第33話 脱出

 ヒカルを抱えてインカが上階へと現れたとき、目に入ったのはコルセアの剣によって肩口を切り裂かれたヨウジの姿。


 吹き上がった血飛沫がインカの白いグランアーマーに赤い点を描する。


「まーだまだっ!」


 しかしヨウジは意気軒高。傷を庇う事もなく前に出た。


 上段から斬り下ろすコルセアの手元をめがけてヨウジは腕を振るい、見えない砲弾を撃ち込む。


 超音速のそれを剣の腹で受けて横へと流せば、そらされた砲弾はコルセアの背後に大穴を開けた。


「よくぞかわした。褒めてやる」

「君の方こそよく体力が続くものだ。驚いたよ」


「本当に驚くのはこれからだがな」

「だといいけどね」


 そう言うとコルセアは片手で腰の高さを真横に薙ぎ払い、半身でかわしたヨウジの顔を、胸を、腹を突く。だが相手はすべて紙一重でかわす。コルセアの剣が止まった。


「どうした、もう終わりか」


 ヨウジは小馬鹿にしたように手先で招くが、コルセアは構えを解いた。


「なるほど、地味に驚いた」

「何」


「私の剣筋はすでに見切っているのか。さっき肩口を切らせたのはカウンターを入れるための撒き餌だった訳だ。さすが剣神の息子、いい目をしている」


 ヨウジは舌打ちをすると、「インカ!」と怒鳴った。


「は、はい」

「何をぼさっとしている。さっさとシャトルに向かえ」


 慌てて壁の穴に向かうインカに向かってコルセアは剣を投げつける。


 しかし剣は空中で見えない何かにぶつかって跳ね返ると、結合を解いた。


 剣の姿が消えると同時に、コルセアの両手が一瞬霧に包まれる。姿を現わす新たな武器。ナックルガードの付いた短い柄の両端に刃が生えた物。それが両手に。


「この双頭短剣は特注でね」

「ほう、そりゃ趣味の悪い」


「いつどこで使おうかと悩んでいたんだけど」

「部屋にでも飾っておけばよかろう」


「やっと使う場所が見つかったよ」

「無理して使うほどの物でもあるまいに」


 コルセアはボクサースタイルで構えた。


「さあ、格闘戦と行こうか」

「まるで子供だな。新しい玩具がそんなに嬉しいか」


 そう言うヨウジの顔もまた、満面の笑みであった。


 ブン! 風切音を立ててコルセアの拳がヨウジに迫る。


 速度だけなら黒鉄のンディールが上である。だがこの拳はより重い。しかも厄介な事に拳の左右に刃がある。


 刃に気を取られると拳の軌道を見誤る。しかし拳ばかりを気にしていては、手首の捻りで自在に動く刃に捕らえられる。故に紙一重ではかわせない。


 つまりその分ヨウジの動きが大きくなる。無駄な動作も増える。逃げに要する時間が増えて、攻めに転じる余裕がなくなる。


 対するコルセアは一撃一撃加える度に、その精度を高めていった。さらに連続攻撃でヨウジの上体が起きたところを見計らい、蹴りを放つ。


 ぬるり、かろうじて流体防御でかわしたが、受ける側の判断は格段に複雑さを増している。さしものヨウジとて、すべての攻撃をかわし切ることは不可能であろうと思われた。


 少なくとも、神討アカリはそう見ていた。




 職員たちを乗せた避難用ボートは、無事円卓から離れた。


 それを見計らい――焦って衝突しては元も子もない――アマンダルはシャトルの発射シークエンスを開始した。


 シークエンスと言ってもメインコンピューターさえ立ち上げれば、あとは音声で命じるだけである。シャトル内には他にク・クーが、エイイチが、ノナが乗っていた。


 中でもノナは危険な状態であり、早急に最短距離で地球に降りる必要がある。他の者を待っている余裕はない。


 シャトルはまだもう一台、ヒカルたちが乗ってきた小型の物がある。イナズマはそちらで、ヨウジたちを待っていた。


 だがシークエンスは中断された。シャトルのコンピューターが沈黙しただけではなく、無重力ブロックの施設電源がシャットダウンされたのだ。


「おのれ、マーリンか」


