第13話:恋暮(れんぼ)
「これでよし、と。よかったね。単なる捻挫だって」
笑顔で宥めるような、その柔らかい空気で彼は話しかけてくる。
「
保険医は外で軽い火傷を負った生徒がいると聞いて、救護用バンガローから出ていっていた。
「さすがに崖から転落したことまでは言ってないよね?」
「道を踏み外して足を捻ったということにしておいたよ」
「…あの…
急な上り斜面を登り、獣道を何度か横断しつつ辿り着いた林道からは、彼がおんぶしてここまで来た。
あたしとは全然違う広い背中に体を預けてみて、とても落ち着く感じがした。
さっきまで彼に預けていた体の感触と匂いが、まだ残っている感じがする。
「それじゃ俺は班の人を待たせてるから、これで」
「…あ…」
「ん?」
呼び止めようとしたあたしは、白須賀くんの行動を止める権利なんて無いと思い直して口をつぐむ。
「…ううん…ありがと…ね…」
「気に病むことはない。それじゃ」
バタン、とドアが閉まって白須賀くんの姿が見えなくなった。
…なんだろう、この気持ち。
一緒にいると安心するけど、離れた瞬間にまた戻ってきて欲しくなる。
家族でもこんな気持ちになったこと無い。
「明梨はもうおとなしくしてて。夕食は3人で作って持ってくるし、お風呂も付き添うから」
「…うん…」
誰もいなくなった小屋にいても落ち着かないから、あたしも外へ出る。
空はとっぷりと闇色に染まり、撥ねた白い絵の具を散らしたような星空が広がっていた。
そんな闇色を引き裂く光と喧騒の発生元へ歩を進めて、その手前にあったベンチに腰掛けて待っていた。
少し目の前では夕食の支度をしている人たちで賑わっている。
「…迷惑…かけちゃった…な…」
あたし一人では思いつきもしない分担で、サクサクことが運んでることに浮かれてたのかもしれない。
だから周りを確認せず、目の前で飛ばされるスケッチブックを掴もうとして…こんなことに。
ガヤガヤと楽しそうに話をしながら調理している人の中から、あたしは白須賀くんの顔を探す。
ここから離れている、奥まった場所で彼の姿を捉えた。
調理で動く人にその姿を遮られては、チラリと見える。
楽しそうに、それでいて
チクッ
針でつつかれたかのような感覚に見舞われて、思わず胸に手を当てる。
「…何なの…この胸が…痛むような…感覚…」
多分、寂しいだけなんだと自分に言い聞かせて調理している人たちを眺めていた。
駆け抜けるような時間の中で就寝時間になる。
班とは別の組み合わせで同じ屋根の下に入っている。
これはあくまでも学年交流会という位置づけだから、バンガロー内の組み合わせは男女別であること以外はすべてランダムに組み合わされた。
「鐘ヶ江さんってほんと喋るようになったんだね」
消灯して真っ暗な空間を引き裂いたのは、一人の放った言葉だった。
「…うん…まだ…慣れないけど…」
「いつも吹上さんが隣にいて、誰も近づけまいとばかりに噛みかれそうな空気だったもんね」
思い起こすと、ここにいる人達はかつての級友ばかりだった。
あたしの存在は学内でも有名になっていて、先生たちも扱いに困っていたと聞いたことがある。
「それはそうと、ねえ、サッカー部のカッチーが好きってほんと?」
「ちょっと!他の人がいる前でやめてよ!」
『ええええーーっ!?』
あたしから話題が逸れて、他の人が話題の中心となっていた。
キャイキャイと甲高い声で誰が誰を好きかという話で盛り上がっている。
止めどない話の渦が、怒涛のように、奔流のように荒れ狂う。
やがて話疲れて寝静まってきた。
むくりと起き上がる。
どうにも眠れない。
