第4話 呼び捨てとか難易度高いぞ

 それから、どれくらいの間、私達は抱き合っていたのだろうか。

 もしかしたら、思ったよりも短い時間だったのだろうか。


「いつまでこうしている気だ?」


 思っていた以上に低い声が出てしまい、自分でも驚く。

 別にアンドレアスに抱き締められているのが嫌だから、低くなったのではない。

 こういうことに不慣れ過ぎて、変な声になってしまっただけなのだ。

 不機嫌という訳ではないのにそう思われてしまったら、どうしようと考え出すと不安になってくる。


「あの……はもう、おかしいか。メルツェーデス様と呼ぶのもおかしいな」

「お、お前と二人きりの時なら、メリーちゃんって呼んでも構わないぞ」


 不安のせいか、メリーちゃんと呼べなどと我ながら、恐ろしいことを言ってしまう。

 言った本人が恥ずかしすぎて、顔が真っ赤になっているのを見られたくないんで奴の胸に顔を埋めて、誤魔化しているくらいなんだ。


「そ、それはさすがに高難度すぎですよ。じゃあ、メル様では?」

「……様はいらない。メルって、呼んで欲しい」


 上目遣いで奴を見ると奴もこちらを見つめていて、お互いに無言で顔を赤くしながら見つめ合うとか、何の罰ゲームなのだ。

 これはいかんと思うのですよ、騎士として。

 いや、もう騎士じゃないけど。


「メル……はもう冒険者登録したんですか? くそっ、呼び捨てとか難易度高いぞ」


 ん?

 何か、奴が悔しがっているようだが私のことを呼び捨て出来ないとか、やっぱりかわいいところ、あるではないか。


「うむ。メリーで登録した。問題ないだろう?」

「冒険者は治外法権なところありますからね。問題はないと思いますよ。でも、メルはいいんですか? メリーって、気軽に呼ばれて」

「気軽に呼ばれるのはちょっと困るな……お前に呼ばれるのは構わないが」

「それはちょっと、え? 本気ですか? おいおい」


 お前、心の声がたまに漏れてないか?

 素直なところが残っているだけといえば、聞こえはいいが私の前以外ではやめて欲しいな。

 そういう無防備な姿は私の前だけ、二人きりの時にして欲しい。


「おうふ、そうでした。メル、俺まだ、登録してませんでした」

「お前は何で変なところが抜けてるんだ!」


 私は踵を返し、奴の手を強引に握って、冒険者ギルドへと行くことにした。

 黙ってついてきてくれているがたまに不穏なことを口走っている気がする。

 『そのワンピース丈短すぎですよね? 俺以外に見られるの許せないな』って、何だ?

 エルフで可憐な姫君といえば、こんな感じとイメージしたのがペールミントのワンピースだったのだが。

 見られても特にまずいことはないと思う。

 何がいけないって言うんだろ。

 良く分からない奴だ。


「さっさと登録を済ませてくるといい」

「はい、メルも大人しくしててくださいね」


 何だ、それは?

 私が少し、目を離すと危ないことしかしない者のような言われようではないか。

 おかしい。

 そんな暴れた記憶はない。

 男装して騎士として、生きていたとはいえ王女でもある私がお膝元で暴れたりしたら、何を言われるか分かったものではないのだ。

 しかし、そう言われると大人しく、待たざるを得ない。

 惚れた者の弱みというものだろう。

 暫く、壁の花と化しているうちに受付から、アンドレアスが戻ってきた。


「それでこれから、どうしますか? 今日はもう宿の方で休みます?それとも」

「ダンジョンとやらの下見をしに行く、か?」

「ご名答。さすがはメル」

「茶化すな。お前……というのも変だな。何と呼べばいい?」


 あなたは早い。

 うん、早すぎる。結婚している訳ではない、ましてや付き合っている訳でもないのだ。

 そう、単なる運命共同体というものに違いない。そうしよう。


「アンドレで構いませんよ」

「アンドレ……それ、大丈夫なのか?」

「何がです?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ」


 気にしたら、負けだ。

 気にするな、自分。

 ここは日本じゃないんだ。

 私はもうこの世界でメルツェーデスとして、生きているんだから。

 何を気にすることがあろうか。


「ア、アンドレ?」

「何で声が上ずってるんですか」

「男性を愛称で呼んだことないから、緊張するのだ」

「俺が初めてって訳ですね。何、それ初心すぎてかわいいんだが」


 何か、アンドレの奴、聞こえてないと思って小声で不穏なことばかり、言っている気がするんだが。

 まぁ、貶されている訳ではないから、いいとしよう。

 ちょっと恥ずかしくて、顔が赤くなるだけのことだ。


「では行こうか、アンドレ。ダンジョンとやらに」

「お供しますとも、我が姫」


 エスコートしてくれるとか気が利きすぎて、辛い。

 本当に姫みたいに扱ってくれるなんて、思っていなかったから、嬉しい。

 もう夢叶ったんじゃないか、私。


「ん? そういえば、アンドレ。私、まともな武器持ってきていないぞ」

「そんなことだろうと思っていましたよ。まあ、あなたが武器持って遠出しようとしたら、間違いなく止められていたでしょうね」

「ぐぅ、そうだろうな。だから、持ってこなかったんだ。どうしようか。多少の路銀くらいはあるが足りるものかな」

「メル、俺がそんな備えがないとでも?」

「そうなのか? お前はそういえば、昔から用意周到な奴だったな」


 私とアンドレはギルドを出るとまず、アンドレの宿に向かうことにした。

 そこで荷物を受け取り、アンドレの宿も私が定宿とした『暁の雄鶏亭』になったのだが……。


「アンドレ、それでどうして、お前と同じ部屋なのだ」

「そりゃ、あなたが一人だと心配になるからですよ」


 こ、こいつ、真顔でそんな気障な台詞を言うなんて。

 そんな子に育てた覚えはないぞ。

 だがその気持ちは嬉しいから、同室までは許してやるとしよう。


「そ、そういうことなら、仕方がない。だがベッドは別だぞ?」

「姫の仰せのままに」


 気障な台詞とともに腰を落として、礼を取るそのポーズが様になっているのだ。

 無駄に顔がいいからな、アンドレの奴。


「よしっ、では俺はこの武器を使いますんでメルはこれでどうでしょう」


 アンドレは自分の身の丈以上はあろうかという大きな両手持ちの斧を軽々と持つと私に二振りのソードを手渡した。

 片方はブロードソードでもう片方はちょっと刀身の短いショートソードだ。

 両方とも刀身に魔法の文字が刻んであるので何らかのマジックソードなんだろう。


「こんないい剣をいいのか?」


 右手にブロードソードを左手にショートソードを構え、軽く素振りをしてみるとその質の高さに驚かされる。

 まるで以前から使っていたかのように手に馴染むし、何より持っているのをほとんど感じないほど軽いのだ。


「気にしないでください。メルが喜んでくれたら、それでチャラですから」


 ニッと微笑みかけてくるアンドレに心臓が痛い。

 あぁ、尊すぎるんだが。

 いいのかな、逃げだしておいてこんなに幸せなんて。


 もしかして、全て夢でした、なんてないだろうか。

 それともダンジョンに入ったら、後ろからバッサリと斬られるなんてことは……。


「何、怖い顔してるんですか。早く行きましょう。夕食までに戻れなくなりますよ」


 そう言って、アンドレはにこやかな笑顔とともにエスコートしようと手を差し伸ばしてくれる。

 私は変な考えを頭の片隅にやることにして、その手を迷うことなく取る。

 私が選んだ未来は間違えてないと信じて。

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