第18話 天裁六部衆

 真横から見ると、なだらかに盛り上がった中央部の厚さが約三十メートルで、直径が約百メートルの円盤型。その形から、パンケーキと呼ぶ者もいる。


 ブノノク製の宇宙船としては極小サイズ。元はブノノク宇宙軍で使われた指揮用艦艇だったが、退役後に自治惑星地球連邦に贈られ、六部衆旗下に配備された。


 その最深部にある中央コントロールルームには日々様々な情報が地球各地から集まり、『円卓の間』に坐する逆円錐型の中央制御コンピューターが解析している。これもまた、ブノノク製である。


 そのコンピューター――マーリンと呼ばれる――はいま、円卓の間の丸いテーブルに集まった四人に、地上にいるアカリの姿を見せていた。


「……星辰眼奪還作戦は成功です。こちらにはこれといった被害も出ておりません。詳細はンディール卿の御帰投を待って報告書を提出いたします」

「んで、コルセア卿は何だって。もう先に報告してるんだろ」


 鈍色に輝く直径三十センチの薄い薄いやいばの輪、『チャクラム』を人差し指で回しながら、白銀しろがねのクリシュナは眠そうに質問をした。


 インド系の彫りの深い顔立ちに黒い髪。中性的で端正なマスクは統合政府の女性職員一番人気もうなずける。


 アカリは少し困ったような顔でこう答えた。


「はい、コルセア卿は了解したと仰いましたが、他には特に」

「だったらボクらもそれでいい。報告書なんか上げても誰も読まないよ、面倒臭いしね」


「我は読むぞ」


 ヒゲもじゃで洋梨体型の青玉のアルホプテスは、クリシュナに見下すような視線を突き刺した。


「うぬら蛮族には文字を読む習慣がないのだろうがな、我ら高貴な血族はそうではないのだ。仕事は文字に始まり文字に終わる。文字を読むのが辛いのなら、さっさと六部衆の座を明け渡して原始人の暮らしに戻るがいい」


 その悪口雑言に対し、クリシュナは爽やかな笑顔を返した。


「へえ、キミは読むんだ。偉いねえ、理解出来る脳みそもないのに」


 椅子を蹴飛ばして、アルホプテスは立ち上がる。


「おのれ、今日という今日はもう許さんぞ、立て、構えよ、その腐った性根を叩き直してやるわ」

「そんなに暴れたいのなら、相手をしてあげてもいいけど」


 クリシュナも、ゆらりと立ち上がった。


「ケガだけじゃ済まないよ」

「やめんか!」


 その強烈な怒声は、コントロールルーム全体を揺るがした。


「まったくおまえらという奴は! 寄ると触ると揉め事ばかり起こしおって! いつまで子供でいるつもりか、情けない!」


 体格においては先の二人を上回る偉丈夫、しかも救済の五英雄の一人ともなれば、さしもの二人も押し黙らざるを得ない。


 口髭を湛えたモンゴリアン、赤銅のハーンである。しかし、その銅鑼声に顔をしかめる者がいた。


「お主もたいして変わらんと思うがの。あんまりわめかれると耳が痛うてかなわんぞい」


 小柄なチャイニーズの老人、緑璧りょくへきのリャンは小指で耳をほじった。


「これは! 老師リャン! 申し訳ございません!」

「いや、だから喚くなと言うとるに」


 リャンは困り果てた顔をモニターに向けた。


「なあ、アカリちゃんよ」

「は、はい」


 突然話を振られて目を丸くしているモニターの中のアカリに、リャンはたずねた。


「コルセアはいつまで地上におるのかのう」

「本日アメリカ州議会のパーティがございますので、ご帰還はそれが終わった後という事になりますが」


「ワシはここの人工重力という奴がどうも合わんようでな、地上に降りとうて仕方ないのじゃわい。コルセアにそう伝えてはくれんかの」

「はい、お伝えは致します。ですが御約束は」


「ああ、構わんよそれで。ジジイのワガママじゃからな」


 リャンはそう言うと、満面の笑みを見せた。




 深夜のワシントンDC。ホテル最上階のスイートルームで黄金のコルセアは、濡れた髪を拭きながらバスローブ姿でモニターに向かっていた。


「そう、老師がそんな事を言っていたの」

「はい、随分とお疲れのご様子でした」


 モニタの中のアカリは少し申し訳なさそうだ。誰に対して申し訳ないと思っているのだろうか。


「じゃあ、そうだな。明日は六時にこちらを出よう。老師にはそのシャトルで地球に降りてもらう。そう伝えておいて」

「あの、それでは」


「どうした。何か問題がある?」

「いえ、問題はございません。ただ、閣下のお疲れが取れないのではと」


「ああ、そういう事か。それなら大丈夫」


 コルセアは微笑んだ。


「私は老師とは逆でね、どちらかと言えば人工重力の方が心地いいんだ。地上の重力は、どうにも重い気がする。だからなるべく早く円卓に戻りたいんだよ、疲れを取るためにもね」


