3 アルティマの海(Ⅰ)

 ロウギ・セトは、人工知能アルティマの膨大な記録の海に沈み、意識を無くして夢間を漂っていた。


 意識が無いため、彼は自分の存在を認知は出来ない。無意識の意識体は、深海を漂う海藻のように、ゆらゆらと流されながら、次第に深淵へと沈んでいった。


 何かが彼の無意識の意識体をかすめていき、ロウギ・セトの無意識は、微かに浮上した。

 ロウギ・セトの意識体は、少しだけ目を開いた。

 彼の意識を掠め、目を開かせたものは、薄青色の線条のある細長くしなやかな銀白色の体に、たてがみのような鮮紅色のヒレを持った、この上なく優美な生き物のように見えた。

 ロウギ・セトは思った。この生き物には初めて会う。けれど、記憶なのか記録なのかどこかで知っている気がする。

 “リュウグウノツカイ”という名が、ふと、ロウギ・セトの覚め切らない意識に浮かぶ。

 リュウグウノツカイに導かれ、ロウギ・セトは、アルティマの海をさらに深淵へと泳いでいった。


 遥か前方に、微かな光が射していた。

 リュウグウノツカイは、目的を果たしたかのように姿を消し、ロウギ・セトの意識体は、その光に吸い寄せられていった。

 眩しさに目が眩み、視界が銀白一色となり、気を失いそうになる。

 閉じた目の暗闇の中で、意識は渦に巻き込まれたように回転し、ロウギ・セトは再び自分を見失う。


 再び目を開けると、彼は、宇宙船のブリッジに立っていた。

 他に二人いる。船長のムナカタと、副長のタニアだ。


「パメラの乗員名簿にリース・イルリヤの名前は無かった。7つの人工冬眠カプセルのうち、No.07は予備だったはずなんです。リース・イルリヤ、貴方は一体誰なんですか」

 副長タニアの言葉に、彼は驚きを禁じ得ない。


 パメラとは、この宇宙移民船ホープ号の中枢頭脳である並列自動管理電子推論分析機=Parallel Automatic Managing Electronic Reasoning Analyzer の略号PAMERAのことだ。船の動力制御はもちろん、操縦からデータの採取・分析まであらゆることを一手に掌握し、ホープ号は、言わば彼女のボディと言ってよかった。ボイスシンセサイザーは女性の声に調整され、音声による対話も可能である。簡単に言えば、パメラはこの宇宙船の人工知能である。


 リース・イルリヤが驚いた理由、それは、PAMERAの乗員名簿に自分の名前があることを、数時間前に確認したばかりだったからだった。

 数時間のうちにPAMERAの記録あるいは記憶が改ざんされたとするなら、PAMERA自身が行ったとしか考えられない。それとも、リース・イルリヤがPAMERAのデータを書き換えた時には既に、この時点でリカバリーがなされるよう何者かが手を加えていたのか。

 しかし、リカバリーではありえない。リカバリーであれば、航宙記録、航宙図などの消えてしまったデータが復元されるはずだが、それらは消えたままだった。


「リース・イルリヤ、答えてください。貴方は誰なんですか」

 副長タニアは、追及をやめない。

「誰かって、ホープ号の操縦士以外の誰だと言うんです? パメラは重要なデータが幾つも消えているのですから、僕の名前が無いのもそのせいでしょう」

「他の6名、ムナカタ、ゲイン、ホブス、ラジーブ、ナジュマ、そして私タニアの名前は残っていて、貴方の名前だけが消えたと?」

「僕は人工知能の専門家ではないので、その辺は分かりませんよ」

 副長タニアの表情から不信の色は消えない。

 船長ムナカタは困惑し、考えているようだった。

 今の危機的状況、すなわち、タウ・ケティを目指していたはずの移民船ホープ号が、全く未知の星域に到達してしまっているという事態から抜け出す為には、何が正しい選択なのか。タニアの追及を後押しし、リース・イルリヤを糾弾すべきなのか、それとも、一旦保留にし、乗員7名全員で解決に向けて協力するべきなのか。タニアがリース・イルリヤを追求するのは、この危機的状況がリース・イルリヤの仕業ではないかと疑っているからだ。もしそうであるなら、リース・イルリヤを放置はできない。ムナカタは、そのような考えを巡らせているのだろう。


 リース・イルリヤは心の内で思った。このままこの宇宙船ホープ号に留まる意味は無いだろうと。

 彼が行うはずだった妨害工作、いや、それ以上のことが既に何者かによって実行されている。たとえ李月花リー・ユエファの潜在記憶をPAMERAにコピーできたとしても、ホープ号がタウ・ケティに到達することは不可能だ。何者の仕業かは気になるが、もはやリース・イルリヤには何もすることが無い。彼は、乗員になりすました以外には、不本意ながら何も実行していないし、他に出来る事と言えば、一刻も早く脱出し、帰還することのみである。


