第22話 夢

 九階の踊り場に黒鉄のンディールの姿を認め、そこで初めてヨウジとインカは足を止めた。


「出迎えご苦労。だが遅い」

「神討ヨウジ、おまえがここまで愚かな男だとは思わなかったぞ」


 するとヨウジは、まるで自慢話でもするかのようにこう言った。


「貴様にいい事を教えてやろう。世の中には作法という物がある。僕を迎える上で絶対にやってはならない対応の、いの一番が高圧的な態度という奴だ。これがなければ僕は何もしなかったかも知れない。僕のように温厚な人間を敵に回すなど、回した奴がすべて悪い。充分に反省させる事だな」


「部下に非礼があったなら詫びよう。だがそれを差し引いても、おまえの行為は許されるものではない」

「はて、許してくれと誰か言ったのか」


 階下からセキュリティスタッフの集団が上がって来る。ヨウジはインカに、それをあごで示した。


「貴様のグランアーマーは、技術的には天裁六部衆の物と遜色ないレベルにある。つまり、あとは中身の問題だ。使ってみせろ」


 白いグランアーマーは小さくうなずくと、下に向かって駆けて行く。ヨウジはンディールに向き直った。


「さあて、始めようか」




 二十年前、ある国の愚かな大統領が、戦わずして降伏文書に署名した。いま我らは、そのツケを払わされている。


 この極めて重大なサインは、地球に暮らす罪のない人々を、容赦のない不正義の炎で焼く事となった。


 それは平穏とは言えぬまでも秩序のうちにあった我らの長い歴史に終止符を打つ、苦難に満ちた黄昏として訪れたのだった。


 そして二十年を経た今日、地球人は当然の如く自由ではない。


 二十年を経た今日、地球人の生活は、悲しいことに依然として国家体制という古い手かせと、そしてブノノクという新たな鎖によって縛られている。


 二十年を経た今日、地球人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、無知という孤島に住んでいる。


 二十年を経た今日、地球人の多くは依然として国家社会の片隅で惨めさと豊かさを勘違いしながら生活し、己の土地に暮らしながら、まるで亡命者のような日々を送っている。


 そこで我らは今日、この呪うべき状況を劇的に変えんがために、ここに集まったのである。


 そして進み出したからには、ただ前進あるのみということを心に誓わなければならない。もう引き返すことはできないのだ。


 独立運動に献身する人々に対して、「あなた方はいつになったら満足するのか」と問う者たちがいる。


 我らは、地球人が天裁六部衆と軍警察の言語に絶する恐ろしい残虐行為の犠牲者である限りは、決して満足することはできない。


 そうだ、決して我らは満足することはないのだ。


 いつか、正義が大河のように流れ、公正が瀑布の如きとなって降り注ぐまで、我らは決して満足することなど有り得ない。


 私は、大いなる艱難辛苦を乗り越えてきた人々が、ここにいることを知っている。


 矯正施設の狭い独房から出てきたばかりの人たちもいるだろう。


 自由を追求したがために迫害の雨風に打たれ、六部衆と軍警察の不正な暴力に圧倒された場所から、命からがらやって来た人たちもいるだろう。


 諸君らは恐るべき痛みと悲しみの経験を重ねた勇士である。これからも、不当な苦しみは必ず救済されるという信念を持って闘争を続けようではないか。


 アフリカへ帰ろう、ヨーロッパへ帰ろう。北米へ帰ろう、南米へ帰ろう。オーストラリアへ、アジアへ、そしてスラム街や低カースト地区へ帰ろう。


 きっと現在のこの状況は変えることが可能であり、変わるであろう事を信じて。


 希望と絶望の狭間でもがき苦しむことはもうやめよう。


 我が子らよ、我らはこれからも困難に直面し続ける。それは避けられない事である。


 それでも私には夢がある。それは地球人類すべての見るべき夢である。


 私には夢がある。それはいつの日にかシベリアの凍土の上で、かつての農奴の子孫たちと、かつての貴族の子孫たちが、友として酒を酌み交わすという夢である。


 私には夢がある。それはいつの日にか悪逆と憎悪の熱で焼けつかんばかりのサハラでさえ、愛と平和のオアシスに変わるという夢である。


 私には夢がある。それはいつの日にか我らの幼い子どもたちが、生まれた星によってではなく、その正義によって評価される世界に住むという夢である。


 私には夢がある。それは醜悪なブノノク崇拝者たちの集う、統合政府内での権限確保に汲々とする州首脳のいるアメリカやロシアや中国でさえもいつの日にか、我らをテロリストと呼び蔑む、そのかつての大国においてでさえ、あらゆる民族、あらゆる部族、あらゆる星の少年少女が兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。


 これこそが我らの希望である。


 この信念を抱いて、私は戦場へ戻って行く。


 この信念さえあれば、我らは絶望の岩山から希望の宝玉を切り出すことが可能になるだろう。


 この信念さえあれば、我らはこの迷える世界に鳴り響く耳障りな不協和音を、美しい交響曲に変えることができるだろう。


 この信念さえあれば、我らはいつの日か真に自由になると信じて、正義のために共に働き、共に祈り、共に闘い、共に死ぬことができるだろう。


 さあ自由と正義の鐘を鳴り響かせよう。全宇宙に鳴り響かせよう。


 これが実現するとき、すなわちすべての村やすべての集落、あらゆる地域のあらゆる町から自由と正義を鳴り響かせるとき、我らは地球の子すべてが、黒人も白人も黄人も、ユダヤもイスラムも、プロテスタントもカトリックも、ヒンドゥ教徒もシク教徒も仏教徒も共に手をとり合って、なつかしい地球の歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。


 我らに必要なのは、ただ手を携える事である。もはや穢れた国家や統合政府の庇護など必要ではないのだ。


 私はここに宣言する。我らオシリスは必ずやブノノクを放逐し、そして地球上のすべての国家体制を解体すると。それこそが、すべての人類にとっての正しい明日なのである。




 湧き上がる地鳴りのような歓声と怒涛の如き拍手、そして踏み鳴らされる足音。


 いまから十年前、反連邦組織オシリス結成時に、あのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の言葉をあえて下敷きにした、族長アジャールが行ったこの演説は、ブノノクと統合政府の支配に不満を持つ人々から熱狂的な称賛を受け喝采を浴びた。


 そして十年経ったいまでも、動画共有サイトにアップロードされ続けている。


 そんな動画の一つを、暗い部屋でオーディン・コルセアは観ていた。そのとき、サブモニターに「内線通知」の文字が点滅する。画面をタップすると、現れるクリシュナの顔。


「すまん、寝てたか?」

「いや。何かあったかい」


「極東司令部に賊が侵入したらしい。アカリが例の星辰眼を連れてこちらに来るそうだ」

「それでいい。迎え入れてくれ」


「だがじきに資材搬入のシャトルも来る事になってるだろ、そっちはどうする。止めるのか」

「ドッキングポートは四つあるんだ、二つ同時に来ても問題ないよ。ポートの職員は大忙しになるだろうけど、それは特別手当を出して勘弁してもらってくれないか」


「わかった。極東司令部の賊についてはどうする。ハーンの親父が増援に出るって喧しいんだが」

「その必要はない。ンディールが何とかするさ」


「だよな。親父にはそう伝えてみる」

「悪いな。頼むよ」


 サブモニターのクリシュナは消えた。メインモニターでは、一時停止されたアジャールの顔がアップになっている。


「国家のない世界、実現できれば面白い」


 しかしコルセアは、静かに笑みを浮かべた。


「でも無理なんだよ。この私がいるのだから」

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