第3話:レウシア、ジャムを食べる
◇
きーちご じゃむは きらきら きれいで おいしいです
やぎさんに ぬっても おいしいのかな
こんど ためして みたいです
◇
その奇妙な客が店に訪れたのは、村で唯一の魔法具屋を営んでいる老婆が、窓から外の夕暮れを眺め、今日はもう店仕舞いにするかと椅子から腰を上げかけたときだった。
木製の扉に設えられたドアベルが、からんからんと音を鳴らす。
店主の老婆は、浮かしかけた腰を下ろして店の入り口へと目を向けた。
訪れたのは、この国では珍しい黒髪の少女だ。小柄な体躯を包むローブはどうやら丈が合っていないらしく、地面に裾を引きずっていた。その白い神官服から察するに、どうやら王都の神官サマらしい。――そう気づいた老婆は、バレない程度に顔をしかめた。
つい数日前にも、村には数人の神官たちが滞在していた。
彼らは酒場では説教という名の暴言を吐くわ、村の宿には文句をつけるわで、村人のほとんどが
特に、自らを〝勇者〟と名乗る男の所業は目に余るものだった。なにしろ他人の家に勝手に押し入り、タンスの中身やら机の引き出しやらを軒並み漁っていったのだ。大事に使っていた水汲み用の壺を、放り投げて割られたという者もいる。
しかし、神官たちの言葉によれば、それらはすべて〝勇者〟の特権によって国から許されている行為だという。実に頭の痛くなる話であった。
「……ごはん、ください」
「なんだい、ここは魔法具屋だよ」
「……ごはん」
「ふん、ウチの店で食べられる物なんて、にっがぁぁい薬草ぐらいしかないね。冷やかしは結構だよ。さっさと帰ってくんな!」
「……むぅ」
であるからして、自然とアタリがきつくなってしまってから、うつむき頬を膨らす少女の姿に老婆は内心首を捻った。
服装は彼らと同じ物だが、どうもこの少女は連中の同類ではないように思える。
そもそも村に滞在していた神官たちの中に、このような小さな女の子の姿はなかったはずだ。
放たれた嫌味に暴言を吐き返すわけでもなく、ただ可愛らしく膨れっ面を見せる少女を、老婆は改めて観察しなおした。
彼女の纏う白いローブは所々が薄汚れており、足元を見れば靴も履いていない。旅の荷物らしき大きなバッグを背負っているが、北の森を抜けて来たのだろうか。
――こんなに小さな女の子が? 裸足で?
それに記憶が確かなら、女性で白色の神官ローブを身につけることを許されるのは、聖女という特別な地位にある者だけだ。
「ここみたいな田舎の村に、教会の聖女サマとは珍しいね。あんたも例の、邪竜討伐に来たって輩かい?」
「……ぅ? ごはん、買いにきた、よ?」
「だから、ウチは魔法具屋だっての。……ごはん、ご飯ねぇ」
なにか振舞えるものはあっただろうか? と老婆は考えてみる。
教会の連中は気に喰わなかったが、この少女はそうでもない。むしろなんだか、守ってやりたくなるような雰囲気だ。
そういえば、自分の孫がこのくらいの歳かもしれないな。と、老婆は家を出て王都に嫁いでいった娘のことを思い出した。――あの子は元気にやっているのだろうか? 一度くらい、孫の顔を見せに帰って来てもいいものを……。
「よ――っと、木苺のジャムくらいしかないよ。それと黒パンで我慢しな」
「っ! きーちご!」
「……そんなに腹が空いてるのかい。仕方ないねぇ」
老婆が椅子から立ち上がると、少女はぱっと表情を輝かせた。
そして、作り置きのジャムを取りに店の奥へと向かう老婆のあとを、とてとてと小走りについて来る。――店内の奥は居住スペースも兼ねているため、普段は客を入れないのだが。
しかし、どうにもこの相手には注意をする気になれず、老婆はそのまま台所へと到着した。
「ほら、木苺のジャムだよ。この黒パンに塗って食べな」
「……ふわぁ、きらきら!」
老婆がジャムの入った瓶を差し出すと、少女はその見た目をえらく気に入ったようだった。
両手で受け取った赤いジャム瓶を光に透かし、まるで宝石でも見るかのように瞳を輝かせて覗き込む。
「まあ、教会の聖女サマにお出しするほどのもんでもないんだけどね。……ほれ、いつまで見てるんだい。パンに塗ってやるから貸しな」
「あっ……」
王都で売られているものとは違い、砂糖も使っていないようなジャムである。
気恥ずかしくなった老婆は、少女の手からひょいと瓶を取り上げて蓋を開け、その中身を丸い黒パンに塗って差し出した。
少女は視線をジャムの瓶に固定したままに、ぼんやりパンを受け取って、小さな口でもぐもぐ頬張る。
「っ!? んんん――っ!」
そして途端に、視線がぐりんとパンに移った。
少女は両手で持った黒パンを、丸呑みにでもしようかという勢いで口に放り込む。まるで栗鼠の頬袋のように、小さな頬っぺたが限界まで膨らんだ。
「こら、ちゃんと噛んで食べな。そんな食べ方をしてたら喉に詰まらすよ!」
「……んぐ。んんん!」
「ほら、言わんこっちゃない」
びたん!
