第10話:負穏(ふおん)

「始め」

 ある日のロングホームルームで突然の小テスト。

 中間考査を前にして不意打ちのような小テストがいきなり飛び込んできた。

 けれども内容はほとんど中間考査と同じ範囲だった。違うのは40分という時間に合わせて問題数がかなり少ないこと。

 この学園では有名な変則的テスト形式。このやり方は通常、進学試験だけに限られているけど、不意打ちでこう来たのは初めてだった。

 科目ごとにコマを分けているのではなく、なぜか全教科をすべてまとめた問題集を渡されて、数時間ぶっ通し。開始から終了が一回だけですべての進学試験が終わる。

 普段から勉強を欠かさず取り組んでるあたしは、どうしてもわからない問題は飛ばして、まずは最後まで走り切る。

 走りきった後で分からない問題や不安な回答を見直す。


明梨あかり、テストどうだった?」

「…うん、少し難しかったけど…多分…目標値は…クリアしてると…思う」

「そっか。やっと喋るようになったとはいえ、一緒に進級したいから、わたしももう少し腰入れてがんばらなきゃ」

 優愛ゆあちゃんとは、小学校からずっと同じクラスでここまできている。

 再来週は本番のテストがあるから、この調子でやっていけば問題は無いと思う。


 翌日の朝にはもう小テストの採点が終わったらしく、答案用紙が返ってきた。

「それでは小テストの答案を返します。なおこの小テストは中間考査前の実力測定でしかなく、内申に一切響かないから安心するように。点数が50を割っている場合は必死に勉強すること」

 教室中でホッと息をつく音が響き渡る。

「明梨はどうだった?」

 あたしは優愛ちゃんに答案用紙を渡して、あたしは優愛ちゃんの答案用紙を受け取った。

「すごいよね明梨。いつも成績は半分より上だもん」

 優愛ちゃんの点数は100点満点中69点だった。あたしは92点。

「すごいな鐘ヶ江さん。俺なんてギリギリ51点だ」

「…でも…全教科が…同じ点数ってわけじゃ…ないよね…?」

「数学が特にダメでな」

 そう言って差し出された答案用紙を見ると、初歩的なミスをしているであろう答えを書いてあった。

「…多分これ…基礎さえ抑えれば…かなりの点が取れると…思う…」

「だったらさ、鐘ヶ江さんが教えてよ」

「明梨、わたしにも教えてよ。90点超えの明梨ならきっと要点を抑えた教え方できると思うから」

「…え…でも…」

 周りを見ると、いつも白須賀しらすかくんに絡んでくる女子たちが遠巻きにしている。

 どうしたんだろう?いつもならあたしが押し出されるくらい押しかけてくるのに。

「ね、勉強会しよ」


「お邪魔します」

「…します」

 結局押し切られてしまい、今日は優愛ちゃんの家で勉強会をすることになった。 

「どうぞ」

 優愛ちゃんの部屋に入ると、いつものとおり薄いピンクを基調として彩られた部屋が目の前に広がる。

 前にピリピリしていた優愛ちゃんの様子はすっかり無くなり、白須賀くんとも仲良くしようという気持ちが伝わっている。

 話によると、あたしと白須賀くんが付き合ってるという疑いを持っていたからだったらしい。

 あたしが告白して、白須賀くんはそれを受け入れて、付き合い始めたと思い込んでた理由は、告白しても普通に接していたように見えたから。

 誤解を正してくれたのも白須賀くんだった。

 あたしが変わるきっかけを作ってくれたのも白須賀くん。

 どうしてここまでしてくれるんだろうか。

 前に聞いた時は「放っておけない」と言ってたけど、どうして放っておけないんだろう?

