第6話:芯意(しんい)

「で、どうするんだ?この状況」

 冷静な声で問いかけてくる白須賀しらすか

「…助けを待ちましょう」

 一筋の汗が、優愛ゆあの額から頬へ伝って軌跡を描く。

 ここは書庫。

 決して広くはなく、学校のお手洗い一つ分の敷地を倍にしたくらい。

 窓はあるけど、風取り用のため頭一つどころか手が外にすら出ない。

「なあ」

「何よ?」

「君に聞きたいことがある」


 ことの始まりは朝にまで遡る。

明梨あかりが白須賀くんのことを特別に意識していることは間違いないけど、問題は自分の気持ちに気づいてないことよね…」

 優愛は机に向かって、これまであったことを思い返す。

 入学前は白須賀くんが事故でぶつかってきたのが最初の出会い。

 まさか同じ高校に編入してきて、おまけに同じクラスにまでなった。

 なぜか明梨を気にかけていて何が何でも喋らせようとしている。

 あの日のことは明梨から聞いた。久しぶりに喋ったあの日のことを。

 白須賀くんが用意周到に仕組んだとするならば、なぜ先回りできたのかが説明つかない。

 だから全くの偶然と考えていい。

 問題はその後。

 明梨がやたら彼を気にかけている。

 そして明梨は弄ばれても構わないとまで覚悟を決めて必死に変わろうとしている。

 その変わるきっかけになると考えているのか、白須賀くんを目で追いかけている。

 あの目は間違いなく恋する乙女の目。

 でも明梨本人はまったく自覚なし。

 これが困ったところ。

 …もしかすると、わたしと一緒だから、友達感覚になりやすくて自覚がしにくいのかもしれない。

 だったら…。

 グルグルと思いを巡らす優愛は、やがてひとつの結論へたどり着くことになる。


「よう、しゅん

 ふと男の声で話しかけてきた人が一人。

司東しとうか。ずいぶん久しいな」

 司東しとう悠天ゆうま

 白須賀の自宅から見て向かいに住んでいるが、学区の違いで白須賀は同じ学校へ通えなかった。

 その後に高校受験で編入を果たし、やっと同じ学校へ通えることになった。

 同じ学年でありながら、登下校時間がどうも合わなくて、これまで一度も一緒に登下校することなく今日に至っている。

 いつでも会える、という気持ちがあるためか、お互いにお向かいさんでありながらほぼ一年ぶりの再会だった。

 ちなみに明梨、優愛ともにこれまで司東と同じクラスになったことはない。

「最近こっちのクラスでも噂になってんゼ。あの沈黙姫にご執心らしいじゃねーカ」

 この司東。なぜか語尾に棘っぽい何かを感じる特徴がある。意図や悪気はなく、単なる喋りグセというだけ。

 ワックスを付けているのか、ツンツンした茶髪が外見の特徴だ。

 切れ長の目が尚更不良っぽい感じであり、着崩して悪ぶってるけど、それは表面上のこと。筋の通らない話には断固たる態度で立ち向かう。そのギャップに白須賀は去年の段階でも時々戸惑っていた。

 最後に会った時も少しワルそうな見た目だったけど、今はかなりワルそうな見た目に変貌している。しかしそれは無い物ねだりとしての形だけであることを白須賀は知っていた。

「鐘ヶ江さんのことを知ってるのか」

「知ってるも何も、有名人だからナ。絶対に喋らないことでサ」

 そうだったのか、と口にせず納得した。

「例えば同じクラスにいた級友のことを聞かれても、よほど絡んでたか強烈な印象があん人ならともかく、周囲に溶け込んでるんじゃ別段気にしねーからナ。その点で言えば沈黙姫は明らかに浮いてんだヨ。だから話題に上がってくんダ」

