第2話:レウシア、木苺を食べる

 陽が昇ると、レウシアは住処である洞窟を出て、近くの野原へと向かう。


 小さな黄色い花がぽつぽつと咲く原っぱにぺたんと座り込み、竜の少女は傍らに魔導書をぽんと置く。そして、そのまま動きを止める。

 視線は花を見ているようで、その実なにも見ていない。――虚ろである。眠そうだ。


 彼女が一体なにをしているのかといえば、日課の日光浴だった。


「……ふぁう」


 暢気に欠伸をしながら、レウシアはとろんと眠そうな目をこしこし擦る。


 竜が変温動物であるかについては諸説あるが、少なくともレウシアは朝が弱かった。ちなみに夜もすぐに眠くなる。まだ百五十歳なので。


「……あ」


 白い翅の蝶が鼻先にとまり、レウシアは目を丸くしてぽかんと大きく口を開いた。

 慌てたように蝶は飛び立ち、小さな手がそれを追ってひらりと躱される。


「……ざん、ねん」

「おい、レウシア。暇ならどうして我に魔導を書き記さない? 早く元の姿に戻りたくはないのか?」

「……ぅ?」


 魔導書からの問いにレウシアが首を傾げると、そのお腹がきゅるると小さく音を漏らした。

 元邪竜の少女はお腹を擦りながら、相変わらずの眠そうな声でぽつりと答える。


「……おなか、すいたの、で」

「む? ならば先に狩りをするのか? あの人族どもの持っていた食料は、もうすべて食い尽くしてしまったのだろう?」

「……狩りは、いま、失敗した、よ?」

「…………ちょっと待て、邪竜レウシアよ。まさかお前、先ほどの行動は蝶を獲って食おうなどとしていたのではあるまいな?」

「む、ぅ?」


 焦燥感の滲んだ声で尋ねる魔導書。

 不思議そうな表情を浮かべるレウシア。


 やがて再び、ひらりとレウシアの近くを蝶が飛び、彼女の赤い瞳は吸い寄せられるようにそれを追う。


「ッ!? や、やめろよ? 我は飲食を必要としない存在であるからして、他者のそれにケチをつけようとは思わん――思わんが、さすがにその絵面は見たくないぞ……」

「……ん」


 慄きながらの魔導書からの要求に、かくんとレウシアは頷いた。

 表情が乏しいのでその内心は読めないのだが、とりあえずいま、この場で蝶を食べるのはやめることにしたらしい。


「……でも、ごはん」

「そうだな。いっそ、人里に降りてみてはどうだ?」

「……ん。ヤギさん、おいしい」

「いやいやいや!? その小さな体では、もう家畜を攫って丸呑みになどできないぞッ!? 我が提案したのは、人里で食料を購入してはどうかという話だ!」

「……こう、にゅ?」


 いかに百五十年の時を生きようとも、少女の正体は竜である。やはり人の世には疎い様子であった。――というか、そもそも狩りのとき以外、ずっと洞窟にいるか日向ぼっこをしているかの竜生である。人族の常識を知っている道理はなかった。


 レウシアが再び首を傾げるので、魔導書は言い聞かせるように言葉を続ける。


「いいか、レウシアよ。人族どもの持っていた金貨が洞窟にあるだろう?」

「……ん。ぴかぴか、たくさん」

「村や街に行けば、あれと食料を交換することができるのだ」

「……え」


 物凄く嫌そうに顔をしかめるレウシア。まるでこの世の終わりのような表情だ。


「やだ、よ?」

「なぜだ? お前にとってはなんの価値もない物だろう。食べられもしないぞ?」

「だって、ぴかぴか……」


 よほど金貨を手放すのが嫌なのか、レウシアは珍しくあまり間を置くことなく喋る。魔導書から、吐息のような音が漏れ出た。どうやら嘆息したらしい。


「これだから邪竜という奴は……いいか? それが竜の習性なのかも知らんが、本来〝金〟という物は使ってこそ意味のあるものだ。ただ貯め込んでいてもどうにもならん。金貨と食料、いまのお前に必要なのはどっちだ?」

