第11話 誘拐

 ブノノクの支配は、この三十年で様々なものを変えた。


 政治の在り方が変わり、法律や制度が変わり、街並みや風景も変わった。


 ブノノク侵攻以後、新たに統合政府や州の官庁が創設されて市街区域が再編されると、その外に残された、それまでは賑わっていた繁華街も人が減り、治安が悪化し、廃ビルの立ち並ぶゴーストタウンと化した。


 各地に存在するその種の地域は旧市街と呼ばれ、それらの再建は行政の懸案事項として地方自治体に重くしかかっている。


 そんな旧市街の、とある廃ビルの一室に、秘密結社オシリスのアジトがあった。


「日本州政府内の同調者から連絡がありました。例の星辰眼は明日、正式に統合政府へ引き渡されるようです」


 報告を聞き、バルバはニヤリとその薄い唇を歪ませる。


「やっと決まったか。手筈はわかってるな」


 無言でうなずく配下たちにバルバは満足げな笑みを見せた。


「おう、おまえら。今日は早めに切り上げて、よく寝ておけ。明日はキツイぜ」




 統合政府極東司令部庁舎に繋がる、東西に延びる長い直線道路。ブノノクによって敷設された片側四車線のこの道路は、旧市街と新市街の境界線でもあった。


 いまその道路は全線封鎖され、そこを一台のリムジンと、それを前後に挟む五台ずつの護衛車、合計十一台だけが走っていた。ヒカルを統合政府に送り届けるための車列である。


 道の両脇は、警備のための軍警官と、それを遥かに上回る数の見物人でごった返していた。




 旧市街のビルの屋上、道路からの距離はおよそ二キロ。スナイパーライフルのスコープには、リムジンの後部座席が捉えられている。弾丸は捕捉照準弾。


 ロックオンし、トリガーを三度引く。乾いた発射音と共に放たれた三発の弾丸は、くねくねと軌道を変えながら建物の隙間を抜け、超音速でリムジンへと迫った。


 だが、それらは突然に停止した。リムジンの後部座席の窓まであと三十センチというところで、三つ並んで見えない何かにつかまれたかのように。


 後部座席の窓が下がると、中から覗くのは面倒臭そうな顔の神討ヨウジ。


 次の瞬間、スナイパーの頭上を軍警察のヘリ部隊が急襲する。大柄な男が一人、銃を放り出して逃げ出した。




 二キロ先の大騒ぎを横目で見ながら、ヨウジは大欠伸を一つ。


 そのとき、車列の後ろから二番目の車が加速したかと思うと、前の車を追い抜き、リムジンのすぐ後ろに着けた。


「そいつが当たりか」


 声がしたのは歩道に立つ並木の中の一本。その表面がうねうねと波立ち蠢き、木は人の形へと姿を変えた。


 いや、人と言って良いのだろうか。


 全身を覆う黒地に黄色のギザギザ模様。手足は長く、頭部も細長い。頭上に二本の角を具えたその姿は、まるでキリン。


 これこそが電撃の聖戦士バルバのグランアーマー姿。背中のジェネレーターが高速回転し、二本の角の間にスパークが走る。


 周囲の見物客はパニックに陥った。軍警官たちはバルバを撃とうとするものの、逃げ惑う民衆に押されてまともに銃が構えられない。民衆の一部は車道に飛び出し、車列は急停車する。バルバはリムジンの後ろに駆け寄った。


「死ねやあっ」


 元よりさらう気など毛頭ない強烈な火花放電の一撃を、バルバはリムジンの後ろの護衛車に浴びせる。


 だがそれはまるで傘に水をかけたかの如く、千々に散らばり消え失せた。


「何っ」


 十台の護衛車からバラバラと、黒白ツートンのグランアーマーをまとった軍警官隊が、銃を構えてバルバの前に降り立つ。そしてリムジンのドアが開き、面倒臭そうにヨウジも降りて来た。


「武器を捨てて投降しろ!」


 緊張した声で叫ぶ軍警官隊の隊長の横を、ヨウジがスタスタと歩き過ぎる。そして呆気に取られるバルバと軍警官たちの間、丁度真ん中に立った。バルバがニヤリ、唇を歪める。


「なるほど、おまえがそうか。確かに双子だ。あいつと同じ顔をしてやがる」

「まず頭が悪い」


 ヨウジは吐き捨てるようにそう言った。


「何だと」


「車に雷など落としても、電流は全て地面に流れると教わらなかったのか。万が一に備えていたこちらが恥ずかしい。しかも、だ。格好が悪い。不細工だ。醜い。みっともない。ていうかキリンて何だキリンて。ふざけてるのか。学芸会でもあるまいに、他にもっとましなモチーフはあっただろう」


