第30話 疾風迅雷

 疾風が怒涛の如く駆け抜けた。


 クリシュナの手から放たれたチャクラムがジャッカルの身に到達する寸前、高圧の空気の塊がそれを掴み止める。


 目には見えない砲弾がクリシュナのフェイスマスクを捉えた、かに思えた。


 しかし仰け反り、紙一重でそれをかわしたクリシュナの顔を、素手のてのひらが包む。


 マスクと掌の間で圧縮された空気が、鳴り響く破裂音と共に弾けると、クリシュナの後頭部は床に穴を穿うがち、その体は逆立ち状態になった。


 これが、瞬き一回の間に起こった事。


 まるでスローモーションのように力なく倒れこむクリシュナに、ジャッカルは息を呑んだ。


  一人が立ち、一人が横たわっているのなら、自分は常に立っている。その言葉通り、神討ヨウジは立っていた。当たり前のような顔で。


「死んだのか」


 思わず出たジャッカルの言葉に、ヨウジはあたかも心外な事を言われたかのような顔をした。


「これくらいで死ぬわけがなかろう。脳ミソが腐っているのか」


 そして鼻をフンと鳴らせた。


「まあ貴様が殺したいと思うなら好きにすればいい。僕は先を急ぐ身だからな」


 それだけ言うと、背を向けて奥へと走り出す。


「あ、おい待てよ、待てって」


 ジャッカルはつい後を追った。




 雷鳴が轟き火花が散った。


 下から上へと走った稲妻が、音速の多条鞭を真ん中から断ち切った。神討イナズマは大刀を上段に構えている。


 その刀は、反りのない真っ直ぐな片刃の刀身。切っ先は尖らず四角い。刀というより、長い菜切り包丁に見える。無銘にして、号をとどろきまるという。ボック財団がアレクセイ・シュキーチン討伐の折り、イナズマに授けた鬼剣である。


「おのれ轟丸! 生きておったか!」


 切り落とされた多条鞭の前半分は結合を解き、霧となって姿を消す。そしてハーンの手元側にある残り半分の先端に再度結合し、その身を伸ばした。


「我が鞭はエネルギーさえ尽きぬ限り無限に再生を繰り返す! 切るだけ無駄よ!」

「無限もなければ無駄もない」


 イナズマがハーンに応えたとき、広場の隅を猛スピードで駆け抜ける影が二つ。


「ぬ!」


 ハーンの目がそれを捉える。


 視線が切れた瞬間、轟丸はいかづちの速度で振り下ろされた。


 ハーンのロボット馬の頭が縦に割れる。もんどりうって倒れこむ赤い馬から、飛び降りるハーン。地を響かせて駆け寄ってくる他のロボット馬たち。


 イナズマは身を低くして走り、次々にその脚を薙ぎ払って行く。そしてその背に浴びせられんとしたロボット兵の剣を、さらに多条鞭の音速の一撃を、すべて振り向きざまに叩き落した。まさに迅雷。


 バイソンは戦慄した。つい先日、己が戦いを挑んだ相手がここまでの化け物だったという事実、あれはまだ手加減をしていたのだという現実にいまさら気が付いたのだ。


 いや、もしかするとまだイナズマは全力を出していないのかもしれない。いったいこの男の限界はどこにあるのだろう。希望と絶望と羨望の入り混じった感覚に、バイソンは眩暈を覚えた。


 イナズマは轟丸を正眼に構え、ハーンににじり寄る。


 ハーンは右手を前に多条鞭を構え、左手を振った。すると倒れているロボット馬とロボット兵が結合を解き、一瞬霧に変わったかと思うと、ハーンの左手にもう一つの多条鞭が姿を現した。


「剣豪相手に二刀流も面白かろう!」


 イナズマは答えず走った。


 切っ先は右下に。ハーンが水平に振るった右の鞭を切り上げ、垂直に振るった左の鞭を左袈裟に切り下ろし、すれ違いざまにハーンの右腕関節を切り払う。


 鬼剣轟丸は遺憾なく力を発揮し、グラン製の二本の多条鞭とグランアーマーの腕一本を、見事に断ち切ってみせた。


「すべては決した。これ以上の戦いは無益だ」


 イナズマの言葉に、しかし片膝を屈したハーンは頭を振る。


「無限も無駄もないのであろう! ならば無理も無益もあるものか!」


 ハーンの左手に持つ多条鞭が復活した。半ば失われた右腕から滴り落ちる血を抑えようともせず、イナズマに向き直ると身構えた。そして。


「生きるとは死神を背負って旅を歩むが如し。常に死はそこにある。恐れる必要はない。真に恐れるべきは自らが歩んでいる事実を忘れる事。故に最期まで歩みは止めぬ。その方向が間違っていたとしてもだ」


