第8話:焦想(しょうそう)

 ある日のこと。

 逸る気持ちを抑えて、明梨あかり白須賀しらすかを個人的に呼び出した。

「ん?」

 しかし、優愛ゆあはその様子を見咎めて、二人の後を尾ける。

 優愛は二人が足を止めた廊下の影で聞き耳を立てていた。

「あの…白須賀…さん…」

「どうしたんだ?いきなり呼び出して」

 あたしは、なんて言ったらいいのかわからず、口ごもる。

「白須賀…さん…その…好き…」

 影にいた優愛は思わず耳を疑い、目を見開いた。


 告白、という男の子から気持ちを伝えられたけど、よくわからないあたしは白須賀くんのアドバイスを見て「ごめんなさい」と伝えた。

 寂しげな背中を見送り、その後姿を見て思った。

 気にかけてくれる人がいること。

 それだけでどれだけ救われるか。

 あたしはそれがよくわかった。

 優愛ゆあちゃんだって、いつまでもそばにいてくれるわけではない。

 いずれは離れていく。

 ここを卒業してしまえば、一緒にいられる可能性は限りなく低い。

 そう考えた時、残された時間の少なさにあたしは寒気を感じて鳥肌が立ち始めた。

「急が…なきゃ…もう…時間がない…」


「あの…白須賀…さん…今日…お昼…一緒して…いいですか…?」

 勇気を出して、昼休み前の休み時間に話し慣れてきた彼に声をかけてみた。

「いいよ。学食にする?」

「…はい、それで…」

 周りから不満そうな空気を感じたけど、彼自身が決めたことについては口を出さないという暗黙の了解が定着していた。

 さらに、そのことで不満を彼自身以外にぶつけると、目ざとく見つけ出してとがめられることもわかっているから、仕方ないと身を引く。

「白須賀さん!うちらも一緒に行っていいですかっ!?」

「お誘いありがとう。でも、次の機会にしてくれるかな」

 いつも一緒にいる三人組が加わろうとしてきたけど、やんわりと断りを入れている。

 ああやって、自然とかわせるようにならないと!

 人付き合いというのはよくわからない。

 けど興味を持って見ていると、参考になる部分があることはよくわかる。

「明梨、わたしはいいよね?」

「え…えっと…」

 あたしは二人で話をしたい。優愛ちゃんが入ってくると主導権をほとんど持っていかれてしまう。

 けどあたしにとって優愛ちゃんは掛け替えのない人と思っているから、どう断ろうかと考えを巡らせる。

「鐘ヶ江さんとゆっくり話をしたいから、昼休みが終わってから時間を取ってくれるかな」

「えっ!?」

 鼻白む優愛ちゃん。

「明梨っ!」

 強い口調で呼びかけられるも、あたしは目を合わせず下を向く。

「邪魔、しないでよね?」

 にこやかに白須賀くんが優愛ちゃんに釘を刺す。

 一瞬、今にも泣きそうな顔をしたかと思ったら、ぐっと歯を噛み締めて飲み込む。

 何も言わずに背を向けて教室を出ていく優愛ちゃんの後を追う。

「やれやれ、思ったより根が深そうだな」

 あたしの背中を見送った白須賀くんが漏らした一言を聞きとがめる人は、誰もいなった。


「待って…優愛ちゃん…!」

 ほどなく優愛ちゃんに追いついて足を止める。

「どう…したの…?」

「明梨、変わったよね」

「…え?」

 背を向けたままの優愛ちゃんの肩が震えていた。

「…あたし…変わらなくちゃ…って…それだけ…を考えて…それに…」

「もういい!勝手にすればいいんだわっ!」

 急に大きな声を上げたと思ったら、そのまま走り出してしまった。

 追いかけようと思ったけど、こんなに声を荒げて放り出されたことは今まで無かったから、どうしていいか分からなくてその場に呆然と立ち尽くしてしまう。


「何やってんダ?あいつラ」

 優愛が走り出す少し前に、司東しとうは二人でいるところを見かけてことの成り行きを眺めていた。

 状況が飲み込めず、かける言葉が見つからなかったから背を向けてその場を後にする。


「それじゃ行こうか、鐘ヶ江さん」

 お昼休みになって声をかけられる。

「…はい」

 これまでは隣を歩くだけで主に女生徒から嫌な視線を受けていたけど、彼と保つべき距離がわかってきた今は、背中に刺さるような視線を感じない。

 その代わり、あたしもその距離感を間違えないよう見極めなければならない。

 でも人付き合いに慣れてないから、いつも白須賀くんに助けてもらっている。

 これじゃいけない、と思いつつ気づけなくて思い返すと、甘えていたことを自覚するのが現状。

 だから少しでも早く普通に周囲へ溶け込めるよう、交流できるようにならなくてはならない。

 白須賀くんみたいにうまく立ち回っていけるのが目標!

