邪竜レウシアの日記帳 ~封印により少女になってしまった邪竜、白の聖女と旅をする~

伊澄かなで

第一章:邪竜レウシアと白紙の魔導書

第1話:レウシア、取引をする


 きょうは にんげんさんが きました


 おむかえに いったら にんげんさんは すぐに かえって しまいました


 にんげんさんは よるにきたので わたしは ねむかったです


 にんげんさんも ねむかったのかな こんどは おはなしして みたいです




「嘘、だろ……?」


 揺らぐ松明の炎が、洞窟の岩肌に影を踊らせている。


 照らし出された地面には、白を基調とした神官服を纏った死体が六つ、折り重なるように積み上げられていた。

 そのいずれもが既に白骨と化しており、夜風に煽られはためくローブの隙間から、意思のない眼窩がんかうろを晒している。


「高位の神官と、我が国で〝勇者〟の称号まで得た男が、全滅だと……? いや、しかし――」


 松明を持つ男が、しゃがみ込んで死体の検分をする。


 小柄だが、引き締まった肉体に、精悍な顔立ちをした男だ。動きやすいよう軽装の革鎧を身に纏い、腰の後ろには短剣が着装されている。


 男の正面、積み重なった骸の前には、大きな洞窟が真っ暗な口腔を開いていた。

 そこに住み着いたという邪竜の討伐に向かったのち、消息不明となっている勇者一行の捜索が、斥候である彼に命じられた任務であった。


 ――とはいえ、邪竜による家畜などへの被害は収まっており、その討伐には成功しているはずである。


 この男も、そして国の重鎮たちもそう考えていた。


 勇者一行がいつまで経っても王都へ帰還しないため、恐らく近隣の村に滞在しているであろう彼らを急かす目的で送られた伝令役――といったほうが、この男の本来の任務としては正しいだろう。


 邪竜の住処へ足を踏み入れ、勇者一行の白骨死体を確認する任務などでは、決してなかったはずであった。


「……腐敗した形跡がない。齧られた痕跡も、ないな」


 この辺りの気候は穏やかだ。夜であればそれなりに冷えるとはいえ、日中は暖かい。


 加えて森の中である。死体が骨だけしか残っていないことはなんら不思議ではないのだが、野獣や虫に喰い尽くされたにしては損傷がなく、着ている衣服も不気味なくらい綺麗なままであった。


「どういうことだ……? 邪竜が毒のブレスを吐いたのか? いや、そんなはずは……」


 肉を溶かすほどの猛毒であれば、白骨死体に神官服とローブが残されているはずがない。

 さらに周囲の環境にも、少なからず影響があって然るべきだった。


 そのような痕跡は見られないし、そもそも邪竜が毒を吐くという報告は受けていないはずだ――と、男はかぶりを振って自らの考えを否定する。

 死体に触れてしまったことで、自分にもその毒の影響があるのではないかという、至極もっともな心理もそこには働いていた。


「とにかく、この事態の報告を……ッ!?」


 斥候の男が死体から顔を上げた次の瞬間、洞窟の奥からカツンと、小石が転がるような音がした。


 男は素早く腰の短剣に手を添えて、洞窟の中を睨みながらじりっと後ずさった。――邪竜だろうか? いや、村への被害は収まっているはずだ。邪竜の討伐には成功したのでは? しかし、勇者一行はここで死んでいる。だとすると――男の脳裏に様々な思考が巡り、松明を握る手に汗が滲む。


 ――ふわぁぁぁぁぁぁ――


 ふいに、地の底から轟く怨嗟の声に似た音が、洞窟の内部で反響し、男の耳を撫でていった。


 ――まさか、邪竜に喰い殺された亡者たちが、怨霊となって彷徨っているのか。


 男が恐怖に顔を歪めながら松明を掲げると――洞窟内の岩壁に、竜の尻尾と翼と思しき、巨大な影が照らし出された。


「うわあああああああああ――ッ!!」


 叫び声をあげ、松明を取り落とし、男は逃げる。


 草木が体にぶち当たり、石に足を取られそうになり、ぼろぼろになりながら、それでもその生存本能に従い、逃げる。


 ――なにが〝勇者〟だッ! 邪竜は健在じゃないか!? この報告を早く国に届けなくては。早く、早くあの邪竜から逃げなくては……ッ!


