16.虚無に燃える紫の炎
「ただの洞穴……ッスかね……」
「いいえ。僅かにですが、妙なエーテルの痕跡を感じます。きっとここで何かが行われていたのは明白でしょう。でもそれはいったい何なのか……」
「それはいいが本当にこのまま進むのか? 私の種火程度の炎で見えるものなど、たかが知れているのではないか……?」
両手に消えそうなロウソクほどの炎を灯した男を先頭に、氷の使い手と猫使いの盗賊の一人、そしてデブ猫を抱えた無口少女が列を成していた。
それぞれコツコツとばらついた足音を立て進んで行くと、ふと違和感を覚える。
「……この洞穴、どこまで続く気だ。一向に何も現れないではないか。そもそもここ数十分、同じ場所をずっと回り続けていないか?」
洞窟や洞穴の類にしては奥が深過ぎる。もしどこかへと続いているなら変化という変化が無さ過ぎる。
シキの脳裏に、ある本の一説が浮かび上がった。
「エーテルとは、認識する事でその存在を知る事が出来る。だったな。つまり、私達は入口には入れてもその先を知らないために、この場から先へは進めないのではないか?」
えぇ!? と驚いたのはミルカだ。彼女の声にびっくりしたのか、ネオンの抱えていたチャタローは彼女の頭上へと逃げ込んでいた。
「それはまずいッス! ウチらアジト待機を無視してここに来てるんスよ? このまま帰りが遅くなったら、いやそもそも帰れなくなったらアネさん怒るだけじゃ絶対済まないッスよ~!?」
あくまで下っ端根性と格闘する盗賊団の一人とは裏腹に、氷の使い手はより鋭く鋭利な感情を作り出していた。
「そんな事、今はどうだっていいです。それよりもこの妙なエーテルの出どころを……兄さんへと繋がる手がかりを必ず見つけ出すんですよ……!」
ほんの僅かに残った兄の痕跡に、少女はこれまでの中で一番の真剣さを見せていた。
真っ暗でじめっとした何も見えないこの洞穴で、少女は一人集中し、息を抑え、僅かな揺らぎとモヤの出どころを探っていた。
そして。
「ッ……そこです!
凍てついた洞穴の冷気を一点へと集中させ、精製された鋭利な槍は何もない壁の一部を貫いた。
しかし、それでも変化は何一つとして起きなかった。無常にも何もない壁へとぶつかった氷の槍は、音を立て地面を虚しく転がっていく。
「そんな……。絶対にそこだと思ったのに……」
確信よりももっと強い、そうであってほしいという思いは空虚に散った。
振り出しに戻された少女は、力なくその場にしゃがみ込んでしまった。
「もう、全く。どこに行ったんですか。そろそろ帰って来たっていいじゃないですか。お父さんもお母さんもずっと探しているんですよ。あなたが帰って来ないと二人だって帰って来れないじゃあないですか……。ねぇ、兄さんってば……」
ひたすらに溢れるだけの冷気にそそのかされ、少女は泣き崩れる。綺麗な黒髪を乱して。事情も分からないまま、それでも背中を擦ってくれた盗賊団の女の子に抱き着いて。
シキはただ見ている事しか出来なかった。初めから失っていた男には、失われた者の気持ちを完全に理解する事など出来なかった。
何もなければ、空虚を抱えたままこの先の未来も生きていけたのに。シキとネオンが現れて僅かな期待を与えてしまったばかりに、彼女は必要以上の悲しみを背負ってしまったのだ。
彼らが現れなければ妙なエーテルなど発生せず、消えた兄の痕跡など現れる事も無かった。彼女の前に二人が現れなければ、この世界に眠っている存在に気づく事も無かった。
シキとネオンが現れなければ……。
「……!! ネオン、そこの壁に触れてみろ。今すぐに!!」
シキはギラリと視線を壁へ戻す。
泣き崩れた少女から、傷一つなく崩れる事もないただの壁に。
「えっ……?」
男の声を聞いた少女は、背中をさする盗賊とともに思わずその先を見据えた。
「…………」
ネオンは片手を上げる。その華奢な腕を伸ばし、その威圧的にそびえ立つ壁へと指先を添える。そして、答えを手繰り寄せる。
扉は、開かれた。
何もない壁は音を立てて崩れ落ち、当たり前にあった壁は空洞を生み出し、その先の空間を示した。
「部屋が……隠されていた?」
エリーゼが立ち上がった。