「なら知ってるか?その沈黙姫という称号はもう返上したってことを」

「…何だト?」

「まだそっちまで情報が届いてないか。わずかだけど、たどたどしいけど、あの娘は今喋り始めている。もう沈黙姫なんて呼べないぞ」

 司東はニヤリとして

「へぇ、面白れーナ。てめーが喋らせたのカ?」

「まあ、そういうことになるかな」

悠天ゆーま

 横から女性の声がかかり、棘になっている茶髪が横を向く。

「ここにいたんだ?」

 声の主は制服の色からして同学年。程よく肉付きのいい体つきをしていて、長い黒髪をなびかせているなかなかの美形だった。

「その娘は?」

 司東はその娘を抱き寄せて口を開く。

「へへ、彼女ダ」

 ドヤ顔をしている彼を見て少し驚きの表情に変わるけど、すぐ微笑みに変わる。

「そうだったのか。おめでとう」

「俺と違って、てめーはよりどりなんだから、その気があんならとっとと誰か一人に決めちまえヨ」

「まあ、そのうちな」

 そう言ったら二人で仲良さそうに背を向けて歩いていった。

 白須賀の幼少を知る数少ない理解者。

 もしかすると、鐘ヶ江と吹上みたいな関係になっていたかもしれない幼馴染だ。

「お互い、大事にしてるようだな」

 幸せそうな二人を見て、どこか満足した顔できびすを返す。

「そうか。もう俺はあいつの手を完全に離れたということだな」

 誰にともなく意味深なことをつぶやいた。


「ここもダメかな」

 優愛は休み時間にあちこち特別教室を見て回っていた。

 授業で一時的に使う教室が集まっている特別教室棟があり、通常そこは家庭科や図工など移動教室や部活動で使うための部屋がある。

 明梨とあまり離れているわけにはいかない、と焦りつつも特別教室棟を一つずつ見ては「ダメかな」と軽くため息をつく。

「ここ、使えそうね」

 これまで見てきたどの部屋よりも確かな手応えを得て、使うための手続きを確認に走った。


 昼休みが終わり、放課後になる授業の一つ前にある休み時間。

「優愛…ちゃん…今日は…どうしたの…?」

 今日の優愛ちゃんは少し様子が違う。

 いつもあたしの側から離れないでいてくれているのに、なぜか休み時間のたびにすぐ教室を飛び出して本鈴ギリギリに戻ってきている。

「ちょっと気になることがあって、調べ物をしてたんだよ。放課後に明梨の手を借りてもいいかな?」

「…うん…いい…けど…」

 微笑みを向けて聞いてくる優愛ちゃん。

 いつも一緒にいる優愛ちゃんに、少しでもお返しをしたい。

 そう思い始めるようになっていた。

「放課後は準備があるからちょっと待っててもらうことになるけど、帰らないでね」

「う…うん…」

 やっぱり何故か少し様子が違う。


 放課後になり、優愛は行動を始めた。

「ねえ、白須賀くん。ちょっといいかしら?」

「何の用事だ?」

「探してる資料があるんだけど、見つからなくてね。手伝ってほしいの」

 そう言って呼び出したのは特別教室棟の五階奥にある資料室。

 通常は誰も使っていなくて、内と外の両方が鍵穴になっていて、鍵が無ければどちらからも開けることができない。

 ドアは閉めたつもりだったけど、建付けが悪いのか閉まらず、ほんの少しだけ隙間ができていた。

「何の資料を探してるんだ?」

「この学校の成り立ちについてね」

「そんなことならホームページでも調べればいいじゃないのか?」

「あんな概略程度のことじゃなくて、それ以外の部分よ。この資料室ならそういった詳しいことが分かるんじゃないかって思って」

 というのは誘い出す口実。

 本当の目的はこれから。

 この後、明梨をこの資料室に呼び出して、入れ替わるように優愛はお手洗いへ行くといって部屋を後にする。

 明梨が入ったところで外から鍵をかけて閉じ込める。

 密室に二人きりという状況下なら、お互いを意識することは間違いない。

 頃合いを見て鍵を開ける。

 二人が気まずくなってしまえば、もう関わることはない。

「それで、その資料はどこにありそうなんだ?」

「それがわかれば苦労しないわよ」

 本棚をざっと見て回る。

「これは明梨も呼んで探したほうがいいかもしれないわね。呼ぶついでにちょっとだけお手洗いに行ってくるわ」

「そうか」

 資料室を出るため、ドアに向かおうとした瞬間。


 用務員が書庫室の前を通りかかる。

「おや?いつも閉まってるはずのドアが開いとるな」

 バタン、ガチャ。

 鮮やかな手つきでドアを施錠する。

 歩く速度の速い用務員はそのままスタスタと引き返してしまう。


 突然のことで呆然とする優愛。

「………鍵かけられたか?」

 白須賀はドア前に立ってノブを回そうとするけど回らない。

