第12話 五里霧中

「救済の五英雄の一人、アマンダルとお見受けする」


 ンディールの言葉に、バイソンは小さくうなずいた。


「いかにも」

「私は『あの日』、五歳だった。あなたの存在は、我らアフリカ系の誇りだった」


「過去形か。すまんな」

「あなたの強さは、同志ハーンからも聞いている」


「あやつも息災なようで何よりだ」

「だから簡単に勝てるとは思っていない。だが私は六部衆、あなたを蹴散らさねばならない」


「ならば、その蹴散らす足に、しがみついて見せるとしよう」


 ンディールの構えた右の拳が、一瞬蠢いたかと思うと、メリケンサック状の盛り上がりを作った。


「参る」




「酷い兄貴もいたものだ。自分の妹をテロリストの玩具に差し出そうというのだからな」


 脱力して立つヨウジに対し、シロワニは腰を落とし、左右の手刀を構えた。


「おまえがやろうとした事も、同じ事だ」


 しかしヨウジは双子の兄を、見下すように否定した。


「同じではないな。僕は統合政府からヒカルを守ろうとした。それもポーズだけではない。実際に守れるだけの力が僕にはある。貴様とはそこが全く違う」


「俺がポーズだけだと言うのか」


「ああそうだ。四拳聖だシロワニだと言われたところで、貴様はただ見てくれだけのハリボテに過ぎない。強くもないのに強がっているだけだ。僕とはそこが全く違う」


 ずい。シロワニは右足を前に滑らせた。


「おまえのその的外れな思い込み、後悔させてやろう」

「口先だけで強いですよアピールか。貴様は根本的に心底まったく駄目だな」


 その呆れ果てたと言わんばかりの言葉を最後まで聞き終わる事なく、シロワニは跳んだ。




 インカは迷った。いまジャッカルは軍警官隊と向き合っている。そしてその背中は、自分の方に向いている。


 手元には捕縛用のワイヤーがある。いかに名高い四拳聖とはいえ、後ろさえ取れれば。


 脳裏にはグランホーリー社での失態がよぎる。後ろを取ろうとして、首を刈られそうになったのではなかったか。


 プライドはある。意地もある。だがヒカルの命がかかっているのだ。彼我の実力差は認めなければならない。


 インカは車列に目をやった。リムジンのすぐ後ろ、ではなく、最後尾の護衛車に。


「そこかよ」


 ジャッカルはインカの隣に立っていた。いつの間に。


 インカはワイヤーを投げつけた。しかしワイヤーが絡みついたのは、盾にされていた軍警官。すでにジャッカルの姿はない。


「遅えよ!」


 ジャッカルはもう車列最後尾の護衛車に達していた。だがその頭を、目には見えない巨大な手が上から鷲掴みにした。力任せに地面へと叩きつけられるグランアーマー。


「なるほど、遅いな」


 一瞬、顔面で逆立ちしたジャッカルは、そのまま背中から倒れ込むと、呻き声を上げながら、護衛車の前に立つヨウジを振り仰いだ。


「てめえ、なんで」


 そこに駆けつけてくるシロワニ。


「ヨウジ! おまえの相手は俺だ!」


 その足に、見えない何かが出足払いを掛けた。


 バランスを崩しかけるシロワニ。しかし足元の何もない空間に手刀を突き立てると一気に斬り裂く。その隙に、ジャッカルは立ち上がって身構えた。


 グランアーマーが頬の辺りに微細な空気の流れを感知する。思い切って仰け反れば、顔のあった辺りに分厚い空気の塊が高速で通り過ぎて行く。ジャッカルは三歩後退って踏み止まった。


「おいエイイチ、どういうこった」

「すまん」


「すまんじゃねえよ、こいつはおまえが足止めしとくって段取りだろうが」

「不覚を取った」


 しかしヨウジはニッと歯を剥く。


「それは違うな。貴様は不覚を取った訳ではない。これは単なる能力差であり実力差。もっと平たく言えば貴様が弱すぎただけだ。最初から敵わぬ相手に戦いを挑んでしまった、ただそれだけの事だ、わからんかな」


