第2話:侭母(ままはは)
「
「あっ、わたしもわたしもっ!」
「ずるい!抜け駆け禁止よ!」
今日も教室は白須賀くんへアプローチする女子たちが沸き立っている。
「教えてもいいけど、何かと忙しいから返事が遅くなるかもよ?」
「それでもいいっ!」
キャーキャーと黄色い声が嵐のごとく吹き荒れる。
「それじゃ、ここに書いておくから、一区切りついたら消しておいてね」
と言い、白須賀くんは教壇に立ってアドレスを書く。
@が無くて、IDと書かれている。
Direct(ダイレクト)というメッセージサービスが流行を見せていて、IDを登録することでアプリを通してメッセージを届けることができる。
一斉にホワイトボードに群がる多くの女子。
白須賀くんは自分の席で何やらメモを書いている。
「すごい人気だよね、白須賀くん」
こくんと返事をする。
「でも初めて会った時とだいぶ印象が変わってきたかな。ちょっとチャラいというか、こう…何か物足りない気がするわ」
「鐘ヶ江さん。電話はともかく、メールやメッセージはできるよね?」
白須賀くんは優愛ちゃんとの間に入ってきて、メモを差し出してきた。
「ちょっと!勝手に割り込んでこないでよ!」
その手際は見事でさりげなさすぎて、あたしが体を引く前にポケットへメモが収まっていた。
「
アドレスを控え終わった女子たちが次第に集まってきて、あたしの席周辺は白須賀さん目当ての女子たちがわらわらと人だかりを作り上げる。
キャーキャーともみくちゃになりかけたところで、優愛ちゃんが手を引っ張って教室の外まで連れ出してくれた。
「
尋ねてくる優愛ちゃんに無言でこくん、と返事する。
「まったく…明梨、絶対にメッセージ送っちゃ駄目だよ?多分クラスの女子全員からチヤホヤされたくてあんなことしてるんでしょうね」
こくん
あたしは最初からその気がない。
優愛ちゃんに言われるまでもなく、最初から相手にする気がしない。
お昼の時間になった。
ぞろぞろと学食へ足を運ぶ人波ができてる。
あたしたちも学食へ足を向けた。
カシャ
日替わりAランチを載せたトレーをテーブルに置く。
後ろの方でキャーキャーと騒がしいと思ったら、中心にいるのはやっぱり白須賀くんだった。
「まあ、気持ちはわからないでもないけどね。こうも毎日騒がれてるといい加減うんざりしてくるわ」
小さく頷いて応える。
「鐘ヶ江さん、隣いいかな?」
白須賀くんは日替わりBランチをテーブルに置きながら、あたしの隣に座ってきた。
「だめ。他所行って」
優愛ちゃんが短く代弁してくれる。
あたしの隣に座ろうとする白須賀くんを取り巻く女子たち。
「なんで~?その娘、全然喋らないことで有名だよ?」
「そうなのか(なら絶対に声を聞いてやる…)」
白須賀は返事してすぐ、誰にも聞こえない小さな声でつぶやく。
「そんなつまらない人なんか放っておいて一緒に食べようよ」
「そういう趣味なの?ちょっと意外~」
口々にあたしの悪口を言い始める白須賀さんの取り巻き女子一同。
「なんか放っておけないんだよね。こういうの見ちゃうと」
キラキラした笑顔を向けて言い放つ白須賀くんに、取り巻き女子たちは動揺の気配を放って鼻白む。
どうしていいのかわからず、周囲の女子たちはお互いに顔色を窺っているばかり。
そんな様子を気にも留めず白須賀くんは
「ねえ、鐘ヶ江さんっていつもこうなの?」
と問いかける。
「他所行って、と言ったの聞こえなかったかしら?」
「聞こえてるよ。けど用があるのは鐘ヶ江さんの方なんだ。喋らない娘だけど、吹上さんはずっと一緒にいるから、鐘ヶ江さんのことを知ってるでしょ?だから色々教えてほしいんだ」
「明梨に用があるのはわかったわ」
「じゃあ…」
「でもわたしに話かけるのなら、他所行ってくれない?」
大して興味も無さそうな口調で優愛ちゃんは突き放す。
「そうか、残念だ。けどいずれ君の声も聞かせてね」
話が進まないと判断した白須賀くんは一度は座った席を立つ。
「少なくとも…」
席を立った彼に、真顔で目を細めて言葉を浴びせかける。寒気さえ感じる乾いた冷たい声で。
「わたしはあなたをチヤホヤするつもりはないわ。あと、明梨に近づかないでくれる?」
彼はフッと目を閉じる。
「そうか、そう思われていたんだね。なるほど」
それ以上何も言わず、少し離れた場所に座った途端女子たちが囲むようにワッと座り始める。
そしてキャイキャイと黄色い空気を放ちながら、延々と騒がしくしていたのを横目に見ながらため息をつく。
ドンッ!
