第24話 死屍累々
ズレては駄目だ。
ンディール渾身の正拳突きも、ヨウジはぬるりとかわした。
流体防御の理屈はわからない。だがおそらく突破する鍵は角度だ。ンディールはそう直感していた。
攻撃に僅かでも角度がつけば、その力は分散され、かわされてしまう。ならば角度のつかぬよう、面に対して垂直に攻撃するしかない。
しかしこれが極めて難しい。人間の身体のデザインは曲線の集合体である。じっとしている相手であっても、垂直に攻撃を当てられる面というのは少ない。
ましてや敵は動く相手、それもただ機械的に動く訳ではない。
狙いを絞るとき、一瞬の間が生じる。それをヨウジは見逃さない。踏み込んで手が伸びて来る。
ンディールの亜音速の拳に比べれば、蠅が止まるような速度である。だがその手に触れる訳には行かない。触れれば高密度に圧縮された空気が破裂し、ンディールの体勢を崩す。体勢が崩されれば、ヨウジの見えざる手によって投げが打たれる。
無論、一回や二回投げられた程度でグランアーマーはびくともしない。けれど敵もそれは承知の上。一回でダメなら十回、十回でダメなら百回投げるつもりの相手に投げさせてはならない。
と言って、相手の攻撃を避けていちいち下がっていては埒(らち)が明かないし、下手に距離を取れば件の見えない砲弾を撃ち込まれる。
つまり結局のところ攻撃は最大の防御であり、至近距離で攻め続けるしかンディールに活路はないのだ。
息もつかせぬ左右の正拳突きと、時折繰り出される回し蹴り、格闘ゲームなら見事にコンボの決まっているところだろうが、この相手にはまだ一撃も加えられていなかった。
ンディールは感じていた。真に流体防御を防御たらしめているのは、メカニカルな性能ではない。眼だ。
あらゆる攻撃に対し、流体防御がその効果を最大限発揮できるような角度を体に加えているのは、天頂眼から授かったとされる眼の力だろう。
そして加えて言うなら、天性の格闘センス。これは父親から受け継いだものかも知れないが、その身に与えられた能力をこうも見事に使いこなしている者など、ンディールは他に知らない。
この男は強い。本当に強い。
前回し蹴りと見せかけて、身体を捻って後ろ蹴り。意表を突き、かつ心臓――もっとも左右に動きにくい場所――を狙ったのだが、ヨウジはいとも簡単にそれをかわすと、大きく一歩踏み込んできた。
伸びきった身体は反応が遅れ、ヨウジの手がンディールの腹に伸びる。圧縮空気の破裂する音と共に襲い来る衝撃。六部衆のグランアーマー越しでなお、呼吸を止めさせる一撃。ンディールは弾き飛ばされた。
ンディールの体がまだ宙にあるうちに、ヨウジは次の構えに移っている。見えない砲弾が来る。かわさねば。足先が床に着いたと同時に横に跳ばなければ、まともに喰らう。そう考える耳に、聞き慣れた声が届いた。
「兄様!」
ンディールの足は床に着いた。だが跳ばない。それどころか大きく両手を広げ立ち上がる。
刹那、轟音が響く。統合政府極東司令部を貫く振動。巨大な穴が口を開けていた。床に。
見えない砲弾は、骨材にグランを使ったコンクリートのフロアを四つ貫通していた。
ヨウジは天井を見上げている。
「あの音は」
振動はまだ続いている。その発生源は、上にあった。
「そうか、やはりシャトルがあったか」
ニッと笑い、ンディールを見る。
「今日は妹の顔を見に来たのだがな、本人がいないのでは仕方ない。出直すとしよう」
そう言うと、さっさと背を向けて去って行ってしまった。
ンディールの背中に、電動車椅子の音が近付く。
「兄様、あの、私」
「シェーラ、ここに来てはならんと言ったはずだ」
ンディールは振り向く事なくそう言った。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
しかし大粒の涙で顔を濡らす妹の、頭にそっとンディールは手を乗せた。
「だが、おまえのおかげで救われたのかも知れんな」
死屍累々。
階段にはセキュリティスタッフの体が延々と横たわっている。
とは言っても本当に死んでいる者はいないのだが、打ちのめされて身動きも取れなくなっている肉の塊が、ごろごろと溢れ返っていた。
九階から始まり、八、七、六、五、四、三階にまで至ると、スタッフの人数もあと三人。
だが一方のインカも、いかに最新型のグランアーマーをまとっているとは言え、さすがに体力に限界が来ているようで、足がふらついている。
その様子に三人のスタッフは顔を見合わせ、一斉にインカに襲い掛かった。しかしそれを目には見えない巨大な手が張り倒す。
壁に叩き付けられた三人に驚きインカが振り返ると、困ったような顔をしたヨウジが立っていた。
