第9話 ヒカルとアカリ

「まあ、そんなこんなで」


 高校の昼休み、ヒカルは校舎の屋上で弁当を食べている。屋上にはいま、ヒカルとインカの二人しかいなかった。


「結局わたしが人質に行く事になっちゃったんですよねえ」


 隣に座るインカは、悲しげに視線を落とした。


「お力になれず、申し訳ございません」

「いやいや、インカさんが謝る事じゃないですから。わたしも別に怒ってる訳じゃないし」


 インカは目を丸くしてヒカルを見つめている。


「お怒りではないのですか」


「そりゃあね、不満がない訳じゃないよ。学校をやめるって話になれば、私だって友達に説明とかしなきゃいけない訳だし、もっと事前に詳しい説明してくれてもいいじゃない、私のいないところで勝手に決めないでよ、って思ったりもしたんだけど」


 ヒカルは一つ、ため息をついた。


「うちってほら、普通の家と違うじゃないですか、イロイロと。お母さんもお父さんも、いつも世界の中の自分たちって基準で物事を考えてるし、お姉ちゃんもお兄ちゃん達も家から離されて苦労してるみたいだし、自分だけが安全なところで一人のんびり生活してる、なんてその方に違和感がずっとあったんですよ。だからやっと次、わたしの番なのかなあ、ってね」


