真か嘘か幻か写か
In the photograph
今日も静かに飾られている写真たち。ありのままの姿を切り取った一瞬の絵たち。
それらは私たちに語りかけている。
真実は「こう」なのだと。
写真に浴びせられていたスポットライトが暗く落とされる。
人の足音が遠ざかる。
部屋を出ていく足音が最後にドアをパタンと閉めた。
さあ夜の時間だ。
さあ、夜の始まりだ!
チクタクチクタク、時計は回る。
写真の中の人物たちは動き始める。
誰も知らない「真実」の始まりだ。
扉の閉まった誰もいない部屋には、明かりすら灯されていない。
物音すらしない静寂の夜の時間であった。
がたり
誰もいないはずの空間に音が生まれた。
何かいるのだろうか。部屋を見渡しても何かがいる気配は全くない。
がたり
また、音がした。
どうやら音は写真たての方から聞こえているらしい。
そこには、幼い頃からの親友と肩を組んで笑っている二人の少年が写っている。
はずであった。
「おい!昨日の決着をつけようぜ!」
「おう!望むところだ!」
なんと、写真の中が動いているではないか。
背景の青空には雲が流れ、時に太陽を隠している。川の水は流れ、魚が飛び上がった。その魚を、木の枝に止まっていた鳥がくわえてどこかへ飛び去っていく。青々とした木の葉は風に吹かれて大きく揺れている。
写真の中の時間が、動いているのである。
二人の少年は背を向け、屈んだのだろう、写真から姿を消した。少しの後再び現れ、川の岸へ近づいて行き隣同士に立った。
「せーのでだからな」
「フライングはなしだぞ」
「「せーの」」
少年たちは腕を同時に横へ振り、素早く何かを池に向かって投げた。
石だ。彼らは水面に向かって石を投げている。水切りという遊びを写真の中の少年たちはしているのだ。
パシャ、パシャと水が切られ跳ねる音だけが聞こえる。
石は、水面を跳ねていく。
1回
2回
3回
右の少年の投げた石が沈んだ。
4回
5回
左の少年の投げた石が沈んだ。
「へっへーん、どうだ!」
「くっそー!また負けた!」
「だからさー、もっとこう地面と平行に素早く腕を振るわけよ。解る?」
再び少年たちは写真から消える。
屈んで水切りに使う石を探しているのだろう。今度はガチャガチャと石が踏まれる音が聞こえる。
後ろの木には飛び去って行った鳥が戻り、毛繕いを始めていた。
そうして、少年たちは何度も水切りを競った。
背景の雲は流れるが、太陽は動こうとしなかった。
やがて、写真たての横の窓から朝日が差し込み始めた。
「結局今日も勝てなかった…」
「まあ、地道にいこうぜ?」
「地道過ぎだって。何年やってるよ」
「んー、50年?」
「それ以上じゃね?」
少年たちは汗を拭い、写真の一番前へと並び肩を組んだ。
鳥はもといた枝へ戻り、羽をたたんだ。
「明日は釣りしようぜ」
「バケツどこだったっけ」
「ばーか。キャッチアンドリリースに決まってるだろ」
二人は笑いあって視線を前に向けると、ピタリと動きを止めた。
背景で流れていたはずの雲は、それまでが嘘だったかの様に動き始める前の空へと戻り停止していた。
川の水が流れる音は、もう聞こえない。
夜明けがやって来る。
窓から眩しい朝日が差し込んで、新しい今日がやって来る。
写真の中の現実の少年たちは年をとり、青年になり、大人になり、老人になった。
右の少年は戦争で片足をなくした白髪の老人へ、左の少年は爆撃によって両耳が聞こえなくなった禿の老人へ。時間も時代も流れ、写真の中の様に笑うことはもうできない。もう、写真を撮った頃のように肩を組むこともできなくなってしまった。
それが、写真の中の少年たちの現在なのである。
幼い時間を写し、切り取った思い出の写真。二人の少年の手元に送られた1枚の写真は、永遠に幼い時間を流れる写真であった。
写真の外の時間がいくら流れようとも、いくら変化しようとも写真の中はいつまでも写真が撮られた瞬間のままである。かといって停止し続けるわけでもなく、毎晩動き出す。
誰の目も触れない瞬間に彼らは自由となるのである。
そして、ひとたび目が向けられる時になるとピタリと止まり、「写真の瞬間」を演じ続ける。なんとも狡猾なキャラクターではないか。
少年たちは笑い続ける。
成長し老人になった自分自身の目の前で。ありし日のあるがままの事実と真実を示し続ける。
ある日、二人の少年が写る写真の横に新しい写真が置かれた。少年たちのモデルとなった人物たちは、既に老衰でこの世を去っていた。
新しい写真の中では、一人の男の子が花束を抱えてしかめ面をしている。その隣には同い年であろうおさげの女の子が花の冠を頭にかぶり、男の子と同じようにしかめ面をしている。
写真をことりと置いた青年が言った。
「あのときさ。もっと素直になれたらこんな思いしなくてすんだのにな」
この写真を撮った次の日、この子事故で死んじゃったんだよな。
そう言い残して、青年は部屋から出ていった。
そうして、夜がやって来た。
写真の中の男の子と女の子はそのしかめ面を一変させて笑顔を見せる。
男の子は両手で抱えていた花束を丁寧に下へ置き、背景である花畑を元気よく駆け回る。女の子はそんな男の子を追いかけて走り出す。
