第9話:互解(ごかい)

明梨あかりは絶対に渡さない!」

 優愛ゆあはそう決意して教室までたどり着いた。


 明梨が白須賀しらすかに対して伝えた

「白須賀…くん…その…好き」

 という衝撃の一言を耳にしたものの、返事を聞きたくなくて足早にその場を後にしていた。


「それじゃ、帰ろうか」

「うん…」

 明梨は「好き」の後に言葉を続けていたけど、意図せず声が小さくなってしまったのと、その場から去ってしまったために優愛が聞くことはなかった。

 聞きたいことが聞けて、満たされた感覚になっているあたしの表情は無意識のうちに緩んでいる。

 教室に着くと優愛ちゃんが待っていた。

「明梨!帰るよ!」

 いつになく強い語気で、なんか怒っている様子で迫ってくる。

「う…うん…それじゃ…白須賀くん」

 あたしは軽く手を振って優愛ちゃんが引っ張るままについていく。

「ほら、明梨のかばんよ」

 教室を離れて、白須賀くんが見えなくなった頃に優愛ちゃんは手に敷いた二人分のかばんの内一つをあたしに手渡す。


「やれやれ、あれは何かあったな。それも俺たちに関わる何かだろう」

 ポツンと一人になった白須賀は、荒ぶる優愛の様子からそんなことを呟いた。

「よウ、しゅん。一人とは珍しいナ」

 司東しとうが声をかけてくる。

「ちょいと鐘ヶ江さんに呼び出されてね。さっき帰ったよ」

「そうカ。そういや前に沈黙ひ…いや鐘ヶ江のやつがいつも一緒にいる女と何やらキャイキャイやってたゾ」

「そうか、あの二人は幼馴染だから放っておいても問題ないだろう」

「あいつら見てると思い出すよナ。あの頃のことをサ」

「ああ、もはや懐かしいくらいだ。ところで彼女は一緒じゃないのか?」

 キョロキョロと見回すも、ふと最近よく一緒にいる彼女の姿が見当たらない。

「あー、あいつは学級委員でナ。今日も居残りで委員の仕事してるんダ。それよりもナ…」

 司東は軽く一息つく。

「お前があいつを救ったところデ、何の罪滅ぼしにもならんゾ」

 穏やかな表情でソッと目を閉じて口を開く。

「別にそんなつもりはないさ。ただ放っておけない。自分の世界を閉じたままにしてくのがもったいないと思うだけだ」

「今でこそお前の周りは落ち着き始めてるけどナ、あまり贔屓にしてるとあいつに身の危険が迫るかもしれんゾ」

 パチと目を開き、少しだけ表情を曇らせる。

「それもわかっている。引き際の見極めは難しい。けど今見捨てるとまた自分の殻に閉じこもってしまうだろう。もう戻れないところまで引っ張り上げてからどうするか決めるよ」

「…まだ怖いのカ?女ってやつガ」

「お前には関係…あったか」

「少しは他人を信じられるようにならねえと苦しいだけだゼ。じゃナ」

 へっ、と息を吐き体をひるがえして捨て台詞代わりに声を置いていく司東。


「…ちょっと…優愛ちゃん…」

「明梨!」

 苛立ち、焦り、怒りが入り混じったかのような声で呼ばれて、思わずビクッとしてしまう。

「あの人だけは絶対ダメよ」

「あの人…って?」

白須賀しらすかしゅんのことよ」

 何を言ってるのかさっぱりわからない。

「どう…して…?否定…しないで…聞いてくれるし…とても…話しやすい…」

「なんであんなイケメンモテ男が明梨を選んだか知らないけど、どうせ傷つけられて捨てられるのがオチよ!」

「…何を…言ってるの…?」

「だって!もしダメだったら教室に二人で仲良さそうに帰ってくるなんてありえないでしょ!?」

 優愛ちゃんはあたしの両肩を鷲掴みにして揺さぶってくる。

「…だから…何のこと…?」

「明梨、彼とつき…!」

「ほらそこ、部活じゃないならさっさと帰れよ」

 何か言いかけた時、横から体育教師が声をかけてきた。

「あ、はい。もう帰るところですので」

「…失礼…します…」


 優愛ちゃん…どうしたんだろう…?

 急に態度がきつくなってる。

 あたし…何かしちゃったっけ?