ある日のことだった。
同窓生や、知らない顔の女子たちに囲まれて、壁際に追い込まれた。
優愛ちゃんはお手洗いに行ってるちょっとした時間に連れ出されてしまう。
「どういうつもり?」
「白須賀さんの気を引こうと黙ってるんじゃないでしょうね?」
「あんたみたいな根暗が調子に乗ってると痛い目見るよ」
口々に高圧的な言葉を浴びせかけられ、あたしは俯くしかない。
ぐいっと胸ぐらを捕まれ、憎しみのこもった顔を近づけてくる。
フルフルと顔を横に振るけど、何も伝わらないことは分かっている。
「なんだこいつ?」
「小学校の頃からずっとこの調子なのよ」
「よくそれでここまで進学できたよね?」
いつ終わるとも知れない締め付けに、あたしは耐えていた。
「あれ?明梨はどこ?」
優愛ちゃんがお手洗いから戻ってきたら、そこにいるはずの明梨がどこにも見当たらないことに気づく。
「さっき他のクラスだと思うけど、女子たちに連れて行かれたよ?」
男子生徒の一人が、その問いかけに応える。
「どっちに行った!?」
「右の…」
「わかった!ありがとう」
聞き終わるより前に、優愛ちゃんは廊下を駆け出す。
「やれやれ、だな」
このやり取りを、女子たちに囲まれている白須賀は眺めていた。
「何されても誰にも言わない?」
「そう。このとおり一言も喋らないからさ、イジメになってもずっとだんまりだから、結構やられてるんだよね」
「なら」
「こらー!やめなさい!」
優愛ちゃんが駆けつけてきた。
囲んでいる数人をかき分けて、あたしの前に背を向けてかばってくれている。
「来たよ、
「明梨に何してたのよ!?」
眉を逆ハの字にして目の前の女子数人に噛み付く。
その様子はまるで子をかばう親のごとき気迫。
「別にー。この娘の声を聞いたことが無いから聞きたくなっただけで…」
「どういうことか、説明してもらおうか」
わずかに怒りを込めた男の声が、あたしたちを囲んでいる女子数人の背中に突き刺さる。
その女子数人は、後ろからかかった声にビクッと肩を震わせて恐る恐る振り返る。
「白須賀…さん…?」
「鐘ヶ江さんを教室から引っ張り出して、こんなところで何をしていたのかと聞いている」
彼の目線は、まるで研ぎ澄まされた触れただけで切れてしまいそうな刃物に思えるほど鋭い。
「決まってるじゃない。イジメよ」
優愛ちゃんが敵意を剥き出しにして言い放つ。
「そうなのか?」
「そ、そんなわけないじゃない」
女子の一人が白須賀くんの問いかけに応える。
「聞いているのは君じゃない。鐘ヶ江さん、君だ」
ごくり、と女子数人が喉を鳴らす。
あたしは首を振ることなく、その問いかけに応えなかった。
「…本人が否定も肯定もしないなら、これ以上問い詰めようがないな。この場は預かるから、さっさと行ってくれ」
囲んでいた女子数人は黙って教室の方へ向かって姿を消した。
ここにいるのはあたしと優愛ちゃんと白須賀くんの三人。
「どういうつもりよ…?」
「何か不穏な動きがあったからな、様子を見に来た」
「そういうことじゃないわよ…こうなることくらい予想できたでしょ?なんで明梨につきまとうのよ?」
「前にも言ったはずだけど、放っておけないんだ」
あまり感情のこもってない声を漏らす。
「放っておかなかった結果がこれよ…もし明梨に何かあったらどう責任取るつもり?」
「鐘ヶ江さんもこの…」
「あっ!白須賀さーん!」
言いかけた彼を見つけた取り巻き女子の黄色い声が呼び水となったか、怒涛のような女子の波がここに押し寄せてきた。
もみくちゃにされるより早く、優愛ちゃんはあたしの手を引っ張って連れ出してくれた。
「もう、彼の行くところ行くところ毎度女子の津波が起きるわね。ますます近寄らないほうがいいかもしれないわ」
キュ…
つなぐ手に少し力をこめる。
ごめんね、ありがとう。
あたしの意思表示。
優愛ちゃんにだけ通じる、あたしのメッセージ。
「いいわよ、これくらい」
