第14話 星辰眼

 エレベーターが再び艦橋へと上がって来た。降りて来たのは右目に眼帯をした、禿げ上がった六十絡みの男。


「何だ、こっちにいたのか」


 そう言いながら、ヒカルに近寄ってくる。


「ドクター、どこ行ってたんだよ」


 ク・クーにドクターと呼ばれた男は、薬の小瓶とペットボトルの水を持ち上げて見せた。


「もちろん薬を取りに行っとったのさ」


 そして笑顔でそれをヒカルに差し出した。


「船酔いは大丈夫かね」

「あ、ちょっと気持ち悪いです」


「そりゃちょうどいい。これは酔い止めの薬だ、飲みなさい」

「ありがとうございます」


「四錠で充分だろう」

「はい」


 少し大きめのカプセルを四つ、ヒカルは口に含み、ペットボトルの水で飲み込んだ。


「じゃあこっちに来なさい。ここに座ると良い」


 その椅子の前には特殊な形のキーボードや、幾つものモニター画面、ボタンやスイッチ類が並んでいる。


「え、あの、こんなところに座っていいんですか」

「構わん構わん、遠慮はいらんから、どーんと座ってみなさい」


「はあ」


 言われた通り椅子に座ると、ドクターはヒカルの頭にヘルメットを被せた。


「よし、これで準備は完了」

「え」


「このヘルメットは思考操作ユニットの操作端末。つまり頭の中で考えるだけで、この船が自由に操れるという便利な機械だ。これをおまえさんに使ってもらいたい」

「ろれってろーゆー」


 ヒカルは、それってどういう、と言おうとしたのだが、呂律が回らない。どうしたのだろう、お腹が熱い。顔が火照る。目が回る。頭がボーッとしてきた。


 ヒカルの異状に気付いたノナが薬の小瓶を手に取り、ドクターの胸倉を掴む。


「おいドクター、どういう事だ。何を飲ませた」

「何って薬だよ」


「だからどういう薬だよ。このカプセルの中身は何だ」

「九十度超のエチルアルコール」


「……酒みたいなもんか」

「要はウォッカなんだがな」


「まんま酒じゃねえか!」


 ノナはヒカルの肩を揺すった。


「ヒカル、大丈夫か」

「らーめかーもしーんなーい」


 ヒカルの人生初ウォッカは、恐ろしい勢いで全身を駈け廻っていた。


「おいどうすんだよ、こんなんじゃ役に立たないだろ」

「いや、そうとも言えんぞ」


 いきり立つノナに、ドクターは落ち着いて答えた。


「天頂眼についての論文を読んだ事がある。興味深い話は幾つかあったが、その中に、天頂眼は潜在意識下で最大の能力を発揮する、というのがあった。要するに、表層意識では完璧にはコントロールできん、という話なのだが、言い換えれば、潜在意識を露出させれば、外部からのコントロールも不可能ではない、という事でもある。ま、可能性だが」


「それとウォッカ飲ませたのと、どう関係あるんだよ」


「いや、最初は催眠術とか考えたのだが、専門ではないからな。睡眠導入剤は眠るか眠らないかの両極端だし、上手い具合に表層意識を閉じて潜在意識を露出させようと考えると、酔っぱらわせるのが確実ではないかと思った訳だ」


「で、酔っぱらわせて、次はどうするつもりなんだ」

「さて、問題はそこだな」


「おいおい」

「星辰眼が天頂眼の上位互換のようなものなら、潜在意識を露出させることで何らかの接触ができるのでは、と思ったのだが、どうしたもんかな」


「考えてなかったのかよ!」


 ノナは思わず突っ込み、ク・クーはつぶやく。


「うわー、ひっでー」


 エイイチはヒカルに近付くと、そっと肩に手を置いた。


「ヒカル、聞こえるか」

「おにい、ひゃん」


「おまえには、力がある」

「ちかや」


「そうだ、母さんから受け継いだ、偉大な力だ。星の高みから、世界を一瞬で見渡す事の出来る力、それを俺達に見せて欲しい」

「ほしの……たかみ……ほしの……星の世界か」


 ヒカルの口調が変わった。直後、突然船が左へ傾く。


「舵を奪われました!」


 操舵手が叫ぶ。


「エンジン回転数上昇!」


 機関士も叫ぶ。


 天井にある大型モニタにはアラートが表示され、警報が鳴り響く。


「レーダーは!」


 アマンダルの声に、レーダー手が返す。


「感ありません!」

「検知域外じゃからのう」


 それはヒカルの口から出た言葉。しかし。


 その声はヒカルではなかった。


「西方から、この船を追ってヘリが迫っておる。厄介な連中が乗り込んでおるわ」


 ヒカルの姿をした何者かは、そう言ってニヤリと笑う。


「おまえはいったい、何者だ」


 エイイチが問い質す。ヒカルの姿をしたものは、トロンとした眼で見上げた。


わらわか。妾こそ、お主らの探していた星辰眼じゃ」

「交代人格か、こりゃあ驚いた」


 感嘆するドクターに、アマンダルがたずねる。


「どういう事だ、ドクター。何が起きているのか説明しろ」


「要は二重人格、この娘の中に隠されていた人格が目を覚ましたという事だな。で、星辰眼の能力はその交代人格の支配下にあるらしい。その交代人格が思考操作ユニットの使い方を一瞬で理解して、この船のコントロールを掌握してしまった、というのが現状かな」