 何か言いかけたけど、ピリピリしている優愛ちゃんの纏う空気に圧されて、とうとう聞けないまま家路に就いた。


「そういえば…もうすぐ…中間考査…だったな…」

 優愛ちゃんの態度は気になるけど、今は勉強に集中しなきゃ。

 何が何でも優愛ちゃんと同じ学年で居続ける理由は薄れてきたけど、ここまできたら一緒に卒業したい。

 それと、白須賀くんも一緒に。

 そんなことを考えながらテキストを開き、ノートを広げてペンを走らせる。

 彼の側にいると安心する。

 優愛ちゃんは守ってくれるような安心感があるけど、白須賀くんは包み込んでくれるような安心感がある。

 ただ白須賀くんはとても人気があるから、近づきすぎると周りから反感を買うかもしれない怖さを感じてしまう。

 夜もとっぷり更けてきて、23時を回った頃に体をベッドに預けた。


「おはよう」

「お…おはよ…」

 一晩経てば機嫌が治るかと思ったけど、そうでもなさそうな感じだった。

 すごい威圧感がある。

 けどあたしに向けられているのではなく、あたしに近づいてくる誰かを遠ざけようとしているような気がする。

「…昨夜は…よく…眠れた…?」

「寝たけど眠りが浅くて。ふぁ…」

 あくびをしながら優愛ちゃんが答える。

 その眠りが浅かった理由は…多分あたしと白須賀くんが原因なんだろうな…。


「おはよ…」

 教室に入って、できる限り大きな声で挨拶する。

「おはよう」

 少しずつだけど、返事してくれる人が増えている。

「白須賀くんも…おは…」

「ねえ明梨」

 やっぱりというか、予感みたいなものが当たって、優愛ちゃんが割り込んできた。

 間違いない。優愛ちゃんはあたしを白須賀くんから遠ざけようとしている。

 でもなんで…?