「今は、全員で難局を乗り越えるべき時です。僕は第三惑星の調査に行ってきますよ。パメラのデータが修復できなかった場合に備えて、着陸候補地の映像撮影と、大気や岩石のサンプル採取も必要でしょう。パメラが調整中で無人探査機が使えない今は、有人探査艇を使うしかないですから」

 リース・イルリヤは、この場において最も適切であろう返答をした。


 レーダーによる解析では、第三惑星の赤道直径は約6,787キロメートル。大気は殆ど無いに等しく、表面温度は平均摂氏マイナス60度、極地は水の氷とドライアイスに閉ざされ、地下深くにも水の氷が存在するらしかったが、昼に温度が零度内外になることもある赤道付近でも、気圧が低い為に氷はそのまま気化して宇宙空間に逃げてしまい、液体の水は存在しないと思われた。酸化第二鉄を含む赤茶けた砂と岩石の荒野がどこまでも続く、不毛の寂しい惑星。それ以上のことは、無人探査機を送るか、実際に乗員を送って調査するか、もっと詳しい調査が必要なのだった。


 第三惑星の調査に向かうというリース・イルリヤの言葉に、船長ムナカタは重い表情で頷いた。



 リース・イルリヤは有人探査艇に搭乗し、第三惑星に向けて出発すると、探査艇のモニター通信に、ホブスの声が聞こえてきた。

「おい、旧友、一人で大丈夫なのか?」

 小さなモニター画面のホブスは、明るい笑顔で呼び掛けてきた。旧友を励まそうという彼なりの気遣いなのだろう。

「ああ、問題ない」とリース・イルリヤは応える。

「着陸は気を付けろよ。まあ、怪獣とか幽霊とかはいなさそうだが、未知の惑星だ。何があるか分からないからな」

「ああ、そうだな」とリース・イルリヤは返事する。

 ふと、リース・イルリヤの脳裏にPAMERAに繋がれた李月花リー・ユエファの姿が浮かんだ。彼女はどうなるだろうか。

「例の李月花の方はどうなんだ。何とかなりそうなのか?」

「ゲインとナジュマが頑張ってる。なんとかなるだろう」とホブスは答えた。

 李月花は、今、“蜂の巣”と呼ばれている移民用の人工冬眠槽から実験室に移され、半覚醒状態でPAMERAに繋げられている。機器類が原因不明の制御不能となり、彼女もPAMERAもこの先どうなるか分からない状態だ。見知らぬ他人のはずの彼女の横顔が、リース・イルリヤの胸に何かを呼び起こすような気がした。水底から微細な気泡が音もなく浮上するほどの何か。あまりにも微細なそれは、弾けることもなく消えた。


「こっちの心配はいいから、お前はお前の仕事を上手くやれよ。そして、無事に戻れ」

 人の良いホブス。彼は、リース・イルリヤが、数年ぶりに再会した旧友だと信じて疑わず、心からリース・イルリヤを心配している。

「了解」

 リース・イルリヤは、冷静な声で答え、探査艇をさらに加速させた。



 やがて、第三惑星が間近に迫る。減速し、衛星軌道上から、軟着陸態勢に入らなければならない。しかし、リース・イルリヤは、探査艇を減速させるどころか、更に加速させた。


「おい、リース、何やってんだ。惑星に激突するつもりか」

 モニター通信の向こうで、ホブスが声を上げた。

 リース・イルリヤは応えない。

「リース、おい、リース、気でも狂ったのか」

 ホブスがわめいていた。

「もしかして、自殺でもする気なの!」

 そう叫んだのは、副長のタニアだった。

「リース、引き返せ。事情は帰還後に聞く。とにかく死ぬな」

 船長ムナカタの叫び。


 リース・イルリヤには、彼らに答えるべき理由も説明すべき事情もない。

 リースは、操縦桿を握る手に力を込めた。その指先から銀色の輝きが放出され、エンジンへと吸収されていく。探査艇に空間跳躍エンジンは搭載されていないが、リースは、自身の持つ機能を使って、惑星メイザへ帰還するつもりなのだった。少し遠いが、可能なはずだ。


「ホブス! トラクター・ビームを使え! 他に方法は無い! 急げ!」

「了解!!」

 モニター通信越しに、船長ムナカタとホブスの声が聞こえてくる。

 リース・イルリヤは、モニター通信のスイッチを切った。

 

 移民船ホープ号から、リース・イルリヤの乗る探査艇に向けて、一条の光線が発射された。しかし、それは、トラクター・ビームではなく、隕石破壊用のレーザー・ビームだった。故意なのか、事故なのか、あるいは、仕組まれたことだったのか。

 リースの指先から放出された光が探査艇のエンジンに作用したと思った時、ホープ号から放たれたレーザー・ビームが探査艇に命中した。



 探査艇内部を包むまばゆい光と、衝撃波に揺れ動く船内の残像、それがリース・イルリヤが最期に見たものだった。 

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