うけたまわりました。シャトルのスタッフにはその旨を伝えておきます」

「手間を取らせるね。よろしく頼む」


「過ぎたお言葉です。では失礼いたします」

「うん、また明日ね」


 モニタが切れると、コルセアはソファに深く座り直した。


「ンディールは無事……ヒカルも無事……イナズマも無事……ヨウジまで無事」


 コルセアは、ふふっ、と小さな笑い声を漏らした。


「使えないなあ」




 断面六角の、二メートルに及ぶ鉄の棒。重さは二十キロを超える。それを早朝四時から、庭でただ一心に振り続ける。


 神討イナズマが己に課している毎日の鍛練である。棒の端は手の形に擦り減り、足を運ぶ地面は深く窪んでいた。


「まだあんな事をしているのか」


 二階の窓から見下ろしてつぶやくのはヨウジ。


「あれ、いつまで続けるの」


 隣には銀色の髪のエレーナがいた。


「二時間くらいだろう」

「二時間」


 エレーナは絶句する。


「それも毎日、雨が降ろうが雪が降ろうがお構いなしだ。己を研ぎ澄ますためには、まあ有効な一つのやり方ではあるんだろう。それを手本とせよと言われる子供には、迷惑以外の何物でもないんだがな」


「ヨウジには迷惑だったんだね」


 エレーナは憂いを含んだ眼差しで、棒を振るイナズマを見つめる。ヨウジは少し遠い眼をした。


「確かに僕は強くなりたかったが、剣の腕前を上げたかった訳じゃない。子供の頃の剣の稽古は、苦痛以外に何も得る物がなかったな」

「でもその経験があったから、いまのヨウジがあるんじゃないの」


「それは結果論も甚だしい。僕には当時から自分の未来予想図が見えていた。もしそれを誰かがサポートしてくれていたなら、いまの強さを手に入れるのは、あと三年早く可能だったろう。剣の鍛練など、ただの遠回りでしかなかったよ」


「だけど剣の鍛練をしていたヨウジを連れて、アカリは統合政府に駆け込んだんだよね。それはつまり、非凡な才能を見出していたからじゃないのかな」

「そりゃあ非凡だったろうさ」


 ヨウジは苦笑していた。


「同学年では日本に敵なしだったからな。もっともそのまま剣を振り続けても、僕はイナズマに追いつく事すらできなかったろう。僕はイナズマではないのだから」

「難しいんだね」


 エレーナは再びイナズマに目をやる。その横顔にヨウジは微笑む。


「そう感じるのは、エレーナが親子だの家族だのに憧れを抱いているからだ。本質はたいして難しくはない。たとえ超人の遺伝子を受け継いでいても、僕自身は超人ではない。超人でない者が超人を上回ろうとするにはどうしたらいいか。少なくとも、超人と同じ事をしていては追いつく事すらできない。自分にしかできない、特別な何かが必要になる」


「特別な何か」


「エイイチは僕と同じ顔をしている。だが強さでは僕の足元にも及ばない。何故だと思う。あいつには特別な何かが欠けているからだ。あの馬鹿は自分の持っている能力を理解していない。だから強くなれない。いくらグランアーマーなど身につけたところで、猫に小判、豚に真珠だ」


 そのとき、ヨウジの部屋のドアがノックされた。ドアを開けるとそこには隠道インカが立っていた。


「何だ、どうした」

「こんな朝早くに済まない」


 インカは部屋の中が気になるようだった。


「起きていたのか」

「ああ、剣術馬鹿の素振りの音で目が覚めた。それで」


「いや、話し声が聞こえた気がしたから、その」


 ヨウジは身を引いてドアを大きく開き、部屋の中をインカに見せた。もちろん誰もいない。


「納得したか」

「済まない、気のせいだったみたいだ」


「どうやら眠れないようだな」


 インカの眼の下には、大きなくまが浮き出ていた。


「ヒカルの事か」


 ヒカルはいま統合政府の保護下にある。心配なのかという問いだが、インカは首を振った。


「いや、大丈夫だ。私は朝食の支度があるから。本当に済まなかった」


 インカは顔を逸らすと、そそくさと階段を下りて行く。それを見送るヨウジの顔に、悪魔的な笑みが浮かんでいた。

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