第3話:慈覚(じかく)
『久しぶりに隣町へ行こうよ。新規オープンしたショッピングセンターを見てみたい』
それがメッセージアプリ『Direct』で誘われた内容だった。
あたしには友達と呼べる人がいない。
ただ一人、優愛ちゃんを除いて。
「白須賀くんって、なんであんなに
隣町へは徒歩で15分程度。
てくてくと歩いてる最中に優愛ちゃんがふと切り出した話がそれ。
「明梨が好き…」
一呼吸おいて、再び口を開く。
「ってことは無いわよね。だって一言も会話したわけじゃないし。そんなんで性格がわかるような超能力者でもあるまいし」
そう。
それがあたしにとって最大の疑問だった。
どうして、あそこまであたしに絡んでくるのか。
「黙っていても女の子が寄ってくるくらいなんだから、選び放題な彼がどうして明梨にこだわるのかがわからないわよね」
こくん
同じ意見だったあたしは、言葉じゃなくて相槌で返事する。
てくてくと隣町まで歩みを進める。
自宅でカリカリと宿題に取り組む白須賀の姿があった。
「えっと、この場合公式をこれで当てはめてっと…」
手にしたシャーペンの芯を出そうと、ペンの上端に指をかけて押し込む。
ポトッ
折れていた芯が虚しく紙の上へ落ちる。
カチカチカチカチカチカチ…
いくらノックしても芯が降りてこない。
ペン入れの中を探し、机の引き出しを漁り、芯入れを見つけるも…。
芯入れの蓋を開けて逆さで振っても芯が出てこなかった。
「ありゃ、完全に切らしたか。仕方ない、買いに行くか」
白須賀は椅子から立ち上がって出掛け支度を始める。
「しかし鐘ヶ江さん、どうして何も喋らないんだろうか…」
ぼそりとつぶやいて歩みを進めた。
「一度でも、少しでもきっかけがあれば変わると思うんだが…追い詰められた時に思い切って一言でも喋れば…とはいえ、そう都合よく追い詰められる状況なんて無いよな」
屋根のついた通りに差し掛かる。
かつてこの通りは賑わっていたらしいけど、時と共にこの道は駅へアクセスするだけの経路となっていた。
「このアーケードを通り過ぎれば、モールが見えてくるよ」
こくん
あたしは頷いて答える。
左右を見渡すと、十軒に一軒程度の間隔でシャッターが開いている。
それ以外は屋号看板すらなく、灰色の無機質なシャッターが降りっぱなし。
相当の時間が経過しているのか、風雨に晒された建物は砂ホコリが付着していて、中には壁の外装が剥がれ落ちているものすらある。
風が吹き抜けても、退廃的な空気は淀んだまま漂っていた。
かつてあった人の息吹が感じられないことは、これほどまでに寂しく思えるということを、肌の奥底まで染み込んでいく。
「このアーケードって昔は賑わってたんだけどね、モールができてからだんだん寂しくなっちゃって残念だわ」
優愛ちゃんが立ち止まる。
「それじゃ、わたしはちょっとそこのコンビニでお手洗い借りてくるね。明梨はどうする?」
あたしは手をひらひらと振って優愛ちゃんを送り出した。
回りを見渡す。
隣駅は近くにショッピングモールができたせいで、この屋根がついたアーケードはすっかりシャッター街になっている。
今の時間は人通りも極端に少なくて、子供の頃の賑わいは戻る様子がない。
細い路地から三人の粗雑そうな男が姿を現した。
どこか枯れたような声の人、
少なくともあたしにとっては縁のないタイプの人ばかり。
スッと背を向けて、優愛ちゃんが入っていったコンビニの方に目線を送る。
「なあねーちゃん、こんなところで何してるんだ?」
人どおりの無いここで、声をかけられたということはあたし以外にない。
けど背を向けたまま相手をしないでいた。
「そうだぜ。こんな寂しいところに一人でいたら、怖い目に遭っちゃうよ」
怖くなってきたあたしは、優愛ちゃんが入ったコンビニへ足を進めようとしたその瞬間…。
「おっと、どこ行くんだい?」
手を掴まれて、ぐいっと引き寄せられた。
気持ち悪い。
それ以外の感情は湧いてこなかった。
あたしは引っ張られる腕を引き寄せようとするけど、力が強くて逆にあたしの体が引っ張られてしまう。
「なんだ?そんなに早く連れて行ってほしいのか?」
違う!