   *   *   *


「……ほぁぅ」


 そうして、闇夜の森へ松明も持たず斥候の男が消えたのち、その後ろ姿をぼんやりと見送っていた一人の少女が、眠そうな目を擦りながら欠伸を漏らした。


 夜の帳が下りたような漆黒の髪に、ルビーのような赤い瞳。


 一糸纏わぬその小さな体には、灰色がかった翼と尻尾が生えており、少女が人外の者――竜人ドラゴニュートであることを示していた。


「……?」


 竜人の少女はあどけない顔に疑問の表情を浮かべると、やがて落ちていた松明を拾い上げ、とてとてと洞窟の奥へと引き返していく。


 ――風が吹き、あとに残された死体の外套がはたはたと揺れていた。


 松明を手に洞窟へ戻ると、少女は平らな岩の上に置かれた、一冊の魔導書の前で立ち止まる。

 茶色い革の装丁に、金色の幾何学模様が描かれた本だ。所々が傷み、表紙の文字は読めないほどに擦れている。見た目からして、相当古い物なのだろう。


「――おい、レウシア。さっきの騒ぎはなんだったのだ?」


 少女が魔導書を覗き込むと、他に誰もいないはずの洞窟内に低いの男の声が響いた。


「……お客さん。でも、帰っちゃった、よ」

「ふん、そうか。……まあそれはいいのだが、松明を持って近くに立つのはやめてくれんか? 別にそう簡単に燃えはせぬのだが、どうも落ち着かん」

「……ん、わかっ、た」


 声はその魔導書から発せられたようで、竜人の少女――レウシアは眠そうな声で答えると、傍らの荷物をごそごそ漁り、中からランタンを取り出した。


 外の白骨死体である勇者一行の荷物の中には、ランタンの他にも、コンパス、金貨、魔法のスクロール、水筒など旅に必要な様々な物品が詰められており、彼女はそれを拾って自分のものにしたようである。


 レウシアはランタンに火を灯してから、松明の炎に息を吹きかけた。燃え盛るオレンジ色が微かに揺らめき、パチパチと火の粉が音を立てる。


「…………」


 しばし眺めたのちに、今度は地面に擦りつける。

 しっかりとした松明なのだろう、そうした扱いを受けても炎が消える気配はない。


「……てりゃ」

「っうわッ!? おおおい!? やめろやめろッ! とりあえず、その辺の壁にでも立てかけておけばよいであろうがッ!」

「……ん」


 レウシアが松明を振り回し、ぶぉんぶぉんッと火炎が舞った。

 魔導書が制止の声をあげ、竜人の少女は松明を洞窟の壁に立てかける。


「……むぅ」


 いましがたの奇行は炎を消すためのものであったらしい。レウシアはどことなく不満そうに未だ燃える松明を見やり、しかしすぐに興味を失ったのか視線を外した。


 次にレウシアは羽ペンとインク瓶を取り出し、魔導書を開いて岩に腰かける。


 魔導書の中身は、その古めかしい外見とは裏腹に真っ白であった。きめ細やかな紙の頁には、なにも書かれてはいないようだ。


 白紙のページに向かい、レウシアは握り込んだ羽ペンで何事かをぐしぐしと書き記す。


「――そうだ、邪竜レウシア」


 白紙の魔導書が、囁きかけるようにレウシアへ告げる。


「我の中身が再び魔導で埋まり、本来の力を取り戻した暁には、お前を元の竜の姿へと戻してやろう。……なにも知らずに、自らを生贄として封印の術を発動させた人間どもには悪いがな。我もいつまでも、力を失ったままでいるわけにはいかぬ。これは取引だ、よいな?」

「……ん、わかっ、た」


 ぐしぐし。


「ククク、しかし百五十年生きた邪竜の魔導を、この身に刻むことになろうとはな。――自らの頁を見れぬのは口惜しいが、さぞや邪悪な術式なのだろうな?」

「……うん。がんば、る」


 ぐしぐしぐし。


 邪竜の少女は書き連ねる。その身に宿る魔力を込めて――ちなみに、竜の寿命は千年を優に超える。

 今年で百五十歳になる彼女が人間換算で何歳なのかは、魔導書のあずかり知らぬ話であった。

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