第4話:レウシア、奇跡を起こす


 きょうは にんげんさんと いっぱい おはなし できました


 にんげんさんは いろんなことを しっています


 わたしには むつかしい ことも あるけど


 また おはなしして みたいです




 夕暮れどきの村外れ。


 木陰に座り込んだレウシアは、けぷりと満足げに息を吐く。

 彼女の周囲には、先ほど購入した八つのジャム瓶が転がっていた。そのいずれもが、既に中身は空である。

 ぺろりと指先を舐めてから、レウシアは名残惜しそうに空瓶を眺めた。


「……ん」


 やがて一つ頷いて、いそいそと瓶を拾い集めてバッグの中に仕舞いなおす。――たとえ中身が空であっても、それらの瓶は夕日を浴びて〝きらきら〟していた。


 レウシアは瓶を仕舞い終えると、傍らに置かれた魔導書に手を伸ばした。


「お、おいッ!? 待てレウシア! 待てったらッ!」

「……ぅ?」

「頼むから、我に触れる前に手を洗うのだ!」

「……でも、じゃむ、もうついてない、よ?」

「涎だって嫌だよ!? 向こうに井戸があったろう。石で囲まれた深い穴だ。そこに備えつけられた桶を落とせば、中から水を汲めるはずだぞ」

「……ん、わかっ、た」


 魔導書からの要求を受け、レウシアは伸ばした手を引っ込めた。

 辺りをきょろりと見回すと、確かに彼の書の言う通り、少し離れた場所に古井戸がある。


「……いど、おみず」


 ぽそりと呟き、レウシアはそちらへと向かう。纏う神官服が大きすぎるため、裾が地面をずるずる擦った。


「……ん、しょ」


 レウシアは井戸へ到着すると、しつらえられていた桶を持ち上げ、それを真っ暗な穴の中に放り込んだ。


 ひゅう――――――かこん。 


 乾いた音が反響する。


「……おみず、ない?」


 レウシアが井戸へと頭を突っ込み、首を傾げたときだった。


「おんやぁ? おめぇさん、枯れ井戸でなぁにしてんだぁ? 危ねぇぞぉ?」

「……ぅ?」


 背後から誰かに声をかけられ、レウシアはくるりと振り返る。

 先ほどの魔法具屋での一件で、魔導書から注意を受けたばかりだ。彼女の尻尾の先端は、しゅるりとローブの中へ引っ込んだ。


 話しかけてきたのは、村に住む男のようだった。

 若干ふらふらと足取りが怪しく、日焼けした顔は妙に表情が緩んでいる。


「……おみず、ない、の?」

「この井戸はもう、枯れちまったからなぁ。……ああん? よく見りゃおめぇ、神官サマじゃねぇか。やーっと帰ったと思っとったのに、まーた来なすったのかよぉ?」

「……ぅ?」


 少しばかり呂律の怪しい男の顔を、レウシアは不思議そうな表情で見つめ返した。

 人族の顔の区別がついているのかいないのか、元邪竜の少女はぼんやりとした声で訊き返す。


「……どな、た?」

「んああ? もう忘れちまったんかぁ? 俺はほれ、あの黒い竜にヤギを襲われとった、ヤギ飼いの家の長男だぁ! おめぇら神官サマどもは、邪竜を退治するから報酬だとか言って、ウチで作ってたチーズやら毛皮やら、全部漁って持ってっちまったじゃねぇかよぉ!」

「……なんか、ふしぎな、におい」

「ヤギ乳の酒だぁ。おめぇらこれはくせぇつって、手を出さなかっただろぉ? やーっとおめぇらがいなくなって、竜も来なくなったからなぁ。討伐は成功したんだろうって、俺ぁ祝杯をあげてたのさぁ!」


 大口を開けて男は笑う。そして突然、へたりとその場に座り込んだ。どうやら相当、酔っぱらっている様子であった。


「まぁったく! なにが〝勇者〟だ、神官サマだぁ。悪い竜を討伐に来たとか言って、おめぇらその竜と一緒じゃねぇか。散々、俺の家を荒らしやがってよぉ……」


 地面を睨み、ぶつぶつ呟く男へ向かい、レウシアは首を傾げて問いかける。


「……竜は、わるいこ、なの?」

「ああッ!? 当たり前だろうがッ! 俺んとこのヤギを攫ってったんだからなぁ! 金を払わずに人様のもんとってくのは、そりゃあ悪い奴のすることだぁ!」

「……むぅ」


 力強く断言され、レウシアはぷくっと頬を膨らました。

 そして、いましがた言われたことを反芻するように「……おかね、はらわない、わるいこ」とうつむいて呟く。


「……でも、ごはん食べなきゃ、しんじゃう、よ?」

「ああッ? 盗人は死んじまえばいいんだよぉッ! 竜も、おめぇさんらも!」

「…………」

「あっ――」


 男に怒鳴られ、レウシアはなにかに耐えるように、ぎゅっと口を引き結んだ。

 途端に男は慌てた様子で、


「ッ、い、いや、すまねぇ、すみませんッ! もうしわけねぇ! いまのは俺の間違いでさッ! 王都の教会サマに楯突くつもりはないんでごぜぇます! どうか、どうかお命だけはご勘弁をッ!」