 シロワニはじりじりと焦れたように前に出る。


「黙れ。上手く逃げたつもりなのだろうが、結果的に不利になっている事に気付け」


「不利? はてさて、何を指して不利だと言っているのやら。妹を背に庇っている事か、それとも相手をする馬鹿の数が増えた事か。もしその程度で貴様が少しでも有利になったと考えているのだとしたら、とんだお笑い草だ」


「おいエイイチ」


 ジャッカルは深く腰を落とした。


「なんだ」


 シロワニはヨウジから視線を外さない。


「おまえもたいがいイカレた方だが、おまえの弟は完全にアレだな」

「前半は同意しかねる」


「しかもムカつく」

「それは否定しない」


「本当にやっちまっていいんだな」

「とどめは俺が刺す」


「了解だ」


 その言葉が消え入らぬ間にジャッカルは動いた。前へ、そして横へ。


 左右へ高速でステップしながら、地を這うように駆け抜ける。その足元へ風が吹き、ジャッカルは高く跳び上がった。


 風が追う。しかしその風の塊を、シロワニの手刀が斬り裂いた。


 シロワニは頭から突っ込んでくる。その上にはジャッカルが。二人の拳がヨウジにまで届くのは、ほぼ同時。


 と、ヨウジは右手を上げる。そして宙を掴むと、そのまま真下へ腕を振った。


 激しい音と衝撃。天地がひっくり返り、全身に痛みが走る。


 シロワニは自分の身体の上に誰かが倒れている事に気が付いた。誰だ、ジャッカルか。いや、もう一人いる。


「……ノナ」


 さっき輸送機に戻ったはずのスワローがそこにいた。


「何故ここへ」


 スワローはふらふらと起き上がる。


「援護しようと思ったんだよ。それで奴の真上を取ったんだ。そしたら急に足を引っ張られて、気がついたら」


 ヨウジは嗤う。


「三人寄れば文殊の知恵とは言うが、所詮馬鹿は三人寄っても馬鹿のままだな」

「ちっくしょー! 気に入らねえ、てめえ本当に気に入らねえぞ」


 跳ね起きたジャッカルを、まるで天の高みから見下ろすが如くヨウジは見つめた。


「ほう、気に入らんか。ではどうする」

「ぶち殺すに決まってんだろうが」


「砲撃部隊、前へ」


 そう声を張るヨウジに、ジャッカルは虚を突かれた。しかし勿論、前に出て来る者など最初から何処にもいない。


「目標、前方の三馬鹿トリオ、撃ち方用意」


 シロワニもスワローも、どう動いたものか迷っている。ジャッカルは前に出た。


「何が砲撃だ、ふざけやがって」

「てーーっ!」


 ヨウジが叫ぶ。


 めき。


 音もなく何かがジャッカルの左肩にめり込む。そしてその身体は後方高く飛ばされた。


「ク・クー!」


 思わず声を上げたシロワニは胸に、そしてスワローは腹に、目に見えぬ砲弾を撃ち込まれ、ジャッカル同様に宙を舞う。


「どうだ、我が不可視の軍団砲撃部隊の威力は。グランアーマーがなければ、おまえら三人いま頃ミンチだぞ」


 呵呵と大笑するヨウジの声を聞きながら、しかしシロワニは一つの策を思いついていた。


 センサーで地中を探る。水平距離で十三メートル、地下およそ一メートルにそれはあった。


「ク・クー、ノナ、力を貸せ」


 そんな相手の動きを知ってか知らずか、ヨウジは少し遠くに目をやった。


 ンディールとバイソンの戦い、まだ決着はついていないようだ。


 だがンディールが負ける事はまずあるまい。ヨウジはそう見ていた。


 問題はその後である。バイソンは敗れるとしても、ただ黙って殺されるような相手ではない。ンディールに少なからぬ傷を与えるだろう。


 そのンディールをどうするか。機に乗じて確実に仕留めておく、それも一つのやり方だ。間違いではない。だがそれでも。


 黒鉄のンディール。その名は天裁六部衆において、格闘戦では黄金のコルセアに並び立つとされる強者である。やはり簡単に潰してしまうのは惜しい。ヨウジがそんな事を考えていたとき。