これまでも、こういうことはあった。
けど一切喋らないあたしに愛想を尽かして離れていった。
白須賀くんみたいに興味本位で近づいてくる人も同じ。
優愛ちゃん、ただ一人の例外を除いて。
「今は絡んできてるけど、そのうち興味なくして離れていくわよ。たぶん」
こくん
そのほうが助かる。
あたしに興味を持った人が離れていく時はつらい。
そんな様子を、優愛ちゃんも見てきている。
次第に距離を置かれて、最後に捨てゼリフを吐かれる。
それが絶交宣言のお約束。
あたしだって、望んで一言も喋らないのではない。
喋ろうと思った瞬間に忌まわしい記憶が蘇って、言葉が口から出てこない。
最初の頃は、何かを書いて伝えることすら怖かった。
けど宿題はあったし、書かないわけにはいかない。
恐怖のあまり、その頃はミミズがのたくったような字で見た人からは呆れられたり怒られたりした。
それでもなんとか乗り越えようと、誰にも見せないノートへ字を書く練習から始めたこともある。
そうしているうちに、問われたことを教科書どおりに答えることは抵抗が薄れた。
ミスしない限り、誰に聞いても同じ答えが返ってくることならまだいい。
でも読書感想文や美術など、教科書にないことを表現するのはまだ怖い。
「おはよう鐘ヶ江さん」
「明梨、ちょっと来て」
白須賀くんが声をかけてきたのに合わせたのか、それとも偶然なのか、優愛ちゃんが手を引く。
ジャバジャバ
お手洗いに引っ張り込まれて、二人並んで手を洗っている。
「ねえ明梨、あの人は注意したほうがいいわよ。何か嫌な予感がするわ。何が狙いかは知らないけど」
あたしは何も答えない。意思表示の仕草すらせず。
正直戸惑っている。
白須賀くんの行動には裏がないと思いたい気持ちと、何か裏があるんじゃないかと思う疑いがせめぎ合っている。
そして…また愛想を尽かされて離れていってしまうのではないかという恐怖。
優愛は何も答えない明梨の態度に、そこはかとない不安感を抱くのだった。
次の時間は移動教室。
「行こ、明梨」
声をかけてきた優愛ちゃんの向こうには、もはやいつもの光景となった女子津波が起きていた。
「ねえ、鐘ヶ江さんも一緒に行こうよ」
女子の人垣をかき分けて白須賀くんが声をかけてくる。
「残念でした。先約があります」
優愛ちゃんは、あまり人に見せない澄まし顔であたしの手を引っ張っていく。
かき分けられた女子たちの目線が痛い。
明らかな感情が込められている。
軽蔑。
嫉妬。
侮蔑。
お願いだから、もうあたしに絡まないでよ…。
辛い…。
そんなあたしの気持ちとは裏腹に、相変わらず白須賀くんはあたしに絡んでくる。
移動教室、体育の時間、お昼休み、放課後と何度でも。
絡んできた直後に優愛ちゃんがあたしの手を引いて避難させてくれる。
けれども、そのたびに取り巻いてる女子たちの目線を受けて、いたたまれない気持ちに
どうして放っておいてくれないの?
大体の場合は、一ヶ月もすると愛想を尽かして離れていく。
それまでの我慢…。
けど、離れていく時に辛い思いをする。
いっそ海の底で潜む何かになって、誰とも関わらずに過ごしたい。
「鐘ヶ江さーん!」
相変わらず声をかけてくる。
最初の一週間で熱が冷めて、次第に疎遠というのがこれまでのパターンだけど、白須賀くんは日を追うごとに関わってこようとする熱が高まっているような気がする。
「ちょっと白須賀くん!」
優愛ちゃんが声を荒げて白須賀くんに食ってかかったのは、三週間ほど経ったころのことだった。
「どうした?」
事も無げに聞き返してくる。
「明梨、嫌がってるのがわからないのっ!?」
あたしは優愛ちゃんの影に身を潜めて見ている。
「君を見ていると、まるで鐘ヶ江さんの保護者だね」
「何よっ!何も知らないくせして勝手なこと言わないでっ!」
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