第4話:結意(けつい)

 まとまった休みで緩んだ空気が、次第に引き締まってくる連休明け。

 優愛ゆあちゃんと行ったショッピングモールは、大勢の人でごった返していて、右も左もわからなくなってしまった。

 そんな中で迷子になりかけたところで、大勢の人が来なくなる別の日を狙って再訪しようという判断で帰った。


 あの時からずっと声を出さずに過ごしてきたあたしだけど、ついに声を出してしまった。

 同時にあの記憶が蘇ってきて、怖かった。

 絡んできた人たちに連れ去られてしまうのと、あの記憶とでは比べようもないけど、それでも目の前に迫ってきた恐怖には抗えなかった。

「おはよう」

 白須賀くんが教室に入ってくる。

「おはよ、鐘ヶ江さん」

 名指しで挨拶してくる。


 ぺこり


 軽く会釈して、声は出さなかった。

 席が隣だから避けようがない。

 あたしは、声を出してはいけない。

 人を不幸にする口を開けてはいけない。

 もしこのまま白須賀くんと会話をすれば、あたしは白須賀くんを傷つけてしまう。

 だから、絶対に言葉はかわさない。かわしてはいけない。


 席につき、教科書を机に放り込むのが早いか、教室にいる女子たちが白須賀くん目当てでワラワラと集まりだしてきた。

 あたしは巻き込まれないうちに席を離れる。

 後を追うように優愛ちゃんが付いてきた。

「ねえ明梨、先生に話していっそ席を変えてもらったら?このまま一学期を乗り切るにはちょっときつそうだよ」

 その提案に、首を横へ振る。

「あんな状態であと二ヶ月ちょっとも耐えられるの?我慢すれば済むって考えてない?」

 思わず肩を掴んで迫ってくる優愛ちゃんの口を両手で塞いだ。

 少し驚いた顔を見せたけど、掴んだ肩を離してくれた。

 口を塞ぐ手を離す。

「まさか明梨…あの白須賀くんのことを…」

 また首を横に振る。

 そうじゃない…そういうことじゃない…。

 今までにも、喋らないあたしを喋らそうと食い下がってきた人はいた。

 けれども誰一人として口を開かせてくれることはなかった。

 ただ一人、白須賀くんを除いて。

 大体はあたしと関わることを諦めて、新学期から連休の間にかけて興味を無くしてくる。

 それが例え隣の席だったとしても。

 彼は、何かが違う。

 あんな人気者とあたしじゃ、とても釣り合いなんて取れないし、男女の関係なんて全く知らないから、仮にそうなったとしてもすぐ飽きてしまうに違いない。

 そこまで身の程知らずではない自覚はあるから、決して白須賀くんに恋心は抱くまいと自分に言い聞かせている。


 はふ…


 優愛ちゃんは軽くため息をついて口を開く。

「そういえばあの時、喋らないのはなぜかを聞くのは、またにしておくって言ってたわよね」

 こくんと頷く。

「聞かれたら、言うつもり?」

 ぶんぶんと首を横に振った。

「うん、そうだよね。彼とはあまり深く関わらないほうがいいわよ。あのことを話す覚悟ができたなら別だけどね」

 このへんで予鈴が鳴ったから教室へ向かう。

 白須賀くんは窓際に佇んでいて、取り囲むように女子が人垣を作っていた。

「そろそろ席についたほうがいいよ」

 そう言って、窓際に固まっていた女子たちが渋々と散開して、残った男の子が足を動かす。

 あたしの隣に座り、ジッと見つめてくる。

 …悪い人ではないし、気になるけど、ちょっと苦手かも…。

 何か、全部見透かされていそうなその視線が落ち着かない。


 そういえば、彼には声…聞かれちゃったんだよね。

 絶対に口を開かない。喋らないと決めたのに、それを崩してしまった。

 でも、あの時は絡まれた変な人達に連れ去られたりしたら、ショックで今も部屋に閉じこもっていたかもしれない。


 すっ…


 ふと、紙切れを渡された。

「さー席につけ。ホームルーム始めるぞ」

 先生の掛け声がかかるものの、気になった紙切れに目線を落とす。

『喋らなくても筆談ならどう?』

 …そういう問題じゃない。

 手にした紙をそのまま折りたたんで、何も書かず白須賀くんに返す。

 クシャッと握りつぶしてポケットにしまった。


 これまでは興味をもって近づいてくる人こそいたけど、一ヶ月もすると諦めたり興味を無くして離れていった。

 けどこの人だけは何かが違う。

 むしろ熱量が高くなりつつ、あたしに近づいてこようとしている。

 一体何を考えているのだろうか。

 でも、なぜか嫌な感じはしない。

 前にあたしを気にかけてきた人は優愛ちゃん以外誰でも、どこか嫌な感じがした。

 どうして…?