「それじゃお茶淹れてくるね。二人は始めていいよ」

「わかった」

 すでにテキストやノートを取り出している彼は、ペンを片手に応える。

「…あの…白須賀…くん」

「どうした?」

「…どうして…クラスの…女子は…何も言わなかった…のかな…?」

「そりゃ君の点数聞いたら誰も『わたしが教える』とは言えないでしょ。同じくらいの点数を出してる人ならともかく」

 そうか。あたしより低い点数だったら、教えるなんて言いだしにくいかな。

鐘ヶ江かねがえさんはいつもどう勉強してるの?」

「…どう…って…教科書に書いてあるとおり…書いて覚えてるけど…」

「そうなんだ。時間をかけてるってこと?」

「…あたし…友達って…優愛ちゃんしか…いないし…時間は…かけられる…から…」

 コツ、とペンが音を鳴らす。

「俺は?」

「…え?」

「もう友達だと思ってたけど、違うのかな?」

 ジッと見つめられる。

「…そんな…あたしが友達…なんて…白須賀くんに…迷惑が…」

「そうか。友達と思ってたのは俺だけだったんだ。せっかく鐘ヶ江さんと仲良くなれると思ったんだけど、仕方ないか」


 チクッ


 彼の言葉に、針で刺されたような胸の痛みを感じた。

「…あ…あの…」

 言いたいことがあるけど、目を合わせられない。

「…あ…あたしなんかで…よければ…」

 直視できなくて、横目で白須賀くんに目線を送る。

 なぜか優しい微笑みを浮かべて

「よかった。これで鐘ヶ江さんと友達だね」

「おまたせー」

 優愛ちゃんがお茶を持って部屋に戻ってきた。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。ね」

 促されて、あたしはこくんとうなづく。

「ふーん」

 何かに気づいていそうな様子であたしたちを見る。

「…それより…勉強しに…きたんでしょ…?」

「そうだな、ボチボチ始めるか」


 なんだろうな、これ。

 白須賀くんと一緒にいると落ち着く。

 学校とは違う回りの空気は、止まっているような、漂うような静けさがある。

 息遣いさえ聞こえてくるくらい静かな空間にいると、白須賀くんの見え方まで変わってくるように思える。

「鐘ヶ江さん」

「…は、はい…」

「ここ教えてくれる?」

 聞かれたのはあたしがすぐに答えをだせるところだった。

「…ここは…こうなって…こうすれば…解ける…よ」

「おぉ、そうすればいいのか。なんで今までつまづいてたんだろう」

 白須賀くんは無邪気にすら見える顔で喜んでいる。

「…この問題…わかりにくい…かも…」

「さすが91点の明梨。すごいわね」

「…92点…だけど…」


 ………


「吹上さんは小学校から出直しかな?」

「ひどーい!」

 散々白須賀くんを嫌っていた優愛ちゃんだけど、こうして見ている分は、仲が良さそうに見える。

 そんな二人を見て、なぜかあたしはどこか落ち着かない気持ちを抱えていた。

 なんだろう…この気持ち。


 ふんふん


 優愛ちゃんは最初から白須賀くんを警戒したり嫌っていた。

 打ち解けるのはいいことだと思う。

 そう思い直して首を横に振った。

「ねえ明梨、ここってどう解くの?」

「…ここは…この公式を当てはめて…こう…」

 優愛ちゃんも白須賀くんと同じく数学が弱いらしい。

 数学は明確に答えが出るから、基礎を抑えれば間違えない。あたしにとっては得意科目。

 それ以外は暗記ものが多くて苦手に感じている。

 あたしはあたしで勉強しようとしているけど、なぜか白須賀くんが気になって頭の回転が遅くなっている。

 …どうして?

 きっと、いつもは一人で勉強してるのに、他に誰かがいるから気が散ってしまうだけだと思って、今は集中することを諦めることにした。


 勉強会は何事もなく終わった。

 白須賀くんだけでなく、優愛ちゃんも負けず劣らず色々と質問された。

 家に帰ってからも勉強を続けたけど、頭に思い浮かぶのは白須賀くんのことばかり。

 なかなか集中できないでいることに、少しずつ苛立ちを募らせている。

 たぶん、慣れないことをしたからそれに引きずられているだけ。

 明日になれば…。


 朝になって、登校するまでの時間を勉強に当てたけど、それでも白須賀くんが頭から離れてくれない。

「…なんで…」

 勉強自体は進んでいるけど、明らかに頭への定着が鈍くなっている。

「…こんなことなら…勉強を…一緒にしなければ…よかった…」


「…おはよう…ございます…」

「おはよう」

 優愛ちゃんと一緒に登校して、自分の席につく。

「おはよう、昨日はありがとう」

 白須賀くんの言葉に、あたしは何か満たされた気分になる。

 その笑顔を見ると胸の奥が暖かくなる気がしている。

 なんだろう…この気持ちは…。

「また勉強会してもらってもいいかな?」

 頼ってもらえるのは嬉しいけど

「…あの…自分の勉強が…ある…から…」

「そうか、そうだよね。後は自力で何とかするよ」

 あっさりと引いた彼を見て、言葉にし難い寂しさを覚えた。

 頼られた時は胸に大きすぎるくらいの満たされ感があったけど、それが無くなったとたんにスコンと空虚さが襲いかかってくる。

 ちょっと冷たかったかな?