ミルカの支えも半ばに、吸い込まれるようにその現れた空間へと足を運んだ。しかし、そこには何もなかった。
ただ岩で出来た壁に覆われただけの無機質な空間。それがこの隠されし部屋であった。
ただ一つ、異質なものを除けば。
「紫の……炎……?」
エリーゼを追って部屋に入ったシキは、その呆然と燃え上がる炎に目を奪われた。
何もない空間の中央には、紫の炎が燃え盛っていたのだ。
それはモヤっとした揺らぎのような、不安と喪失感を感じさせる不快な炎であった。
「このエーテルは……!!」
エリーゼには覚えがあった。いや、覚えがあった程度では済まない。シキとネオンが現れてから感じた。それよりももっと前に感じた。
そうそれは、兄が消え去った時に感じたエーテルであった。
「兄さんを……!! アイン兄さんをどこにやったのですか……!!」
不気味に燃え続ける紫の炎へと語り掛ける。
炎が返事などするものか。そのような当たり前さえ無視してエリーゼは確信を持って問いかけた。
「……ネズミが数匹、迷い込んだみたいだな」
紫の炎は、言葉を吐いた。
それは兄を失った少女への返事ではない。害獣を見つけたと言わんばかりの、うんざりとした呆れた言葉であった。
「そこに誰かいるのか!? 姿を現せ卑怯者め!!」
怒りに任せシキも叫ぶ。エリーゼの気持ちを愚弄する誰かがそこにいる。それだけでシキが赤い炎を纏うには十分だった。
「卑怯だと? ンッフッフ、聞いたかい兄上。他人の住処へ勝手に入って来たネズミ風情が、卑怯と口にしたぞ」
「ここはお前達が来てよい場所ではない。全てを忘れ立ち去ってもらおうか」
紫の炎からは、二人の男の声が聞こえてきた。
一人は傲慢を具現化したような態度の悪い男に、もう一人は兄上と呼ばれるおそらく紫の炎の先を統べる者の声だ。
「その前に応えろ! お前達がエリーゼの兄を連れ去ったのか!?」
シキは紫の炎に向かって叫ぶ。しかし、炎からは見下すような言葉が返ってくるのみであった。
「兄ぃ……? 誰だよそれは。そもそもそこのガキすら知らねぇっての」
「……これ以上相手をする必要はない。悪いが消えてもらおう」
空気が変わる。
次が、来る。
「姿を現せ、
破裂音と肉が千切れるような不気味な音がこだました。
「ヴゥゥゥゥ……」
同時、声を放っていた紫の炎は十数の炎の塊に分かれ、シキ達へと襲い掛かって来た。
「ひぃぃ!? なんなんスかあれ!?」
気味の悪い鳴き声を放つ炎に、ミルカは狼狽え怯え上がる。
「焦っている場合か! 逃げるぞミルカ、一刻も早く!!」
だがここで怯えていては行く先は真っ暗だ。シキは咄嗟にミルカへ声をかけ、逃走ルートの構築を図った。
「わ、分かったッス!
「フンニャア!!」
チャタローは虎模様に染まり、ミルカと共に走り出す。
「ははっ。なんだ、ネズミに紛れて猫も居たってか。だからって逃げられると思うなよ。
紫の炎が倍に増える。新たに現れた炎は獲物を見つけた獣のように、その場へいる者達へ襲い掛かって来た。
「ネオン、エリーゼ! ぼさっとするなッ!!」
シキは立ち尽くすネオンとエリーゼを両腕で抱き上げ、そのままチャタローへと飛び乗る。
「ヴゥゥゥゥ……!!」
数十の炎の塊はシキ達を追い、半分はゆっくりと、そしてもう半分は暴れるように確実に洞穴の中を紫色に灯していく。
チャタローに捕まるシキに抱え上げられたままのエリーゼは、片腕を無理くり突き出し襲い掛かる敵へと攻撃を放った。
「あんなもの私の氷で……!
氷柱の槍は塊の一つを貫き、形を崩壊させた。
「よし!」
しかし塊は、再び紫の炎を灯すと形を取り戻しシキ達を追いかけて来たのだ。
「そんな……! あんなのどうしろっていうのです!?」
「決まっている! 逃げるしかないのだ!!」
「チャタロー頼むッス! 出口まで駆け抜けるッスよー!!」
行っけええええええ!!
そんな皆の思いを受けたチャタローは走る。走って走って走って、ついに。
「フン、ニャー!!」
一行は、夜空に染まった洞窟の外へと逃げ出したのであった。
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