第14話:結意(けつい)

 好きって気持ち、全然分からなかった。

 男の子に告白されても全く実感がわかなくて、一緒に居たいと思えなくて断った。

 でも、今はわかる。

 白須賀しらすかくんとは、一緒に居たい。

 離れたくない。あたしだけに意識を向けて欲しい。

 好きって気持ちに気づいてしまったけど、あたしにはその資格があるとは思えない。

 初めて会った時、一言も喋らないで優愛ゆあちゃんに任せてしまった。

 同じクラスになっても、ずっと口を閉ざしていて、それでも口を利かない日々を過ごしてきた。

 ガラの悪い人に迫られて、あの日以来喋らずに過ごしてきた日に終止符を打った。

 今でこそ少しずつ話をするようになったけど、白須賀くんがいてこそ今の自分になれた気がしている。

 散々迷惑をかけ続けたあたしと、クラスどころか学年を飛び越えて女子から人気の白須賀くんとじゃ、とても釣り合いが取れない。


 キュウ…


 胸が苦しい。

 好きと自覚してしまった自分に、押しつぶされてしまいそうなほど、苦しい。

 今のあたしじゃ、とても白須賀くんの隣に立てない!

 胸を張って白須賀くんと一緒に立てるように、自分を磨かなきゃ!

 でも…どうすればいいのか…。

 挫いてしまった足で、この林間学校ではできることがありそうにない。

 何か、しなきゃ。

 まずは出てる課題を片付けよう。

 この課題も内申に響くって言ってたし、今できることと言えば課題をしっかり片付けること。

 それと足を引っ張っちゃった分、お昼の時間が近づいたらお昼の準備を少しでも進めておく。


「明梨…いったいどうしたらこんなになるの?」

 目の前に広がっているのは見るも無残な野菜の数々。

「…ごめん…なさい…」

「まあ、お昼はやきそばでどうせ野菜は細かく切るつもりだったからいいけど」

 包丁の扱いに慣れていないといっても、ここまでひどくなるとは思わなかった。

 みじん切りとも千切りとも乱切りとも言えず、大きさもバラバラで妙な形に切られた野菜の山がそこにあった。

「どうせなら細かいほうに大きさ合わせちゃお」

 サッチが手際よくキャベツや玉ねぎ、ニンジンの大きさを見た目均等に合わせて刻んでいく。

「豚肉の方は任せて」

 ミキチーが手慣れた様子でサクサクと豚肉がカットされる。

「明梨は洗い係ね。刃物の場合は手を切らないよう、尖ってる方に向かって一方通行で撫でること。刃先と平行に滑らせちゃダメ。なるべく垂直に」

「…うん…こう…?」

「そう。それなら怪我しないからね」

 テキパキと調理が進み、周りからジューと油の跳ねる音が聞こえる頃にはもう食べ始めていた。

「明梨?」

「…え…?」

「どうしたの?ボーッとしてるよ」

 心配そうに顔を覗き込む優愛ちゃんの顔に気づいた。

「…ちょっと…疲れちゃった…のかも…」

 ボーッとしていたのは、彼のことを考えていたからだけど、そんなことは今言うことじゃないと、言葉を飲み込んだ。

「そうなの?無理しないで休んでたら?」

「…大丈夫…」

「それとも退屈で待ち疲れたの?」

「…ほんとに…何でも無い…から…」

 あたしを心配してくれるのはありがたいけど、今はちょっと心配が息苦しく感じる。

 優愛ちゃん、あたしが白須賀くんのことを好きって知ったら、どう思うんだろう?

 多分すごい勢いで止めに入ってくるよね。

 見直してる姿勢はあるものの、あれだけ嫌ってるんだから。

「それでユーミンはどうだった?」

「バッチリよ」

 親指を立ててウインクして返している。

「…もしかして…優愛ちゃん…単独…行動…?」

 まさかと思って聞いてみたら、口の前に人差し指を立てた優愛ちゃんと目線がぶつかった。

 この課題はグループで行動することを前提にして組み立てられている。

 なぜグループ行動なのかと言うと、危険回避や有事の際に誰か一人でも助けを呼びに行くこともできる。それを優愛ちゃんは単独行動しているということは…。

「…危ない…よ…」

「先生も見回りして安全確認してるんだし、大丈夫よ」

「…それでも…あたしみたいな…事故もあったし…」

「きゃーこわーい!クマがでたー!こんな感じでいい?」

 おどけてみせる優愛ちゃんに、あたしは何も言う気が起きなくなった。

 先生にバレたら、どうするんだろう?

