始めての女装。
えーと、今何て言った?
『女装に興味はありませんか』だよな?
………。
なんで?
「え、えーと張替さん、だよね?」
「はい」
「女装っていうのは──」
「興味あるの!?」
張替が僕の手を取り、ずい、と前のめりになって聞いてくる。
途端、足がぷるぷると震え始めた。
相手と話すだけでも過去の恐怖で足が竦む。
これがコミュ障の極地だ。
こうなってしまうと、相手に慣れるまでは時間経過で震えが全身まで広がっていく。正直、自分でも情けないと自覚しているが、意志でどうこうなる問題ではないのだ。
さて、一刻も早く手を放して欲しいが、ストレートに伝えると相手が傷つく可能性もある。だから僕は平静を装い、震える手で眼鏡を上げると、ゆっくりと話し始めた。
「は、張替さん。とにかく手を──」
「私、今日ずっと奏雨くんを見てたの」
この女全然聞いてない!
そろそろ震えが全身にまわってきた僕をよそに、張替はうっとりした目で話し始めた。
「眼鏡と前髪で隠れてるけど、顔の線が細くてすごくきれいだなって。女装したらどんなにうぇへへ」
おい、今本性現さなかったかコイツ!
「や、やめろ! 僕はそんなものに興味はない!」
身の危険を感じたので、張替の手を強引に振りほどいて、すぐに距離を取る。
「だいたい、僕は女性が嫌いなんだ」
そうだ。流石にここまで言ってまだ女装しろ、だなんて言える奴──。
「大丈夫! 初めてで不安なら私がサポートするから!」
嘘だろコイツ。どんなメンタルしてんだよ!
「いや張替も女だろ!」
「大丈夫、大丈夫だから!」
コイツ、『大丈夫』だけで押し切ろうとしてやがる……。
「一度だけ、一度だけでいいの!」
「だから、嫌なものは嫌だって!」
そう言って強引に話を切ると教室から出ていく。
背後から「絶対に諦めない……」と聞こえたが何も聞かなかったことにした。
★★★
次の日。
「お願いします!」
張替は僕が登校するや否や、机の前にやってきて手を差し出して来た。
クラスがざわざわと騒ぐ。
それはそうだろう。傍から見れば告白現場だ。
コイツ手段を選ばなさすぎだろ!
「ご、ごめん、ちょっと用事が!」
僕は慌てて教室から逃げ出して教室の視線から逃れた。
その次の日。
「一回だけでいいんです!」
張替は廊下でお願いしてきた。
またその次の日。
「五枚までなら出せます!」
張替はお金を持ってきてお願いした。
それから一週間、張替は毎日僕の所に来て、ところ構わず「女装しろ!」と言い続けてきた。
おかげで今や学校ではあることない事憶測が飛び交っている。大抵は僕がクズ野郎認定されているが。
今は放課後。僕は張替に人気の無い廊下まで連れ出されていた。
「お願いします!」
差し出される女装道具。
「はぁ……、嫌だ」
ため息をつき、踵を返して教室へと戻る。
「お願い! 一回だけ! 一回だけだから!」
「だから嫌だって──」
差し出されたウィッグを振り払おうと振り向いたその時。
むにゅ、と柔らかい感触が手に伝わった。
僕の右手が、張替の胸をつかんでいる。
「ご、ごめんっ!」
慌てて手を離す。
「……」
張替は驚いたように自分の胸を見つめていたが、急に何かを思いついたかのように、にやりと笑った。
「あーあ、私の胸、触っちゃった」
「ぐっ……!」
「お詫び、しないとね」
「けっ、けどワザとじゃ……!」
「お詫びに女装、出来るよね?」
にこり、と笑ってもう一度聞いてくる。
「分かった、分かったから!」
「本当!?」
僕が了承した途端、ぱっと花のような笑顔を咲かせる張替。
「よし、じゃあまずはこっち来て」
張替はテキパキと歩いて、あっと言う間に空き教室までつれて来られた。
そして実にうきうきとした様子で鞄から女装道具一式を取り出し始める。
「じゃあ、まずはこれに着替えてね」
ウィッグと、女物の制服を手渡された。