 ヨウジの言葉は苛ついていた。それがバルバの怒りの火に油を注ぐ。


「うるせえ! うるせえうるせえうるせえ! ええい、おめえら兄弟は揃いも揃って俺を不快にしやがる。もう容赦しねえぞ」

「容赦などする余裕もない奴が何を言う」


「喰らえやガキが!」


 バルバの角から電撃が走る。だがそれを受けたはずのヨウジは平然としていた。


 やはりそうか。バルバは己の中にあった違和感に納得した。


 さっきの護衛車への攻撃が空振りに終わったのは、車体が電流を地面に流したからではない。コイツが「何か」したのだ。


「覚獣格」


 バルバのその言葉が覚醒のスイッチ。背中のジェネレーターがフル回転し、グランアーマーが波打ち変形する。腕が長く伸び、脚が長く伸び、そして首が長く伸びた。その姿は完全にキリン――そう、学芸会の――そのものになった。


「なんだ頑張ってそれなのか。つくづく残念な奴だな」


 嘲笑うヨウジに対してバルバは両手を地につき、四本脚の姿勢を取ると、首を水平に垂れ、頭頂の角を前面に突き出した。


 バルバには策があった。


 目の前の相手には、空中放電による攻撃は通じない。どういうトリックを使っているのかは不明だが、何かバリアーのような物があるのだろう。


 ならば、話は簡単だ。距離を置かず直接触れて電撃を加えればいい。


 いま、バルバのグランアーマーはキリンの姿をしている。だがそれが本性ではない。


 実はこのキリン、長い四脚と長い首を合わせた五箇所が、触手となって相手に絡みつく事ができる。角を突き出して攻撃せんと見せているのは、そのためのフェイク。


 これこそが、電撃の聖戦士、オクトパスのグランアーマーの能力であった。


 バルバは地を蹴った。頭の角で貫かんばかりの勢いで。


「くらいやがれ!」


 相手にバリアーがあるのなら、正面に展開させるはずだ。


 そのバリアーを打ち破れるならそれで良し、破れなかったときには、こちらの首が破壊された振りをして、勢いに任せて首から下を相手に近付ける。


 そして五本の触手で一気に絡め取るのだ。


 だが直進するバルバの首は、何らバリアーらしき衝撃を感じなかった。


 このまま角で貫けるのか、バルバがそう思った瞬間、ガン、と何かが衝撃を与えた。脚に。


 目に見えぬそれは尋常ならざる力でキリンの四本の脚をまとめて薙ぎ払う。バルバは一瞬宙に浮き、そして頭から地面へ突っ込んだ。


 もんどりうって倒れ込んだバルバの顔を上げた後頭部に、これまた目に見えぬ何かが強烈な一撃を加え、バルバは昏倒してしまった。




 影が差し、風が吹き下ろす。振り仰げばヘリが低空に留まっていた。


 低空と言っても十数メートルはある。そこからロープも使わず、黒い人影が飛び下りた。漆黒のグランアーマーを身にまとったンディールである。


 音もなく地に降り立つのは下半身のこなしで全ての衝撃を吸収したのだろう。いかに最新型のグランアーマーをまとっているとはいえ、その身体能力は超人の域と言える。


「車列が襲われているとの事だったが」

「遅い。全て終わった後だ。僕がいた事に感謝するがいい」


 ヨウジはバルバを足蹴にした。


「そうか、それは助かった。では、その男を引き渡してもらおう」


 そう言うンディールは、しかし自ら歩み寄ろうとはしない。


「犯罪者の扱いは警察の管轄だろう。それとも六部衆はそんなに暇なのか」

「グラン関連技術を不法に使用した者は、統合政府直轄部署にて取り調べが行われる。それがこの地球のルールだ。もちろん、おまえであっても例外ではない」


「それならば僕には関係のない話だ。グランアーマーなど使っていないからな」

「そいつぁいい」


 ヨウジの足の下から声がした。


 その瞬間、五本の触手がヨウジの上半身に絡みつく。触手は幾重にも重なり、楕円形のまゆの如きを成した。


 触手の隙間からは、空を裂かんばかりの轟音と、強い閃光。繭の中は、高圧電流が渦を巻いている。


「グランアーマーがないんなら、この距離の電撃には耐えられねえだろう。人を舐め腐った罰だ、消し炭になれ。おめえの兄貴へのいい土産になる」


 そしてバルバはンディールに眼をやった。


「ちょっと待ってろ、次はてめえの番だ」

「次があるのならな」


 トクン、触手の繭が鼓動した。


「なに」


 まるでゴム風船が膨らむかのように、繭はその体積を増やした。内側から押し広げられるその力で、触手は細く引き伸ばされて行く。中からは、轟々と風の音がした。


「やれやれ、おとなしくしていれば見逃してやっても良かったものを」


 ヨウジの声と共に膨張の速度が一気に上がると、乾いた破裂音を立てて触手は弾け散った。そしてオクトパスのグランアーマーはその姿を維持できず結合を解く。