声に出したいけど、声にならない。
「こいつ全然声出さないぜ?丁度いいや。口塞いじゃえ」
「でも噛まれやしねえか?」
「そんときはそんときよ」
口々に勝手なことを言って、後ろへ回った男に口を塞がれてしまう。
思いっきり暴れて抵抗するけど、全く振りほどけそうな気配すらない。
「こいつ!暴れるなよ!」
ガシッと両手を掴まれる。とても太刀打ちできる力じゃない。
「そいつをそこの路地に連れて行こうぜ」
手の空いている男が、細い路地を指差して先導する。
必死に抵抗しているけど、男二人がかりで抑え込まれて成すすべがない。
「明梨、おまたせー…って」
コンビニから出てきた優愛ちゃんは、回りを見渡すけど待たせていた人の姿が見えないことに気づく。
「明梨、どこ?」
そこらへんにいると考えて、あちこちの路地やシャッターが開いているお店の中を覗き込む。
「やれやれ、そこの文具屋に用事があって足を向けてみれば、お友達と一緒にじゃれているとはね」
声がした方を向くと、そこには白須賀くんが立っていた。
あたしは必死に顔で困った意思を伝える。
「どうする?君は困っているように見えるけど、事情を知らないから助けるべきか迷っている。後は君の意思表示次第だ」
知らない人に掴まれた手が気持ち悪くて、必死に振りほどこうとする。
けれども力が足りなくて振りほどけそうにない。
あたしは精一杯嫌がってる表情を白須賀くんに見せた。
「俺は君のことをよく知ってる友だちの吹上さんではない。しっかり言葉で示してくれないと、その人達にも意思は伝わらない。もちろん俺にも」
そう言って、白須賀くんは背を向けて歩き出した。
白須賀くんは、わざとゆっくりした歩みで離れていっていることに、あたしは気づけなかった。
冷や汗がワッと吹き出す。
このままじゃ、この気持ち悪い人たちに連れて行かれてしまう。
もっと力を込めて振りほどこうと藻掻いてみるけど、しっかり掴まれた手はそれを許さない。
「なあ、あんな冷たい奴放っておいてこっち行こうぜ。優しくしてやるからよ」
暴れて抵抗しようとしても、相手は三人。
しかもかなりの力があるから、全力で抵抗しても抑え込まれてしまう。
このままじゃ…!
「たっ…」
恐怖のあまり、声もろくに出せない。
でも、この後に待っている絶望の方が勝っていた。
「助けて…ください!!白須賀くんっ!!」
自分でも信じられなかった。
いつぶりだろうか。
あたしの口から、声を出したのは。
けど、嫌な感じではなかった。
「やっと、君の声を聞かせてくれたな」
足を止める
振り向いて、おもむろに近づいてくる。
「なあ兄ちゃん達、そいつは大切な級友なんだ。できれば手荒な真似はしたくない。そいつを離してやってはくれないか?」
「ざけんなー!」
一人が白須賀くんに襲いかかる。
繰り出した拳をひょいっとかわして、頭部に回し蹴りを見舞う。
腰を軸にして、その場で体が上下半回転してから地に崩れ落ちるガラの悪い男。
「だから言ったろ。手荒な真似はしたくないって。これで一時間は動けないだろう」
空手みたいに構えるでもなく、ほぼ棒立ちにも関わらずその佇まいにはスキがない。
「な…何しやがった!?」
あたしの腕を掴んでる男が叫ぶ。
「重めの
右手を胸の高さに据え、人差し指でクイクイと挑発する。
「…ナメんな!んのヤロー!!」
もう一人が余裕綽々の白須賀くんに殴りかかる。
と見せかけて、直前に足を振り上げた。
「がはぁっ!!」
けどそれを見抜いていたかのようにかわして、軸足を踏みつけたまま蹴り上げた足を手で強引に真上へ押し上げる。
傍目から見ても不自然なほどに開脚させられた男は、そのまま苦しそうな悲鳴を上げながら後ろへ倒れ込む。
「だから言ったんだ。手荒な真似はしたくないって。股間の筋を痛めただろ?数日もすれば自然に治るから過度な心配はするな。さ、残るは君一人だ」
あたしの腕を掴む男の手が震えだした。