「サイズは合ってると思う。それじゃ出ていくか
ら、着替え終わったら呼んでね」
そう怒涛の勢いで説明を終えると、張替は教室を出ていった。
手元に残された制服を見る。
「……」
一息、ため息をついた。
何だか騙された気がする。
★★★
「張替、終わった」
教室の扉を少しだけ開けて、外にいた張替に着替えが終わった事を告げる。
張替は待ってましたとばかり振り返って、ドアの隙間から少しだけ見える僕を見て目をきらりと輝かせた。
「もうかわいい……」
張替が勢いよく扉を開く。
「ちょ、あんま見ないで……」
慌てて制止するも、意にも介さず張替は一人盛り上がり始める。
「きゃーーっ! かわいいっ!」
僕が居心地悪そうに立っている所を、張替は「かわいい、かわいい」と連呼しながらカメラをパシャパシャと切り抜き続けている。
「黒髪ロングに眼鏡。それに生足。最高……」
張替は時にうっとりと、時に情熱的に表情をころころと変える。
「ねね、萌え袖を顔の近くに持っていってくれないかな?」
言われた通りにカーディガンで萌え袖を作って顔の近くに持っていく。
「待ってっ! かわいい! 女の子よりかわいい!」
張替のシャッターを切る速度がさらに加速する。
一方、僕は慣れない制服に体を捻らせていた。
……ていうか、めっちゃスースーするんですけど。
しかも、スカートって凄くひらひらしてるからちょっと風が吹いたら見えそうで怖い。
女の子ってこんなに大変なの……?
「その内股でもじもじしてるのも可愛い!」
恥ずかしがる僕は逆に張替のツボを刺激したようだ。
張替のテンションが一層上がる。
それからしばらくして、ようやく張替は一通り撮り終わったようで、満足げに息吐いて、自分のスマホに頬擦りしていた。
「うへへ、かわいい男の娘の写真がこんなに」
「……」
学園のアイドルとはいえ、いくらなんでも今のは引いた。
「はぁ、もういいだろ、脱ぐからな」
ウィッグに手を伸ばすが、その手を勢いよく掴まれる。
「いやいやまだだよ。お化粧、してないじゃん」
「は、いやそこまでするなんて聞いてないって!?」
張替が自分の胸をとんとん、とつつく。
「ぐ……、わ、分かったよ」
「よろしい♪」
(ええい! どうにでもなれ!)
弱みを握られた僕は素直に従った。
張替は上機嫌に鼻歌を歌いながら化粧道具を取り出し始める。
手近な椅子に座らされると、目の前に張替がやってきて、「目、閉じて」と言った。
そしてしばらくの後。
「こ、これが自分……?」
目の前に置かれた鏡に映る自分をみて、僕は驚愕していた。
ぱっちりと大きな目。眼鏡はコンタクトに。ずっと勉強で引き篭もっていたせいで病的に白い肌はうっすらと赤く。あんなに地味だった顔がナチュラルメイクで見事変貌している。
今の僕は、何処からどう見ても美少女だった。
人って化粧でこんなに変わるものなの?
「あああ……かわいい」
後ろから一緒に鏡を覗き込んでいる張替えなんかは何だかとっても危ない顔をしている。
「僕は──」
──いつ解放されるんだ。
そうひとり言を呟こうとしたその時。
「私」
「え?」
「だから、わたし」
張替はくすりと笑って、最後にこう付け足した。
「せっかく女装したんだから」
「なっ、そこまでするのか!?」
張替えがスマホを振る。
「わ、私……」
「うんうん」
張替は満足気に頷くと、ポケットからスマホを取り出し、
「よし、じゃ、もう一度撮影会いっとこっか」
「へ? いや待てなんか顔が怖いぞ」
張替が悪い笑顔でスマホを取り出し、じりじりと追い詰めるように近寄ってきた。
その迫力に押され、僕もじりじりと後退していくが、すぐに背中が壁に当たった。
張替がさらにいやらしく、にやりと笑う。
「う、うわああああっ!」
僕の悲鳴が響き渡った。
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