃわからないよ?明梨が喋るようになってくれて、わたしはとても助かってる。けど、もうあの頃と違って明梨は自分の足で歩き始めてる」
困る。
「こんにちは、鐘ヶ江さん」
後ろからかかったその声に、あたしは思わず目を見開いて真っ青になってしまう。
「ん?」
隣で、その一瞬を見逃さなかった優愛ちゃんが不審そうな声を上げる。
「…こんにちは…よ…よく…後ろ姿で…わかりましたね…」
振り向けない。振り向きたくない。
「わかるよ。見慣れた姿だから」
「花火の時は場所取りや飲み物、ありがとう」
振り向いた優愛ちゃんは、白須賀くんと真正面に向き合う。
「そうそう、あれわざわざ買ってきてくれたんでしょう?はい、お代」
テキパキとお金を出して差し出す。
「ああ、気づいてたのか。でも受け取らないよ。俺から誘ったわけだし、自分からあげたんだしな」
「そういうわけにはいかないわよ。このままじゃわたしが気持ち悪いの」
「だったらいずれ君からおごってもらうとするよ。だからこの場は引いてくれるかな」
ふう、と軽くため息をつく。
「ほんと、人の扱いに慣れてるね。毎日あれだけ女子に囲まれているからかな?」
「好意を抱いてくれるのは嬉しいけど、内面や本質を見てくれている人がいるかは疑問を持ってしまうよ」
それって…見た目がイケメンだからって持て
「ほら明梨、いつまでも背を向けてちゃ失礼でしょ?」
「…う…うん…」
仕方なくあたしも白須賀くんに体を向ける。
まともに彼の顔を見られない。
俯いたまま、困った顔で眉間にしわを寄せていた。
どうしよう…まさかこんなところでばったりなんて、心の準備すらできてない。
「ごめんなさい。明梨、ちょっと気乗りじゃなかったのに無理して連れ出したから、ご機嫌斜めみたい」
「そうか。早めに帰って休んでるといい。それじゃ」
背を向けた彼の姿に安堵して、あたしは顔をあげてその背をジッと見つめていた。
姿が見えなくなった瞬間
「明梨、本当に白須賀くんとは何もなかったんだよね?」
「…うん…」
はあ
返事を聞いた優愛ちゃんは、これ見よがしにため息をついた。
「嘘ついてるのはわかってるわ。何があったの?」
あたしは口を閉ざして俯く。
「わたし達は何年の付き合いだと思ってるの?明梨が口を閉ざしてからもずっと一緒に居たのよ?何があったかは大体察しがついてる。けど言ってくれなくちゃわからないこともあるのよ」
優愛ちゃんと顔を合わせる度に、こうして問い詰められるのかな…。
仕方ない。
「…ここじゃ…ちょっと…」
「そう。なら人通りの少ないところで座りましょ」
手を引かれて、お店の外に出る。
「ええーーっ!?それじゃ、明梨は白須賀くんに告白したの!?」
「…うん…」
「どうして!?卒業しても我慢して諦めるんじゃなかったの!?」
そう。諦めるつもりだった。
けど…。
「そう、我慢できなくなっちゃったんだ。それで、明梨はどうしたいわけ?」
花火大会で優愛ちゃんと離れてからのことを話した後の意見がそれだった。
「…もう…彼に…合わせる顔が…ないよ…」
「違う」
即答で否定されて、あたしは優愛ちゃんの顔を見る。
「明梨がどうしたいのか。わたしはそれを聞いてるの。もう彼と会いたくないの?答えはイエスかノーよ」
彼に合わせる顔が無いって言い分は、イエスでもノーでもなかった。
あたしにとって、本心ではない。
「…会いたい…」
「もう気持ちを伝えたから、気持ちを切り替えてすっぱり諦めるの?」
「…諦め…たくない…」
「だったら」
「…でも…あの時のことは…忘れて…って…伝えちゃったし…」
ふう
優愛ちゃんが軽くため息をつく。
「明梨って自覚が無いんだろうけど、無意識のうちに相手をコントロールしてる気がするわ」
「…どういう…こと…?」
「忘れろって言われたら、忘れようと意識するものよ。意識するほど忘れられなくなるに決まってるじゃない」
「…そう…なの…」
考えたこともなかった。
触れてほしくないから、忘れてしまえばいいと送ったことで、余計に忘れられなくなるように仕向けてしまった…?
「あの時のこと、まだ覚えてる?」
あの時。
あたしが口を閉ざしてしまった時のこと。
「忌まわしい過去でしょ?忘れてしまいたいことでしょ?」
こくん
「それで、忘れられた?」
ふんふん
首を横に振って答える。
「むしろ強烈に、鮮明に蘇ってくるでしょ?」
「…うん…」
「同じことよ。忘れようとすればするほど記憶に焼き付く。明梨が白須賀くんにそれを求めたのよ」
「…そんな…つもりは…」
「そんなつもりがあろうとなかろうと、結果的にそうしてしまった。もう伝えちゃった以上、彼の記憶から明梨の告白が消えることは無いと思っていいわ」
「…どう…しよう…あたし…諦めようと…」
「諦めたくないんでしょ?会いたいんでしょ?」
突き刺さるような一言を即座に突きつけられて、次の言葉が出てこない。
さっき、優愛ちゃんに問われて自分が認めた言葉だった。
「それとも今後、明梨に宛てたラブレターを出してくる誰かと付き合う?」
ふんふん
林間学校を終えて、できることを全部やると決めて、まずはオシャレすることにしたあれ以来、あたしは何度もラブレターを受け取っていた。
でも全部断った。
あたしの心はもう、白須賀くん以外に興味がない。
「…やっぱり…できること…全部…やる…それで…もう一度…告白する…それでダメなら…」
「うん、せっかくの初恋だもん。精一杯やるだけやりなよ」
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