花畑で咲き乱れる花たちは風に吹かれて葉を揺らし、時折花びらを散らしていた。写真の中から子どもの笑い声が聞こえてくる。
「元気な子たちが来たね」
隣の写真から、足を川に浸けたまま二人の少年たちは言った。
朝が来て、窓から日が差し込み始めれば写真は元の姿へと各々戻っていく。
部屋にかざられた2枚目の写真。
それは、花畑の中で撮られた、花束を抱える男の子と花冠を被る女の子の写真であった。
この写真が撮られた日、彼らはすれ違い喧嘩をして帰路についた。次の日、男の子は一晩中考えてやっぱり謝ろうと仲直りを決意して再び同じ花畑を訪れた。
しかし、女の子は、来なかった。
来れなかったのである。
女の子も男の子と同じように仲直りをしようと花畑に向かった。しかしその途中の道で事故に遭い、命を落としたのであった。
二人は仲直りをすることができず、永遠に喧嘩をしたままとなってしまったのだ。残された写真には、喧嘩をしてしかめ面となっている二人の子ども。
それから何年も経ち、男の子は青年となり大人になって結婚をした。妻となった女性には人一倍優しく接した。息子には素直に生きろと何度も言った。自分には喧嘩をしたまま仲直りができない子がいるからと。
息子は父親となった男の子に言う。
じゃあ、謝ればいいよ。
父親となった男の子は首を横に振って、その子とはもう二度と会えないんだよと悲しそうな顔をして言った。
男の子と女の子には、仲直りをするはずだった「明日」が訪れることがない。
男の子は後悔をしたまま一生を終えるのだ。
これが、現実の「真実」の話である。
さて、写真の中ではどうだろうか。
写真が現像され、動き始めたその夜のうちに男の子と女の子は仲直りをした。
女の子はいなくはならないし、二人とも昼間ではしかめ面で仲の悪い子どもを演じている。
何十年も現実の男の子が抱える後悔は、写真の中ではたった一晩で解決されてしまったのである。
毎晩毎晩花畑で飽きずに二人で遊び、現実で男性が結婚する頃には彼らは親友、いや恋人となっていた。
これが、写真の中の真実である。
もしかすると、女の子の事故さえなければ現実でもこんな結果になっていたのかもしれない。
そんな「もしも」は現実のどこを探しても見つからないのだが。
今日も朝がやって来る。
写真の中では男の子と女の子が名残惜しそうに繋いだ手をほどき、笑ってまた今夜ねと言い合って「喧嘩中」を演じる。
写真の中からは、香るはずのない花たちの香りが風に乗って運ばれてくるようである。
部屋には写真が並べられている。
始めは一枚しかなかった机の上には、一枚、また一枚と数を増やされ随分と賑やかになったものだ。
そのどれもが、夜になると中で動き出す不思議な写真なのである。
写真の中の人物たちは時にチームを組んで対抗戦を繰り広げる。
また別の夜には男女に別れて「恋バナ」を咲かせたりもする。
時にはモデルとなった現実の人物について語り合ったり、新たな仲間となった写真が来るまでの部屋の様子を思い返したりもした。
古い写真は百年以上も前のもの。新しい写真は数年前のもの。
百年以上前に現実にいた子どもを写して切り取った写真。その中にいるのは、もちろん当時の姿のままの幼い子どもである。
数年前の写真の中にいるのも、同じように写真が撮られた当時の姿のままの人物である。
彼らは、常識から考えれば決して同じ時間に存在するはずのない人である。
現実ですら出会うこともないかもしれない人物である。
しかし、写真の中の「彼ら」は同じ部屋に並べられ、出会い、交流を重ねた。写真を撮られ、動き出した日の夜から彼らは彼らの時間を刻み始めたのだ。
同じ部屋に並ぶ彼らは、今ではよき友人である。
たとえ現実の人物が老いて、この世を去っても彼らはこのままの姿で在り続ける。
彼らは現実から切り離された時間を生きる、写真の中の人物なのだ。
今夜も彼らは時間を刻む。
写真の中で自由に動き回り、彼らだけの時間を重ねる。
例えばそれはミルフィーユのように。
写真が一枚一枚持つ真実を重ね合わせて、一つの部屋を作り上げる。写真が一夜一夜を重ねる度に、彼らだけの時間が積み重なって一枚の「作品」を作り上げていく。
さあ、今夜も夜の始まりだ。
写真が動き出す、彼らの楽しい自由な時間が始まる。
それは例えばミルフィーユのように。
今夜も新しい時間を重ねて、写真たちは一見変わらず、しかし見えない部分が大きくなるのだろう。
夜にはその部屋を訪れてはいけないよ。
彼らだけの時間を邪魔するのは失礼だ。
カメラマンは静かに部屋の前から去っていった。
扉のノブにはカメラだけがかけられた。
森から遠く離れた街にある、大きな大きな図書館。そのワンフロアを取り仕切る司書がカメラを持って出掛けていった。
不思議な写真を撮るカメラ。不思議な写真を撮るカメラマン。二人は今日もどこかへ出掛け、一枚の奇跡のような写真を手にこの部屋へと戻ってくることだろう。
その図書館のあるフロアには、夜になるとそれはそれは賑やかな声が響くのだという。
今夜も、また。
賑やかな宴は繰り返される。
彼らだけの「写真」という「世界」の中で。
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