第13話 天頂眼

「どういう事!」


 首相官邸に、リタの絶叫が響き渡った。


さらわれましたって言われて、はいそうですか、って納得できるとでも思ってるの」


 ヨウジは執務室のソファにふんぞり返っている。その向かいにはンディールが。イナズマは両者を見張るかのように壁にもたれかかっていた。


「しかし攫われたものは攫われたとしか言いようがないぞ。泣き叫んだって戻って来る訳ではないしな」


 やる気なさげなヨウジの態度に、リタは怒りを爆発させる。


「あなたが大丈夫って言ったんでしょう!」

「言われた通り、統合政府からは守ってやっただろう。オシリスからも守って欲しければ、最初からそう言えば良かったのだ」


「屁理屈をこねないで! いまがどういう状況かわかっているの」

「わかっているなら話は早い」


 ヨウジは身を乗り出した。


「天頂眼を使ってもらおう」


 その言葉にリタの顔が凍り付く。


「な、何を馬鹿な」

「放っておいても宝の持ち腐れだろう。いま使わないでいつ使う」


「これは、駄目よ、封印したの。二十六年前の『あの日』に」


 庇うように手で目を覆ったリタは、消え入るような声でそう言った。


「だからその封印を解けと言っている。ヒカルの命が懸かってるんだぞ」

「それは……」


 リタはうつむいて黙りこくってしまった。ンディールがリタに向き直る。


「差し出がましいようですが、統合政府としても娘さんの能力をオシリスに使わせる訳には行きません。何としても早急に奪還したい。そのためにはあなたの天頂眼が必要です。ご協力願えれば」


「一つ聞きたい」


 それまで黙っていたイナズマが口を開いた。見つめられてヨウジが片眉を上げる。


「何だ」

「おまえは本当にアマンダルがヒカルを攫ったとき気付かなかったのか」


「おいおい貴様もか。どいつもこいつも、よほど僕を神様扱いしたいらしい」

「意外だな。おまえは自らを神と名乗る連中に近しい者だと思っていたが」


 とはンディールの言葉。ヨウジは大袈裟にため息をついて見せた。


「よしてくれ、僕は人間だ。隙も作るしうっかりもする。愚かで醜く不完全な、泥人形の成れの果てでしかない」


 そして最後にニッと笑った。


「ただ貴様らよりも格段に強いというだけのな」


 一瞬張り詰める空気。しかし。


「おまえを信じよう」


 イナズマの言葉に、ンディールとヨウジは――互いに全く違う意味で――ため息をついた。


「リタ」


 イナズマはうつむく妻に目をやった。


「私からも頼む。天頂眼を使ってくれないか」


 顔を上げたリタの眼には涙が浮かんでいる。それを正面から見つめ、イナズマは言う。


「勝手な言い草だとは思う。だが、子供たちの事で、これ以上後悔はしたくないのだ」

「……少し時間を頂戴」




 リタとイナズマを残し、ヨウジとンディールは執務室の外に出た。


「どこへ行く」


 歩き出したヨウジの背中にンディールは鋭い声をかける。


「トイレだ。ついて来たいのなら勝手にしろ」


 そう言ってヨウジは廊下を歩いて行くと、角を左に曲がった。ンディールがついて来る気配はない。


「来るよ」


 ヨウジの耳にだけ聞こえる少女の声。


 海のようにうねる緑。一面に草原が広がっていた。首相官邸にいたはずなのに、空はどこまでも青く、遠くには山脈も見える。


「何の真似だ」


 ヨウジはつぶやく。すると目の前に突然、女が姿を現した。長い銀色の髪。派手さはないが、気品と輝きに満ち溢れた美しい女。


「これは私が好きだった風景です」

「貴様らにも好き嫌いはあるのだな」


 女はうなずいた。


「ブノノクにも好き嫌いはあります。けれど、地球人のそれと同一かはわかりません」


 そして女は、愛おしげな目でヨウジを見つめた。


「エレーナは元気ですか」

「元気というのもおかしいかも知れんが、まあ問題なくやっている」


「そうですか。よかった」

「で。そんな事を聞きたくて、わざわざこんなところまで来た訳ではあるまい」


「いいえ、『私』が聞きたかったのはそれだけです。ただ、『我々』の聞きたい事もあります」

「天頂眼の事なら、多分大丈夫だ。使うだろう」


 女は満足そうに微笑んだ。


「そうですか。よかった」

「しかしあんなものを使わせて、いったい何をどうしようというのだ。貴様らのレーダーの方がよっぽど優秀だろうに」


 女は答える。


「純粋な好奇心です。ブノノクには特殊能力者が存在しません。遠い過去には存在したのかもしれませんが、いまのブノノクには特殊能力者は概念でしかありません。全ての問題を技術で解決したからです。それ故に、際立った特殊能力者を内包する種族に興味があります」


