第26話 呉越同舟
天裁六部衆の本拠地、円卓の最深部。そこには文字通り円いテーブルと、その中心に向かって天井から垂れ下がる逆さ円錐があった。テーブルには巨体の男が二人、席に着いている。
「さあ、来たまえヒカル。ここが地球圏すべての中心、我らが円卓の間だ」
コルセアは振り返る。しかしヒカルは入口に立ったまま、中に入ろうとはしなかった。
「どうしたの。気分でも悪い?」
顔をのぞき込むアカリに、ヒカルは何と返事をしてよいのやら困っている。
気分が悪い訳ではない。何か思うところがある訳でもない。ただ、足がすくんで動かないのだ。自分でも理由がわからない。
「仕方ない、クリシュナ」
コルセアは笑顔で命じた。
「エスコートして差し上げろ」
「はいはい」
クリシュナは、やおらヒカルの肩を後ろに引くと、膝裏に腕を通し、いわゆるお姫様抱っこでヒカルを抱き上げた。
「嫌っ」
何が嫌なのかはわからない。だがヒカルの抵抗など空しく、クリシュナは円卓の間へと一歩を踏み入れた。コルセアが垂れ下がる逆さ円錐に向き直る。
「マーリン」
「御意」
円錐が応じた。耳の奥がキンとするような周波数の高い音が響いたかと思うと、ヒカルはクリシュナの腕の中で電撃を受けたかのように
「ヒカル!」
思わず駆け寄ったアカリをヒカルの眼が見つめた。それは侮蔑の視線。そしてヒカルはゆっくりと艶めかしく、顔をコルセアに向けた。
「お主がこの世界の王かえ」
「私は王ではないよ」
コルセアは平然と答えた。
「少なくともいまのところはね」
「気に入らんのう」
ヒカルはクリシュナの頬を人差指で撫でる。
「気には入らんが、面白い」
「おい、コルセア」
「ああ、下ろして構わん」
クリシュナは助かった、と言わんばかりに慌ててヒカルを下ろした。
「見た目に違わず、女の扱いが上手いよのう」
「そりゃどうも」
一歩下がるクリシュナに名残惜しそうな視線を向けると、ヒカルはコルセアに向き直る。
「それで、
ヒカルは、いや、星辰眼はコルセアに問うた。
「オシリスの族長会議、その居場所が知りたい」
コルセアの答に微笑みを返す。
「
「マーリンは確かに魔法のような機械だ。だが、魔法そのものではない」
「ほう」
「データがなければ機械は動かない。君にはそのデータを用意してもらいたい」
「嫌じゃと言うたらどうする」
「言えないよ」
またキン、と甲高い音が響く。
「はうっ」
星辰眼は再び電撃を受けたかのように身を仰け反らせた。
同時に円卓の間のあちらこちらから、ケーブルやコードが伸びて来る。それらは蛇のようにうねりながら素早く星辰眼に忍び寄り、一瞬のうちに四肢に絡みついた。
そして少女の体を高く持ち上げると円いテーブルの真ん中に移動させ、そこで四方に手足を引っ張り大の字に縛りつける。
「マーリンは魔法のような機械だ。この程度の事は苦もなくできる」
「こんな事で、妾を自由に使えると思うてか!」
目を吊り上げ口角泡を飛ばす星辰眼に、しかしコルセアは笑ってその顔をのぞき込んだ。
「マーリンは魔法のような機械だ。君の能力を自在に操る事もできる」
「ふぐっ」
星辰眼は苦しげに眼を見開いた。その瞬間、円卓の間の壁面一杯に無数のモニターが立ち上がる。それをざっと眺めてコルセアは口を開いた。
「なるほど場所が掴めないわけだ。族長たちは世界各地に分散して、会議はネットワーク上にしか存在しないんだな」
「しかしネットワークの捜査なら、これまで何度も行っているのでは」
アルホプテスが首を傾げた。
「これは正規のネットワークじゃないんだね」
そのコルセアの問いにマーリンが答える。
「御意。西アフリカ帝国が広げた裏のネットワークと思われます」
それを聞いてハーンは顔をしかめた。
「また西アフリカ帝国か! 亡霊めがしゃしゃり出おって!」
「死してなお害毒を生む、か。亡霊と言うより怨霊だね」
クリシュナは肩をすくめてみせる。コルセアは全身を痙攣させる星辰眼を見つめた。
「怨霊ならば退散させないとね。幸い、こちらには巫女がいる」
そして円錐に命じる。
「マーリン、全世界の防衛衛星とリンク」
「御意」
「世界同時爆撃を行う」
平然と、いとも簡単にその託宣は下された。
地上を離れて数時間、シャトルはまだ加速を続けているが、体感加速は無視できるレベルになっていた。インカはシートベルトを外すと、随分と軽くなった体を起こした。
「あのブノノクの幽霊女、どこに行った」
ワーディは、シャトルの発射以後姿を見せていない。
「さあな。巣にでも戻ったのだろう」
ヨウジはまるで気にしていないようだ。
「あいつを信じていいのか」
「別に信じる必要はない。ただ疑わねばならん理由もないからな」
インカは不満げな顔のまま、ドアに向かった。
「ちょっと機内の様子を見て来る」
「トイレの場所がわかったら教えてくれ」
そう言うヨウジの背を一瞬横目で睨み、インカはドアを開けた。動きが止まる。目が点になっていた。向こうが。そう、ドアの向こうには、トイレから出て来たばかりのク・クーが立っていた。