「……おかね、あげなきゃ、おにく、食べたら、だめな、の?」

「本当に、命だけは――えっ!?」


 ふいに尋ねられ、男はぽかんとした顔をした。

 少しの間、考えるように顔をしかめてから、答える。


「――そりゃあ、そうだぁ。俺ぁ猟師じゃねぇし、ヤギ以外の肉を食うときは、買うのに金を払う……ます」

「……そっか、わかっ、た」


 びたん!


「――ッ!?」


 急に大きな音が鳴り、ヤギ飼いの男はびくりと肩を震わせた。

 目の前にいる少女の背後、音の発信源へと目を向ける。


 びたん! びたん!


「ひぃッ!?」


 さらに二度、続けて大きな音が響く。

 男はの正体に気づいたようで、喉の奥から擦れた悲鳴を漏らした。


 少女の神官服の裾からは、鱗に覆われた、まるで竜の尾のようなものがはみ出しているではないか。


 男はぎょっと目を見開いて叫んだ。


「りゅ、竜の神官だぁ――ッ!?」


 そして腰を抜かしてしまったようで、座り込んだままがたがたと震えだす。

 身を守るように突き出された男の手を、ぎゅっとレウシアが両手で包んだ。


「……これ」

「ひッ!? ……え、あ?」

「……ぴかぴ、か」


 手渡されたものに男が視線をやると、そこにあるのは金貨であった。三枚ある。ヤギを四十頭は買える金額だ。


「なっ!? き、金貨、えっ? あ――」

 

 ヤギ飼いの男は、目を丸くして口をぱくぱく動かした。

 レウシアはぽつりと「……ごはん」と呟き踵を返す。


 木陰に置かれた荷物を拾い、レウシアがその場を去っていくまで、男は手の中の金貨と彼女の後ろ姿を忙しなく見比べることしかできなかった。


 やがて、神官服を着た少女の姿が森の中へ完全に消えると、男の背後でごぽりと微かな水音がする。


「な、なん、だったん、だぁ?」


 疑問の声を漏らしながら、男は井戸へと目を向けた。

 ごぽごぽという音はずっと続いている。


「いや、ええ……?」


 男は、再び手の中の金貨に視線を向けた。どう見ても本物である。大金だ。

 それを一旦ポケットへと突っ込み、男は垂れたままの桶紐を引っ張った。――引き上げると、桶には水がなみなみと溜まっていた。


「み、水だぁっ!? 枯れ井戸が復活しよったぁッ!? あ、あああの方は、竜の神官だなんてとんでもない! せ、聖女様、〝黒の聖女〟様だったんだぁッ!」


 男はそう大声で叫んだ。もはや絶叫である。

 彼はレウシアの黒髪から想像したであろう名称を叫びながら、村長の家のほうへと走り出した。


「く、黒の聖女様が来てくだすった! 奇跡で枯れ井戸を蘇らせなすったぁぁッ!!」


   *   *   *


 一方、その頃。


「うぅぅっ、ぴかぴか、ぴかぴかぁ……」

「あだッ!? ちょっ、おいッ!? レウシアっ!? おいレウシアッ! ちゃんと前を向いて歩けッ! おいッ! いだッ!?」


 レウシアは、泣きながら森の中を歩いていた。

 ぐしぐしと片手で涙を拭うたび、もう片方の手に持たれた魔導書が、何度も樹木の幹にぶち当たる。


 魔導書は呆れた様子でレウシアに言う。


「まったく、そんなに嫌なのであれば渡さなければよかったではないか。そもそもなぜ、あの男に金貨をくれてやったのだ?」

「……いい、の。ごはん、食べた、から。うぅぅ……」

「ふぅむ? その姿になる以前の狩りのことを言っているのか? まあよいが、それにしても金貨など、洞窟に帰ればまだ山ほどあるであろうに。竜とは難儀な生き物だなぁ……あだッ!?」


 すでに夕日も沈み、森の中は真っ暗である。

 レウシアがぶかぶかの神官服で目元をぐしぐし擦るたび、暗闇に魔導書の呻きが漏れるのだった。


 ――ちなみに、レウシアの魔力が籠った尾の一撃で地脈を刺激され、復活した元枯れ井戸は、それから四十年以上は水を湧き出させ続けたそうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る