ふと、その力が抜けて手を離した。
「わ…わかったよ。俺だって痛い目見たくねぇ。そいつらを連れて行くから、攻撃するなよ?」
胸の高さで両手のひらを向けて、これ以上近寄るなのサインをする。
「理解してくれて助かるよ」
ニコッと笑顔を向ける白須賀くん。
「早く行ってくれ。じゃないとおちおちそいつらを抱えることもできねぇ」
「それじゃ、行こうか」
あたしは黙ったまま、白須賀くんについていく。
「怖かったろ?」
助けてくれたけど、心が震えっぱなしで首を振って応えることもままならない。
うつむき加減のまま、その後ろをついていく。
屋根がついた大きな通りのアーケードに差し掛かる。
「あっ!明梨っ!」
優愛ちゃんが目の前に出てきた。
「…と、白須賀くん…」
「なんだいその顔は?」
眉をひそめ、嫌悪を含んだ警戒心を隠さない顔を向けていた。
あたしは小走りで優愛ちゃんの側へ行く。
「明梨…あなた!明梨に何をしたのっ!?震えてるわよっ!!まさか…」
震える手でぐいっと優愛ちゃんの腕を掴んで引っ張る。今にも飛びかかりそうだったのを必死に止めた。
「…明梨?どういうこと?」
「変な奴らに絡まれてたのを助けたんだ。お礼の一つくらい言われてもいいくらいだけど、とんだ仇で返されたな」
後ろ頭をカリカリして、面倒くさそうな仕草と声色を出した。
「それほんと?明梨」
こくこくと応える。
フッと優愛ちゃんの警戒心は抜けて
「ごめんなさい、とんだ勘違いをしちゃって…。明梨を助けてくれてありがとう」
と、頭を下げる。
「まあいいや。今日は
「………え?今、なんて…?」
下げた頭をそのままにして言いつつ、頭を上げる。
「声帯不良や言語障害を疑ったけど、そうじゃないらしいな。しっかり声は出るし、発音もしっかりしてる。どんな事情があるのかはおいおい聞かせてもらうとするよ」
「明梨…喋ったの?」
恐る恐る優愛ちゃんの目を見て、小さく頷いた。
「あなた…!」
「君は!」
優愛ちゃんの抗議に、白須賀くんが声をかぶせてきた。
その声に、優愛ちゃんはビクッとしてわずかに引く。
「君は、このままで良いと思っているのか?ずっと喋らないままで、良いと思っているのか?」
言いたいことを抑え込まれた優愛ちゃんは続きの言葉を飲み込む。
「この先もずっと、君が鐘ヶ江さんの側で世話をするというのか?」
そう言われて、黙ってしまった。
「前に、君はまるで保護者のようだと言ったけど、あれは取り消すよ。短い時間で判断した世迷い言だった」
すう、と軽く息を吸い込む。
「君はまるで、介護するヘルパーのようだ」
ハッとしたかのように、目を見開く優愛ちゃん。
少しの間、呆然としていたけど、ギュッと手に力が入って握りこぶしを作る。
「何も知らないあんたに…」
「何も教えられてないからそっちの事情は知りようもない。だからこそ客観的な目で見ることができる。今の君たちはまるで
かぶせてきた白須賀くんの言葉に今度こそ、優愛ちゃんは言葉を失ってしまった。
そして、その言葉はあたしたち二人に重くのしかかった。
「まさかこんな早い時期に都合よく追い詰められる状況が発生するなんてね…」
白須賀は買ってきたシャーペンの芯入れをポケットから出して見つめたままつぶやいた。
「誰かは知らないけど、あの三人には感謝すべきかな…とはいえ俺が通りかからなかったら、鐘ヶ江さんはさらに心を閉ざしたかもしれないな」
手にした芯入れをポケットにしまう。
「仮にこれで今後喋り始めたとして、心のケアもやっていかないと…」
何も言い返すことができず、そのまま白須賀くんとは離れて帰った。
「明梨…わたし、間違ってたのかな…?」
フルフルと横に首を振って否定する。
「さすがにショックだったわ。障碍者と介護者に見えていたなんて…小さい頃から、
肩を落とす優愛ちゃん。
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