第25話 光の人

 赤道上空、高度35786キロメートル。静止衛星軌道上にある天裁六部衆の中枢――いわゆる円卓――に統合政府極東司令部から発射された超小型シャトルがドッキングした。


 エアロックが開き、アカリとヒカルが無重力ブロックへ降り立つ。下りのエスカレーターにつかまり、加重エリアに進んだ。


「宇宙は初めてよね」


 アカリの言葉に、ヒカルはうなずく。


「海外旅行もまだなのに」

「じゃ、これはいい経験になるわ。楽しみなさい」


「楽しめる、かな」


 ヒカルが困った顔をしている間に、エスカレーターは終わった。


 さっきまでふわふわ浮いていた足は、いまはもうすっかり床を踏みしめている。


 ヒカルはひらひらと翻るスカートが気になっていたが、重力が強くなるとそれも収まった。この先は人工重力ブロックである。


 その重い扉が開いたとき、アカリは反射的にひざまずいた。扉の向こうに立っていたのは、まばゆいばかりに光り輝く人影。


「立ちたまえ、アカリ」


 声にまで後光が差している。


「君は私の下僕ではない。かけがえのない友だ」

「身に余るお言葉、光栄に存じます」


 誇らしげな顔を振り上げ、アカリは立った。きらきらと後光の差す人物は、ヒカルに右手を差し出した。


「私はコルセア。後ろにいるのは、我が友クリシュナだ。神討ヒカル、君を歓迎する。これからよろしく」


 なんて綺麗な人なんだろう、ヒカルは頬を赤らめながらその手を取った。


 柔らかそうな金髪に、蒼く輝く瞳。


 顔が良いという点ではクリシュナと呼ばれた褐色の肌の青年の方が上かもしれない。けれどコルセアと名乗った彼には、何とも言えぬ圧倒されるような美しさがある。


 ただ、この美しい青年にはどこか懐かしい匂いがする。誰かに似ているのだ。誰だろう。


「では、こちらに来たまえ。この円卓の最深部に君を案内しよう」


 そう言って背を向けたコルセアの横顔に、一瞬兄の面影が差した。


 そうだ、ヨウジに似ているのだ。


 どこがとは言えない。顔かたちは全く違うし、言葉使いも雰囲気もまるで違う。上手く説明は出来ないのだが、それでもとても似ている気がする。


 口に出さなくて良かった、とヒカルは思った。


 そして同時に思い出す。学校の保健室、あのときヨウジの口から聞いたオーディン・コルセアの名前を。


 この人がヨウ兄ちゃんにとってのドラゴンなんだ。ヒカルは心の中でそうつぶやいた。




「来るよ」


 耳元でささやくエレーナの声に、ヨウジは目覚めた。時計は四時前。部屋は暗い。


 そのドアの前に、ぼうっと薄明るい光が人の形に立っていた。遊園地のお化け屋敷か、という言葉が頭をよぎる。


「ワーディか」


 その声に反応したかのように、人の形の光は銀色の長い髪の女へと姿を変えた。


「迎えに来ました」

「イナズマとインカも連れて行く」


 ヨウジは跳ね上がるようにベッドから体を起こすとそう言った。


「私が呼んで来ましょう。その間にあなたは支度を」

「支度ならもうできているがな」


 ヨウジは服を着たまま寝ていたのだ。


「顔を洗う時間くらいはありますよ」


 ワーディは微笑んだ。




 西日本の宇宙港では円卓へと向かうシャトルが自動発射シークエンスに入っていた。その操縦室に、突然現れる四つの人影。


「何だここは」


 ヨウジの問いに、ワーディは平然と答えた。


「円卓に向かうシャトルの操縦室です」

「だが操縦士がいない」


 イナズマの言葉に、ワーディはうなずく。


「円卓へ入るシャトルは全てオートパイロットが決まりですから」

「それはつまり、操縦席に人がいるとわかった時点で攻撃される、と考えていいのだな」


 そう言うヨウジに、ワーディは笑顔で席を勧めた。


「じきに発射です」

「まったく。仕方ないな」


 ヨウジはため息をつきながら座席に座り、イナズマも続いた。インカは一人愕然としていたが、結局諦めたように席に着き、シートベルトを締めた。


 機内には発射十秒前のアラームが鳴り響く。その十秒後、シャトルは問題なく発射された。


 短い距離を滑走した後、機首を上げ、急上昇をかけ垂直に昇って行く。その姿はあたかも天を駆ける龍神の如し。




 御館様は縁台からまだ暗い空を見上げた。東の空は白み始めている。


「つい先ほど、無事に空に上がったと報告がありました」


 そう言って振り返ると、視線の先、開かれた障子の向こうには、人間大のヒトデのようなブヨブヨとしたモノが二つ。


「心配には及ばない。ブノノクの技術なら当然。シャトルは問題なく円卓に到着する」


 と、紫のヒトデ、ハーディが言った。ピンクのヒトデ、ガーディが続ける。


「ブノノクの技術なら当然。シャトル内へのジャンプも問題なく行われた」


 御館様は首を傾げた。


「シャトルに跳べるのなら、直接円卓へ跳んでも良かったのではありませんか」