(やれやれ…これは骨が折れそうだな)

 白須賀は内心そうつぶやいて窓の外に目線を移す。

(けど、方法が無いわけではない…か。少々長期戦になりそうだけど)

 朝のホームルームが終わり、堰を切ったように集まってきた女子たちへ愛想を振りまいていた。

 あたしはいつものとおり、女子の津波に巻き込まれるより早く廊下へ脱出する。

「大丈夫?」

 こくんと頷いて返事する。

 優愛ちゃんはこうしてあたしを気にかけてくれている。

 けれども、それがいつまで続いてくれるのかは未知数。

 今いる学校はエスカレーター式だから、成績さえ問題なければずっと一緒にいることができる。

 でも学校を卒業したら…。

 偶然なのか仕組まれたことなのかは不明だけど、あたしはこれまで、優愛ちゃんがいてくれてこそ居場所を確保することができている。

 もし、優愛ちゃんがいなかったら…。

 考えただけで、あたしの背中に冷たいものが駆け抜ける。

 喋らないことで、口を閉ざすことで、どれだけ優愛ちゃんに負担をかけているのだろうか。

 これまで考えたこともなかった。

 白須賀くんに言われた一言が、耳に焼き付いたかのような強さでわだかまっている。


『君はまるで、介護するヘルパーのようだ』


 優愛ちゃん…あの後は言い返せなくて、完膚なきまでに論破されていた。

 あれからはいつもそうだった。

 あたしをよく知り、理解してくれていた優愛ちゃんですら、離れていきそうになっていた。

 でも、家庭の状況が変わったことで察してくれた。

 察してくれたとはいえ、その事情までは知るはずもない。

 だから、その時だけは口を開いた。

 喋らなくなってから、半年ほど経った頃に…。

 けれども、それからは本当に口を開かずこれまで過ごしてきた。

 その分、優愛ちゃんには迷惑をかけっぱなしだった。


 口を、心を閉ざすきっかけとなった、あの事件で何があったのか。

 一体何だったのか、

 それを理解するのはしばらく時間を要した。

 完全に理解したのは中学に上がってまもなくのこと。


「ねえ、鐘ヶ江さんのこと教えてくれない?」

 突然目の前に現れたのは白須賀くんだった。

 休み時間になるたび、まとわりついてくる女子を振り切ってはこうして絡んでくる。

「あなたが悪い人じゃないってことはよく分かったわ。けど、それとこれとは話が別よ」

 優愛ちゃんはツンとした態度を崩さずにそっぽを向く。

「前に言ったよね?君たちの事情を知らないから客観的な目で見ることができるって。事情を知れば意見も変わると思うんだけど?」

「別にいいわよ。あなたにどう思われていようとも、明梨のそばに居続けるのは変わらないんだから」

「そう言いつつ、結構負担に感じてるんじゃないの?」

 言われて、優愛ちゃんの顔が僅かに動く。

「そこまで負担に感じたら、思い切って離れてるわよ」

「負担に感じてることは否定しなかったな」

 ニヤリと口元を緩める白須賀くん。

「う、うるさい!余計なことは言わなくていいからあっち行って!」

 声を荒げて追い払らわれるように、彼は背を向けた。


「ふむ、なるほどね。まずは吹上さんを引き剥がさないと、先には進めなさそうだな」

 背を向けた彼は、一人納得したかのように頷いた。


「隣、失礼するよ」

 昼休みになって優愛ちゃんと一緒に向かい合って食べている時に、スッと腰をかけたのは白須賀くんだった。

「ちょっと、二人で食べてるんだから勝手に割り込んで来ないでよ」

「それより他の女子がこっち見てるわよ!迷惑するのはこっちなんだから、本当に心配なら放っておいてよ!余計なゴタゴタはまっぴらだわ!」

 彼は堪えた風もなく、口元に人さし指を立てる。

「鐘ヶ江さんと話をしたいんだ。君は黙っていてくれないか?」

「だから迷惑…!」

 言いかけた優愛ちゃんだけど、再び口元に人さし指を立ててきた。

 でも優愛ちゃんが黙ったのは白須賀くんの仕草ではない。

 あたしが同じことをしたから。

「明梨…あなた…」

 どんなことを言われるかわからない。

 けど、彼の気が済むようにしておかないと、いつまでも付きまとわれる。

 それで余計に面倒事を抱えてしまうのは本意ではない。