「…でも…図書室か…教室で…一時間…くらいなら…」

 つい口に出た言葉だけど、それ自体が自分でも信じられなかった。

「ほんと?それでも助かるよ」

 ぱあっと向けられた笑顔に、あたしは胸が満たされる。

 それと同時に、家に帰ってから浮かんでしまう白須賀くんの顔に邪魔されてしまう姿が思い浮かんで、不安な気持ちが再び心に暗雲が立ち込めた。

「あ、でも迷惑だったかな。やっぱり自分で」

「…ううん…いいから…」

 取り消しを口にされた瞬間、また空虚さに耐えきれず勉強会をする言葉を口走ってしまう。

 言っていて自分でも気が進まないのに、それでも気持ちと裏腹の言葉が口を出てくることに自分で驚いていた。

「わかった、ありがとう。無理はしなくていいから、やめるならいつでも言ってね」

「…うん」

 なんだろう…この自己矛盾は…。

 やりたくないのは本当。けどやりたいのも本当。

 やりたい気持ちが少しだけ勝った。

「明梨、ずいぶん変わったよね」

「…そう…かな…?」

「わたしがいなきゃ意思疎通が難しかったのに、今は口出ししなくても気持ちを伝えられてるんだから。十分変わったよ」

 そう言われて、あたしは口元が少し緩んだ。

 まだまだだと思うけど、これで優愛ちゃんの負担が少しでも減ってるならいいな。

 毎日の恒例行事が始まる。

 白須賀くんの周りが女子の人だかりになるという毎日の行事。

 あたしはそんな白須賀くんへ、無意識のうちに遠巻きながら視線を送っていた。


「…それで…ここはこうなって…」

「おお、ここでそれを使うのか」

 試験期間に入ると部活は中止。そして放課後になると保安上の理由から一時間程度で閉門される。

 見回りの先生から声もかかるし、切り上げるには丁度いいタイマーとなる。

 教室だと周りの目が気になってしまうため、図書室でやることになった。

 マナーとして大声を出せないから、小声でやりとりしている。

「それとここだけど」

「…うん…ここはね…」

『下校時刻となりました。校内に残っている生徒は…』

 教えている途中で時間切れとなり、放送が流れ始めた。

「今日はここまでか。でも有意義な時間だったよ」

「…うん…いつも…助けてもらってる…し…これくらいは…」

 優愛ちゃんはすっかり白須賀くんと馴染んできているように見える。

 勘違いで迷惑をかけてしまった負い目はあるのかもしれない。

「…それじゃ…あたしは…これで…」

「一緒に帰ろう」

 校内は他にほとんど残っていないこともあり、一緒に帰ることにした。


 広い校庭に差し掛かり、思い出したかのように

「そうだ、鐘ヶ江さんは先に校門の少し手前まで行っててくれる?」

 と白須賀くんが言い出す。

「…う…うん…」

「明梨、わたしも」

「吹上さんに用事があるんだ。君はここに居て」

 優愛ちゃんが着いてこようとしていたのを止められた。

 何の話だろう…?

 あたしは言われたとおりに校門の手前で足を止めて、二人の方へ振り向く。


「何よ?」

 話を促す優愛。

「ここ最近の君を見ていて、一つ言わせてもらいたくなった」

「言っておくけど、明梨にまだ恋は早いからね」

「そっちじゃない。君自身のことだ」

 背を向けていた優愛は、顔だけ彼の方へ向ける。

「確かに君は少し変わってきた。ずっと鐘ヶ江さんの保護者みたいに思ってきたけど、彼女の意思を尊重できるようになってきた。聞けば小学校の頃からずっとふたりで行動してきたらしいけど、そうなると考えられるのは…」

 一呼吸おいて口を開く。

「他に友達、いないだろ?」

 優愛は少し顔をこわばらせる。

 息が一瞬止まったのを自覚した。

「鐘ヶ江さんは自分の足で歩き始める。次は君が自分の足で歩き始める番だ。嫌味と捉えられても困るが、君は少しずつ鐘ヶ江さんから離れていくべきなんだ。君が側にべったりしていると、彼女が自分の足で歩いていくうえで遮るものになってしまう。それは薄々わかっていることだろう?」

「それは…」

「だから、君は他に友達を作るんだ」


 何かを話している二人を見ていると


 もや…


 なんだろう…この胸にわだかまるような、落ち着かない気持ち…。

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