第11話 無いっ!

 チャイムが鳴る前に何とかクラスへと辿り着き、バッグを机の脇にかけ、ようやく一息つけると椅子にもたれる。窓際のこの席には丁度良い日があたり、開け放たれた窓からは涼しい風が吹き込んで来ていた。


 春も終わりに差し掛かっていて、穏やかな日差しが良太に心地よい睡魔を呼んでくるが、授業の真っ最中、なんとか教師の話を頭に入れていた。


 3時限目の授業が終わったころ、重い瞼が覚醒する瞬間が訪れた。


「良太っ!」


「なっ?!」


 教室のドアが勢いよく開け放たれ、激しい音がクラス中に響き渡る。それと同時に名前を呼ばれ、良太は驚いて顔を上げた。


「見つけた」


「リムっ?! なんで?」


 まどろみに抵抗していた良太にはまさに寝耳に水。想定していない彼女の登場に、先ほど迄船を漕いでいた頭の中でパニックが起こる。


 幸いにも彼女は、先日購入したばかりの服に身を包み、角も見えないようにしていた。

 

「だれだ?」


「可愛い」


「浅野の妹か?」


 そんなクラスの連中の注目を集めるリムは、その大きな胸を満足げに反らせて良太へと近づく。休み時間なのにも関わらず、ひそひそとした話声以外が無い教室内を静寂が包み込んだ。


「良太。母に頼まれた。忘れ物」


「……あ、ああ。ありが……と、う?」


 何をするのかと警戒する良太の机の上に、ドンっと巾着袋を置くリム。


 困惑している良太は空返事をし、それをバッグにしまうべく持ち上げたのだが動きを止める。毎日母が作ってくれるお弁当、持ちなれたその弁当箱に違和感を感じたのだ。


「あれ……? 軽くないか、これ?」


「ちゃんと届けた。えらい?」


「いや、ちょっと待ってくれリム」


 恐る恐る包みを解く。


 事の成り行きを静かに見守るクラスメート達。


 弁当箱を開けると。


 中は。


「無い……」


「美味かったぞ」


 満面の笑みで良太を見つめる彼女の瞳を、げんなりとした顔で見返す。


 まるで食べる事も、頼まれごとの1つだと言わんばかりに満足げなのだが、空の箱を持ってきて良太に何を届けたのだろう。


「無いな……中身」


「美味しかったぞ」


 同じ言葉を繰り返すリムを見て、なぜだか悲しくなってくる。目頭を押さえて天を仰ぎ、もう一度彼女の顔を見た。


 そこには誉めろと言いたげな美少女。


「お弁当って……わかるか?」


「ん? 美味しいごはんが入ってる箱」


 質問の意味が伝わっていないのか小首を傾げるリム。


 その答えは正しい。


 確かにごはんが入っている箱がお弁当だ。


 だが。


「……俺が家から持って行くのを忘れた弁当。これを俺に届けてほしいって母さんに言われたんだろ?」


「うん……美味しかった」


「いや、そうじゃなくて。……中身を俺が食べる物だとは思わなかったのか?」


 理解していない様子のリムに順を追って説明をする。何が悲しくて自分で食べてもいない空の弁当箱を持ち帰らなくてはならないのか。


 小柄な彼女の目線に合わせる為に少し屈んだ良太の真摯な表情に感じるものがあったのだろう。


「……はっ!!」


「はっ!! じゃないっ! お前が、俺の、昼飯を食っちまったんだよっ!」


 何かに気づいたリムは驚きの表情で息を呑む。


 そんな彼女に悲しみを言葉にする良太だったが。


「良太の分も少し取っておいてほしかったのか?!」


「違うっ!」


 その意図を彼女がくみ取ってくれることは無く、心の中で涙を流す良太の否定の声が教室に鳴り響いた。




 結局リムに事の重大さを認識させるために。休み時間を全て消費することになり、教室から彼女を追いだして4時限目に臨む。


 先ほどまで感じていた眠気はどこかに行ってしまったが、今度は空腹が良太を襲いだす。弁当は結局リムが食べてしまったが、非常用のお金で購買のパンは買える。


 この授業が終わったら購買に走ろうと決めて教師の話に耳を傾けた。


「なあ良太。さっきの……」


「すまないあとで」


 そうしている内に就業のベルが鳴り、良太は立ち上がると、話しかけてくる友人に目もくれず教室を後にする。


 弁当を食べられない事は残念だったが、他の誰よりも早く購買に着けば人気のカツ卵サーモンいなりサンドが食べられるのだ。


 通常の1.5倍のスピードで階段を駆け下りた良太は目的の場所へと一早く到着する事が出来た。


「おばちゃんっ! カツ卵サーモンいなりサンド1つっ!」


 部屋に飛び込むなり良太は財布の中の小銭と取り出す。


「あっ! 良太。これ美味しい」


「ん……?」


 誰よりも早く到着したはずの購買には見知った顔の女子が1人。


 あまりお世話になった事のない購買では、美味しそうに良太の目当てのパンをリムが頬張っていた。


「この子の家族かい? 申し訳ないけどこの子が食べた分の代金もらえないかねえ」


「…………あ。……はい」


 こうして非常用のお金もリムのお腹の中に消えてしまった良太は、どこか達観とした様子で悲しみの言葉すら出てこなかったのだった。

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