「興味本位にしちゃ大げさな気もするがな。ま、それはそれでいい」

「いま疑問が生じました」


「今度は何だ」

「大げさな気もすると思いながら、何故あなたは我々に協力してくれるのですか」


「そりゃ決まってるだろう。僕の命は貴様らから貰ったものだ。ならばその恩返しをせねばなるまい」

「ブノノクは合理性を重んじます」


「それがどうした。合理性を重んじると恩返しという概念がなくなるとでも言うのか」

「合理的に考えるなら、あなたの言う恩返しにも何らかの利益が伴っていなければ意味が不明になります」


「利益を先払いしてもらったからこその恩返しだろう」

「ブノノクには神という概念がありません」


「だから何だというのだ」


「遠い過去にはあったのでしょうが、ブノノクが宇宙を旅する民となってより、神という概念は消失してしまいました。それ故に、神に対抗する悪魔という概念も消失しました」


「回りくどいな」

「あなたの行動を見ていると、地球人の言う悪魔に近い者という印象を受けます」


 そう言われて、ヨウジはどこか満足げにニッと笑った。


「失敬だな。僕は神に反旗を翻すほどロマンチストではないぞ」

「あなたの言う神に、ブノノクは含まれていますか」


「さあて、どうだろうな。だがここは八百万やおよろずの神が集う地だ。宇宙人くらいいても大した問題ではないのかも知れん」


 女は一つうなずくと不意に姿を消し、同時に草原も消え失せた。ヨウジが立っているのは、元通りの静かな首相官邸の廊下だった。


「どうした、エレーナ」


 ヨウジが小声で尋ねた。いつの間に現れたのか、背中合わせに少女が立っている。


「なんでもない」


 一言だけ発すると、エレーナもまた、いなくなってしまった。




 統合政府から軍警察の輸送ヘリが、軍警官二十人と共に首相官邸へと回された。ヨウジとンディール、イナズマが乗り込む。


 リタは官邸から、ヘリに方角の指示を出す事になった。そこは曲がりなりにも首相である。迂闊に最前線に出る訳には行かない。




 雲の上、空の上。天の頂から見下ろす水平線は丸く、有限である。その有限の世界から湧き立つ無限に等しい情報の中から、ヒカルの影、それだけを探す。


 見つからない。


 もう一段高みに上る。捜索範囲が広がり情報も飛躍的に増えるが、当然それには相応の処理能力が必要となる。


 頭脳がフル回転する。その広大な視界の中にいる人々の喜びが、哀しみが、怒りが、苦しみが、染み込むように心を侵す。胸が痛い。頭が熱い。


 御館様は天頂眼を物の位置を特定する能力と説明した。それは事実であるが、すべてではない。レーダーが移動体を探知するようなシンプルなシステムではなく、もっと繊細で面倒臭いものだ。


