第16話 覚悟せよ

 ンディールとその配下の半数は、アルファ隊として艦橋に乗り込んだ。しかし艦橋はもぬけの殻。


「航行は自動か」


 ンディールの問いに、


「オートパイロットのスイッチは入っていません。どこからか遠隔操作されている模様です」


 との返答。


「エレベーターは」

「最下層に停止したままです。ボタンを押しても反応がありません」


 ンディールの隣に副官が立つ。


「ブラボー隊が格納庫付近で敵と遭遇、交戦中です」


 ンディールは、ほんの一瞬考えて即断した。


「直ちにブラボー隊と合流する」


 アルファ隊は階段に向かったが、突然防火隔壁が作動して閉じ込められる。


「下がっていろ」


 ンディールは構える事なく、隔壁を撫でるかのように静かに、しかし高速の貫手を放った。


 鈍い音を立てて、隔壁に大きな缶切りを使ったかのような穴が開く。


 続けて二撃、三撃、四撃、と計二十数回、目にも止まらぬ速度で貫手で穴を円く連ね、最後にその真ん中を蹴り飛ばすと、隔壁に人が通れるほどの大きさのトンネルが出来た。


「行くぞ」


 先頭を進むンディール。その後ろに続く軍警官たちの顔の誇らしげな事よ。




 階段を最下層まで駆け降りた後、イナズマはシロワニを見失っていた。


 最下層の通路は広く、天井は高い。両脇には大きな間口の扉が連なる。倉庫だろうか。


 しばらく進んだとき、遠くで銃声がした。それも複数。どこかで銃撃戦が行われている。ここにいても仕方ない、イナズマは身を翻し階段に戻ろうとした。だが。


 背後から吹き付ける強大な圧力。この気配、覚えがある。


「久しいな、イナズマ」

「アマンダルか」


 通路の奥から姿を現したのは、紛れもなく大地の聖戦士バイソン。グランアーマーをまとったアマンダルは、ビリビリとした殺気を放ちながら近づいて来る。


「こうやってまともに話すのは、あの日以来か」

「そうだな」


 イナズマはうなずいた。グランアーマー越しの会話がまともなのかどうかはともかく、二人が話すのは確かに『あの日』以来。少し距離を置いてバイソンは立ち止まった。


「二十六年振りか」

「そうなる」


「この二十六年で、おまえは本当に強くなった。剣士としては、もはや史上最強レベルと言っても過言ではあるまい。だが」


 アマンダルは強く言葉を切った。


「人としては未熟だ」


 イナズマは答えない。それは肯定とも取れる沈黙であった。


「ブノノクが天裁六部衆を設置したとき、おまえには誘いがあったはずだ。ワシにはあった。だが断った。何故ならワシにはブノノクの支配を是とする事ができなかったからだ。しかしおまえはどうだ。一見おまえはブノノクの側に立っているように見える。ブノノクの支配を是とする者として振る舞っている。なのに何故、おまえは六部衆ではないのだ」


 それでもイナズマは答えない。アマンダルはグランアーマーの下で、ふ、と笑った。


「そういうところは変わらんな。おまえは迷っているのだろう。人間として、夫として、父親として『正しい』道を歩むべきか、それとも一本の剣として戦いの中に身を置くべきか。迷いがおまえの剣を鈍らせている。迷いがなくなれば、おまえはまだ強くなれるというのに」


 アマンダルから放たれていた殺気が、不意に消え失せた。そしてイナズマに手を差し伸べる。


「我らの元に来い、イナズマ。迷いを捨て去り剣として生きよ。エイイチも喜ぶ」

「それはできない」


 しかしイナズマは即答した。アマンダルは憤然と問う。


「何故だ。仮初めの安寧がそれほど大事だとでも言うのか」


「アマンダル、あなたの言う通り私は未熟だ。私には常に迷いがある。だがその迷いをただ捨て去るというのは、私には安楽な道を歩もうとしているようにしか思えない」


「安楽だと。迷いを捨て去る事が安楽だと言うのか」


「私にとって強さとは、誰かに勝てればそれで良いというものではない。過去の自分と比べて強くなっていなければ、そんな強さには意味がない。アマンダル、私は迷いを抱いたまま強くなりたいのだ」


「おまえはそれがどれほど贅沢な事か理解しているのか」

「そのつもりだ」


 一瞬の静寂。このときのアマンダルの胸中やいかに。


「……ならば、強いるまい。だが」


 バイソンのグランアーマーから、再び殺気が噴出した。


「そうとなれば、おまえには一つ問い質さねばならん事がある」


 イナズマは無言で脇差の切っ先を向け、アマンダルは身構える。


「おまえの息子、エイイチではない、その弟。あれはいったい何者だ」

「何者、とはどういう意味だ」


 イナズマは脇差を正眼に構えた。対するバイソンは腰を低く落とす。


「西アフリカ帝国は覚えていよう」


 うなずくイナズマにバイソンは続けた。


「西アフリカ帝国の瓦解後、その正統後継を名乗る組織は幾つかあったが、中の一つに『岩のいなご』があった。反地球連邦組織の中でも最も過激な行動と鉄の規律を誇り、二十年以上の長きに渡ってその命脈を保ち続けた大組織だ。その『岩の蝗』を三年前、たった一晩で、たった一人で壊滅させた者がいる。オシリスに合流した『岩の蝗』の生き残りは、それを風の魔神と呼んでいた」


