26.死期〈シキ〉
赤い斬撃が、シキの身体を貫いた。
「何が……起きた……?」
あまりの轟音に、サラは意識を取り戻していた。
そこは、不自然に木々が倒れ開けていた森の中であった。
視線の先で、シキが倒れているのが目に入った。
シキはアイヴィの一撃で何十メートルも吹っ飛び、地面を転がり、力なく倒れ込んだ。
「……終わった。これで終わったんだ。んふっ、ふふふ……。みんな、わたし頑張ったよ。ちゃんと使命を果たした。これでまた一歩、自由へ近づいたんだよ」
アイヴィはうつむきながら笑った。
「そうだ、回収しないと……」
倒れたシキの元へ歩みを進める。よろよろと、疲れ以外の脱力感を覚えながら。
「一緒に行こう。シキくん。戦い方はまた教えてあげるから」
傷だらけの彼を見ながら、アイヴィは涙を零し微笑んでいた。
「…………またってのは……いつになる……?」
「……ッッッ!? 何で、何で何で何で何で、何で!!」
身体が震える。アイヴィは恐怖で立ち下がる。
「何でだろうな……。私にも分からない。だが、お前との日々は忘れたくなかった。それだけだ」
どれだけボロボロになっても、数えきれないほど傷を受けても、シキは立ち上がる。
倒れてはならない理由があるから、ただそれだけの事でシキは立ち上がる。
「分からない……。分からないよ!! 君はなんなの!? わたしは何と戦っているの……!?」
一歩、また一歩と後ろへ下がる。
足も、手に持った短剣も、何もかもが恐怖で音を響かせる。
「……私は、お前を止める者だ」
傷だらけの足を引きずりながら、血だらけの眼を向けながら、シキはじりじりと詰め寄っていく。
「そんなの無理に決まっている……。わたしは君より強いんだから、だから君は負けるの。わたしは使命を果たす!! みんなのために、わたしのために、だから! だから!!」
とんっ、と。
アイヴィは、自らが切り倒した切り株に、足を引っかけこけてしまった。
「うっ……!! 分かってる! 分かってるから!! パパ、ママ、ナツ、キヅ、ヘデラ。分かってる、分かってる。お姉ちゃんが勝つから……勝って帰るから!!」
守りたい家族が頭の中を過った。
「コルシカ、カナリー、エバ、グレイシャー、みんな、分かってるよ! わたしが頑張って守るから……!!」
守りたい友達が頭の中を過った。
「みんな、みんな分かってるよ!! わたしが、わたしが頑張らないとみんなが……わたしが、わたしがッ!!」
連れ去られた仲間達が、アイヴィの頭の中を覆い尽くした。
「わたしが……わたしが頑張らないと……。わたしが……わたしが?」
近づき、次第に大きくなっていくシキが見えてきて、心の乱れが治まらなかった。
「わたしが……なんでわたしが? わたしばっかり、何で……?」
血濡れた眼光に捉えられた。涙と震えで何にも分からないのに、シキに捉えらえた。その事実が鮮明に理解出来てしまった。
「……嫌だ。もう、嫌だ。嫌だよおおおお!! わたしばっかり何でこんな辛い目にあわないといけないの!? 騙して裏切って、死ねだの殺すだの何で言われないといけないの? 何で悪者にならなきゃいけないの? 何でわたしが背負わないといけないの? 何で、何でッッッ!!」
アイヴィはやみくもに短剣を振り回す。
斬撃を出す事も出来ず、ただの短剣を迫りくる敵へ振り回す。
「来ないで、来ないでよッ!! 全部忘れてるくせに!! 何も分からないくせに!! わたしの事なんか何にも知らないくせに、わたしの事なんて…………あ」
振り回す手が、止まった。
アイヴィは自分の持っている物が何なのか、思い出した。最悪のタイミングで、思い出してしまった。
「んふっ、ふふふ……。そうだ、そうだよ。わたしにはこれがあった。これで全部、忘れてしまえば。わたしはもう……!」
震える手を無理やり抑え、その切っ先を、自らの額へあてがう。
使命も、背負うものも、家族も友達も仲間も全て、全て忘れてしまえば。
もうこれ以上、背負いきれなかった。
「みんなごめんね。わたし、本当は弱いんだ」
アイヴィはただ、楽になりたかった。
「ダメだああああああああああ!!」
全てを忘れ去ろうとしている者へ、全てを忘れてしまった者は手を伸ばした。
────────────────────
「シキ……くん……?」
アイヴィの短剣は、自身へは刺さらなかった。
「大切な仲間、なんだろう……。だったら、忘れては、ダメだ……」
短剣は、シキの首元へ深く、深く突き刺さっていた。
「シ、シキィィィ!!」
医者のサラからは一目で分かった。
致死量なんてものでは済まない、いつ絶命してもおかしくない出血と深い傷をシキは受けてしまった。
「何で……どうして……どうして止めたの!? わたしが全部忘れたらもう通り魔なんていなくなるじゃない!! 君の望みは叶っていたのに……どうしてそこまでして……!!」
シキは笑う。目を僅かに細め、痙攣した口元を動かしながら、しかしシキは笑っていたのだ。
「それは違う……。私は助け出すと言ったのだ。お前も、お前の背負っているものも全て、救ってみせると……ッ」
かすれた声で、その首には短剣が刺さっていると言うのに、シキはまだ諦めてなどいなかった。