 後に残されたのは、腰を抜かしたバルバのパンツ一丁の情けない姿だけ。


 ヨウジは面倒臭そうに言い放った。


「グランアーマーごときが、僕の不可視の軍団に力押しで敵う訳がなかろう、この虫けらが」


 バルバはしかし呆然として、言い返す気力も湧かないように見えた。


「これだ」


 ヨウジは鼻先で嗤った。


「グランはもはや宗教だな。だからグラン万能主義者はグランを否定されると、過大なショックを受けてしまう。哀れなものだ。まさか貴様もその手合ではなかろうな」


 ヨウジはニッと、ンディールに歯を剥いた。


「おまえのその力、本当にグランの技術を使ったものではないのだろうな」


 ンディールは人差指をヨウジに向けた。ヨウジの心臓に。しかしヨウジは気にした様子もない。


「くどい。何度も言わせるな」

「ではいかなる技術を使っているのだ」


「言えるか馬鹿。自分の手の内など、余程の事がない限り見せるのは間抜けのする事だ」

「それでも聞かねばならない、と言えばどうする」


「それは簡単な話だな」


 ヨウジは、ンディールを手招いた。


「かかって来い。僕を倒せたら教えてやる」


 そのときリムジンの後ろにつけた護衛車のドアが開き、中から隠路インカが飛び出して叫んだ。


「おい、何をやっている」

「いまはいいところだ。すっこんでいろ」


 ヨウジはンディールから視線を動かさない。いま目を切る事が何を意味しているか、ヨウジはちゃんと理解していた。


 しかしインカはその背中に怒鳴る。


「おまえの仕事はヒカル様を無事統合政府に送り届ける事だろう。何で六部衆にケンカを売っている」

「状況が変われば、なすべき事も変わるのだ。あと、ヒカルに様を付けるなら、僕にも付けろ、馬鹿女」


「バ、おまえなんかに様をつける理由はない!」

「ぎゃーぎゃーわめくな。とにかく死にたくなかったら……おや」


 ヨウジは意味深な笑顔をンディールに向けた。


「また状況が変わった」


 そのとき、ンディールのグランアーマーの視界にアラートが表示される。


【接近 亜音速 幅十メートル】


「遅いな。輸送機か?」


 ヨウジの言葉をンディールは訝しんだ。


 ヨウジはンディールから目を切っていない。なのに見えているのか。


 アラートが続く。さらに上空に熱源反応があった。防衛衛星が接近する目標にレーザーを照射したらしい。だが目標は破壊されなかった。


「そろそろ見えるか」


 上空およそ二百メートルの低空を、金属音を上げながら、それは一瞬で通り過ぎて行った。


 おそらくは旧式の輸送機をグランでコーティングしたもの。衛星のレーザーに耐えたのだから、少なくとも上面には加工がしてあるはずだ。


 しかしミサイルを撃ち込むでもなし、いったい何の目的で。


 ンディールがそう思った直後、それは機体を傾けた。ゆっくりと回頭しながら高度を下げる。


 旧市街の建物は大半が中層ないし低層建築。輸送機はその上すれすれを擦るように下りて来ると、ンディール達からそう遠くない道路に着陸を強行した。


 ンディールは思わず振り返りそうになった。だができない。


 ヨウジがまだこちらを見つめている。視線を逸らせば一撃が来る。ンディールの本能が告げている。目の前にいるのはそういう敵であると。


 しかし、不意にヨウジが目を閉じ視線を切った。


 ンディールは足を踏み出しかけた。本能がけしかける。チャンスだ、行け。


 そこにアラートが鳴り響く。背後に敵ありと。ンディールは右に跳んだ。


 轟く落雷の如き音。


 さっきまでンディールがいた場所には、砕け散ったアスファルトが散乱し、土煙がもうもうと上がる。


 その中に、ンディールのグランアーマーは四つの影を認めていた。パターンが照合される。


「四拳聖か」


 晴れて行く土煙の中から、ジャッカルが、バイソンが、スワローが、そしてシロワニが姿を見せた。


 その一瞬後、四拳聖は四方に散る。バイソンはンディールの前に、シロワニはヨウジの前に。スワローはバルバを抱え上げると、ジェットを吹かし、輸送機へと飛んだ。


「お先!」


 そしてジャッカルは、軍警官隊とインカの前に立つ。


「俺は今回はハズレだ」と、さも不機嫌そうに。「おめえら雑魚を皆殺しにしてから、お姫さんを連れて行くって寸法だ。悪く思うな」


 グランアーマー姿の軍警官隊は、構えた銃の引金にわずかな力を込めた。その瞬間、ジャッカルは消える。


 鈍い音。


 振り返った軍警官たちは、自分達の背後に立つジャッカルと、その手に盾としてぶら下げられた同僚の姿を見た。


「ほれ、いいぜ。いつでも撃ってきな。俺には当たらねえけどな」

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