「それはこちらが望んだ事だ」


 エイイチが言う。


「だが何故加速している」

「決まっておろう」


 星辰眼が言う。


「せっかく表に出られたのじゃ、しばらく自由に動きたいと思うのは人情であろうが。それにどうやらこちらでは、ヒカルよりも妾の方を大事にしてくれそうじゃしな」


 エイイチを見上げるその眼は、異様なまでに艶めかしかった。


「そもそも、向こうにはアレがおる」

「アレとは何だ」


 たずねるエイイチを、星辰眼はさも面白そうに見つめた。


「お主と同じ顔をした、アレじゃ」

「ヨウジか」


「アレと妾とは相性が悪い。両雄並び立たずと言うじゃろう、アレがおっては、妾は息苦しゅうてたまらん」


 エイイチはしばし考えた。そして。


「いいだろう。おまえには可能な限り自由を与えよう。そしてヨウジ達からは我々が全力で守ってみせる」

「おやおや、そんな事を約束してしまって良いのかのう。大言壮語は恥をかくぞ」


「その代わり」

「ふむ。言うだけ言うてみやれ」


 エイイチは、強く言い切った。


「天裁六部衆の中枢、『円卓』の場所が知りたい」


 一瞬の沈黙。そして星辰眼は、ニヤリと笑って天井のモニターを指差す。


「よかろう、探してやろう。ただし時間を稼げよ」


 天井モニターの端に光点が現れる。


「レーダーに感あり! 軍警察の輸送ヘリです」




――敵は三十ノットで南下中。二度南へ


 リタからの指示でヘリは向きを変える。


「レーダーに反応は」

「まだありません」


 ンディールにレーダー手が返事をした。


「レーダーになど捉えられるものか」


 ヨウジは鼻先で笑う。


「何故そう思う」


 イナズマが問い、ヨウジが答えた。


「敵は海に降りた。だが相手は飛行艇ではない。旧式の輸送機だ。海の真ん中に降りるなど有り得んし、三十ノットで進むなどさらに有り得ん」


 ンディールは腕を組み唸る。


「普通に考えるなら空母か。だが空母ならレーダーに反応がない訳がない。艦隊で移動しているのなら尚の事。いや、そもそも艦隊が動いているのなら、防衛衛星が見逃すはずがない」


 ヨウジはフンと鼻を鳴らした。


「空母なら艦隊で動くはず、というのは常識に囚われた考え方だな。相手は軍隊ではない。突拍子もない事だってやるだろうさ。太平洋の真ん中を単独行動する空母など、事前に情報でもなければ防衛衛星でもそう簡単には見つからんだろう。もしも何らかの偽装を加えているなら尚更だ」


「だがそれでもレーダーには映る」


 イナズマはそこに拘る。しかしヨウジは首を横に振った。


「ブノノクは地球にグランの技術を与えたが、レーダーの技術は与えていない。宇宙軍港の周囲にはブノノク謹製のレーダー網が張り詰められていてな、こいつはグランを識別することができる。だからグランを使うテロリスト共は、軍港に近付くより遥か以前の段階でその目的と能力を分析され、攻撃できる距離まで近付いた頃にはすでに対抗措置が取られているのだ。飛んで火に入る夏の虫、という奴だな」


 ンディールは目をみはり、イナズマは刺すような視線でにらみつけている。しかしヨウジはどこ吹く風だ。


「だがその優秀なブノノクのレーダーは、地球側には一切渡してもらえない。統合政府と言えど使う事はできない訳だ。いい気味だな。地球のレーダー技術はブノノクのそれに対して圧倒的に不利な状況にある。すなわち、グランを識別できない。ましてグランでステルス構造材など作られたら、手も足も出ない」


「待て」


 ンディールは、少し慌てているように見えた。


「それは少なくとも統合政府内ですら一般的な知識ではない。何故おまえが知っている」

「それは言えんな」


 対するヨウジは嬉しそうである。


「知りたければ力尽くで来る事だ。僕はいつでもいいぞ」


 ンディールは、こめかみを抑えてため息をついた。


「つまり、敵は空母に輸送機を下ろした、その空母は何らかの偽装をしていてステルス性能も持ち合わせている、と言いたい訳だな」

「別に僕が言いたい訳ではない。状況からの推論だ。これが間違っているのなら、すぐにでもレーダーか防衛衛星が正解を見つけてくれるだろうさ」


「だがそれが事実として、オシリスが何故そんな技術を持っている。統合政府も持っていない技術を」

「貴様はいま地球に何人のブノノクがいると思う」


 ンディールは答えられなかった。隠すつもりなどない。単に知らないのだ。


「わからんだろう。僕にもわからん。だが、件の三賢者だけという事はまず有り得まい。中にはこっそり地球人の格好をして、街中を歩いている奴もいるやも知れん」

「何が言いたい」


「連中も天使ではないという事だ。地球人と同じではないにせよ、あいつらにはあいつらなりの欲がある。ルールを破る奴もいるだろうし、権力に反感を持つ奴もいるだろう。ブノノクが全員、統合政府の味方だと思ったら大きな間違いだ」