「…優愛ちゃん…こういうこと…やめてよ…」

「こういうことってどういうこと?」

 わかっているのかいないのか、聞き返してきたことにどう答えようか迷っていた。

「その…白須賀さ…」

「ところで明梨、昨夜のドラマ観た?」

 せっかく考えたことを口にするも、またもや割り込まれて圧されてしまい、口を閉ざしてしまう。

 あたしは優愛ちゃんから離れたくなって、返事もせずに背を向けて教室を出ていく。


「せっかく幼馴染の絆も、ヒビが入り始めたかな」

 呆れ顔で首をわずかに左右へ振る。

「いっそ二人を完全に仲違いさせれば、鐘ヶ江さんは喋らざるを得なくなるかもしれない…が、孤独感が助長されて余計自分の殻に閉じこもりかねないか」

 目の前で起きている問題に思いを馳せていると、早速クラスの女子達が集まりはじめたことで今の思考は中断した。


「ねえ明梨、お手洗いに行くの?」

「………」

 あたしは答えずに足を進める。

「ねえ明梨ったら、聞いてるの?」

「………」

 なおも答えずにいると、優愛ちゃんは前に回り込んできた。

「無視しないでよ!どうして何も返事してくれないの?」

 足を止めたあたしは、胸の奥にわだかまるモヤモヤ感をぶつけたくなる。

「…どうして…邪魔ばかり…するのよ…?」

「何のこと?」

「だって…白須賀…」

「君が沈黙姫…じゃなくテ、元・沈黙姫かイ?」

 ふと横から男の声がした。

「………誰?」

「あーそうだっタ。俺が一方的に知ってるだけだったナ。俺は司東しとう悠天ゆうまってんダ。白須賀しらすかしゅんの幼馴染でネ。お前らの話はよく聞いてるゼ」

「白須賀…くんの…?」

 司東くんの話を聞いて、優愛ちゃんは顔色が変わった。

「明梨!」

 優愛ちゃんはあたしの手を引っ張って司東くんと遠ざけようとする。

「優愛…ちゃん…!どう…したの?」

「いいからっ!離れるわよ!」

 グイグイッと力任せに引っ張る優愛ちゃんの手は、いつもの優しい手引きとは違う。あたしのことなどお構いなく無遠慮にひたすら引っ張っている感じだった。

「ちょっと…優愛…ちゃん!やめて…!」

 次第に痛みへと変わってきた優愛ちゃんの握りしめる手を振り払おうと、逆に優愛ちゃんの手首を掴んで引き剥がそうとした。

「…手が…痛い…よ」

「やだよ…明梨は、絶対に渡さない…あいつなんかに!」

「な…何を…言ってる…の?」

「だって!白須賀…!」

 キーンコーンカーンコーン…。

「…予鈴だよ…戻らなきゃ…」

 一瞬緩んだ優愛ちゃんの手を振りほどいて、あたしは教室へ足を向ける。

 だけど、優愛ちゃんはその場で立ち尽くしている。

 そんな姿を見た司東は、通り過ぎざまに囁く。

「君の心配は杞憂きゆうだと思うゼ」


「何が、杞憂よ。告白してもなお気まずくならないでのが、答えじゃない。明梨は、絶対にあいつに渡さないわ」

 司東の姿が見えなくなってから、悲しさを秘めた声で呟いた。

「どうすれば…あいつから、明梨を守れるのよ」

 本鈴が鳴ってから、やっと足が動き出した。


 優愛は視界に入る二人の姿を見て苛立ちを募らせていた。

 見ている限り、明梨の態度は告白して振られた様子がない。

 かといってベタベタしている様子もないけど、表立って付き合ってる様子でもない。もしかすると明梨を守るために隠し通そうとしているのかもしれない。

 そうだとすると、問いただすのは明梨に迷惑がかかる。

 白須賀くんのことはどうでもいい。むしろ二度と近づかないでほしい。

 そんなことを考えながら、優愛はイライラしていた。


 優愛ちゃん、どうしたんだろう…?

 見るからにピリピリしてるし、さっきも様子が変だった。

 初対面なのに、司東くんも明らかに避けてた。

 何があったのか聞きたいけど、何か今の優愛ちゃん…怖い。


「…ねえ、白須賀くん…」

「明梨!ちょっときて」

 休み時間になって、白須賀くんに話しかけたところでまた優愛ちゃんは遮ってきた。

「…ちょ…優愛ちゃん…!」

 有無を言わさず引っ張られて、教室の外まで連れられる。

「…何なの…?どう…したいの…?」

「明梨を守るのは、わたしよ。彼じゃない」

 特にどこへ行くともなく、引っ張り回しているだけの気がする。

「…もうやめて…!優愛ちゃん!」

 何をしたいのか分からなくて、思わず大声を出してしまう。

 見ると、ピタリと足を止めて俯いていた。

「…最近の…優愛ちゃん…変…だよ…何が…あったの?」

「明梨は、わたしの…親友だよね?」

 そうか。優愛ちゃんは不安なんだ。

 それなら不安を取り払ってあげれば。

「…もちろんだよ…あの時から…ずっと…支えてくれてきた…かけがえのない…無二の親友…だよ…」

 思いつく限り、精一杯の言葉で伝えた。けど…


「………でも、あいつだけは別なんだよね?」

 そう口にして、優愛ちゃんの表情は曇ったまま。

 何を求めているのか、全然わからない。


 心にどうしようもないつかえを抱いたまま、放課後になった。

「…白須賀くん…一緒に…帰りませんか…?」

「明梨、帰るよ!」

 白須賀くんの返事を待たずに優愛ちゃんが突然手を引っ張って駆け出した。


「やれやれ、そろそろ限界かな」

 いいよと返事しようとした矢先に起きた、私情のもつれと思われるやりとりを見て、そう独り言をつぶやく。

「白須賀さん、一緒に帰りましょう!」

 他の女子から声がかかる。

「うん、そうしたいのは山々だけど、用事を思い出したんだ。またの機会を楽しみにしているよ」

「あ…うん」

 踏み込みすぎは嫌われると思ったのか、あっさりと引き下がる。


「優愛…ちゃん…どうしたの…?」

「わたし、聞いたよ。明梨の気持ち」

 いつになく真剣な目を向ける優愛ちゃんに、あたしは戸惑うばかりだった。

「けれどアレだけはダメ!」

「何…?ダメ…って…なんのこと…?」

「白須賀くんだけは、好きになっちゃダメ!明梨に恋はまだ早過ぎるわ!」

「…え?いつ…そんなこと…聞いたの?誰から?」

「誰って、明梨が直接白須賀くんに伝えたじゃない!好きって!」

 一体何のことを言ってるのかさっぱりわからない。

 困惑しているあたしがポカーンとしていた時…。

「なるほどな。それで君の様子が変だったのか。ずいぶん中途半端なところで聞くのをやめたようだな」

 横からかかった声は、話題の白須賀くんだった。

「最後まで聞いていれば、君の勘違いは無かったはずだ」

「どういうこと?」

「鐘ヶ江さんは『好き…って、どんな…気持ち…なの?よくわからなくて…』と聞いてきたんだ。だからこう答えた」

 軽く息を吸い込み

「ふとした瞬間に、その人の顔が思い浮かんで何も手が付かない。翌日にでもまた会えるけど、離れたとたんにまた会いたくなる。一緒にいて気持ちが落ち着くけど、特に理由もなくソワソワしてしまう。その人にどう見られているかが気になって仕方がない。そんな気持ちになる相手と出逢えばわかるよ。と伝えたんだ」

 カクン、と顎が外れたようになってポカーンとしている優愛ちゃんは、ブルブルと顔を振ったと思ったら

「なら何?単なるわたしの勘違いだったってこと!?」

「そういうことだ」

 フッ、と微笑み顔を向けた。

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