森のくまさん

おかわり自由

 

「かごめかごめって歌知ってる?かーごめかごめ、かーごのなーかのとーりーはー、ってやつ。知ってる?うん、あのさ、あの歌の歌詞意味わかんないじゃん、実はあの歌が徳川埋蔵金の隠し場所を示した暗号だっつう話があってさ、俺は行ったことねえからよく分かんないんだけど、どうやらあの歌の歌詞が日光東照宮の敷地の中のある場所をピンポイントで示してるらしいっつってさ。すごくね?でもまさか日光東照宮に重機とかブッ込んで掘り返しまくるわけにもいかねえからそのままになってて、誰もそれを確かめられねえんだって。ほんとだったらすげえ話だよなあ。ていうか徳川埋蔵金て今の金にしたらいくらぐらいあんだろ、戦闘機とか買えるかな」


僕が黙々と昼食のウイダーインゼリーをすする横で黒い獣がひたすらどうでもいい熱弁をふるっている。こいつとはついさっき林道で出会って知り合ったばかりだ。

僕は友達と5人で近くの山へハイキングに来ていた。ハイキングなんて初めて来たからちょっと不安ではあったけれど、辺り一面を覆う自然の木々や草花に囲まれながら歩くうち、知らず知らずなんだか心地よくなって、山はいいな、うれしいな、たのしいな等と謎の多幸感すら感じ始めていた。マイナスイオンのオーバードーズで頭がおかしくなったのかもしれない。

惜しむらくはこの山がかつての日本軍とロシア軍の激戦地であったことで、至る所に不発弾や地雷などのブービートラップが除去されないまま放置されていて、僕を除く4名はいずれもそのトラップの犠牲になって入山から15分で全滅してしまった。だが既に心が浮き足立っている僕にはそんなことはもはやどうでもいい。というか奴らは何度も登山やらハイキングやらやっているベテランの分際でその程度の情報すら事前に収集できず注意も対策もしない無能なのだから淘汰されて当たり前である。


鼻歌で「加藤隼戦闘隊」を口ずさみながらゴキゲンで林道を歩く僕の前に突如としてそいつは姿を表した。付近を鮮やかに彩る赤や黄や緑とは明らかに異質な存在。

「風景」と呼称する以外に表現のしようがないほどの風景然とした眺望の中に圧倒的に絶望的に屹立する黒い異物。


ああ、これは…

これは噂に聞く、あの、山で出会ったら一番危険な存在といわれるアレか。


僕はとっさにその場に倒れこんで死んだふりをした。熊の興味を逸らせるかもしれない唯一の方法。荒い息遣いが近づいてくる。猛烈な獣臭が鼻を突く。もうそいつは息がかかるほどの距離に迫っている。どうか、どうかこいつが腹を空かせていませんように。呼吸を必死で抑えながら僕はそう祈るしかなかった。

不運なことに僕は昨晩ネットサーフィン中に、どういう経路で見に行ったのか忘れたけど熊に襲われて食われた人間の死体画像を見てしまっていたから、余計に恐怖が高まっていく。嫌だ。生きたまま引き裂かれ噛み千切られた挙句あんな無惨な姿にされて死ぬんだったら、さっきの山田君みたいに不発弾で跡形もなく消し飛んだほうがまだマシだ。



「いやあの、大丈夫っすよ、あの、別に食ったりとかしないし、暇なんでちょっとお話とかどうっすかね、いやまあ無理ならいいんだけど…」


不意にそんな言葉を頭上から浴びせられて、僕は思わず「へ?」と声を出してしまった。獣臭が遠のく。

恐る恐る顔を上げてみると、熊が少し離れたところでニコニコしながら手招きしていた。



30分後、僕と熊は小川のほとりの岩に並んで腰掛けていた。いい場所を知ってるから来いと言われて、言われるがままについていったけれど、確かにいい場所だ。とても静かで落ち着く。隣に座っているこいつがちょっと黙ってくれればもっといいのだけど。