「ッ!? ひっ――!?」
仕方のない子だ。背中を叩いてやろうか――と、老婆が手を伸ばしかけた瞬間だった。突然、大きな音が少女の背中側から響き、店全体が僅かに揺れた。
これは何事かと、老婆は音の発信源を探して少女の背後を覗き込む。そして、驚愕に目を見開いた。
――なんと聖女サマのローブの裾からは、鱗に覆われた尻尾が伸びているではないか!
さすがの老婆もこれには慄き、喉の奥からしゃっくりのような悲鳴を漏らした。
「ど、どど、どういうことだい!? あ、あんた、まさか魔族の聖女サマなのかい?」
「……んぐ?」
そんなものが存在するとはついぞ聞いたこともなかったが、それならば目の前の少女の、どこか浮世離れした様子にも合点がいく。――老婆の視線が、逃げ道を探して周囲を巡った。
現在、人族と魔族は戦争中だ。それに、全員が全員そうではないのかもしれないが、魔族は人間を殺して喰うとも伝え聞く。
なんにせよ老婆は、これまでの人生で亜人はともかく、竜の尾を持つ魔族になどお目にかかったことはなかった。
「――待たれよ。ご婦人」
恐怖に怯える老婆の耳に、どこからか偉そうな男の声が届く。
「その少女は、そなたに害をなす存在ではない」
「だ、誰だいあんた? どこから話しかけてるんだい!?」
「……ぅ?」
狼狽えつつも、老婆は声の主を探して辺りをきょろきょろ見回した。
しかし、店の中にいるのは自分の他に、ごくりとパンを飲み込んだきり不思議そうに首を傾げている、小さな魔族の聖女サマのみである。
「姿を見せることはできんのだが、我は〝偉大なる者〟だとだけ名乗っておこう」
「……は? 偉大なる? なんだか随分と胡散臭い奴だね」
「う、うさんくさ――ッ!? と、とにかく! その少女は邪竜を封印する際に、呪いによってその姿になってしまっただけなのだ。決して魔族ではないぞ。むしろ、此度の邪竜討伐の功労者であるといえよう!」
「……本当かい? ババア騙そうたってそうはいかないよ?」
謎の声を信じるならば、この聖女サマは邪竜を封印するためにその身を差し出し、そのせいでこの姿になったということになるのだろうか?
老婆は改めて少女の様子を窺った。……確かにまあ、邪気のない顔をしていると思う。
少なくとも、こちらに危害を加えてくるつもりがあるようには見えなかった。
「う、嘘ではない。我はなに一つとして嘘を吐いてはおらんぞ! ほ、ほら、レウシアよ! さっさと金を払って店を出るのだ! ほれ早くッ!!」
「……ぅ、ぴかぴか」
謎の声に急かされて、少女は悲しそうな顔でポケットから金貨を取り出した。そしてぷるぷる震える手で、それを老婆へと差し出してくる。――なんとも憐憫を誘う姿であった。
老婆は慌ててかぶりを振ると、差し出された少女の手を押しとどめた。
「いやいやいやっ!? 確かに寂れた店じゃあるがね、聖女サマに施しを受けるほど困窮しちゃいないよ! 見るにあんた、旅の資金だっているんだろう? そんな無理せんでいいんだよ!」
「……でも、じゃむ、もらった、よ?」
「だからってそんな大金、ウチにあるジャム瓶を全部渡したってつり合いやしないよ!」
「っ! ……ぜんぶ?」
焦る老婆の言葉にぴくっと反応した聖女サマは、手の中の金貨をじっと見つめ、それから老婆の手にした赤いジャムの瓶に視線を移す。
「……きらきら」
そして再び視線を金貨へ。
「……ぴかぴか」
そして――
* * *
やがてレウシアがにこにこ笑顔で店を去ると、その背中を見送りながら老婆は大きく溜息を吐いた。
手の中の金貨に視線を落とし、ありがたそうに目を細める。
「……こないだの神官どもと違って、聖女様は慈悲深いお方なんだねぇ」
なにせ邪竜討伐のためにその身を差し出し、さらには少ない旅の資金から、村人に施しまでするほどだ。
ジャムが気に入ったのは演技ではなく本当だろう。
しかしたとえそうでなかったとしても、最初からなにかしらの理由をつけて、お金を置いていくつもりだったのではなかろうか? 実に思慮深いお方である。
「……さて、ジャムの作り置きをしなくちゃね」
なにしろ店にあったジャム瓶を八つ、すべて聖女様に渡してしまったのだ。
自分の作ったジャムの瓶を嬉しそうに両手に抱えた少女の姿を思い出し、老婆は小さく笑みをこぼした。
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