 アマンダルの言葉通り、円卓の中央制御コンピューター、マーリンはまだ生きていた。


 そこに轟音が響いた。




 穴の中、インカはヒカルを抱いて無重力ブロックへと向かっている。


 途中、ハーンを介抱するクリシュナと出会ったが、お互い見て見ぬ振りをした。


 四拳聖たちは先にドッキングポートに向かったはずだ。まだシャトルは残っているだろうか。インカがそう考えたとき、ヒカルが、いや星辰眼が口を開いた。


「いまのうちじゃ、急げ」

「えっ」


「あやつはお主らが思うておるほど、まともな奴ではない」


 あやつとは誰の事か、とインカがたずねようとしたとき。


 そこに轟音が響いた。




 クリシュナがハーンの元に辿り着いたとき、すでに医療ロボットが止血を行っていた。


 切り落とされた腕も殺菌保存されており、後はメディカルルームにさえ運べばマーリンがすべて処置してくれるはずだ。


「おし、行くぜ親父」


 肩を貸すクリシュナに、しかしハーンは首を振った。


「我の事は捨て置け。それよりコルセア卿の元へ」

「そんな訳に行くか。大体コルセアなら大丈夫だ。あいつ以上の化け物なんていやしないよ」


「クリシュナよ、それは不遜な考えなのだ」

「いいから歩けって」


 二人が廊下へ抜ける扉に近づいたとき、壁の大穴から白いグランアーマーが、星辰眼を抱いて飛び出してきた。一瞬目が合う。だが。


「構うな。いまはコルセア卿の元へ急げ」

「わかってるよ、いまは口より足を動かしな」


 クリシュナがそう答えたとき。


 そこに轟音が響いた。




 いま、愛する男が自分の弟を殺そうとしている。


 すべての原因は己にある。


 すべての罪を背負わねばならない。


 だから目を逸らしてはならない。アカリは二人の戦いを見つめていた。


 結果は間もなく出る。ヨウジの守りは鉄壁だった。だが、その守備力を上回る攻撃力を前にしては、もはや風前の灯火。


 上から下から左右から、変幻自在に攻めるコルセアに、ヨウジは打つ手なくただ追い詰められて行った。


 もう終わった。後はなるべく苦しまない事を祈るだけ。そのアカリの目の前で、コルセアは立ち止まった。


 肩で苦しそうに息をしている。何だ、何が起きている。


 戸惑うアカリの顔を、一瞬ヨウジの視線が捉えた。ニッと歯を剥いたその笑顔。アカリの脳裏を、「悪魔」という言葉がよぎった。




 グランアーマーの視界の中に、赤いアラートが点滅している。酸素残量という文字が見える。コルセアは息を吸った。だが吸っても吸っても苦しさが増すばかりである。


「さて、そろそろ終わりか」


 ヨウジはそう言うと、構えを解いた。


「ヨウジ、おまえ、何をした」


 苦しげなコルセアを、ヨウジは見下ろすようにその問いに答えた。


「不可視の軍団、攻城部隊」

「……何だと」


「いかに最新鋭とは言え、所詮グランアーマー如き、城を落とす事を思えば造作もない相手よな」


 不可視の軍団、確かその言葉は報告書で読んだ気がする。ただのハッタリだと思っていたのだが。ヨウジは言葉を続けた。


「貴様らのグランアーマーは宇宙空間での活動を想定して、内部に酸素発生装置を備えている。もっとも普段、大気中で活動する際にそれは使われない。当たり前の事だ。そこで我が部隊は貴様の周囲に薄く、しかしみっちりと空気の層を作った。外部からグランアーマーの中に酸素が入らないように。すなわち」


 ヨウジは嗤った。悪魔の如く。


「酸素の兵糧攻めを仕掛けた訳だ」

「馬鹿、な」


「貴様がどれほどの化け物であろうと、酸素なしでは動けまいからな。酸素が入って来なくなれば、グランアーマーは自動で酸素発生装置を作動させる。それはシームレスに行われるために、いちいちアラートは出ない。せいぜい酸素残量が変化するだけだ。だが供給される酸素は当然ながら有限だ。全力で戦闘行為など行えば、あっという間に尽きてしまう」