夜風に当たってこようと思い、そっと起き上がって外に出る。
外の共同お手洗いに寄ってから空を見上げた。
たくさんの星が瞬いている。
住んでるところは光が多く、空気が淀んでいるのか主だった星以外は見えない。
満点の星空とはこういうのを言うのかもしれない。
「鐘ヶ江さん?」
月明かりに照らされて姿を現したのは
「…白須賀くん…」
「君もここに来ていたのか」
「…うん…なんだか…眠れなくて…」
「そうか。なら同じだな」
サワ…と風が吹き抜ける。
「なら、気分転換に少し星を見ておかないか?」
嬉しい。
ここ最近、彼と一緒にいる時間が少なくなっている気がしていた。
誘われて感じたのは単純に嬉しいという気持ち。
「…ぜひ…でも…」
「そうだったな。足を痛めてるんだったな」
やめておこう、と思ったその瞬間
「…あっ…」
「静かに。せんせに見つかっちゃうよ」
膝裏と背中に彼の腕が回って、彼の顔が間近に迫る。
お姫様抱っこの姿勢になってたことに気づいたのは、彼が歩きだしてからのことだった。
怪我しておんぶされた時も思ったけど、やっぱり彼の体はゴツゴツしていて、あたしの体とは全然違うと感じる。
何より、体温さえ感じられるほど近くにいることが嬉しい。
ほどなく少し開けた場所へたどり着く。
「…わあ…」
体が上を向いているあたしは、その開けた場所で夜空を見上げる格好となっている。
星降る夜、というけど、ほんとに星が落ちてきそうなほどの小さな光が目の前に広がっていた。
すとん、とお姫様抱っこをやめて座らされたのはそこにあったベンチ。
楽に座れる高さのベンチ2つを挟むように、同じ長さの少し高いテーブルがある。
「…あ…」
「どこか痛かった?」
「…ううん…なんでも…ない…」
微笑んだかと思ったら、白須賀くんはテーブルの上で仰向けになった。
「鐘ヶ江さんも仰向けになってごらん」
目の前にそのゴツゴツした体が広がり、仰向けになるのが少し惜しく感じる。
「…うん…」
腰を浮かして、ベンチの上で仰向けになった。
「…わあ…」
さっきも見たけど、二人で見上げる星空はさっきよりもずっとキラキラして見える。
「あれが春の大三角、あっちが夏の大三角。カシオペア座にてんびん座。それと…」
細めながらもしっかりと筋肉がついた腕を伸ばして、その指先で星空を指差しながら、囁くような声で星座を説明してくれる。
星空はよく見えるけど、彼の姿は腕と指しか見えない。
なぜかその腕と手に触れたい衝動に駆られる。
「鐘ヶ江さん」
「…はい…」
「初めて会った時のことを思い出してたよ。入学を前にぶつかって…君は進級というか進学だったか。まさか同じクラスになるとは思わなかった。どんな理由があるかは知らないけど、喋られないと気づいたのは数日経ってからだった」
「…うん…」
キラキラと微かに瞬く星と、変わらない輝きで光を放ち続ける星が入り混じって、まるで夜空のイルミネーションみたい。
「出会ってから初めて喋った時のこと、覚えてる?」
覚えてる。ガラの悪い人に絡まれて連れ去られそうになった時現れたのが白須賀くんだった。
「…覚えてる…よ…」
「喋るようになって、どう思ってる?」
「…まだ…ちょっと…怖い…」
「そうか、怖いと思ったことがあって喋らなくなったんだね」
「…あ…」
知られたくない。白須賀くんにだけは。
知られたら、きっと嫌われてしまう。
むくりと起き上がると、白須賀くんも体を起こした。
ガサリ…
後ろの茂みから草をかき分ける音が耳に飛び込んできた!
「鐘ヶ江さん!」
ひょいっと持ち上げられて、テーブルの上で抱き寄せられる。
まさか、またイノシシ!?