 天頂眼は使い方を誤れば、他人の心に土足で踏み入る事もできる。ただ一人の友の死に嘆き悲しむ者の心であっても。


 だからこそ、誰かの心を傷つけてまで使いたくはない。それではモチベーションが維持できない。結局、封印されるにはされるだけの理由があるのだ。


 さて、もう一段高みに上ろうか。リタがそう考えたとき、右下に慣れ親しんだ感覚がある。ヒカル、私の娘の気配。それは移動していた。




「敵は南東に。太平洋に飛んでください」


 リタはまず最初の指示を出した。




「目が覚めた?」


 ヒカルが目を覚ますと、短い黒髪が印象的な少女が話しかけてきた。


 暗い部屋。学校の保健室のような雰囲気だが、それとは本質的に違う気がする。開いたドアから光が差し込み、部屋中に機械の蠢く音が響いている。


「ここは」

「ギュスターブ号、って言ってもわかんないね。起きれるかい」


 ヒカルは少女の差し出した手を取り、ベッドから身を起こした。何とか立ち上がったものの、眩暈でよろめく。その体を黒髪の少女が支えた。


「無理なら寝ててもいいよ」

「大丈夫……ちょっと気持ち悪いけど、多分大丈夫」


「そう、なら一緒においで」


 少女は部屋の外に出た。廊下には明かりが灯っている。よろめきながら歩くヒカルの手を引いて廊下を進む。と、そのとき。


おとりにしやがったぁっ、俺を、この俺様を、囮に使いやがったぁっ」


 廊下に面したドアの向こうから、そんな声が響いて来る。ノナはちょっと困った顔をした。


「ああ、あれは気にしなくていいから」

「え、でも」


「いいからいいから」


 廊下の先にはエレベーターがある。少女は乗り込むと迷わずボタンを押した。


 階を三つほど昇りエレベーターから降りると、ほぼ真正面にあるドアを押し開く。押し寄せてくる潮の香り。


 少女に誘われ、ヒカルはドアの外に出た。


 世界を埋め尽くす水。


 どこまでも広い空。


 三百六十度制限のない世界。


 オレンジ色の太陽はその半身を水平線の向こうに隠し、空と水面を焼いている。


 夕凪の海の中で、ヒカルたちだけが動いていた。


 そこは見張り台のような場所らしい。縁に手をかけて下を覗けば、前後方向に広大な甲板が広がり、何本もの太いパイプが見える。甲板の片隅には、ヒカルを運んだ輸送機がシートをかけられて置かれているが、彼女にその記憶はなかった。


「これって船だよね。あの……」


 そう言えば、まだ名前を聞いていない。


「ああ、ごめんごめん、自己紹介がまだだったね。あたしの事はノナでいいよ」

「ノナ……さん」


「さんは要らない」

「じゃあ、ノナ」


「何、ヒカル」

「これって船だよね」


「船だよ」


 ああ、やはりさっきから気持ち悪いのは船酔いだったか。ヒカルは納得した。


「タンカー?」

「にも見えるよね」


 ノナは悪戯っぽく笑った。


「本当はそうじゃないけど、それはまた後で説明する」

「じゃ、この船は何処へ行くの」


「まだ未定。とりあえず太平洋を南下中。ていうか、行先はヒカルに決めてもらう」

「私が?」


「そうだよ。そのためにわざわざ攫って来たんだから」

「あー、やっぱり私、攫われたんだ」


 ぶふっ。ノナは噴き出してしまった。


「何、それ、マジ?」

「え、私何か変な事言った?」


「へえ」


 ノナは本当に感心しているようだった。


「度胸があるっていうか何ていうか、大物だねヒカルは。さすがエイイチの妹なだけあるよ」

「あ、そうか。ここにエイ兄ちゃんいるんだ」


 これがツボに嵌まったらしい。ノナは大声で壁をバンバン叩いて笑い転げた。


「エイ兄ちゃん、エイ兄ちゃんって」

「えーっと、私そんな変な事言ってるかな」




 ヒカルを連れて、ノナはエレベーターでさらに一つ上、艦橋に移動した。


「お待ちどおさま、ヒカルを連れてきたよ、エイ兄ちゃん」


 艦橋に何とも言えない空気が流れる。エイイチは眉間に縦皺を数本寄せた。


「ノナ」

「いいじゃんいいじゃん、たまにはリラックスしようぜ」


 艦橋のメンバーはみな目を逸らしている。そのうちの一人にエイイチは目をつけた。


「ク・クー」

「何で俺だけっ」


 艦橋が笑い声に包まれる中、戸惑いながらヒカルが声を上げた。


「あの、私」


 エイイチは小さく微笑む。


「済まなかったな、ヒカル」

「え」


「こんなやり方でしか、おまえを連れて来れなかった。申し訳なく思っている」

「エイ兄ちゃん」


「だが決して悪いようにはしない。信じて欲しい」

「……うん」


 うなずくヒカルの顔には、心なしか悲しみが漂って見えた。

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