「風の魔神……」

「いま一度問う。神討ヨウジとは何者か」


「ヨウジは私の息子だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「それが答か。よかろう、ならばおまえ同様我らが敵としてヨウジの命を狙うまで。覚悟しておけ」


「覚悟はしよう。だが覚悟が必要なのはそちらも同じだ、アマンダル」

「何だと」


「ヨウジの持つ力の正体は知らない。だが、あれは尋常ではない。中途半端な覚悟で手を出せば、必ずや後悔する事になるだろう。特にエイイチは」


 イナズマの言葉を最後まで聞かず、アマンダルは、いや大地の聖戦士バイソンは、重い拳を振り回した。


 それを受けた脇差の刃の上を、バイソンの拳が「つっ」と滑り落ちる。力を削がれて上半身が流れた。


 体勢が崩れたと見るや、イナズマはバイソンの眼を突かんとした。しかし相手は角で受ける。


 ほと走る火花。


 バイソンは崩れた体制のまま両腕を振り回し、敵を掴もうとする。


 イナズマは跳んで距離を取った。掴まれれば組み伏せられる。腕力勝負では、いかなイナズマとてバイソンには敵わない。掴まれるまでに勝負を決めねばならないのだ。




 風が吹いた。


 巨大な空気の塊が空中を移動する気配に、シロワニは星辰眼を抱えて飛び退いた。


 岩の落ちるような音と共に、早期警戒機を衝撃が襲う。レーダードームは変形し、片脚が折れ、機体は横倒しになった。


「わ、妾を殺す気か!」


 金切声を上げる星辰眼に、ヨウジはニッと歯を見せる。


「何事も精一杯やるというのは美しかろう」

「物事には限度というものがあるのじゃ、この痴れ者が!」


 そう叫ぶ星辰眼の体が、突然シロワニの頭上に持ち上げられた。


「その限度というもの、超えてみたらどうなる」

「ほう」


 これには、さしものヨウジも意表を突かれた様子。


 星辰眼は掲げられたその身を、バタバタと動かし暴れる。


「ちょ、ちょっと待て兄様よ、何の冗談じゃ、妾をいかいたすつもりじゃ、妾は兄様の味方であったじゃろ、だから兄様に都合の良いように、兄様が望んだ通り、こうやってこやつと差しで渡り合えるよう、取り計らってやったのじゃぞ、それを何故」


 しかしシロワニの眼は、冷たい光を湛えていた。


「ならば最後にその命、兄のために使ってくれ」


 これを聞いてヨウジは嗤う。


「あー、これはいかん奴だな」

「何じゃと」


「貴様の大好きな兄様は、あまりに僕を殺す事ばかりを考え過ぎて、馬鹿になってしまったらしい。どうやら貴様の命を海神の生贄に差し出せば、僕に勝てると思っているようだ」


 シロワニは、ふ、と笑い声を漏らす。


「あながち間違ってはいない」

「ひ」


 星辰眼は息を飲んだ。ヨウジは楽しそうに両手を広げこう言う。


「さあどうするねアンドロメダ。このペルセウスに助けを乞うか、それともそのまま海の藻屑と消えるか、好きな方を選ぶがいい」

「選ぶひまなどない!」


 そしてシロワニは、星辰眼を無造作に海に放り投げた。


「ええい、全く!」


 ヨウジは甲板の縁に走り寄ると、落ちて行く星辰眼に向かって手を伸ばした。そして宙を握る。


 星辰眼の落下は止まった。ごうごうと音を立て、下から風が吹き上がっている。


 ヨウジの見えざる手は星辰眼の身体を持ち上げ、甲板の上にそっと横たえた。星辰眼は、いや、ヒカルは気を失っている。ヨウジが小さくため息をついたそのとき、背後に立つシロワニ。


