第15話 突入

 加速したヘリは一直線にタンカーを目指し、瞬く間に距離が縮まる。


 そしてヘリの前照灯が作り出す光の円の内側に船の全景が映し出された瞬間、音もなくその姿は霧に包まれた。


「レーダーに感あり! 距離二百!」


 レーダー手が叫ぶ。


「来るぞ」


 ヨウジは前に向かって両手を突き出す。そのとき、落雷の如き轟音と爆煙。気圧の変化でヘリは僅かに高度を落とした。


 対空ミサイルか。


 ンディールは察した。おそらくはミサイルが見えない壁に阻まれたのだろう。


 ヨウジを横目で見る。この男、どれほどの能力を秘めているのか。


 続いて無数の火線がヘリを包むかの如く、花火のように広がった。ガトリング砲だ。秒間百発にも達しようかという機関砲の攻撃を、ヨウジの作った高圧空気の壁が逸らしている。


「構うな、突っ込め。長くは持たんぞ!」


 ヨウジはンディールを急かした。ヘリは霧の中に突入する。




 空母の上にタンカーのハリボテを作っていたグランは結合を解き、霧状になって宙を漂っていた。


 さすがにこの量のグランである、簡単には晴れない。対空ミサイル発射後、霧の隙間から差す光に向かって艦尾のガトリング砲を撃ち込んだが、手応えはなかった。おそらくは固い空気の壁が弾を逸らしたのだろう。


「ヨウジめ」


 徐々に薄まり消え去って行くグランの霧を見ながら、エイイチは歯噛みをした。甲板上にはロケットランチャーを手にした兵員が集まって、霧の晴れるのを待っている。


「来るぞ、用意しろ」


 しかしそのときすでに、彼らの真上にヘリは達していた。ローターの風圧が霧を吹き飛ばす。


 降下と言うより落下に近い速度で下りて来るヘリに、甲板上の兵は四散した。


 ヘリの後部ランプドアは、タイヤが甲板に触れる前より開いている。そこから最初に降り立った影はイナズマ。


 腰から脇差を抜き放ち、雷の速度で走る。暗い甲板に兵たちが打ち倒される鈍い音が響いた。


 あと一瞬、ほんの瞬き一回、グランアーマーを装着するのが遅ければ、シロワニの腕は切り落とされていただろう。


 イナズマの脇差の一撃を手刀で何とか受け止めたものの、その足は下がらずにはいられない。シロワニは艦内に逃げ込む形になった。


 だが短い脇差の剣先は狭い通路でも鈍る事なく、予備動作のない、そして情け容赦の全くないイナズマの息を吐かせぬ連撃が、シロワニを襲う。


 剣神、超人計画唯一の成功例、人類最後のサムライ、無敵の雷神、そして救済の五英雄の一人。神討イナズマを指す枕詞は幾つもある。それらは子供の頃から嫌というほど聞かされてきた神討エイイチにとって、身を縛る呪いの如き言葉でもある。


 いまその言葉の意味を、シロワニは我が身をもって思い知らされていた。圧倒的なスピード、そしてパワー。グランアーマーをまとわぬ生身でありながら、グランアーマーを身に付けたシロワニのそれを上回る。


 さらにはただの鉄製の脇差が、グランアーマーを打ち砕かんばかりの斬撃に応える。鋼鉄を斬り裂くシロワニの手刀が、叩き折ることすら叶わない。


 道具は使う者によって発揮する力が異なるのだという。それはおそらく真実だ。目の前に立ちはだかる恐るべき化け物がその証であるとエイイチは思った。


 生まれたときから見知っていたはずのその姿が、いまは巨大な山塊の如きに感じられる。


 ただ、地の利はこちらにある。イナズマの連撃を受けるシロワニの足が、一瞬止まった。


 その機を逃さず、イナズマはとどめを刺さんとする。喉元、グランアーマーの接合部への突き。しかしこれをギリギリでかわすと、シロワニの姿はイナズマの前から消えた。そこには階段が。


 足音は下に向かっている。イナズマはそれを追って駆け下りた。




 ヘリの後部ランプドアからは、ヨウジが降り立った。


 機銃の乾いた発射音が幾重にも重なり響く。ロケットランチャーを手にしていた者は揃ってイナズマに打ち倒されたが、残った兵達が一斉にヨウジを狙って自動小銃の引金を引いたのだ。


