第5話:白の聖女

 枝にとまった小さな鳥が、黄色い実を啄んでいた。

 ときおり緩い風が吹き、葉擦れの音をさらさらと奏でる。

 木漏れ日が、地面に細かな影を躍らせる。


 実に穏やかな昼下がりであった。

 レウシアは今日も山を下りてきて、きゅるると鳴るお腹を擦りながら、村へと続く田舎道を歩いていた。


 彼女の纏う神官服は、早くも裾がボロボロである。

 よく見れば袖口も枝で引っかけたのか、所々がほつれていた。かろうじて翼と尻尾は隠れているが、まるで森の中を何日も旅してきたかのような有様だ。まだ着始めたばかりなのだが。


「……ごはん」

「いいか、レウシアよ。今回はちゃんとした食物を手に入れるのだぞ? ジャムでは腹に溜まらんようであるからな。――金は、しっかり持ってきているな?」

「……ぅ、ぴかぴ、か」

「いや、だからなぜお前はそうまで金貨に執着するのだ? あれだけ貯め込んでいれば、少しばかり減ったとて大して変わらん量ではないか」

「……むぅ」


 レウシアは不服そうに頬を膨らませ、びたん! と尻尾で地面を叩いた。

 驚いて草原から飛び出した茶色い兎を眺めながら、魔導書は言い聞かせるように言葉を続ける。


「こら、尻尾をあまり動かすなと昨日言ったであろうが。そのせいで正体がバレそうになったのを、もう忘れたのか?」

「……でも、勝手に、動く、よ?」

「む? そういうものなのか。……まあいい。それよりあの兎だが、捕まえようとはしないのか?」

「……ぅ?」

「なぜそこで首を傾げる? 兎を捕らえれば、その肉が食えるだろうに」

「……ん」


 魔導書に言われ、レウシアはローブのポケットからおもむろに金貨を取り出した。

 きょろきょろと周囲を見回して、ぱちぱちと二度、三度、瞬きをする。


「……?」


 そして左手に持った魔導書に視線を戻し、不思議そうに、


「……ぴかぴかは、だれにわたす、の? うさぎさん?」

「獲物に渡してどうする。あー、それはだな、獲物を自分で狩るぶんには必要ないというか、金が必要なのは、人族どもから物を買うときで――」

「……ぅ?」

「わからぬか。お前にとっては、家畜を攫うのも狩りであったろうしなぁ……。とにかくまあ、人族どもから物を受け取るときに、引き換えに金を渡すのだ」

「……お肉、じゃ、なくて、も?」

「ジャムのときも金を払ったろうが」

「……そうだっ、た。わかっ、た」


 レウシアが頷くのを確認しつつ、魔導書はふと疑問に思う。――いまさらながら、なぜ自分はこの元邪竜の少女に、いちいち人族の道理を教えているのだろうか?


 そのうち竜に戻ってしまえば、必要なくなる知識であろうに。


「くくッ――」

「……ぅ?」


 ――いや、もしかするとレウシアは、竜に戻ってからもヤギを攫う際には、律義に金貨を咥えていくのかもしれない。


 ふと、魔導書はそんな光景を想像してしまい、漏れ出た笑いを噛み殺した。


「……ぅ? あれ、なに、かな?」

「うん? ――ああ、馬車だな、あれは」


 やがてレウシアが足を止め、道の先を指差し尋ねた。

 魔導書がそちらへ意識を向けると、少し離れた十字路付近に大きな馬車が止まっており、人族が一人立ち尽くしているようだった。


「……ばしゃ。にんげん、さん」

「あ、おいレウシア! 近寄るならフードを被れ! それと、尻尾はなるべく動かすなよ?」

「……ん、わかっ、た」


 レウシアはローブについたフードを被り、とててっと小走りに馬車へと向かう。

 どうやら王都の方角から来たらしいその馬車は、村へと続く細い道へ入ろうとして、柔らかい地面に車輪を滑らせてしまったようであった。


 きっと無理な角度で曲がろうとしたのだろう。

 わだちの跡は草原へと流れ、ぐにゃりと沈み込んでいる。


「あん? 高位の神官……? おかしいな、こんな場所に聖女サマがもう一人?」


 レウシアが馬車に辿り着くと、その近くで腕を組んで立っていた女性は訝しげにそう呟いた。


 長い赤毛を頭の後ろで一つに纏めた、背の高い大人の女性である。

 色褪せた布服の上に革鎧を身に着けており、腰には剣を帯びていた。


「あー、えっと、アンタも聖女サマ……で、いいのかね? こんなとこで、なにをやってやがるんすかい?」

「……歩いてた、よ?」

「いや、そりゃ見りゃわかるっすよ……」


 赤毛の女性が困惑した表情で頭を掻くと、長いポニーテールがゆらりと揺れた。

 吸い寄せられるようにそちらを見ながら、レウシアは相変わらずの眠そうな声で問い返す。


「……あなた、は、なにしてる、の?」

「あ? ああ。まあ、見ての通りっすよ。無理に急がせたせいで、道をずれちまいやしてね。戻そうにも、馬が嫌がって動きやしねぇ」

「……おうま、さん」


 レウシアが馬へと目を向けた途端、気だるげな様子で草むらを眺めていた二頭の馬が、揃ってびくりと体を震わせた。


 赤毛の女性はそんな馬たちには気づかずに、なにか考え込むような表情を見せたあと、ぽんと手を打ってレウシアに言う。


「なあ、見たところアンタも聖女サマなんすよね? あの馬車に乗ってる神官サマたちに、いったん降りるように提案しちゃくんねぇっすか? あたしゃこの通り傭兵なんで、雇い主様にゃあんまし意見できねぇんすよ」

「……おりる、の?」

「そっす。いったん降りてくれさえすりゃ、あたしが馬車を道へ押し戻すんで、その間だけでいいんすよ。あたしからは言い出せないんで、どうか頼んます!」

「……ん、わかっ、た」


 女性が深く頭を下げると、ポニーテールがぱさりと舞った。

 レウシアはそれを見ながらこくりと頷き、とててっと馬車に駆け寄っていく。


「ぅ? ……あっ」


 扉を見て首を傾げてから、レウシアは背伸びをしてノブに手をかけた。――昨日、魔法具屋に入る前に魔導書が教えた、ドアの開け方を思い出したらしい。


「あ、サーシャ? 馬車は動きそうなのですか? ――え、どなた?」


 馬車の扉が開かれると、まるで鈴を転がすような、澄んだ少女の声が響いた。

 声の主はレウシアを見て目を丸くすると、驚いた様子で口元を押さえる。


 ガタリと、その正面の座席から二人の男が立ち上がり、蒼い宝石のついた杖をレウシアへと突きつけた。


「なにも――の、えっ!? 聖女、様?」


「……?」「……?」


 あんぐりと口を開けて固まる男たち。

 レウシアはこてんと首をかたむけ、釣られたように、少女も同じように首を倒した。


 さらりと銀色の髪が流れ、馬車の中にいた少女――白い聖女は、じっとレウシアを見つめ続ける。

 少しの間があり、やがて聖女は、うん。と小さく頷いてから、透き通るような声で竜の少女に語りかけた。


「はじめまして。私は教会の聖女、エルと申します」

「……れうしあ」

「レウシアさん、ですね。どうぞ、よろしくお願いします」

「……よろし、く?」

「はい」


 柔らかな眼差しをレウシアへ向け、白い聖女――エルが微笑む。


「これは、なんだかマズい気がするのだが……」


 レウシアの左手に持たれた魔導書が、居心地悪げに呟いた。

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