15.何もしないという事

 湖のそばで衣類を洗っていたシキとエリーゼ。オームギに囚われた現状をどうするかと聞かれ、シキは何もしないと答えた。だが、シキの考えに反して、エリーゼは彼の言葉に怒りを覚えていた。


「私は、こんなところで留まってなどいられないのですよ」


 怒りに震えるエリーゼを見て、シキはハッと驚く。


 ただ何も言わずついて来るネオンと違い、エリーゼはハッキリと己の目的を掲げていたのだ。この世界に眠る記憶を探したいシキ達と、この世界に消えた兄を探すエリーゼ。


 その道は近けれど、目的地は全くの別。そんな彼女が、共に旅をすると言った理由。いつの間にか同じ道を歩いていたと思っていたが、それは過程の話に過ぎない。


 奇しくもそれは今のシキとオームギの関係性。共通の目的のための協力に、他ならなかった。


 だからこそ、真意の分からないシキの言葉はエリーゼには伝わっていなかった。その事実に気づいたシキは狼狽えつつも、何をもって何もしないと伝えたか言葉の意味を明確にエリーゼへと伝える。


「すまない、何もしないでは分からないな。私の考えを話そう」


 シキは一息置くと、洗い終えたケープを今一度身にまとい、改めて気を引き締める。


「私の考えとしては、私達からは何もせず、オームギの答えに賭けてみたい」


「……? やはり、それはつまり彼女に殺されるという意味ではないのですか?」


「結果の一つとしてはあり得る。だが、私が見るに奴には殺意など、最初から持っていないように思えたのだ」


「それはおかしいです。だって、何度も襲い掛かったり、勝手な事をしたら殺すと言っていたではないですか」


「では何故、私達はまだ生きている?」


「それは、ネオンさんの力を使いコアを探したかったから……」


「ならばあいつだけ生かせばいいだろう。ネオンの能力も短剣の効果も知った今、それでも私達は生きている。つまり、オームギは私達を殺せない理由があるか、別に殺す必要など最初から無かった。そうは思わないか」


 脅しの言葉も、力の主張も、最初からシキ達を誘導するための行動だとしたら。賢人の術中にハマり、意のままに怯え、思惑のままに従っていた。ただそれだけの結果だとしたら。


 何より、シキはオームギのある行動が気になって、仕方がなかったのだ。


「エリーゼ。お前はあのエルフの生き残りに対し、どんな印象を持っている?」


「どんなって、おおよそ常人には敵わないような力と能力を持った、警戒すべき相手。ですよ」


「そうではない。コアを探し、魔物を狩っていた時、お前は奴に何と言っていた?」


「えっと……。色々と事情を話すのでお喋りな人だと、そう言いました」


「そう、奴はお喋りなのだ。自身の存在を消し去りたいと言っているクセに、奴は自分から色々と喋っている。そこへ勝算はあると、私は踏んでいる」


 実力で敵わない相手にお喋りで勝つとは何事か。それ以前に何故彼女はベラベラと喋るのか。

 ただお喋りだから。だから私達は安全だなんて、絵空事のような性善説を唱えるシキの主張はエリーゼには理解し難い考えであった。


「喋るのはシキさんの渡した短剣があるからでしょう。その効力を使えば、いくら喋ろうが私達の記憶から消し去る事が出来ます。お喋りだからといって勝算に繋がるとは思えません。それこそ、私達は泳がされているだけではないですか」


「確かに記憶は消せば問題ないだろう。だが、それでもわざわざ喋る必要などどこにもない。淡々とコア探しを行えばそれで良いはずなのだ」


 もっともらしい迫力に押され、エリーゼは彼の言葉を聞き入れようとした。しかしそれでは今までと何も変わらないと、あえて強い口調で抗議をする。


「だから言っているではないですか。最終的に消すから問題はない。記憶を消すと言いつつ本当は命を奪うかもしれない。彼女の口車に乗せられて、信頼しても良いと思わされているかも知れないのですよ!? だから、そこに勝算なんて無いと何度言えば……!」


 エリーゼの苛立ちを受け入れるも、それでも首を横に振るシキ。納得のいかない彼女に対し、シキはただ一言だけ口にした。


「本気で消え去りたいなど、オームギは考えていない。そんな気がするのだ」


「……なにを」


 物事の始まりから覆す、思ってもいなかった言葉。百年以上かけ存在を消していたエルフ族の生き残りの人生すら否定しかねない、独善的で独断的な考え。


 一歩間違えば全てを失いかねない決断を、目の前の男は最初からしていたというのだ。


「結局考えてみれば、至極単純な話だ。この世界から存在を消し去りたいというのは、要するに己の命を守るためだ。そのためにコアを探し、エルフの痕跡を集め、一族に関する記憶を消そうとする。全ての理由はそこからではないか」


「…………でも、だったら。そうだとして、命を守るためには私達は不要な存在。いや、それどころか邪魔な存在なのですよ? そんな人達を、生かしておくなんて考えられません……!」


「かもしれない。エリーゼの言っている事の方が現実的だ。だが、最初から挑むも逃げるも敵わないのだ。ならば取る選択は一つ。私達は何もせず、見逃してもらう他にない」


 信じた男から返って来たのは、敵に見逃してもらうという情けない一言であった。盗賊や異国の侵略者と戦った力強さも勇敢さも無く、ただ嵐が去るのを待つ。


 エリーゼの顔が曇る。


 選んだ道は間違っていたのか。エリーゼは己を悔いようとした。しかし、そんな彼女の考えを否定するように、シキは信念を持った言葉を口にした。


「楽しそうに、見えたんだ」


「楽し、そう……?」


「ああ。奴は私達と話す時、とても楽しそうに知識を披露していた。確かに口調や表情は険しかったかもしれない。だが、その情報を私達へ伝わるように、私達が理解出来るように。自身の言葉を聞いてもらうその姿に、敵意があるようには思えなかった」


「なんですか。それ……」


「本当に、何なのだろうな。私はただ、奴の姿が寂しそうに見えた。だから、私達という聞き手が現れて、得意気に話をする様子を見て。彼女が本気で消え去りたいと、考えているようには見えなかったのだ」


 そこまで聞いてやっと。エリーゼはシキの思惑が理解出来た。困っていると見れば手を差し出し、間違っていると思えば立ちはだかる。


 彼の考えはいつだって変わっていない。ただ、自分のやりたい事を貫く。いつの日かに見た、異国の侵略者と戦っていたあの時のように。だから今回は、エルフの生き残りである彼女を信じようとしていたのだ。


「何を言い出すかと思えば……。それは何もしないなんて、言わないのですよ」


「……? 何もしてないではないか。私はただ、奴の考えを受け入れようと……」


「だからそれは、何もしないとは言わないのです」


 不器用な男だと、エリーゼは思った。でも、だからこそ彼らと共に旅をしたいと。兄の手がかりに出会った時、エリーゼはそう感じたのだった。


 だからエリーゼは、彼の力になりたいと考えるのであった。



「それは、オームギさんを信じるって言うのですよ。シキさん」



 そのために、不器用な仲間のために。エリーゼは自分に出来る事を全力でやろうと、改めて決意をした。


 エリーゼの言葉は幻想的な水面へ反響し、オアシスの彼方へと消えて行く。白い魔女によって育てられた果実や植物は、変わらず今宵も実っている。


 しかし少女の抱いた敵意は、不器用な男の言葉によって変えられたのであった。

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