第3話 運命の恋
美穂は女になってしまった。
焦らす蓮にせがんで急かし、自分を貪ってほしいと懇願して。
土間にへたりこみ、踊り場の床を抱くように仰向けになって片腕を伸ばし、その上に自分の頭を乗せている。蓮に用意した筈のブランケットは、美穂の素肌を覆う帳となった。蓮は、ブランケットを美穂にかけてあげる際、彼女の履いていた白い靴下に擦れたような血の跡がついているのを見止め、廊下の、彼女が着ていた洗濯物の集まっている場所をめがけて放った。
蓮は、美穂の髪を撫でる手を止めた。
「美穂…今、どんな気持ち?」
蓮の質問の意味が解らなかった。
『愛してる』とか『好きだよ』って言葉は期待してしない。『痛くなかった?』とか『大丈夫?』と気遣って言ってくれるなら、ちょっと、嬉しいかもしれない。そんな事を聞くのはデリカシーが無い、と思うが、『どうだった?』とか『気持ち良かった?』とかと聞かれるのなら解る。
だが、今の気持ちを尋ねられるとは思わなかった。
正直に言えば、玄関先でロストヴァージンする事になるとは思わなかった、だが、なんとなく、蓮が聞きたい事はそうでない気がしたし、相手が高橋君で嬉しい、というのも、なんか違う気がした。
「…えっと…ちょっと、疲れちゃった…かな。…痺れちゃって、よく解んない」
「……んっと…そうじゃなくって、さ」
蓮の歯切れが悪い。美穂の頭から手を離し、自分の口元を引っ掻く。それから、少し、考え込んだかと思ったら、今度は、単刀直入に聞いてきた。
「親友の彼氏を寝取った気持ちが知りたいんだ」
茶化すようでもなく、どことなく真剣な、それでいて見下げるような目を蓮は、美穂に向けた。
(えっ?)
「田畑さんと柚希って中学からの親友なんだよね。柚希が言ってたよ。田畑さん、高校に入ったらすぐバイト、始めたんだって? 『折角、同じ高校に入ったのに、寂しい』って。僕の事も『ちゃんと紹介して、一緒に遊びたい』んだってさ…とにかく、一番の親友なんだって。そんな風に言ってくれる親友を裏切って、今、どんな気持ちなの? …それとも、田畑さんは、柚希を親友とは思ってなかったのかな?」
蓮が、鼻で笑う。
「もしそうなら、柚希が可哀想だね」
息が詰まる。
『そんな事無い! 私だって柚希が好き! 柚希は親友だもの!』
美穂は、そう叫びたかった。しかし、蓮の言葉を聞きながら、自分は、そう叫ぶ資格を失ったのだ、と、気づいた。
「ああ、月曜日が楽しみだね。田畑さんは、どんな顔して柚希に会うのかな? 親友の振りを続けるのか、懺悔するのか…どっちだろう。ああ、もう。想像するだけでゾクゾクする」
蓮は、心の底から楽しんでいるように身震いした。
「そうそう。僕の口から柚希にバラす事はしないから安心して。あ、でも、もし柚希が問い詰めてきたら、正直にあった事を言うよ。僕は君の望みを叶えただけだから、ね」
言外で『責任を取れなんて言えないよね』と言っていた。
美穂は、こんな酷い事を口にする蓮を知らなかった。
しかし、この蓮を知ってしまっては、もう、それまでの蓮には、物足りなさすら感じるほど惹かれている自分にも驚いていた。
「……答えてくれないなら、ま、いっか」
立ち上がった蓮は振り返り、ティーカップに手を伸ばして、底に残った僅かな液体を皮ごと流し込んだ。そして、もう、自分を見ていない美穂に、
「ああ。そうだ。……一つ、いいことを教えてあげる。僕は、柚希は抱かないよ。家族なんかに紹介されて、抱けるわけが無いよね」
と、言い残して帰っていった。
美穂は自分が、柚子茶の皮になっていくのを感じた。
蓮によって引き千切られた理性や身体という皮は、美穂が内包しながらも知らなかった、いやらしく醜い貪欲な欲望そのものである柚子の果汁や蜂蜜の中に放り込まれ、今、柚希との無垢で明るい太陽の下の走馬灯の思い出を燃料とした業火で煮立ち、毛穴の一つ一つ、その隅々まで沁み込むように煮詰められ、もう、息も出来ない。
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