 このドアは両鍵穴になっていて、鍵が無ければ内と外のどちらも解錠できない。

「大丈夫。ここの鍵はわたしが…」

 優愛はポケットに手をつっこんで、言葉を失った。

 頭のてっぺんから首筋にかけてゾワゾワと鳥肌が立っていく。

「持ってるんだな?」

 優愛は慌ててあらゆるポケットを探し始めたのを見て

「やれやれ、お約束だな。それで、どうするんだこの状況?」

「…助けを待ちましょう…とはいえ明日は創立記念日で休みだから」

「このままだと明後日まで君とこのままか」

 白須賀は壁際の窓を調べる。

 窓枠にあるハンドルをくるくる回すと、横長の短冊みたいなガラスが角度を変えて外気を取り入れ始める。

 窓はこれ一つだけ。隙間は狭すぎて手首すら外に出ていかない。

「そのドアから出るしか無さそうだな」

「…携帯持ってる?こっちは電池切れしてるみたい」

 手にしたスマートフォンは画面が点かない。

「あー、かばんの中かな」

 サラリと言われて、優愛はがっくりと肩を落とす。

「大声を出せば誰か気づいてくれるんじゃ」

「この場所を思い出せばいい。特別教室棟でも上の階で端にある。おまけに窓の向こうはしばらく向こうまで校内敷地の林が続いている。大声出しても気づいてもらえない。そして放課後だから校舎に残ってる人も少ない。休校日前で浮足立ってる人も多いだろう。そんなに多く残っている可能性も少ない」

「打つ手ナシか…」

 どっか、と白須賀は窓下の床に腰を下ろす。

「君に聞きたいことがある」

「何よ?」

「君が俺を嫌っていることはわかっている。そして彼女を俺から遠ざけようとしているのも肌で感じている」

(どうしてこの人、こんなに鋭いのよ…)

 優愛はドアに向かって背を向けたまま毒づく。

「なぜ急に彼女を俺へ近づけようとしているんだ?」

「明梨が…あなたを気にしているからよ。明梨が望んだことなら、親友としてそうしてあげたいだけよ」

「ふーん。建前はいい。本音は?」


 ギクッ!


(何か、すべて見透かされているような気がして落ち着かない)

「時間はたっぷりある。そして逃げ場はない。君が俺を嫌っているなら都合がいい。本当のことを話さないなら、考えがある」

「な…何よ?」

「かんたんなことさ。君を抱きしめたり、肌を撫でたり、髪をいたり、思いっきりスキンシップする」

 そう言うと、白須賀は立ち上がる。

「ちょ…ふざけないでっ!大声出すわよ!?」

「ああ、そうすればいい。それで周りが気づいて助けが来れば出られるからな」

(本気っ!?冗談じゃないわっ!!)

 優愛は思わずドアノブをガチャガチャして出ようとするものの、鍵のかかったドアノブは硬い手応えがあるだけだった。

 ジリジリと迫ってくる白須賀の姿を見て、優愛の顔はこわばる。ドアを背にして歯を食いしばり、眉間にしわが寄り、目を見開く。

「ほら、早く言わないと本当に抱きしめちゃうぞ」

 子供がいたずらするようなニンマリ顔で白須賀が迫る。

「そのきれいな肌に触ったらどんな反応をするのかな?」

「やめて…」

 蛇に睨まれた蛙のごとく、怯えた表情で白須賀を見る。

 カタカタと足が震える。足先までゾワゾワした寒気が駆け抜ける。

「やだ…」

「なら言うんだ。本音を」


 カチャカチャ


 ふと優愛の背中から金属が擦れるような音がした。

「大丈夫っ!?優愛ちゃんっ!?」

 ガバっと開いたドアに背を預けていた優愛は、支えを失って後ろに倒れる。


 ドタン!


「痛ったぁ…」

 あたしがドアを開けたとたんに、優愛ちゃんが倒れ込んできた。

 たまらず優愛ちゃんの背中を体に受けてあたしまで倒れてしまう。

「え?明梨…どうして…?」

 答える代わりに、メッセージアプリ『Direct』の内容を表示させる。

「吹上さんが資料室に閉じ込められた。鍵を持ってきてくれないか?」

 と書かれていた。送信元はシラサッカーという名前。

「え?白須賀くん、携帯はかばんにあるって…」

「そんなことを言い覚えはないな」

 少し舌を出して、その手にはスマートフォンが握られていた。

「あなた、嘘を…」

 優愛ちゃんが噛みつかんばかりの勢いで睨みつける。

 しかし当の白須賀くんは

「俺が言ったこと、よく思い出して」

 と返した。


 うーん…

『あー、かばんの中

「あ…」

 かばんにあるとは断言してない…さりげなく濁してた。

「さて、これで無事帰れるな。探してる資料はまた後日ってことで」

 スッとあたしたちの横を通り過ぎて遠ざかっていく。


「聞きそびれた君の本音、いずれは聞かせてもらうよ」

 誰にも聞こえない小さな声でつぶやいた。

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