第10話 チョロイン

 この日の帰りはいつもより一時間遅い午後四時半過ぎとなった。

 家に帰宅するなり、玄関へと入った瞬間、リビングからものすごい足音を立てて桜が出迎える。


「お・か・え・り! お兄ちゃん!」

「た、ただいま……」


 何をそんなに怒っているのだろうか?

 眉間にはシワを寄せて、ぷっくりと頬を膨らませている。


「ちょっと話があるんだけどいい!?」

「あ、ああ……」


 桜は俺の腕をさっそく掴むと、リビングの方へと連れていく。

 そしてダイニングテーブルをバンバンと手で叩いてみせる。どうやら座れということらしい。

 俺はさっそくいつも座っている場所に腰を下ろすと、桜も対面の席に座った。


「お兄ちゃん……桜言ったよね?」


 声のトーンが先ほどとは違い、低くなっている。


「い、言ったって……なんのことだ?」

「……今日の昼休み。お兄ちゃんどこで昼ご飯食べてたの……?」


 桜の瞳が完全に光を失っていた。

 俺は全身から噴き出る妙な冷や汗をかきながら、この状況をなんとか回避しようと試みる。


「ど、どこって普通に一人屋上で弁当を食べてただけなんだけど……」

「お兄ちゃん……目がめっちゃ泳いでるけど?」

「そ、そそそそんなわけないだろ? き、きっと桜は疲れてるんだよ……あはははは」


 あ……これ完全に終わったわ。

 桜は席を立つと、ゆっくり俺のところまで近づいてくる。

 俺は恐怖に駆られながらも逃げようかと思ったが、なぜか体が動かないというか、言うことを聞いてくれない。

 やがて桜は俺の背後へと回る。


「や、やや……やめ――」


 次の瞬間、桜の両腕が背後から回され、抱きつくような形になった。

 俺はワケがわからずに一瞬ポカンとしてしまう。


「お兄ちゃんのバカ……。他の女には関わらないでって言ったのに……」


 桜は半泣きだった。

 声を震わせながら、腕をぎゅっと引き締める。


「そんなの無理に決まってるだろ……」

「じゃあ……桜を一番にして!」

「一番って……まぁそれくらいは大事に思ってるよ」

「ほ、ほんと……?」

「ああ、ほんとだ」

「じゃあ……桜のこと一生大事にしてくれる?」

「ああ、当たり前だろ」


 “妹”なんだからな。

 桜は俺の返答を聞いた瞬間、一気に顔がふやけていく。


「もう……仕方ないですね♪ 異性と関わらない人生なんてないし、わかった! お兄ちゃんが桜のことを大事だと思っているのなら許しちゃう♪」


 そう言うと、桜はスキップをしながらリビングを出て行った。

 ――チョロい……。

 お兄ちゃん、いろいろな意味で桜の将来が心配になってきちゃったよ……。

 とにもかくにも桜の束縛が一つなくなっただけでもよしとしよう。うん。

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