「この程度で精一杯か。初めてグランアーマーを使っての結果だと考えれば、まあ及第点と言えなくもないが、貴様は基礎体力に問題があるな。もっと鍛えろ。でなければ宝の持ち腐れだ」
そう言いながら下の階へと降りて行く。
「今日の用事は終わった。帰って寝るぞ。早く来い」
インカは後を追おうとする。が、足をもつれさせ倒れ込んでしまった。ヨウジが顔をのぞき込む。
「指輪を三回擦り合わせろ」
インカが言われた通りにすると、グランの結合が解かれた。その青ざめた顔を見て、ヨウジは背中を向けた。
「ほれ、おぶされ」
「え」
「照れている場合か。恥ずかしいと思うなら、己の不甲斐なさを恨め」
インカはそれでも躊躇ったが、結局ヨウジの背に手を伸ばした。
「貴様は軽いな。筋肉量が絶対的に足りていない」
「う、うるさい」
インカを背負いながら、けれどヨウジは風のように階段を駆け下りて行った。
統合政府極東司令部から出て行くヨウジ達を、ンディールは九階の窓から見送った。その背に、近付く者がある。
「えらい有様じゃな、こりゃまた」
「リャン老師。ご連絡頂ければ迎えに出ましたものを」
「いやいや、そういうのはええんじゃよ。それよりも、追手は出さんのかね」
ンディールは静かに首を振った。
「いま追手を出しても、被害が増えるだけでしょうから」
「確かにのう。あれは無茶苦茶じゃからな。軍警察では手に負えんじゃろうて」
「いずれ法の裁きは受けさせます。放置はしません。ただ」
ンディールはヨウジの去って行った方角を見つめた。
「あの男と戦って、気付いたことがあります」
「ほう」
「私にはまだ可能性があるのではないかと」
「ふむ」
「あの男は先天的に持っていた能力と、後から手に入れた能力、どちらも見事に使いこなしていました。対して自分はどうでしょうか。どこかでグランアーマーの性能に甘えていた部分があるのかも知れません。もしあの男と同じくらい己の能力を使いこなせたとしたら、私はもっと強くなれるはずではないかと。これは驕りでしょうか」
「いいや。さすがじゃよ」
リャンは相好を崩した。
「皆が皆、おまえさんのようであれば、天裁六部衆も安泰なのじゃがのう」
「リャン老師、私は何をどうすれば」
「あー、ワシに聞かれても困る。て言うか、それは自分で見つけなきゃ話にならんぞい」
「はい……」
「まあ、焦らずいまは信じてみる事じゃよ、己自身をな。後は鍛練を欠かさぬ事よ。さすれば、自ずと道も開かれようて」
リャンはそう言うと、うつむくンディールの腕をポンと叩いた。
夜。宇宙港に停泊中のシャトルは、明朝早くに円卓に向けて発射される予定である。
その格納室内には、縦横二・五メートル、長さ六メートルのコンテナが一つ置かれているだけで、機内はひっそりとしていた。
コンテナには扉があるが、これは外側からしか開かない。普通は。
なのに、外側に誰もいないにも関わらず、その扉がゆっくりと開いた。そして中から小柄な人影が暗い機内に足を踏み出したかと思うと、脱兎の如く駆けた。空を飛びそうな勢いで駆け込んだ先は、乗務員用のトイレ。
数分後、コンテナに戻って来たノナに、ク・クーが声を掛けた。
「ションベン出たか」
「うるさい、黙れ」
「何だデカい方かよ」
「おまえ殺すぞ」
「静かにしろ。見つかったらどうする」
アマンダルは遠足の引率教師のような気分になった。
「しかし、待つのも長いな」
エイイチもため息をついた。
「あと何時間こうしてなきゃならないんだ」
ク・クーはアマンダルにたずねた。
「飛ぶまでに四時間、飛んでから九時間はかかるな」
「うええ、まだここから十三時間かよ。ちょっとした地獄だな」
だが、アマンダルはニヤリと笑ってみせた。
「向こうに着いてからが地獄だとは思わんのか」
「死ぬのは別に怖くねえ。退屈よりも何百倍もマシだ。まあ、負けるつもりもねえけどな」
ク・クーも歯を見せた。
権力の集まるところには金も集まる、ならば日常的に消耗する物品を送る定期便以外に、「別の物」を送る臨時便のシャトルがあるのではないか。
ノナのアイデアからオシリス本部が動き、このシャトルの存在を嗅ぎ当てた。
中身をチェックする警備員は買収してある。このコンテナは、どこからどう見ても水星建設の資材搬入用の――実際に大量の天然芝や金属製のアーチなども載っている――コンテナであった。
この中にいる限り、シャトルのハイジャックのようなリスクの高い事をしなくても、円卓まで勝手に連れて行ってくれる。目的地に到着すれば、あとは用意した爆薬をできるだけ広範囲にばら撒いて、その後で初めてシャトルを強奪して逃げればいい。大雑把に言うと、そういう作戦である。
無論、全てが上手く運ぶとは限らない。想定外の事も起きるだろう。