記憶に焼き付いた恐怖が再び蘇る。
ガサガサと草ズレの音と共に姿を現したのはころんとした小ぶりな体躯をした動物だった。
「たぬき、か。危険度はイノシシほどじゃないけど、慌てるな」
出てきたたぬきは、出てきたところからすぐの茂みに姿を消した。
「行ったか」
あたしは抱き寄せられたまま、動けずにいた。
いや、動きたくなかった。けれど、もっと近づきたくてどこかソワソワする気持ちになっている。
「そろそろ寝に戻るか」
「…もう少し…このままで…」
ずっと、このまま時間が止まってしまえばとさえ思った。
なぜだろう。彼に触れているのがこんなに落ち着くなんて。
あたし、白須賀くんにどう見られているか、気になって仕方ない。
嫌ってほしくない。
「さっきのイノシシ、怖かったよな」
「…うん…でも…どうして…あたしのいる…ところが…?」
「吹上さんが単に君を見失うわけがない。お手洗い近くから何かが滑落したであろう真新しい跡があったから、そこから落ちたんだろうと踏んで崖を降りていったんだ」
短いながらも、しっかり状況が把握できるよう説明してくれた。
「勉強会の時に交換しておいた連絡先が役に立ったのは、想像の外だったが」
しばらくの間、抱き寄せられたまま夜風に吹かれていた。
「それじゃ、おやすみ」
「…はい…おやすみ…」
バンガロー前まで送ってもらい、白須賀くんは背を向けて遠ざかっていく。
さっきまで肌すら触れ合う距離に居たけど、遠ざかっていった瞬間からまた会いたくなっている。
ずっと、触れ合える距離に居たい。
けどあたしには彼をつなぎとめておくことはできない。
単なる級友というだけ。
朝が来て、林間学校二日目。
「明梨は怪我で別行動になって課題の内容が変わっちゃったから、当初の分担は無理そうね」
「…ごめん…なさい…」
朝食の準備をするため四人で集まって軽く作戦会議を開いていた。
「しょうがないよ。でも今日一杯で課題は全部終わりそうだし、午後から遊ぶ予定が半日後ろにずれただけでしょ」
「明日は昼下がりに帰る予定だから、今日はきっちり仕上げよう」
サッチにミキチーがフォローしてくれるけど、それがかえってチクリと胸が痛む。
「それじゃ行動開始ね」
察したのか急ぎたかったのか、優愛ちゃんが促して調理の準備に入る。
「鐘ヶ江さん、ちょっといいかしら?」
「…はい…何でしょう…か?」
バンガロー広場で待機している先生に呼び出されて、足を引きずりながら話を聞きに行く。
「あなた、足を痛めてるんだったよね?」
「…はい…」
「ならもう課題はいいから、ここで電話番しててくれる?ちょっと人手が足りなくて、手伝ってくれる人を探していたの」
足を痛めてる今は少しの移動距離でもちょっときついから助かる。
「…わかり…ました…」
「よかった。やってもらうことは簡単で、この電話が鳴ったら出て用件を聞いて。答える必要はないわ。折り返し連絡するから電話番号を聞いて、切った後でこの番号まで連絡ちょうだい」
「…はい…」
手渡されたメモを見る。
電話ということは人と話すのか…。
苦手に思ってることだけど、克服しなければならないことでもある。
…やってみよう。
先生は駆け足で出ていってしまい、風のそよぐ音だけが周囲を包み込む。
暇。
引き受けたはいいけど、ただ待つだけ。
お手洗いに行って出てくると、少し離れた場所で話し声が聞こえた。
誰なのか確かめに行くと、白須賀くんの姿があった。
つい、木陰に隠れて聞き耳を立ててしまう。
「あの、白須賀さん。前からずっとあなたを見ていました」
見覚えのない女子が思いつめたような顔で白須賀を見て、目を伏せた。
意を決したように顔を上げて
「好きです。わたしと、付き合ってください!」
フッと優しい微笑みを女の子に向ける。
「ありがとう。君の気持ちは嬉しいよ」
「そ…それじゃ…?」
「ごめん」
パッと明るい表情になったかと思ったら、すぐに陰りを見せた。
白須賀くんは黙って背を向け遠ざかっていった。
…あたし…告白の現場を見ちゃったんだ…。
一度、かつての級友に告白されたことがあった。
けどそれが何を意味するか分からず、信頼できる人からのアドバイスを見て、自分で考えて、断った。
今なら…わかる。
ずっと、いつでも、そばにいて欲しい。自分だけを見て欲しい。
そんな約束をする言葉が…告白なんだ。
この瞬間、白須賀くんに聞いたことを思い出した。
好きってどういう気持なのか、ということを。
『ふとした瞬間に、その人の顔が思い浮かんで何も手が付かない。翌日にでもまた会えるけど、離れたとたんにまた会いたくなる。一緒にいて気持ちが落ち着くけど、特に理由もなくソワソワしてしまう。その人にどう見られているかが気になって仕方がない。そんな気持ちになる相手と出逢えばわかるよ』
そう…だった。
「…あたし…白須賀くんのこと…好きに…なっちゃって…る…」
胸がキュッと締め付けられるような感覚に襲われて、力なくその場に
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