「ぴかぴか」

「なんでそこ即答なんだよ!? どう考えても食料だろうがッ!? い、いいか、全部を交換に使うわけではないぞ? ちょっとだけだ。ほんのちょっとだけ!」

「…………むぅ。わかっ、た」


 魔導書からの必死の説得に、やがてレウシアは渋々と頷いた。――自分で言っておいてなんだが、〝ちょっとだけ〟という言葉に頷いてしまう少女の思考に、若干の危うさを感じる魔導書であった。


 まあ、いまはそれについては、魔導書は彼女に教えないことにする。レウシアが空腹のあまり本当に蝶やらバッタやらを食べだす光景など、見たくはないのであるからして。


 きゅるると空腹を訴えるお腹を擦りながら立ち上がり、レウシアは金貨を取りに洞窟へと足を向けた。

 彼女の左手でぷらぷらと揺らされながら、魔導書はまるで教師のような口調で指示を出す。


「いいか、レウシアよ。そのままの格好で人里に向かうなよ? まずは服を着るんだ。洞窟の前に転がっている、人族どもの着ていたローブでいいだろう」

「……ん、わかっ、た」

「あれならそれなりの大きさがあるから、多少は翼と尻尾を誤魔化せるはずだ。フードがついていたから角も隠せる。――それにしても、お前の角はなんというか……竜族にしては小さいな?」

「……ん、かわ、いい?」

「いや、竜人ドラゴニュートの美醜など我にはわかりかねるが、まあ、よいのではないか? 髪飾りのようで」

「……えへへ」


 レウシアは嬉しそうにはにかみながら、魔導書を持った手をぶんぶん振って洞窟へと進んでいった。

 彼女の角が小さいのはさもありなん、竜族のそれは年齢とともに大きくなるのであるからして。


「……ぅ、あれ、なに?」


 ふいに、森の片隅に目を止めて、レウシアが魔導書に問いかけた。

 魔導書がそちらを確認したところ、どうやら赤い木苺がいくつも実っているようである。


「うん? どうした? ――ああ、木苺か」

「……きーち?」


 レウシアは木苺を知らないらしい。

 まあ、元のでかい図体では視界に入っていたかも怪しいものだ。


 魔導書はちょっとした親切心を発揮させ、彼女に一つ教えてやることにした。


「それは確か食えるはずだぞ? 試してみてはどうだ?」

「……ん。――んむッ!?」


 助言を受け、竜の少女は木苺を一粒採って口に入れる。


 そして次の瞬間、レウシアは目を見開いて魔導書を取り落とし、次々と木苺を毟り採って食べ始めた。


 がっつき過ぎて手と口元をべたべたに汚しながら、付近の実を食い尽くさんばかりの勢いで口へと運ぶ。


「おい! 我の表紙が痛むだろう、もう少し丁寧に扱わんか!」


 むしむしむし、ぱくぱくぱく。レウシアは魔導書の声が聞こえていないのか、すっかり木苺に夢中である。


「まったく、そんなに腹が減っていたのか。……しかしレウシア、木苺もいいが早く村へ向かわないのか? そんなもの、いくら食べても腹は膨れんぞ?」


 むしむしむし、ぱくぱくぱく。


「……おい、おいレウシア――」

「………………ん」


 やがて本当に見える範囲の木苺を食べ尽くしたあたりで、やっとレウシアは地面に落ちた魔導書へと振り返った。

 べとべとになった口の周りを、小さな腕でぐしぐし拭う。


「待てッ!? まさかお前、その状態の手で我を拾い上げる気ではあるまいな!?」

「……ぅ?」


 焦る魔導書からの問いかけに、レウシアは首を傾げて自らの手のひらをじっと見つめた。――力加減を誤って、いくつも木苺を潰してしまったせいでべたべたである。


「……あ」


 彼女がなにかに気づいたような表情を見せると、魔導書は少し気を緩めて指示を出す。


「うむ、そうだ。まだ我に触るなよ? 洞窟に戻れば、荷物の中に水筒があったはずだ。それで――あああッ!? だから触るなって!? アッ――!!」


 木苺まみれのべたべたの手で拾い上げられ、魔導書は断末魔の如き叫び声を響かせた。

 彼の書の白紙のページを開き、レウシアは手についた木苺の汁で、ぐしぐしと何事かを書き記す。


 ――今度の術式は、えらく短いんだな。


 魔導書は現実逃避を混じらせながら、そんな感想を抱いたのであった。 



 きーちご おいしい


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