だがそれでも、たとえ四拳聖が特攻する事になろうとも、なんとしても実行しなければならない。この円卓破壊作戦には、オシリスにとってそれだけの意味と価値があった。
半月より少し丸みを帯びた月が宙天にあった。インカは縁側から月を見上げながらため息をつく。
決断に後悔はない。ただ、歯痒さが残る。
グランアーマーを存分に使いこなせなかった事、それどころかその圧倒的な力に飲み込まれ、振り回されてしまった事。
階段での戦いは、途中から自分が何をしたのか覚えていない。気が付いたらヨウジの背中が目の前にあった。それが腹立たしい。
自分ならもっと上手くグランアーマーを使えるはずだった。自分はもっと強くなれるはずだった。自分を律する事など容易いと言えるほど、己を鍛え上げたはずではなかったのか。
「お嬢」
屋根の上から声がした。気配は二つ。子供の頃から慣れ親しんだ気配である。
「大政も小政も、ケガはもういいのか」
「面目次第もねえ」
「あれしきのケガで入院なんざ、医者が大袈裟だったんでさ」
「そういう事を言うもんじゃないよ」
インカは小政をたしなめた。
「もう無理がきかなくなってるんだって自覚しなきゃ」
その言葉は、大政小政のプライドを傷つけたらしかった。
「お嬢は、あっしらが老いぼれたってんですかい」
「冗談じゃねえ、まだそこいらの若い奴には負けませんぜ」
「若い奴には勝てても、グランアーマーには勝てないよ」
それを言われては何も言い返せない。大政小政は黙り込むしかなかった。インカは顔の見えない二人に笑顔を向けた。
「あたしはチャンスと可能性をもらった。最初は御館様に、そして今度はヨウジに。それを何としても活かしたいんだ。父上のようになれるかどうかはわからない。だから何も約束してあげられないけど、おまえたちさえ良ければ、これからもあたしを陰から支えてくれないか」
大政は声を詰まらせた。
「お嬢、ご立派になられて」
「くうっ、旦那様が生きておられたら」
小政も鼻をすすった。
甘えていた、インカはそう思った。平穏に満ちた神討家での時間が、自分の中に甘えの泉を湧き上がらせたのだろう。
いまの自分は、本来の自分ではない。もう一度厳しくひた向きに鍛え上げれば、自分のこの身も、きっと一本の刀となる。
「明日の朝とワーディが言ったのだろう」
ヨウジは腕を組んでいた。
「ならば朝まで待つしかあるまい」
神討家の居間では、イナズマとリタがヨウジを挟んで問い詰めている。
「ねえ説明して。あなた三賢者とどういう関係なの」
心配で仕方ない、リタの顔はそう言っていた。
「どうという事もない。よくある命の恩人というやつだ」
「こんなときにふざけないで」
「ふざけてなどいない。僕は五年前に死にかけて、三賢者に命を救われた。その恩返しにちょくちょく働いてやっているというだけだ。たいした話ではない」
「たいした話でしょう! 何で死にかけたの」
「心臓に穴が開いたのだ」
ヨウジは面倒臭そうに答えた。どうやら嘘でも冗談でもないらしいとようやく理解したリタとイナズマは息を呑む。
「心臓って……それでどうなったの」
「どうもこうもない。心臓移植をした。それで終わりだ。もういいだろう、明日に備えなければならん、寝るぞ」
そう言うと、ヨウジは席を立った。
「面倒臭いんだ」
ヨウジが階段を上っていると、銀色の髪のエレーナが顔を出した。随分と不服そうだ。
「何がだ」
「お父さんとお母さんに私の事説明するの面倒臭いんでしょ」
「どうせ馬鹿に説明しても理解できん。理解できそうな部分だけをチョイスして話してやるのが一番手っ取り早いだろう」
「やっぱり面倒臭いんだ」
「無駄に時間を使っても、得る物はあるまい」
「あの子可愛いもんね」
「どの子だ。て言うか話が混乱してないか」
ヨウジが寝室のドアを開けたと同時に、エレーナは姿を消した。
「もういい」
そんな一言を残して。
インカは庭に出た。六角の鉄棒が置いてある。静かに手を添える。端を掴み、手首のスナップで持ち上げようとするが、びくともしない。
「そんな物は役に立たんぞ」
突然の頭上からの声に、インカは腰を抜かすほど驚いた。
大政小政の気配はすでに消えている。上には誰もいなかったはずなのに。
「それは超人の使う道具だ。ただの人間が使おうとしても身体を壊すだけで意味がない。体を鍛えたければ自分に合った方法を探せ」
二階の窓からヨウジが顔を出していた。けれどその視線はインカには向かず、宙天にかかる月を見ている。
「今日のところは寝ておけ。明日は朝から忙しくなるだろう」
それだけ言うと、窓を閉じてしまった。
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