 その笑顔にインカは英雄の子として生まれた者の逃れられぬ宿命の重さと、哀しみを見て取った。


 そこに聞こえたのは、インカのイヤホンに大政の野太い声。


「正面玄関から一名、校内に入りやした」

「セキュリティは」


「全て反応せず。こりゃ政府側臭いですぜ」

「小政、そっちで何かわかるか」


 別の位置にいる小政が応答する。


「ジャミングが凄えってこたあわかりますがね。グラン反応、金属反応、爆発物反応全て判別不能。あとは恰好からおそらく女だって事くらいしか」

「どこへ向かっている」


「いま階段を上に。このまま行きゃ屋上だ」

「小政は州政府に確認を。大政はこちらに回れ」


「どうかしたの?」


 キョトンとした顔で尋ねるヒカルに、インカは微笑みを返した。


「何者かがこちらに向かっているようです。しかし、ご心配には及びません」


 グランホーリー社での失態を忘れた訳ではない。


 だがいまこちらに向かっているのは、どうやらテロリストではないらしい。いや、仮にテロリストであったとしても、それは汚名をすすぐチャンスである。


 命に代えてもヒカルの身は守ってみせる。インカは盾となる覚悟であった。


 屋上のドアが開いた。スラリと長い脚が一歩踏み出し、やや低めのヒールが固い音を立てる。そして二歩目で女はヒカルの方を向いた。


 ヒール込で背の高さは百八十センチを超えているだろう、大柄な、しかしそれを意識させない均整のとれたプロポーション。


 女は微笑みを湛え、ゆっくりとヒカルに向かって歩いてきた。その前に、インカが身を曝す。


 だが女は、インカなど見えないかのように視線を動かさない。


「こんにちは」


 探るようにかける声。それに対するヒカルの返事が、女の目をみはらせた。


「アカリお姉ちゃん?」


 女、神討アカリは立ち止った。


「どうしてわかったの。会うのは十年振りなのよ」

「うーん、何となく」


「ご存じなのですか」


 インカの問いに、ヒカルは申し訳なさそうに答えた。


「うん、うちの一番上のお姉ちゃん」


 アカリはその顔をしげしげと眺めた。


「驚いたわ。本当にあなたの眼は特別なのね」

「えへへ、そうなのかな」


 アカリは一瞬、何故か哀しげな目をすると、それを微笑みの内に隠した。


「ヒカルも知っているでしょう、あなたは統合政府の保護下に置かれるの」

「うん、話は聞いてる」


「じゃ、いまから来なさい」

「え、いまから?」


「ええ、そうよ。事は一刻を争うの。すぐに来なさい」


 アカリはヒカルの腕を掴もうと手を伸ばす。しかしその間にインカが立った。


「お待ちください」

「どういうつもり」


 アカリの視線が厳しくなる。


「いま州政府に確認を取りました。統合政府からは、ヒカル様の保護について日程等の調整はまだ行われていません」


 背後に大政が立った事に気付いた様子も見せず、アカリは口元を緩める。


「それがどうかしたのかしら」

「あなたがいかなる権限において、ヒカル様を連れて行こうとされているのかが不明である、という事です」


「私は今回の件について、天裁六部衆より全権を委任されています。それ以上の権限は必要ありません」

「それにつきましても、こちらでは確認が取れません。ですので、ヒカル様をお渡しする訳には参りません」


「私の意思は統合政府の意思です。州政府の雇われ人であるあなたに説明をする必要も、確認を取らせる必要もないのです」

「理屈はそうかも知れません。けれど私には、任務を遂行する義務があります」


 インカは腰を落とし、身構えた。


「融通の利かない子」


 吐き捨てるようにそう言うと、アカリは右足の爪先を、トン、と地面に叩きつける。


 その身体は直立したまま、真後ろに滑るように移動した。


 そして烈脚一閃、回し蹴りが大政の側頭部にヒットする。膝から崩れ落ちる大政をかわすように身を翻したアカリは飛び上がった。


 空中から蹴りが来る。いかづちの速度で迫る攻撃から逃げる暇はない。インカは両腕をクロスして頭の上に掲げた。堪えられるか、それとも。


 そのとき走る一陣の風。


 インカの目の前に突然背中が現れた。天空から唐竹割に打ち下ろされたはずのアカリの脚は、急角度で軌道を変え、何もない場所に突き立つ。


「ヨウジっ」


 片膝をつき、見上げる姉を、ヨウジは一片の感情もこもらぬ冷ややかな目で見下ろした。


「哀れよな」

「何」


「父の腕も母の眼も受け継げず、ただ英雄の子という立場だけを背負わされて生きて来たこれまでの人生、さぞや辛かっただろう」


 そしてニッと歯を剥いた。


「同情してやるからさっさとくたばるがいい、この能なしが」


 アカリは立ち上がると、右手を顔の前にかざした。人差し指と中指のリングがきらめく。


 次の瞬間、アカリの全身をピンクのグランアーマーが覆った。胸には金色のライン。黄金のコルセア旗下の証である。手にはグラン製のなぎなた


「ピンクが絶望的に似合っていない」


 ヨウジは鼻で笑った。


「おまえには会いたいと思っていました」


 グランアーマーの下のアカリの顔は見えないが、その声は落ち着いているように聞こえる。一方のヨウジは鼻を鳴らす。


「貴様などに会いたいと思われるのは、迷惑この上ないのだがな」

「何故裏切ったのです、ヨウジ」


「はて、何の事やら」

「おまえさえ望めば、いずれは天裁六部衆に取り立てられる可能性もあったというのに、何故突然行方をくらましたのです」


「さあな、興味がない事は覚えていない」

「おまえが消えてから、コルセア卿がどれだけ心を痛められたか知っていますか」


「知らんね。その点に関してはどうでもいいからな」

「ヨウジ、おまえには人間の言葉が通じないというのですか」


「貴様ら如きが人間代表だというのなら、おそらくそうなのだろう。時間稼ぎはそのくらいにしたらどうだ。もう息は整っているはずだ」

「ヨウジ……」


 ヨウジはまた、ニッと歯を剥きだした。


「僕と話がしたくば、暴力をもって言葉となせ。それ以外は通じんぞ」


 アカリの薙刀が跳ね上がる。しかしそれがヨウジの顔に届く寸前、目に見えない何かに押されて刃は軌道を変える。


「通じんな」


 アカリは突きの連撃を加える。しかし、全ての攻撃が軌道を変えられ、ヨウジには届かない。


 ヨウジは一歩前に出る。アカリは一歩後退せざるを得ない。ヨウジはもう一歩進む。アカリはさらに一歩下がる。


「話にならん」


 ヨウジは笑顔を作る事さえ面倒そうに言った。


「もうわかっただろう。貴様のように、ただグランアーマーを着ているだけの無能では、僕の前に立つ資格すらないのだ」

「黙れ! かわす事しかできないおまえに」


 姉弟揃って同じ事を言う。呆れているヨウジに、アカリは袈裟懸けに斬り込んだ。


 しかし空中で止まる薙刀。


 軌道を変えるのではなく、完全に宙に停止した。押しても引いても動かない。


 アカリが困惑した直後。


 ヨウジがニッと笑う。


 ピンクのグランアーマーのフェイスマスクに見えない何かが撃ち込まれ、衝撃に体は仰け反った。頭部に無数の亀裂が走る。


「お姉ちゃん!」


 ヒカルの声が空に響いた。

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