「それは出来ない」


 ハーディは身体を振動させる。首を振っているようなものか。


「我々ブノノク三賢者は天裁六部衆の後見という建前」

「建前は維持されなければならない」


 と、ガーディも言う。


「ブノノクはまた随分と官僚的なのですね」


 御館様の言葉は皮肉と言うか、幾分呆れているかのようにも聞こえた。けれど。


「良い国家には良い官僚システムが必要だ」

「国家が巨大になるほど、官僚システムは効率的になる必要がある」


 ハーディとガーディには只の質問でしかなかったようだ。


 まあ、そもそも御館様の立場それ自体が官僚システムの一部だったのだから、そう取られても無理はないのかもしれない。


 御館様は縁側から上がり室内に戻ると、襖の前に正座していた御付の者に目配せをした。


 御付の者はうなずき、一旦部屋から出るとすぐに戻って来た。手にアタッシュケースを持って。


 ハーディとガーディの前まで持って行き、開いて中身を見せる。そこには半透明の、ガラスのようで石のような固体がゴロゴロと入っていた。


「用意はさせましたが、本当に報酬はこんなもので良いのですか」


 御館様は不思議そうな顔を浮かべた。


「良い。地球で金が価値を持つように、ブノノクではこれが価値を持つ」


 ハーディが言った。


「良い。宇宙ではこれは金よりも希少な物。元は工業用途だったが、いまでは財産的価値を持つに至った」


 ガーディが言った。


 その名前はウレキサイト。別名をテレビ石とも曹灰硼石とも言うホウ酸塩鉱物の一種で、ホウ素の原料の一つである。地球では特段珍しいものではない。


 しかしウレキサイトを前に、ハーディとガーディは明らかに目の色――どこに目があるのかは不明だが――を変えた。


「これは本来機密事項であるが、友情の証として教えよう。この地球で言うウレキサイトは、かつてグランの核を作るためには必要不可欠な物だったのだ。もちろん現在ではより高効率な方法によってグランの核は作られているが、いまでも作れない訳ではない。つまり現時点で百パーセント、ブノノクからの輸入に頼っているグランの核を地球で作れる可能性もない訳ではないのだ」


 ハーディはそう言う。御館様は不審げに眉を寄せた。


「そんな大事な話をここでしてよいのですか。秘密はいずればれますよ」


「問題ない。いまの地球にはアレクセイ・シュキーチンがいない。情報が漏れても、その情報を使いこなせる者が誰もいない。それは何も漏れていないのと同じ事」


 ガーディのどこにあるかわからない顔は、嗤っているかのようにも思える。御館様は言う。


「しかし地球には、まだボブ・ホーリーがおります」


「ボブ・ホーリーはもう心配していない」

「ボブ・ホーリーにはもう期待していない」


 二人のブノノクは口を揃えて言った。この場にボブ・ホーリーがいなくて良かった。御館様は小さく胸を撫で下ろした。


 御館様は再度御付の者に目配せをし、今度は二つのアタッシュケースを持って来させた。


「これは別件です」

「心得ている。地球文明を特別保存文明として認定するよう、大母艦へ働きかけよう。しかしその認定には、特殊能力者の存在が不可欠だ」


「地球の機械文明それ自体は特に重要でも独創的でもない。よって特別保存文明の推薦に値するためには、それ以外の要素が必要になる。ブノノクの技術に匹敵する特殊能力者の存在、それなくして特別保存文明の認定はない」


 ハーディとガーディの言葉に、御館様はうなずいた。


「それは承知しております。あの子たちが頑張ってくれるでしょう」


 それよりも、と御館様は続けた。


「特別保存文明として認定されれば、本当にブノノクの干渉は減るのでしょうね」


「間違いない。宇宙軍港は撤去されないが、新たな宇宙軍港が作られる事もない。グランは取り上げられないが、グランの最新情報が更新される事もない。資源採掘に関しても、地球圏、すなわち地球と衛星の資源に関してはブノノクの手を離れる」


 そうハーディは言い、ガーディも続ける。


「政治や文化への干渉も禁止される。警察権や軍の統帥権も地球に返される。ブノノクは宇宙軍港と一部観光地以外への立ち入りを禁止される。ブノノク以外の異星文明が地球と接触する事も、ブノノクの名において禁止される。ただし、これは地球側の意思が統一されている事が必要である」


「ご心配なく。この件に限定しては欧州、南北アメリカ、中東、アフリカ、アジア、オセアニアと足並みは揃っております」


 御館様はまた一つため息をついた。この件に限定しては、という点が自分の言葉ながら引っ掛かったのかもしれない。


 そして天井を、その向こう側にある星空を見上げた。


「さて、あの子たちはどんな未来を見せてくれるのかしら」

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