「じゃ、わたしは少し離れた席にいるから」

 食べかけの食器トレーを持って、あたしから見える位置に座り直した。

「ごめんね。話があるなら次の休み時間にしてくれないかな?」

 彼の向かいに座って話を始めようとした女子へ、断りの言葉を投げかける。

「えー、白須賀さんって最近その娘ばかり相手してない?」

「ほんとごめんね」

 重ねて断ったことで、諦めて別の席へ移ってくれた。

「返事はしなくていい。こっちを見る必要もない。ただ聞いてくれていればいい」

 そう言って、彼は定食に手を付け始める。

「何を考えているか当ててあげよう。どうして自分にこれほど構うのか」

 いきなり的確なところを突かれて思わずギョッとする。

「答えは簡単。前に似たようなことがあったからなんだ」

 ずず、とお吸い物をすする。

「その人はある時を堺に、人との会話に恐怖を抱いていた。何がきっかけになったのかは重要ではない。その人が何を考えているのかわからないことが、大きな問題を引き起こしていたんだ」

 おかずをかじって白米を口に含み、飲み込んで続ける。

「君と同じであろう、事情を知っていた幼馴染がその人をいつもかばっていた」

 水を少しだけ飲んで、トレーに当たったコップの音がやけに響く。

「その人の周りから次第に人が離れていって、幼馴染だけが唯一の支えになっていた。幼馴染の負担はかなりのものだったはずだ。知っている限り、口を閉ざした人ばかり気にかける一方で、それ以外の交友関係は希薄になっていく」

 いくつかの副菜をつまむ。

「それからしばらく経つと、傍目から見てもその幼馴染は限界を迎えていたことは明らかだった。口を閉ざした人も迷惑をかけていることで焦りがあった。それでも記憶が邪魔して言葉が口から出てこない」

 ふと横から視線をぶつけられるけど、その目を見る勇気がどうしてもわかなかった。

「中学に上がって、幼馴染は学区の違いで別の中学校へ通い始めた。それでもその人は口を開かない。それで起きたのがイジメだ。何をしても誰にも喋らないから、八つ当たりのはけ口にされていたんだ」

 再び主菜に手を付けては飲み込む。

「中学一年の冬、その人は我慢の限界を迎えた。それまで積もった鬱憤うっぷんを、罵詈雑言ばりぞうごんとして口から飛び出し、殴り合いのケンカをした結果、保護者面談となって一週間の停学処分が決まった」

 残ったお吸い物を飲み干して、平らげた。

「それからその人はまるで中身が変わったように会話をし始めた。と、まあこれが俺の知ってる喋らない人の話だ。ケンカした相手がイジメをした理由は、仲良くなりたかったから、ちょっかいを出してエスカレートした結果、引っ込みがつかなくなったからだったそうだ」

 彼は頬杖をついて、あたしを見つめる。

「君は、そういう殴りあいのケンカなんてしそうに無いからこそ、このままじゃいつまでも立ち止まってしまうと思うんだ」

 トレーを持って席を立つ。

「だから君へ話しかけるのはやめないよ。聞いてくれてありがとうね」

 席を立った彼の周りには、すぐ女子の人垣ができあがっていた。


 その夜。

 白須賀くんからもらった紙切れをポケットから取り出す。

 あれからずっと、ブレザーのポケットに入れっぱなしだった。

 スマートフォン用メッセージアプリ「Direct」を起動する。

 いつもは優愛ちゃんに送ってるけど、紙切れに書かれているIDを友だち追加欄に入力すると…出てきた。Shirasoccer(シラサッカー)という名前とサッカーボールを加工したようなアイコンが。

 友だちに追加して、一覧の友だちが二つに増えた。

 あたしはShirasoccerをタップして、メッセージのやり取りがない無機質なトークルームのメッセージ入力欄に言葉を入力する。

 さんざん、さんざん考えた。

 どんなメッセージを送るか。

 そして送ったメッセージは…

「危ないところを助けてくれてありがとう」

 ずっと言えなかった一言。


 決めた。

 あたしが、優愛ちゃんにできることは…あたし自身が…変わること。

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