「おまえ、最初から」

「当然狙っていたさ。言わなかったか、奥の手はそうそう見せびらかすものではないのだよ」


 コルセアは一層息が荒くなってきた。足が前に出ない、腕が上がらない、ついには双頭短剣を手から落としてしまった。


「おの、れ、くそ」

「貴様がこれから取り得る選択肢は二つしかない。そのまま窒息死するか、もしくはグランアーマーの結合を解いて外の酸素を吸うかだ。さあ、好きな方を選べ」


 死んでたまるか。コルセアが選ぶならば一つしかない。そしてそこに、例え千分の一でも、万分の一でも、可能性があるのなら。


 コルセアは、グランアーマーの結合を解いた。そして走った。一気に、ヨウジに向かって。


 その喉元を手刀で貫かんとする。が、ヨウジの姿は消えた。視界が暗くなる。コルセアの顔はヨウジの掌に包まれていた。その掌と顔の間に風の音。そして圧縮空気の破裂音。コルセアの身体は真後ろに五メートルほど飛んだ。


「終わりだ」


 ヨウジは高く手をかざした。その手にごうごうと音を立てて風が集まる。


 いけない、アカリは走った。コルセアの身を守らなくては。だがそんなアカリを嘲笑うように、ヨウジの腕は振り下ろされた。見えない砲弾が放たれる。


 そこに轟音が響いた。


 見えない砲弾は炸裂した。コルセアからは随分と離れた場所に。


 砲弾は床を貫通し、大穴を開けた。室内の照明が消え、非常灯が点灯する。同時にアカリたちの身体が宙に浮いた。人工重力が消え去ったのだ。


「何が起きているの」


 コルセアを抱き起こしながら問うアカリに、ヨウジは答えた。


「マーリンを殺したのさ。これでこの船は沈む」

「なんて事を。制御を失ったエネルギー炉が暴走したら」


「ならばそれまでに脱出することだ。健闘を祈っておいてやる」


 そう言い残し、ヨウジはドッキングポートへと向かって飛んだ。 




 ドッキングポートでは全ての電源が落とされたが、先ほどから急に非常灯が点灯し、シャトルのコンピューターが立ち上げ可能になった。


 それでも発射シークエンスは実行されない。シャトルには四拳聖の他にヒカルとインカが、そしてイナズマも合流していた。


 操縦席のアマンダルはいろんなスイッチを触ってはみるが、発射シークエンスが開始されそうな物は見当たらなかった。


「何だ、まだ出ていなかったのか」


 呆れた声を上げて、ヨウジが操縦室に入ってきた。


「いろいろやってはいるが、マーリンに邪魔されてから出られんのだ」


 アマンダルは焦っている。


「マーリンはもう死んだ」

「何だと」


「もっとも同時にドッキングポートの機能も死んだから、自動で発射するのは無理だろうがな」

「なら、どうするのだ」


「コンピューター」


 ヨウジの問いかけに、シャトルのコンピューターはメインモニターを一段明るくして応えた。ヨウジは続けてこう命じる。


「マニュアルシークエンス開始、コンピューターヘルプ」

「マニュアルシークエンス了解。ヘルプ起動します」


「後はコンピューターの指示通りに操作すればいい。任せたぞ」


 ヨウジはアマンダルの肩を、ぽん、と叩いた。アマンダルはしばし呆気に取られていた。




「あれ、ここはどこだ……何で裸なんだ……ああっ、頭から血が出てるじゃないか、なんだこりゃ!」


 目を覚ましたアルホプテスの耳に、近づいて来る声が聞こえた。


「生きてるかデカブツ、動けるんなら飛べ」


 癇に障るその声は、間違いなく白銀のクリシュナ。


「おい、これはどういう事だ。どうなってるんだ、いったい」

「うるせーよ、説明なんかしてる暇ねーんだよ、さっさと動け」


 普段キザったらしいクリシュナらしからぬ乱暴な言葉遣いに驚いてよく見ると、クリシュナはハーンを背負い、アカリがコルセアに肩を貸してこちらに飛んでくる。


「コルセア様! 何がございましたか。おいクリシュナ、何があった、どこへ行くのだ、おい」

「ボートだ、急げ」


 投げやりに答えながら、とどめ刺しときゃよかった、とクリシュナは思った。