 ジャッカルが横に走った。ヨウジは軽く舌打ちをする。


「何だ、まだ動けるのか。雑魚が」


 水平距離で十三メートル移動したジャッカルは、天に向けて雄叫びを上げた。刹那、全身から噴き出す炎。


 火の聖戦士から噴き出すその熱は一瞬でアスファルトを溶かし、沸騰させる。その背後で、シロワニは腕を地中深くに突き刺した。そこにあるのは、水道管。


 シロワニの開けた穴から猛烈な勢いで水が高く吹き出し、高熱を発するジャッカルのグランアーマーへと降り注いだ。


 ジッという音が響くと同時に爆風が吹く。


 爆音が響き渡り、辺りは一瞬で霧に包まれた。視界三メートルの濃霧。まさに五里霧中。


「おまえにはもう、何も見えない」


 シロワニの声が聞こえる。


「次弾装填」


 しかしヨウジは構わず号令をかけた。


「てーーっ!」


 砲弾の衝撃に霧は渦を巻いた。だが手応えはない。


「無駄だ」


 シロワニの声は嗤っている。


「目には見えない砲弾も、霧を避けて飛ぶ事はできない。俺は水の聖戦士、霧の粒子一つ一つがセンサーになる。いまの俺には、おまえの放つ攻撃の全てが見える」


 けれどヨウジは鼻をフンと鳴らした。


「そいつは大した能力だな。だがその能力を何故最初から使わなかった」


 シロワニからの返事を待つ事なく、まくし立てるヨウジに危機感は見えない。


「使わなかったのではない。使えなかったのだ。すなわち使う事を思いつかなかった。貴様は追い詰められるまで、自分にどんな能力が与えられているのか忘れていたのだろう。それは能力を使ってはいるが、使いこなしているとは言えない。わかるかエイイチ。だから貴様は弱いのだ」


 白い霧の向こうから、シロワニの白いグランアーマーが一瞬姿を見せた。


 激流の如く手刀が連続で繰り出される。しかしヨウジは、それらを紙一重で全てかわした。シロワニの姿は再び霧の中に隠れる。ヨウジは足を止めて呼吸を抑えた。そこに聞こえるエイイチの声。