「し…白須賀くん…は、席に座ってて…ください。あたしが…代わりに…取ってきます」

「そう?ならB定食ね」

「B定食…わかった…」

 代金を受け取り、チケット販売機まで足を進める。

「ねぇねぇ、何にする?」

「いつものことだけど迷うよね。A定食かカレーうどんのどっちかで迷ってるんだけど」

 前に並んでる数人がそんなやり取りをしていた。

「A定食にしておくかな」

「やっぱりA定だよね」

 そして前に並んでた数人がチケットを手に列を離れた。

「さて…白須賀くんに…A定食を…」

 あたしはC定食にすると決めていたから、チケットを買って列を離れる。


「はいよ、AとCね」

 配膳カウンターの職員から2つの定食を受け取って白須賀くんが待っているテーブルに向かう。

「はい…おまたせ…A定食」

「Bって言わなかったっけ?」

「…あっ!交換…してもらってくる…」

「いいよこのままで。Aもいいなと思ってたんだ」

 一瞬青ざめて駆け出そうとしたあたしを止めるように声を浴びせてきた。

「でも…」

「いいって。A定食をもらうよ」

 悪いことをしてしまったと自己嫌悪しつつ、白須賀くんの向かいに腰を下ろす。

「それで、鐘ヶ江さんは何を焦っているのかな?」

「…それは…しっかり聞いたのに…間違えて…」

 さっきのことをまだ引きずったまま、気が晴れない。

「そういう意味じゃない。らしくないことをやりはじめた背景が何かあるはずなんだけど、それがわからないんだ」

「らしく…ない?」

 言ってる真意が汲み取れず、聞き返すことにした。

「何か役に立ちたい、と思わせたい。君からそんな空気を感じたんだ。それはどうしてだい?」

 ドキッと胸が跳ね上がる。

 何もかも見透かされている気がして、顔がこわばった。

「鐘ヶ江さんは隠しごとができないタイプなんだね。顔に出てるよ」

 フッと微笑んで続けた。

「話したくないならそれでもいい。けど話せる状態になったら…」

「あ…あの…わ…笑わないで…ください…ね…」

「うん」

「し…白須賀くん…みたいに…」

「明梨、ここにいたんだ」

 ふと横からかかった声は優愛ちゃんだった。

吹上ふきあげさん、今は」

「あ、明梨はC定食にしたんだ?それにしようか迷ったんだよね」

 白須賀くんが何かを言いかけたものの、遮って話かけてくる。

 B定食の乗ったトレーを隣に置いて腰をかける。

「あ…あの…」

「明日はわたしもCにしようかな。あ、でもメニュー切り替えって明日だっけ」

 優愛ちゃんは喋りながらも箸を進めている。


 ガシッ


 白須賀くんが優愛ちゃんの箸を持つ手の手首を掴んだ。

「君は…痛っ!」

 すかさず空いてる手の指で掴んだ手の甲をつねった。

「気軽に触らないでくれませんか?」

 どこか棘を感じる澄まし顔とそっけない口調で突き放して振りほどく。

「優愛ちゃ…」

「もうすぐ試験だけど、明梨は勉強捗ってる?」

 あたしは抗議しようとしたけど、遮るようにして話題を振ってくる。

 白須賀くんとはロクに話もできず昼休みが終わった。

 聞きたいこと、話したいことに全くたどり着けなかった。


 午後の授業が始まり、もうすぐ放課となる。

 優愛ちゃんがどうしてこんなあからさまな邪魔をしてくるのかわからない。

 けど、このままでは白須賀くんと話ができそうにない。

 だったら…。

 授業中だけど、ノートの切れ端に書いて隣の彼にこっそりと見せた。

 スッと親指を立てて応えてくる。

 よかった。後は放課になったら優愛ちゃんを振り切って会えばいい。


 午後の授業も終わり、あたしはすぐ教室を後にする。

 優愛ちゃんが追いかけてきたけど、内階段と非常階段を使って振り切った。

 大事な話だから、この時だけは邪魔されたくない。

 校舎裏の木陰に彼は居た。

 逸る気持ちを抑えながら彼のもとへ足を進める。

「ずいぶん追い回されていたようだね。俺も見つからないようこっそりとここに来たけど、君にとっては大きな壁になりそうだ」

「…お昼休み…全然…お話できなかったから…何度も呼んで…ごめんなさい」

 白須賀くんに言われたことは、意図が分からなくて答えなかった。