 そのとき、レーダー手が声を上げた。


「レーダー波検知! ……あっ」

「どうした」


 ンディールが身を乗り出す。が。


「反応、消失しました」


 レーダー手は申し訳なさそうに意気消沈した。


「別に貴様のミスではない」


 ヨウジは言う。それが配慮でも優しさでもない事は、その邪悪な笑顔を見るからに明らかだった。


「急いだ方がいいな。連中、星辰眼を使っているぞ」




「レーダーを切ったのか」


 アマンダルの問いに、星辰眼は軽く手を振った。


「妾の眼があれば、レーダーなど無用じゃ。それに向こうは天頂眼を使っているようであるしの、じきにこちらを見つけるじゃろう。ヘリが相手では速度的に振り切れんようじゃ。ならば」


「ならば、どうする」


 傍らに立つエイイチに、星辰眼は媚びるような眼差しを送った。


「叩き潰すには、引き付けねばなるまい」




「三時方向に船影」


 その報に、ンディールは窓から双眼鏡を構えた。


「タンカー、だな。タンカーに見える」

「レーダーには映っているか」


 ヨウジの言葉に、ンディールがレーダー手に目をやる。相手は首を振った。


「レーダーには反応ありません」

「決まりだな」


 意気揚々と立ち上がったヨウジをンディールが止める。


「待て、どうする気だ」

「ヘリを船の真上につけろ。僕が降りる」


「まだあれが敵の船だと決まった訳ではない」

「レーダーに映らん時点でビンゴだ。間違いの可能性など爪の先ほどもない」


 そこには確信が見えた。判断力と思い切りの良さには舌を巻く。だが人の上に立てる存在ではないな、とンディールは思う。この男のために命を捨てる者はいまい。もちろん、ヨウジ自身がそんな事を望みはしないだろうが。




「レーダーに映らなければ、この船で間違いないと確信するじゃろう。となれば後は乗り込むだけ。ヘリは自ずと引き付けられよう」


 星辰眼は、そっとエイイチに手を伸ばした。そして撫でるように指先で腕に触れると、母の手を取る幼子の如く、柔らかく手首を掴んだ。


 それをエイイチの冷たい瞳が見下ろす。


「引き付けて、どうする」

「対空ミサイルがあるではないか」


 しかし渋い顔をするのはアマンダル。


「ミサイルか」


 星辰眼は馬鹿にしたような目を向けた。


「宝の持ち腐れという言葉を知っておるか。ある物は使わねば損であろうに」

「ミサイルを好き放題撃てるほど、我らの財政は潤沢ではない」


「ミサイルも撃てずに空母など運用できると思わぬ事じゃ。機関砲も使うぞ」

「やむを得まい」


 アマンダルは渋々うなずいた。


「あとはまあ、曲がりなりにもテロリストの船じゃ、ロケットランチャーくらいは積んでおろう」

「いいだろう、配置につかせよう」


 エイイチは無表情で星辰眼の手を振り解くと、艦橋を後にした。


 エレベーターで降りて行く背中を見送った星辰眼は、不意にノナに視線を移した。動揺している彼女を見て、星辰眼はニンマリと笑う。


「まあ、その後が問題なのじゃがのう」




 ヘリはタンカーの後方約一キロにつけた。


「慎重なのは構わんが、相手に時間を与え過ぎだな」


 不平を垂れるヨウジに、ンディールは厳しい視線を返す。


「私はこの機の乗員の命も預かっている。おまえの考えるようには行かん」

「だが夜だ」


 ついさっきまで赤かった西の空はすでに漆黒に染まり、ヘリは暗闇の中をポツリと飛んでいる。雲が出ているのだろう、星明りさえ見えなかった。


 正面を照らすライトの向こうには、タンカーの尻だけがぼんやりと浮かび上がっている。


「レーダーも効かんし、相手がどう出るかわからんままケツを追い続けても、こちらの燃料が切れるだけで得るものはないぞ」


 それは全く、ヨウジの言う通りであった。


「燃料残は」


 ンディールの言葉に、機関士が答える。


「間もなく半分を割り込みます」


 決断のタイミングである。ンディールは命令を発した。


「後部甲板に着艦を強行、目標を奪取する。総員、近接戦闘用意」




「加速したな」


 星辰眼はニヤリと笑った。


「さて兄様よ父様よ、どう出る」

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