「無駄だ。例え動きを止めても俺にはおまえが見えている」


 いま雲海の如く霧で覆われた地面より上空に、スワローの姿があった。


 スワローは空間センサーで三百六十度方向をスキャンし、ヨウジの姿を捕えている。そのデータはシロワニとジャッカルに共有されていた。


 同時に、シロワニの視界も他の二人に共有されている。ヨウジは袋のネズミと言えた。しかし。


「見えているのなら、さっさと攻撃すべきだな。霧はいずれ晴れる。すなわち貴様の能力にはタイムリミットがあるのだという事を忘れるな」


「減らず口を!」


 ヨウジの挑発に、シロワニは易々と乗った。


 その手刀はヨウジの頭より拳二つほど上の空間から現れ振り下ろされた。


 固い物がぶつかり合う音が響き、火花が散る。


 シロワニの右手の手刀を、ヨウジは左手一本で受け止めていた。いや、違う。シロワニはその違和感に気付いた。


 手刀はヨウジには届いていない。およそ三センチの隙間がある。おそらくこの三センチに、ヨウジの謎が秘められている。


 ならばいまなすべき事は、この三センチを突破する事。シロワニの左の手刀がヨウジの左胸を狙う。それをヨウジは右手で受け流す。


 そこから始まるシロワニの左右の連撃。突く、突く、突く。怒涛の攻撃。それをヨウジが、かわす、かわす、かわす。


 これがもし試合であれば、審判はシロワニが優勢と判断しただろう。だがこれは試合ではなかった。


 シロワニは突くと見せかけてわざと空振り、その勢いのまま身体を回転させた。旋風脚。脚でヨウジの首を刈り取ろうとする。


 ヨウジは身を低く屈めて前に出る。鎌の如きシロワニの脚を頭上にかわし、その右手はシロワニの腰を叩いた。圧縮空気の破裂する音。


 シロワニの身体は一気に数メートル跳ね上げられた。


 ヨウジの視界の端に、赤い光が揺らめく。


「やっと来たか」


 それはブーメランの如く揺れながら、低空を舐めるように飛んできた。いや、駆け寄って来た。


 ジャッカルは他の二人と視界を共有している。だから霧の中でもヨウジの姿が見える。


 シロワニが敵から離れた直後、いまがチャンス。


 全身を炎で赤々と輝かせながら、ジャッカルはヨウジの膝下の位置を目がけて燃える拳を振るった。上にジャンプされても追いかけられるだけの余力を残しながら。


 だが相手は跳ばなかった。ヨウジはジャッカルを正面に迎えると、両掌を突き出した。


 スワローのセンサーが捉える、ヨウジの前には高圧の空気の壁が存在している事を。その壁はジャッカルの突進を押し止めた。


 そしてジャッカルの全身は風に包まれた。下から上に吹き上げる激しい風に。


 風はジャッカルの炎を巻き込み、高温の激しい上昇気流となって天に駆け上がる。水滴は蒸気と化し、霧で満ちていた頭の上に、穴が開いて青空が見えた。


 そこから堤が崩れるように、霧は一瞬にして晴れて行く。


「しまった」

「類は友を呼ぶとはこの事だな。間抜けの近くには間抜けしか集まらんようだ」


 ヨウジの嘲りにジャッカルは牙を剥く。


「てめえ」


 だが、ジャッカルは何かに気付いたように不意に背を向けると、駆け出した。空を見上げれば、スワローの姿はすでにない。そして視線を落とすと、霧の晴れた道路の上に、シロワニだけが立っていた。


「おまえとの決着は、次だ」


 そう言うシロワニを、ヨウジは鼻で笑った。


「次だと。次の機会など与えてもらえると思っているのか」

「次だ。次で終わらせてやる」


 遠くから響く金属音。輸送機のエンジンに火が入ったらしい。シロワニは姿を消した。


 そこに黒い人影が近付いてくる。ヨウジは首を傾げた。


「ん、牛はどうした」


 ンディールは静かにヨウジを見つめる。だがその様子には疲労の色が濃い。


「バイソンなら霧に紛れて逃げた」

「そうか、それは残念だったな」


「それより、妹は無事か」

「妹?」


 ヨウジは護衛車を見た。車列の一番後ろ、ドアが開いている。その前でインカが倒れ、中をのぞけば大政と小政が気を失っていた。ヒカルの姿はない。ヨウジは口をへの字に曲げた。


「牛か」


 ンディールは小さくため息をついた。


「他に可能な者がいたとも思えん。本当に気付かなかったのか」

「ちょっと遊び過ぎたようだな。亀の甲より年の功とはよく言ったものだ」


「落ち着いている場合か」

「慌てても仕方あるまい。どのみち、あの輸送機では長距離は飛べんしな」


「何だと」


 何故そんな事を知っているのか。ンディールは訝しんだものの、あえて追及はしない。


「どんな能力を持っているやも知れん奴を、いきなり本拠地へ連れて行くほど連中も馬鹿ではないという事だろう」


 ニッと笑うヨウジの見せる余裕は、虚勢には思えない。ンディールは問うた。


「近くに基地でもあるというのか」

「まあそれならそれで、こちら側にもやりようはある」


「どうする気だ」

「天頂眼様にお出まし頂くのさ」


 楽しんでいる。ヨウジの言葉にンディールはそう感じた。

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