「甘いわ」


 ヨウジはすでに背後に空気の壁を作っていた。だがその壁を、シロワニは殴りも蹴りもしない。代わりにその壁に両手を当てると、全力を込めて押した。


「おまえがな!」

「お?」


 ヨウジの足元の感覚が消える。もはや足の下には甲板も何もなく、海面まで縦に二十メートルの空間が存在するだけ。空気の壁ごと突き落された格好だ。


 ヨウジは落ちながら甲板に向かって手を伸ばし、見えざる手が甲板の縁を掴んだ。


 しかしそこにシロワニが、自らも落下しながら渾身の手刀を突き入れて来る。その勢いに、ヨウジは思わず甲板を放し、両手で正面に空気の壁を作った。




 機銃の音に溢れかえる通路を、ンディールは駆けた。全身に銃弾を浴びて、しかしそれを全て弾きかえす。足は一瞬たりとも止まらず、グランアーマーには傷一つつかない。


「畜生、徹甲弾だぞ」


 嘆きの言葉を口にしたオシリス兵はその直後、バリケード越しにンディールの正拳を顔面に受け意識を飛ばされた。


「退却、退却!」


 走り去って行くオシリス兵たち。立ち止まったンディールの隣に、副官が立った。


「追いますか」

「いや、目的は殲滅ではない」


 ンディールはそう言うと、倒れているオシリス兵の脇腹を軽く蹴った。


「ふんぎっ」


 妙な声を上げてオシリス兵が目を覚ますと、ンディールはその手を踏み潰す。


「んがぁっ!」

「質問に答えよ。星辰眼はどこにいる」


 踏みにじりながら問うその顔は、グランアーマーで見えないものの、おそらくは眉一本動いていないのだろう、そう思わせる声であった。




 バイソンの振るう拳を、イナズマが水平に薙ぎ払う。


 痛み。


 グランアーマーをまとうようになってから、しばしば忘れそうになるそれを、バイソンはいま僅かに感じていた。


 右手中指の第二関節部が損傷している。古来の鎧と同じく、グランアーマーにおいても関節部は弱点である。とは言っても、普通の相手なら関節部すら弱点として機能しないのがグランアーマーなのだが。


 イナズマの剣は、関節部に直撃していた。ただ闇雲に振るった剣が、たまたま当たっただけなら問題はない。だがイナズマにおいてそれはない。


 バイソンは確信していた。狙っているのだ。ミリ単位の正確さをもって、バイソンの中指を取りに来ているのだと。


 もちろん、イナズマの首が取れるのなら、指一本くらい惜しくはない。しかし指一本で己の首を差し出してくれるほど、容易い相手ではない事をバイソンは知っている。


 指一本と侮るなかれ。指一本差し出せば、次の瞬間には右手まるごと、さらにその次には右腕一本を抉り取られる事になるだろう。目の前にいるのは、そんな鬼神の如き存在なのである。


 バイソンはゆっくりと前屈みになると、イナズマの動きを牽制しながら、慎重に両手をついた。


「覚獣格」


 その言葉がスイッチであった。バイソンのグランアーマーはみるみる背中が盛り上がり、手足は蹄となり、頭が大きくなり、角が伸びた。その姿はまさに野牛。


 バイソンがこの姿を取ったのには理由がある。


 まず、外見の変化に伴い、グランが再配置されるために、右中指に生じた亀裂が消滅する事。そして手足が蹄になる事で、弱点である関節の数が一挙に減る事。さらには低い重心と突進力が加わるために、武器である角の破壊力が増す事である。


 一方イナズマは正眼に構えていた剣先を下げ、右脇で構えた。バイソンが角を振るわんとするなら、それを跳ね上げようというのだ。


「面白い」


 バイソンは低く頭を下げた。


「やれるものなら、やってみるがいい!」


 野牛の鎧は床を蹴り、怒涛の如く押し寄せる。振り上げるイナズマの腕が一瞬遅れた、かに見えた。


 斜め下から心臓を狙って突き上げて来たバイソンの角を、イナズマは脇差の柄で受け止め、跳ぶ。


 バイソンのパワーによってイナズマは高く放り上げられた。その体は回転し、頭を下に、足を上に、そのまま天井にまで達した。


 そしてイナズマは天井を蹴り、雷の速度で真下のバイソンに迫った。繰り出されるのは一撃必殺の突き。


 硬い金属音を立てて脇差は折れた。


 床に降り立ったイナズマは脇差を放り棄て、腰の大刀に手を掛ける。


 しかしバイソンは動かなかった。動けなかった。


 バイソンの後頭部めがけて打ち込んだイナズマの突きは、脇差を折った。だがその折れた切っ先は、グランアーマーを突き破り、その内側にいるアマンダルの首の皮を切り裂く位置にまで食い込んでいるのだ。


 通常ならば有り得ない。いかな名刀であろうとも、所詮は鉄の塊に過ぎない。それがグランアーマーを、しかも頭部といえば最も分厚い部分であろうに、突き破るなど物理的にあってはならない事である。


 けれど、そのあってはならない事が起きていた。そして鉄の刀がグラン装甲を切り裂くのを目の当たりにするのは二度目。


 これがあのアレクセイ・シュキーチンを斬り倒した超人の力か。アマンダルは戦慄した。

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