 そういえば、友達ができてから優愛ちゃんがとても活発になった気がする。

 前はあたしが原因とはいえ、あたしにつきっきりだったせいか、どことなくピリピリしていたように思える。

 今でも親友という立ち位置は変わらないけど、優愛ちゃんなりに世界が広がった、と言えるのかな。

「…よかった…」

「こんな感じでよかったんだね」

「…え…?あ…今のよかったは…そうじゃなくて…」

 他のことを考えていて、思わず口に出た言葉が肯定と解釈されてしまった。

「何を考えていたか知らないけど、用心するから安心して」

 深くつっこまれずにまとめられてしまった。

 優愛ちゃんだけじゃない。あたしも、あたしなりに世界が広がっている。

 変えてくれたのはもちろん、白須賀くん。

「アッキーにユーミンってほんと仲いいんだね。それそうと、そろそろ行かない?」

「そうだね。ちゃっちゃと終わらせて遊ぼうよ。その前に片付けしなきゃ」

 サッチとミキチーが立ち上がるのを見て

「…片付けくらいは…あたしが…やっておくよ…迷惑…かけっぱなしだし…」

 と自然に口から言葉が漏れていた。

「迷惑だなんて思ってないわよ。でも、お言葉に甘えようかな。二人はどう?」

『意義なーし』

 優愛ちゃんにミキチーがハモりながら支度を始める。

『それじゃよろしくね』

 今度は三人揃ってコーラスを奏でた。

 嵐のようなひとときが終わり、耳に飛び込んでくるのは周りの喧騒。

 その中で、ひときわ輝きを放つ人の姿をその目に捉える。

「…白須賀…くん…」

 片付けを始めようとした手を止めて、談笑している姿を目に焼き付けた。


 キュウ…


 魅入りながら、胸が締め付けられるような思いを振り切って、片付けを始める。

 こんなにも…切ない気持ちになるなんて…。

 あたしが人を、男の子を好きになる日がくるなんて、今でも信じられない。

 でも、あたしが気持ちを伝えることは、きっと…ない。

 学園でもトップクラスのイケメンで有名になってしまった彼とでは、考えるまでもなく分が悪い。


 いい。

 こんな気持ちにさせてくれただけで十分。


 決めた。

 あたしはこの気持ちを彼には伝えない。

 ずっと胸にしまって、大きくなってから、いい思い出にする。

 こんなにも本気で好きになった相手がいた事を思い出して、先へ進む原動力にしよう。

 だから、今のまま卒業するまで友達として過ごし続ける。

 卒業しても、彼を思い続ける。

 遠くから彼の幸せを祈っていよう。

 それがきっと、お互いのため。

 片付けが終わって、気持ちの整理もついた気がした。


 そろそろ日没が迫っている頃、夕食の支度をしようと思って大炊事場へ足を向けていた。

「明梨…」

 後ろから優愛ちゃんの声がかかった。

「…おかえり…優愛…ちゃ…?」

 サッチとミキチーも一緒にいて、その後ろには先生もいた。

「課題は全部マッハで終わらせたけど、単独行動がバレちゃった」

 テヘと舌を出して悪びれる。

「…だから…言ったのに…」

「鐘ヶ江さん、あなたにもお話を聞かせてもらいます」

 怖そうな女の先生はムスッとした顔で迫ってきた。


「話はわかりました。それで、どうしましょう?さすがにこれで何もなしというのは示しがつきませんよ」

 教師用バンガローでひととおり話を終えて、一緒にいた男の先生へ話を振る。

「そうだな。課題は全部片付いたんだよな?」

「…あたしは…別の課題が…」

「それはもういい。ならお前ら全員、明日は先生たちの手伝いをしてもらう。遊びの時間は無しだ!」

『えええーーーっ!?』

 優愛ちゃん、サッチ、ミキチーが不満の合唱を開始した。

「ちょうど人手が足りなかったところだ。最終日は特に猫の手も借りたいくらいだからな。これで手を打ってやる!今日はもうこれでいい。さっさと戻って夕食の準備をするんだな」