しかし、本人の意志に反して身体は力を失い、弱々しく倒れていった。
思わず受け止めたアイヴィは、ズシリと手にのしかかった現実をじわじわと理解し始めた。
己のしでかした事が、記憶へ鮮明に刻まれていった。
「そ……そんな……。シキくん、ねぇシキくん!! なに気を失ってるの!! わたしはまだ戦える! 戦るんだから!! わたしを止めるんでしょう……? だったらそんなところで力尽きてないでよ! ねぇってば!!」
アイヴィは何度もシキを揺らすが、シキはピクリとも動かなかった。
「嘘……だろ……?」
傍から見ていたサラは気が動転していた。
彼女は過信していたのだ。シキという男を。
どこまでもしぶとく粘り強く立ち上がった彼の事を。
彼ならまた勝てると、自身を負かした男はまた勝利を掴み取るものだと思い込んでいたのだ。
だが、彼はただの人であった。
記憶もなければエーテルもない。ネオンの力によって生かされているだけの、それだけの存在であった。
「ネ、オン……? ネオン!!」
サラは傷ついた身体を引きずりながら、木陰で眠っているネオンの元へと駆け寄る。
気絶させてしまった事を後悔しながら、彼女をなんとか目覚めさせようとしていた。
「おいネオン起きろ!! シ、シキが……!! あいつが死んでしまう!! お前があいつを動かしていたんだろ!! だったら何とかしろよ!! 何とかしてくれよ……!!」
ただの人であるシキが、限界を超えても屈しなかったのは、ネオンによって生かされていた。それだけの事だった。サラの予想していた最悪の事態が起きてしまっていた。
「薬品嗅がせたぐらいでいつまで寝てるんだよ! クソッ、クソッ!! どうやったらこいつは起きるんだ……!? 勝手に破壊されるんじゃエーテルは使えない……どうしろって言うんだよ!!」
医者として出来る事を必死に探す。
エーテルの術が効かないなら、薬品を使うしかない。だがその薬品は、まとめてアイヴィに破壊されていた。
サラは吹き飛ばされた荷物をかき集め、どうにか出来ないか死に物狂いで頭を動かしていた。
「無事な物は……クソッ、これじゃあ何も出来ないじゃないか…………!!」
手元にあるのは、属性を調べる宝石に各種エーテルに対応した治療用の紙が数枚だけ。
肝心の液体も、自分用に買った筋力調整液ぐらいしか残っていなかった。
当初考えていたシキの身体へ疑似エーテルを流し込む案も、こんな森の中では不可能だ。
サラは考える。
シキを助けたいが、彼女にはもう手が施せない状態だ。可能性がありそうなネオンも、目を覚まさない。
このままではシキは息を引き取り、取り返しのつかない事になってしまう。
サラは考える。希望も後悔も全て捨て、考えて、考えて、考えて、考えて、閃いた。
紡がれた希望は、途絶えてなどいなかった。
「ッ!! まだ終わっていない!!」
サラはネオンへ駆け寄る。
手に取った筋力調整液から液体を飴玉ほど取り出し、そのままネオンの口へ流し込んだ。
「恨みなら後でいくらでも受けてやる!! だから起きろ、ネオン!!」
サラは口の中の液体を操り、彼女の気道をふさいだ。
シキの息の根を吹き返させるために、ネオンの息の根を一度止め無理やり目を覚ませる。
医療なんて口が裂けても言えないような荒業だった。
だが液体はネオンの喉へ触れた瞬間、サラの管理を離れ形を崩してしまった。
「クソッ!! つ、次だ。もう一度気道を……あっ!!」
容器の倒れる音が、空虚に鳴り響く。
焦りから、サラは液体の入った容器を倒してしまった。
中にかろうじて残った液体を取り出したが、あまりの少なさにサラは絶望した。
「どうしていつもいつも私は……私はあああああ!!」
もうどうしようにも出来ない。
自分の失態が、いつも誰かの足を引っ張ってしまう。
そして最後には命を奪うという、絶対に避けたかった事態を招いてしまった。
サラは地面を殴り、自分の無力さを恨んだ。
どれだけ後悔しても状況は変わらない、そんな事は分かっていても彼女にはもう、後悔する事しか出来なかった。
そんな彼女の横から、華奢な腕が現れた。
「……は」
思わずサラは振り返る。
そこには、額から汗を流しどこか苦しそうなネオンの姿があった。
「ネオン……ッ!!」
呼吸は止められなかった。だが、薄めて飲むような薬品を飴玉ほども飲まされ、あまりの刺激と不味さにネオンは意識を呼び起されたのだ。
ちらりと合った目からは怒りにも恨みにも似た、不満げな感情が読み取れた。
「シキを……あいつの命を頼む、ネオン!!」
こくりと、ネオンは頷いた。
その瞬間。
シキの傷口から透明な何かが炎のように溢れ出した。
「…………エー……テル……?」
サラは状況が理解出来なかった。
知っているはずの知らないもの。知らないのに何故か、彼女の口はエーテルと呟いていた。
透明のエーテル。
赤でも青でも緑でも黄でもない。何色でもないエーテル。
そしてそれは、何色にも染まるエーテルであった。
シキに突き刺さっていた短剣の宝石が、呼応するように光を放った。
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