 放たれた数百発の銃弾は、しかしヨウジの体に一発も届く事はなく空中で停止する。それを指一本動かさずに元来た方向に打ち返すと、絶叫と悲鳴が上がった。


「弾の勢いは殺してある。それくらいで死ぬか馬鹿が」


 さもつまらなさそうにヨウジはつぶやいた。


「父親の後を追わなくて良いのか」


 ンディールはいつの間にかヨウジの後ろに立っていた。そのさらに後ろには、フル装備の警察軍の精鋭二十人がすでにヘリから降りて命令を待っている。


「あれは構わん。放っておいても大丈夫だろう」

「しかし、おまえの兄を斬り殺さんばかりの勢いだったが」


「あの程度の相手に斬り殺されるのであれば、それはその程度のヤツだったというだけの事。別に誰も困りはしない」


 ンディールは小さくため息をついた。


「我々は突入するが、おまえはどうする」

「そりゃ僕も行くさ。だが貴様らとは別行動を取らせてもらう」


「何人か警官を連れて行くか」

「いらん。貴様の手駒だ、貴様が連れて行け。僕は一人で充分だ」


 もちろんそれは監視役など不要だという意味でもある。


「いいだろう、我々は目標を奪取すればすぐに撤退する。おまえ達を待つ時間はないと思え」

「わかったわかった、さっさと行け」


 ンディールは軍警官を率いて、まっすぐ艦橋へと向かった。


 さて、とヨウジは考える。ヘリから離れ、甲板を歩き出した。


 ここまではいい。想定の範囲内だ。だが相手は星辰眼である。どの程度の能力かはわからないが、天頂眼の進化したものだと言うのなら、同じ船に乗っている者の位置が掴めないほど能なしでもないだろう。


 つまり、こちらの行動は相手に筒抜けだと考えるべきである。それなのに艦橋に立てもるような真似をするだろうか。


 ふと足を止め、耳を澄ました。足下から響く蒸気タービンの咆哮、背後から聞こえるヘリのエンジン音。機械的な音はそれだけか。いや、もう一つある。


 ヨウジの身に宿った、天頂眼の能力の欠片が反応している。


 右向きに駆けた。このタイプの空母は、右舷に艦載機を飛行甲板に上げるためのエレベーターが二つあるのだ。その前方にある一つが、降りている。いや、いま上がってくるところか。


 衝突防止灯が、位置灯が、着陸灯が、その他機体の様々なライトがエレベーターの床面を照らす。


 闇の中、まばゆい輝きを放つステージがせり上がって来る。舞台上に立つのは、上に折り畳まれた翼、双発のターボプロップエンジン、機体上部のレーダードーム、古いタイプの早期警戒機であった。


 その脇に立つ人影が二つ。ヘルメットを被ったヒカルと、そしてシロワニ。それを視界に捉えたヨウジが、ニッと口を緩ませる。


「これはこれは。わざわざお姫様を連れて来てくれるとは、殊勝な心掛けだな」

「黙れ、下衆」


 この台詞をヒカルの口が発した事に、さすがのヨウジも呆気に取られた。


「妾は姫などではないわ。どうせ呼ぶならそうじゃのう、げいとでも呼ぶがいい」


 しばしの沈黙。そして突然の呵呵大笑。ヨウジは身体を捩って大笑いした。


「何がおかしい、この腐れ下郎が」

「いやいや、そうかそうか、なるほどなるほど、大体わかった。そういう事か」


 ヨウジはうんうんとうなずくと、見下す視線でヒカルを、いや、星辰眼を見つめた。


「それでは猊下」

「何じゃ」


 ヨウジはまたニッと歯を剥いた。


「貴様はもういらんから、とっとと退場しろ。クズが」

「何じゃと」


「僕はヒカルを迎えに来たのだ。貴様の如き交代人格には鼻クソほどの価値もない。とっとと消えてなくなるがいい」

「わ、わ、妾は星辰眼じゃぞ! オシリスが、六部衆が、喉から手が出るほどに欲しがる星辰眼なのだぞ!」


「ならば貴様はオシリスか六部衆にでも身を寄せればよかろう。だが、ヒカルは返してもらう」

「そんな馬鹿な事ができるか!」


「何だできんのか。それでは貴様など寄生虫と変わらんな」

「寄生虫っ」


 星辰眼はヨウジを指差し、シロワニに訴えた。


「これじゃ、妾はこやつのこういうところが大嫌いなのじゃ!」


 その肩に手を置くと、シロワニは一歩前に出た。ヨウジは鼻をフンと鳴らす。


「ようやく息が整ったか。イナズマ如き老いぼれに追い立てられて息を上げるなど、情けないヤツだ」

「その情けないヤツに息の根を止められる自分を憐れんでおけ」


「貴様はどこまで行っても本当につまらんな。救いようがない」


 ピンと張り詰めた空気。二人の耳の中からは、唸りを上げる機械音が潮の引くように遠ざかった。


 ヨウジとシロワニ、同時に動く。

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