「それで、どんなことを話したいの?」

「それは…」

 何から話を切り出していいのかわからない。

「あの時のラブレターについてかな?」

「…うん、そのこと…なんだけど…」

「受け入れたの?断ったの?」

 白須賀はその場にいてメッセージでアドバイスしたけど、そのことはあえて黙っていた。

「…断りました」

「そうか。せっかく鐘ヶ江さんに彼氏ができるいい機会だったと思ったけど、断ったんだね」

 こくん、と頷く。

「それで…中学…三年の時に…一緒のクラスだった…男の子だったんだけど…もし…今後…ばったり会ったりしたら…どうすれば…いいのかな…?」

「難しい問題だよね。自分を好いて近づいてきた相手を拒否したんだから、その後にどうすればいいのかというのは付いて回る問題だ」

 明確な答えをもらえず、ぼかされてしまう。

「鐘ヶ江さんはどうしたい?」

 答えを求めたつもりが、逆に質問されて戸惑いを隠せなかった。

「…わからない…こんなこと…初めて…だから…それで…こんなことが…多そうな白須賀くんに…聞きたくて…」

「俺の場合は相手の出方次第だよ。変わらず接してくるなら相手してるし、無視するならもう関わってない。実際変わらず接してくる人もいる」

 サワ…と微風そよかぜが二人の間を駆け抜けた。

「ボールを投げあったことはある?」

「…少しだけ…優愛ちゃんとなら…」

 意味が分からなかったけど、聞かれたことに答える。

「告白を断った場合、ボールを持っているのは断られた相手と考えてるんだ。そのボールをまた投げてくるなら投げ返す。ボールを投げてこないならこっちもボールを要求しない。だから俺の場合は相手次第、と考えている」

 となると、あたしも同じことをするとして、彼が今後も話かけてくるなら応えて、何もしてこないなら無視することになる。

「昼休みにしたかった話というのはそれかい?」

「…まだ…あります…」

 もしこれを聞いたらあたしは白須賀くんとは二度と関わらなくなるかもしれない。

 けど、聞いておかないと。

「…ど…」


 怖い


「どうして…」


 もしかすると、このまま聞かないでやり過ごしたほうがいいのかもしれない。

 でも、このまま甘えていたくないとも考える自分がいる。

 俯いたまま、必死に声を絞り出す。


「どうして…こんなあたしを…気にかけて…くれるんですか…?」

 聞いてしまった。

 答え次第では、もうお互い無視し合う関係になってしまう。

「前に似た人がいたんだ。自分の殻に閉じこもったまま塞ぎ込んでる人がね。その人はある事件で心を閉ざしてしまって、誰とも関わらないよう過ごしていた。クラスでも浮いてる様子で、世界が広がらなかった」

 考えていた自分の答えと違うことを聞いて、俯いていた顔を上げた。

「どういうわけか立ち直って、それ以後は心を開いて人との関わりを持ち始めた。それからは別人じゃないかと思うくらいに明るくなって人気者になったんだ」

 フッと優しい微笑みを向けてくる。

「人は一人じゃ生きていけない。人を磨けるのは人だけ。そんな人を見てきたんだ。だから鐘ヶ江さんも変わってほしいと思った。殻を破って羽ばたけるように、諦めず関わってきた」

 ということは…殻を破った今、もう白須賀くんとは…。

「鐘ヶ江さんがクラスに溶け込めるよう、まだまだ後ろから背中を押し続けることにするよ」


 白須賀くんが人気者な理由、わかった気がする。

 決して出すぎず、引っ込みもしない。程よい立ち位置が心地いいから、人が集まってくるのかも知れない。

「…最後に…一つ…いいですか?」

「いいよ。今度はなんだい?」


「全く、明梨はどこまで行ったのよ。かばんはまだあったから帰ってはいないんだろうけど」

 優愛は愚痴をこぼしつつ校舎裏に足を運んだ。

 男の方は間違いなく、白須賀くん。

 女の方は…よく聞こえないけど、明梨っ!?

 校舎の影で聞き耳を立てた。


「白須賀…さん…その…好き…」

 優愛は全身に鳥肌が立ち、ギッと歯噛みしてその場を後にした。

「させない…絶対に、明梨は渡さないわよ!」


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