「あああああっ!」
それはどちらが発した叫びだったか。インカは、そしてク・クーは、同時にグランアーマーを身にまとう。しかし二人の脚は見えない何かに薙ぎ払われ、共に宙に身を浮かせた。
「馬鹿か貴様らは。こんな狭いところでガタガタ騒ぐな」
浮遊する二人の傍に立つと、ヨウジはク・クーを見つめた。
「どうせ他の三人もいるのだろう。呼んで来い」
「呼んで来て、どうするんだよ」
「こんなクソ狭いシャトルの中で、まだあと何時間も一緒に過ごさねばならんのだ。行先も同じなのだろう、ならば角突き合わせていても仕方ないではないか。呉越同舟というやつだ。一時休戦、アマンダルにそう伝えて来い」
ク・クーは納得した訳ではないようだったが、それでもグランの結合を解き、「伝えりゃいいんだな」と格納庫へ向かった。
「本当にいいのか」
インカはまだ不満顔だ。
「いいんじゃないのか。なあ」
ヨウジはイナズマに話を振った。
「うむ」
イナズマは一つ、うなずいた。
アマンダルを先頭に四拳聖が操縦席にやって来たのは、それから五分ほど経った頃である。
「招きにあずかり参上した」
「よく来てくれた。酒も食い物もないが、まあゆっくりして行け」
すっかりくつろいだ雰囲気のヨウジに、アマンダルはたずねた。
「しかしどうやってここに入った。我らは全く気付かなかったが」
「それはお互い様だろう。企業秘密という奴だ」
「ならば問うまい。だがこれだけは聞かせろ。おまえ達は何故円卓へ向かう」
「無論、ヒカルを取り戻すためだ」
「それだけか」
「それだけで充分だと思うがな」
「わかっているのか。おまえたちは世界を敵に回そうとしているのだぞ」
しかしヨウジは、ニッと笑った。
「僕を敵に回せるほどの力が世界にあれば、そうなるだろうな」
アマンダルは小さくため息をつくと、後ろを振り返った。四人の一番後ろに立ってそっぽを向いているエイイチを。
「何だ」
エイイチは顔も向けずにたずねた。アマンダルは思わず頭を掻いた。
「いや、おまえならヨウジの言っている事が理解できるのかと思ってな」
「理解などできる訳がない」
「そう、理解などできる訳がない。井の中の
ヨウジの言葉に、エイイチは斬り付けるような視線を向ける。
「誰が井の中の蛙だ!」
「何だ、月とスッポンの方がわかりやすいか」
「この野郎」
「やめんか。ヨウジ、一時休戦と言ったのはおまえだろうに」
呆れるアマンダルに、ヨウジはからからと笑ってみせた。
「そういえば、そんな事も言ったな」
「もういい、俺はコンテナで寝る。こんなところにいられるか!」
「おい、待てよエイイチ。待てって」
操縦室を後にするエイイチを、ク・クーが追った。
「あの短気は早いうちに何とかせねばならんな」
アマンダルの嘆きに、ヨウジは首を振った。
「何ともならんよ。あれはあの程度の男だ」
「おまえもだ、ヨウジ。そうやってエイイチに対して必要以上に辛辣なのは何故だ」
「僕はただ素直に正直な評価をしているだけだが」
アマンダルは一つ、大きなため息をついた。
「ならば聞きたい。我らが円卓に向かう理由はわかるか」
「そんなものは聞かずともわかる」
「どう思う」
「無謀だな」
即答であった。
「それが素直で正直な感想か」
「そうだ。貴様ら四拳聖と六部衆とでは力量に差があり過ぎる。相手の懐に飛び込んだからといって、どうこうできるというレベルではない」
「おまえ達が協力してもか」
「邪魔はせんよ」
ヨウジは鼻をフンと鳴らした。
「だが貴様らに目的があるように、こちらにも目的がある。協力などしてやる理由はなかろう」
「おまえの決断次第で、この世界の未来が変わるのだぞ」
「僕はそんな事を理由に戦いたくはない、と言っているのだ。理解しろ」
「ではどんな理由なら戦えるというのだ」
「決まっていよう。楽しめるかどうか、それに尽きる」
アマンダルは一瞬、天を仰いだ。そして心底呆れた顔で、イナズマを見た。
「この馬鹿げた息子に、何か言葉はないのか」
「いまはない」
酷く落胆したかのように、そうか、とつぶやくと、アマンダルは背中を向けた。その後を追うように操縦席から出て行こうとして、ノナは立ち止まる。
「あたしね」
「あん?」
不意を突かれたように、ヨウジは眉を寄せた。
「エイイチがあの程度の人だって、思ってないから」
何を馬鹿な事を言うのかという風に、ヨウジは鼻先で嗤う。
「あれはあの程度の男だ。悪い事は言わん、やめておけ」
「あたし、エイイチのためなら死ねるよ」
その視線は真っ直ぐだった。
「あんたにも、いつかわかると思う」
そう言って微笑むと、ノナは出て行った。
「ま、
ヨウジはしばらく入口のドアを見つめた後、ふんわりと椅子に身を投げ出した。
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