『そんなーーー!?』


「ごめん、わたしがドジっちゃったばかりに…」

「仕方ないよ。言い出したのは私だし」

「せっかく名案だと思ったのに、最後の最後でこんなことになるなんて…」

 三人で後ろ向きな言葉をかわしつつ、トボトボと炊事場に向かっていた。

 幸い、白須賀くんは誰にもあたしの怪我については誰にも言ってないらしく、山道で転んだだけという主張を疑われはしなかった。

 もし崖から転落したなんてバレたら…。

「でも何をやらされるんだろう?」

「何をするか言ってなかったのがむしろ怖いよね」

「どうせ掃除やゴミ拾いでしょ。最終日に手が足りないってそれくらいしか思いつかないわよ」

「…ごめん…あたしが…怪我なんか…したばかりに…」

 二人だったらまだごまかしようがあったかもしれない。

 けど優愛ちゃんを一人にしてしまったことで、ごまかしすら利かなくなっていた事情を知った。

「やだ、明梨のせいじゃないって。気にしないで」

 明日のことを考えて少し空気が重くなりつつも、夜は更けていく。


 バンガローに行くと、知らない顔ぶればかり。

 昨夜一晩一緒に過ごしたとはいえ、アウェー感は拭えない。

 布団を敷いてみんなで寝転んで会話を始めていた。

「ねえ、わたし彼に告白しちゃった!」

「ええーー!?ほんとっ!?で、どうだったのっ!?」

「明日ここから帰る時までに返事くれるって!」

「それっていい返事貰えそうなの?」

「きっとOKだよ!だって顔が少しにやけてたもん!必死に緩む顔を隠そうとしててさ、いやって雰囲気じゃなかったもん!」

 キャイキャイとこういう調子で昨夜と同じ様な話が盛り上がっていた。


 告白…。

 あたし、彼のことが好きでも、告白は…しない。

 これまでのことがあるから、最も縁遠いと思われているあたしにこの話題を振ってくることはなかった。

「そういえば鐘ヶ江さん、ちょっといい?」

 ふと隣の女子があたしの顔に手を伸ばしてくる。

 反射的に顔を手から離れる方へ引いてしまうけど、コンマ数秒だけ顔に手が触れる時間を先延ばししただけだった。

「…え?」

 前髪をごそっと上に掻き上げた。

「やっぱり!」

「…何…か?」

「ほらみてみて!磨けば絶対可愛くなるよね!?」

 寝転んだまま、前髪を手で持ち上げられたままみんなの視線が突き刺さる。

「…ちょ…やめ…」

 あたしは視線に耐えられなくて両手で顔を隠した。

「確かに。髪型だけでもかなり変わりそうだよね」

「素材はいいと思う。もったいないよ。前髪切ってお化粧すればすごく化けそう」

「素材って、裁縫か宝石じゃあるまいし」

 あははは、とあたしを除くみんなで笑い合ってから、話題はあたしからやっと離れていって、また恋の話で盛り上がる。


 髪型…か。

 全然気にしたことなかったな。

 顔も肌の手入れらしいことすらしてなかったし、する必要も感じなかった。

 自分の顔を触りながら、更に夜は更けていく。


 先生の手伝いは結構きつかった。

 各バンガロー、炊事場、広場の掃除に備品チェック。

 なぜか点呼でクラス一つを任されるところまでやらされた。

 足の痛みがまだ少し残ってるあたしは、なるべく動かない手伝いをやらされる。

 午後はまるで急流のように時間が流れ、昼過ぎに全員バスへ乗り込んだ。


 帰りのバスは、行きと違って静まり返っている。

 ゴアアアアアア…

 バスのタイヤがアスファルトを蹴飛ばす音だけが車内を支配していた。

 席順として窓際になったあたしは、前から後ろへ流れる景色をぼんやりと眺めていた。

 突然、あたりが真っ暗になった。

 トンネルに入ったらしい。

 ゴオオオオオオ…

 トンネルに反響する走行音が窓を、車体を伝って耳を貫く。

 周りが真っ暗になったことで、わずかに明るい車内の光はバスに乗っている人の姿を映し出す。

 改めて自分の姿を見る。

 以前は喋らなかったことで沈黙姫と呼ばれていた。

 ごく少数ながら、日本人形みたいと影で呼ばれていたことも知っている。

 理由は何の手入れもせず、前髪は目が隠れるくらいに伸ばしていて、後ろ髪はストレートで、無造作に束ねているから。

 束ねている髪をほどくと、まるで日本人形みたいな見た目になる。

 昨夜のことを思い出しながら、チョイチョイと自分の前髪を弄ぶ。

 真ん中で分けてみたり、中央を少しだけずらして分けたりする。

 後ろ髪を束ねているヘアゴムを解いて、髪を肩越しに前へまとめたり、そのままヘアゴムで束ねたり、顔をさすったり目元を撫でたりしていた。

「…決めた…あたし…できることを…ぜんぶ…する…」

 隣にも聞こえないくらい小さな声で、気持ちを引き締めた。

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