 ハーンは静かに、諭すように口にした。


「その覚悟、覚えておこう」


 イナズマは轟丸を上段に構える。




 コルセアの剣はシロワニのグランアーマーを貫通した。


 クリシュナのチャクラムと同じくコルセアの剣も超振動を発しており、いかに頑強なグランアーマーであっても形式が古ければ紙のように容易く貫ける。たとえそれが二つ重なっていたとしても。


 ただ、狙いは逸れた。


 コルセアはシロワニの心臓を狙ったのだが、突然横から割り込んできたスワローのグランアーマーのために、剣はその腹を貫通し、続いてシロワニの脇腹を貫通する事になった。


 スワローの腰のノズルがジェットを噴射して真上に上がり、自らの腹に突き立つ刃を抜き去ると、天井にぶつかった後そのまま力なく床へと落ちた。シロワニは脇腹を抑えつつ、スワローを抱き寄せる。


「おい、ノナ、ノナ」


 シロワニの声は震えている。


「おまえ、何やってるんだよ、おい」

「エイイチ……ごめん」


 それはかすれ行く声。


「一人で逃げて」

「馬鹿言うな、そんな事ができるか」


 エイイチはスワローを抱き起こそうとする。その背に立つ青い闇。


「逃がしはせん」


 アルホプテスはハンマーを振り上げた。


 そこに飛び込んできたのは白い影。目の前に突然現れた状況に、急ブレーキをかけようとしたが、勢い余ってアルホプテスの頭の上を飛び越えてしまったのだ。


何奴なにやつ!」


 アルホプテスが横に振り回したハンマーを避け、インカは壁際に着地した。


 そこに黄金の光が迫り、抜き打たれる剣を紙一重でかわす。


 インカの背筋は凍った。マグレだ。いまのは二度はかわせない。次は確実に仕留められる。


「おまえもオシリスの一味か!」


 真上からアルホプテスのハンマーが振り下ろされた。


 猛烈な一撃だったが、これならかわせる。インカはコルセアとは反対の方へと移動した。


 床には大きな穴。そこに立つ人影。


 さっきまでは確かに誰もいなかったのに、その人影は床の穴をのぞき込んでいる。


「ノナ! エイイチ!」


 裏返った声の上がった方をインカが見ると、ジャッカルがシロワニとスワローを抱えていた。


「大丈夫か、いや大丈夫じゃねえ、大丈夫じゃねえよ」

「いや、俺は大丈夫だ。ノナを頼む」


 シロワニはそう言うと、スワローの背のリュックを取ろうとした。だが、スワローはリュックを掴んで離さない。


「ク・クー……エイイチと逃げて。お願い」

「ノナ、聞くんだ。おまえの方がケガが重い。おまえが逃げるんだ」


 シロワニは噛んで含めるように言った。だがスワローは首を振る。


「あたしは……もう助からない……だから」

「ならば三人まとめて死ぬがいい!」


 アルホプテスが水平に振るったハンマーが、オシリスの三人を襲う。しかし。


 目に見えぬ力がハンマーを下から持ち上げ、身を寄せ合う三人の頭の上を滑るように通過する形になった。


 ハンマーを振り切ったアルホプテスはバランスを崩し、音を立てて尻餅をつく。


「ちょっと来い」


 床に開いた穴のそばで、ヨウジはインカを手招いた。


「見てみろ」


 インカが穴をのぞき込むと、梁などの骨組みと、その下に天井裏が見えた。


「天井裏だ」

「天井裏……だな」


 ヨウジの言葉にインカはうなずく。何故それが天井裏だとわかるのかと言えば、もし外壁ならば外側に向かって膨らんでいるはずだからだ。しかし穴の下のそれは内側に向かって緩やかに膨らんでいる。つまり。


「つまり下の階があるという事だ」

「はあ」


「ヒカルはそこにいる、と言っているのだ」

「あっ」


 インカはようやくヨウジの言わんとするところを理解した。


「ではどうする。階段を探すのか」

「そんなすぐに見つかるような階段やエレベーターがあるなら、侵入者をこの部屋に集めたりはしない。そうだろう」


 まるで気心の知れた友人に声をかけるかのように、ヨウジは黄金のコルセアに話しかけた。


「そういう事だね」


 対するコルセアも気軽に応じた。


「ついでに言えば、君たちの入ってきた入り口も、すでに閉じられている。君たちは下の階には行けないし、ドッキングポートに戻る事もできない。死体になる以外、ここから出られないんだ」


「それはご免だな。こちらは急いでいるのだ、わざわざ死体になどなってやる暇はない。だがどうしても死体が必要だというのなら」


 ヨウジは、ニッと笑った。


「貴様がなればよかろう」

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