「大体さあ、人間なんて食っても大して美味くねえんだわ、なんか筋ばっかりでさ、あれ歯に引っかかってクソ鬱陶しいんだよ。夏場はまだいいけど秋口あたりになるとやたら厚着して来やがるから服剥ぐのもめんどくせえしさあ、川で魚取って食ってた方が全然お手軽だし味もいいんだよ。まったく…どこのどいつが『熊は人間に出くわしたら見境なく襲いかかって食う』なんて言いふらしたんだか知らねえけどさ、やんねっつうの。困るのはさあ、たまーにどっかのアホな熊が人間襲ったりしちまうと、次の日には散弾銃持った連中がさ、なんだっけ、リョウユウカイ?まあ何でもいいや、とにかくそんな感じのが何人もぞろぞろ山に入ってきて俺らをガンガン撃ち殺しにかかるんだよ。こえーよ。あれはマジで参るわ。人間襲った本人はさあ、まあ百歩譲って撃たれてもしょうがねえかなと思うけど、あいつら熊と見たら見境なく撃ちまくるからさあ、いい迷惑だよほんとに……ところでさっきから何チューチューやってんの。えっメシ? それが? ウイダーインゼリー? うーん聞いたことねえわ、うまいの?…普通? そっかあ」


時刻は既に午後2時を回っていた。こんな異様な状況でもしっかり腹は減るんだなあ、などと妙な感慨にふけりながらプラスチックの容器を握りつぶしてはゼリーを吸い出す。彼の口からはとめどなく有象無象の雑談が繰り出され続けた。久々に人と話せて嬉しかったのかもしれない。そう考えると、どこをどう切り取っても満遍なくどうでもいい彼の話も、なんだか楽しく聞いていられるのだった。


ややあって、ようやく彼も少し気が済んだのか、しばしの沈黙が流れる。そういえば彼は腹は減らないのだろうか。


「俺?俺だってそりゃあ、この時間は昼時だから、腹は減ってるよ。てか実を言うと昨日から何も食ってないんだ、いい感じの食い物が見つからなくてさ…正直、お前以外の誰かだったら、襲って食ってたかもしれないな」


「…なんで襲わなかったの」

「お前、歌ってたろ」

「え?」

「軍歌だよ、加藤隼戦闘隊」

「あ、ああ…」


「いやあ、懐かしいねえ」熊がのそりと立ち上がると、右腕を振り上げて敬礼の姿勢を取った。


「天皇陛下万歳!帝國陸軍万歳! 我ら陸軍第六ヒグマ連隊こそは帝都防衛の要である!既に敵ロシア兵は第一、第二国防圏を突破し、いよいよもって絶対最終防衛線たるこの五百三高地に迫りつつある!我々の任務はこれを迎撃、殲滅せしむるにあり!敵は多勢ではあるが、各員乾坤一擲の精神をもって奮励努力し…」


僕はここがかつてロシアとの本土決戦の激戦地であったことを思い出した。そしてその戦争では、不足する兵員を補うために、高度な軍事訓練を受けたヒグマの部隊が前線に投入されていたことも記録に残っている。今、僕の目の前にいる彼こそは、かつて大日本帝国を守るためにその命を捧げて決死の覚悟で戦った勇士、その生き残りであったのだ。

僕が襲われなかったのは、当時の軍歌を歌っていたからだ。戦争はとっくの昔に終わっていて、あの頃の愛国主義やら軍国主義やらはもう誰の頭にも残ってないことくらいこいつも承知だろうけど、暇つぶしの話し相手くらいにはなるだろうと思ったのかもしれない。


「ごめん。君のこと、ただの話し好きの鬱陶しい熊だと思ってたよ」

「ふふ。人は見かけによらないだろ?」

「熊だけどね」

「揚げ足取んじゃねえよ」

「でもすごいね。ここではどんな戦いがあったの?」

「んー、あんまよく覚えてないけど、とにかく相手は2000人位だったかなあ。2000人て言うか2000匹だけど」

「匹?」

「うん、向こうも熊だし」

「熊!?」

「うん、ロシアの熊」

「ロシアの熊!?」

「いやあそりゃもう凄かったんだぜ、脇目も振らず突進してくる敵兵どもを俺たちはちぎっては投げちぎっては投げ…」

身振り手振り、ジェスチャーを交えながら当時の激戦を再現して見せる熊。


その時、熊の足元でカチリと何かの音がした。

「あ」

「あ」


視界が真っ白に染まり、続いて凄まじい衝撃が僕の体を貫く。いやそんな。よりによってここに?

「地雷やら不発弾やらで俺らが木っ端微塵に吹っ飛んだの見てなかったのかよアホが。分かってて注意も対策もしない無能は淘汰されて当たり前だよなあ?」

どこからか死んだはずの山田君の声が聞こえ、そして僕の意識は闇に落ちていった。

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