 静止衛星軌道上のパンケーキの真ん中から、音もなく火柱が立ち上ったのは、およそ十五分後。


 やがて側面からも光が漏れ、大きく膨らみ、そして破裂する。


 それをモニター越しに確認した直後、シャトルの全体が揺れ動いた。衝撃は数秒に渡ったが、機体に異常は見られなかった。


「円卓が落ちた、か」


 アマンダルがつぶやく。


「感慨深いものがあるか?」


 ヨウジの声は小馬鹿にした感がある。


「我らにとっては宇宙軍港に並ぶブノノクの権力の象徴だからな、達成感はある」

「宇宙軍港はこう容易くはないだろうがな」


「かもしれん。だがせめていまくらいは感動に酔わせろ」


 ヨウジはフン、と鼻先で笑った。そのとき操縦室の扉が開き、青白い顔のク・クーがのぞき込んだ。


「アマンダル」

「どうした」


 アマンダルは立ち上がった。シャトルはオートパイロットで地球に向かっている。




 シャトルの貨物室に、ノナは横たえられていた。呼吸は荒い。エイイチがその手を握る。


「血は止まってるんだけどよ、だけどよ」


 途方に暮れるク・クーの頭をポンと叩き、アマンダルはエイイチの隣に座った。


「おまえも横になれ」

「俺なんかどうだっていい」


「その腹の傷も軽くはない。どう急いでもあと二時間はかかる。おまえまで倒れては元も子もないだろう」

「ノナは俺をかばって……俺に力があればこんな事には」


「力ならすでにあるだろう」


 ヨウジが口を挟んだ。


「使いこなせていない貴様が間抜けなだけだ」

「やめんか」


 イナズマが諫めたものの、エイイチは叫ぶ。


「ああそうだ、俺は力を使いこなせていない。ならおまえはどうだ。おまえは使いこなせているんだろう、ならば何ができる。ノナを助けられるのか」

「助けるだけならできるかもしれんぞ」


 一瞬の静寂。一同の眼はヨウジに向けられた。ヨウジはニッと歯を剥いて笑う。照明が一段暗くなったような気がした。


「ただし、魂を売り渡してもらう必要があるがな」


 そのとき、ヨウジの耳元にささやく声。


「来るよ」

「お邪魔しまーす」


 その子供のような声は貨物室の隅から発せられた。突然現れた大小二つの人影。大きな影が前に進み出た。


「皆、無事か」

「アジャール」


 アマンダルは言葉を失った。


 アジャールを知る者も知らぬ者も、全員混乱していた。何故ここに、こんなところに。冷静なのは、ただ二人のみ。ヨウジは呆れたように言った。


「移動中のシャトルにテレポートとは無茶をする」

「軌道さえ予測できれば、それほど無茶ではないよ」


 金髪碧眼の少年が言った。そして小さく首をかしげる。


「どうしたんだい、私の顔に何か付いているのかな」

「付いているというより、取り憑いているな。嫌な影が見える」


 眉を寄せたヨウジに、少年は微笑んだ。


「失敬なヤツだなあ、君は」


 ク・クーは警戒心を露わにしている。


「アジャール、あいつはいったい」

「うむ、ミラクスについては後で詳しい事を話そう。だがいまは、ノナとエイイチの治療が先だ」


 そしてイナズマとヨウジに向き直った。


「仲間が世話になったようだな、礼を言う。だが次に出会ったとき、我らの敵に回るようならば容赦はしない」

「容赦できるような余裕があればいいがな」


 ヨウジは嗤った。アジャールの眉間に皺が寄る。


「何だと」


「毒をもって毒を制すつもりなのかもしれんが、毒はそのままではどこまで行っても毒のままだ。毒を薬に変えるには経験と犠牲が必要になる。果たしてそれに耐えられるかな」


「……その言葉、心に刻んでおこう」


 アジャールはそう言うと背を向ける。


 ノナを抱えたアマンダルが、ク・クーが、エイイチがその後に従った。


 そしてミラクスを囲むと、六人は音もなくシャトルの中から姿を消した。ヨウジは何も言わず操縦室に入ると、コンピューターにこう命じた。


「進路変更、日本に向かえ」

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