短編「実が赤う頃に」

朶稲 晴

【創作小話/実が赤う頃に】

「おまえも駄目だったな。」

 秋吉の肩ほどの高さのオンコの木。葉は禿げ幹も痛々しいほどに細い、ずいぶんみすぼらしいオンコの木。

 今日はこの木を伐りにきた。

「年々こう天気も悪くなりゃァそら木も駄目になるさな。」

 軍手を左手から履き鋸を握る。

「んだらば伐るか」

 その時、かあいらしいころころとした声が、秋吉の耳に入った。

「伐らないで。」

「ん?あァ、おめェオンコか。」

「えぇそうです。」

 今更秋吉はオンコが口を聞いたことに驚かなかった、動揺すらしなかった。

「驚かないのね。」

「まァな。おれの《これ》が似たようなもんでヨォ。」

 小指を立ててニヤリとする秋吉。オンコはあらまあ、とくすくす笑う。

「あなたの恋人が木ならばわかるでしょう?ね。伐らないで。」

「いいや伐る。」

 笑みを浮かべたまま秋吉が言う。それはオンコにとってあまりにも残酷で、理解のできないことだった。

「どうして。」

「どうしてもなにも。《これ》を斬ったのもおれだからァな。」

 左手の小指を、右手の手刀の刃にあたる部分でとんとんとたたく。

「わからないわ。ニンゲンはみんな、恋人を伐るの。」

「みんな斬りたいと思ってるさ。まァそらァおいとけ。おれはおめェを伐る。」

「その鋸で?」

「そうさ。電気は嫌いでね。」

 オンコはまた必死になって秋吉に訴える。

「ねぇ、お願い。伐らないで。来年には、葉もつけるわつやつやした濃い緑の葉を。それで足りないなら赤い実もたくさん。果実酒にできるくらいたんと。それらを養えるだけ太い体になってみせるし、立派になってみせる。だから、どうか。」

「あァ。オンコ。そんなに早く伐ってほしいか。」

 秋吉はオンコの木に鋸を当てた。先程自分の手を反対の手で叩いたように、オンコを鋸で叩く。別に脅そうとしたわけでもなく、深い意味もなかったが、オンコはそれが怖くて怖くて仕方がなかった。

「伐らないで。」

「いいや、伐る。」

「伐らないで、お願い。」

「伐るぞ。」

 鋸を、引く。薄くなった樹皮はがりがりと音を立てて粉を吹いた。あっという間に辺へたどり着き、鋸が重たくなる。

 秋吉の耳をオンコの悲鳴が劈いた。それを聞くと一旦手を止め、呆れてように言った。

「うるせェなァ。おめェ痛みなんか感じないべ。」

「痛い、痛いものは痛いです。」

「そうかい。」

 ぎっこぎっこと手を動かせば、オンコは今度は懇願するのです。

「早く伐ってしまって。」

 秋吉はため息をついた。

「おめェさっき……。」

「わかってます。わかってます。だけどもこんなに痛いのなら、早く解放されたい。傷がついたまま生き延びても、それがひどく痛むのなら死んだ方がマシよ。」

 そうかい、と一言返事をして秋吉は作業を再開する。今度はオンコはただ、じぃっと黙っておった。

 最初に樹皮に刃を当ててから、辺へたどり着き、芯を通って反対側の辺にたどり着き、あと少しで伐り倒すところまできて、オンコが呟いた。

「こんなに安らかな気持ちなら、醜くなる前に伐って欲しかった。」

 と。

 オンコはもうきっと痛みに意識がぼうっとしてまともな思考ではないだろうと秋吉は結論づけ、最後の樹皮を伐った。

 倒れゆくオンコを見て、秋吉はそういえばと思い出すのでした。


 ああ、俺の愛した女も最後は、早く殺してくれと言っていたなと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編「実が赤う頃に」 朶稲 晴 @Kahamame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