第7話 館

 その館は、都市の真ん中に広大な面積を有しながら、しかしひっそりと佇んでいた。歴史の長きに渡り、やんごとなき立場の人々を陰から支え続けてきた館である。


 茅葺の切妻屋根に見下ろされながら、一同はその内側へと入って行く。




「ごめんなさいねえ、お呼び立てしちゃって」


 襖を開け老婆が部屋に入ってくると、イナズマとリタはそろって額を畳に擦り付けんばかりに頭を下げた。それを見て、ヒカルも慌てて頭を下げる。


 おかげで面倒臭そうな顔で胡坐をかいているヨウジと真正面から向き合う形になった老婆は、笑みを崩さず、しかし少し困った顔になった。


「顔を上げて頂戴、いつまでもくすぐったいわ」

「御館様にはご健勝のほど、お喜び申し上げます」


 リタは顔を上げると、緊張の面持ちでそう言った。


「あらあら、お喜び申し上げるのは私の方ですよ、息子さんが帰って来たのでしょう」


 その一言に感極まったのか、リタは一筋、涙をこぼす。


「はい」

「あなたたちの心配が一つ消えたのは、あなたたちにとってだけではなく、この『国』にとっても喜ばしい事です。本当に良かったですね」


 その言葉が終らぬうちに、ヨウジはこれ見よがしに大きな欠伸をした。


「ヨウジ!」

「ヨウ兄ちゃん!」


 母と妹から叱られながらもヨウジは悪びれる事もなく、面倒臭そうな顔を続けた。御館様と呼ばれた老婆は、面白そうにクスクス笑う。


「年寄りの相手は退屈ですか」

「別に婆さんだから退屈という訳ではない」


「ヨウジっ!」


 リタは顔面蒼白になり、オタオタし始めた。


「も、申し訳ございません御館様、何卒、何卒ご容赦を」

「あら、いいのよ、だって本当に婆さんなんですもの。でも一つ聞かせてくれないかしら。私が理由じゃないのだとしたら、あなたは何をそんなに退屈に感じているの」


 ヨウジは面倒臭そうな顔をさらに歪めると、ぶっきらぼうに口にした。


「国」

「国?」


 首をかしげる御館様にヨウジは言う。


「宇宙人がやって来て、強制的に地球連邦とかいうモノを作り上げられたこんな時代に、国とかいう古臭いモノに縛られている貴様らの考え方が退屈なのだ」

「そう」


 御館様は、しげしげとヨウジを眺めている。


「もしかして、あなたは強いのかしら」

「強いとも」


 まるで打てば響くかのように応じた。


「僕はこの世界で最強だ」

「ならば、あなたには国など必要ないかもしれないですね」


「ないな」


 即答である。


「けれど、あなた以外の最強ではない人々にとってはどうでしょう」


 ヨウジはキョトンと目を丸めた。あたかもいままで考えた事もない話をされたかのように。御館様は続ける。


「人には弱さがあります。だから、ずっと根なし草で生きては行けない。誰もどこかで立ち止まり、風雪に耐えるために根を下ろさねばなりません。そういう人達には、国という大地がまだまだ必要だとは思いませんか」


「綺麗事にしか聞こえんな」


 鼻で笑うヨウジを、御館様は見つめた。


「あなたは強いかも知れない。もしかしたら本当に最強の存在なのかも知れませんね。けれど、その強さに見合った度量を持ち合わせてはいないように見えます」

「度量が広いほど強くなれるというのなら、幾らでも広く持ってやるさ。だが強さに関係がないのであれば、僕にとっては興味の外の話だ」


「そんなに強さが大事ですか」

「大事だな」


「何故」

「強さとは自由度だからだ。誰よりも強い者は、誰よりも自由になれる」


 その言葉に、御館様の眼は厳しくなる。


「それは違います。強さには責任が伴うものです」


 ヨウジはまた鼻先で嗤った。


「だから綺麗事だと言う。本当に強ければ責任など無視できるのだ。この世のあらゆるルールは暴力によって上書きが可能であり、暴力の後ろ盾のない自由など見た目だけの仮初めでしかない。だから僕は暴力を求め、あらゆる問題を暴力で解決する」


 あははははっ、御館様は高笑いをした後、思わず口を押えた。


「あら、お恥ずかしい。はしたなかったですね。でも近来これほど痛快な事がなかったものですから、つい」


 一同は――ヨウジまでもが――ぽかんと呆けた顔になった。


「痛快、ですか」


 思わず口にしてしまったリタに御館様は微笑むと、大きくうなずく。


「ええ、痛快ですとも。ここまで自分の思いの丈をはっきり口にできる子がいるのは、地球の人類もまだ捨てたものではないな、と思わせてくれます。この子が導くのが幸福であれ厄災であれ、きっとこの星にとって大きな意味を持つ事でしょうね。でもその前に」


 御館様は、ヨウジと、そしてヒカルを交互に見た。


「何故オシリスがこの子をさらおうとしたのか、その事について話しておきましょう」




 天頂眼については知っていますね。そう、あなた達のお母さん、リタの持っている眼の力です。


 天の頂から、あまねく世界を見渡す眼。


 ありとあらゆる物の位置を特定できる能力。それが天頂眼。


 二十六年前、人類滅亡を企てたアレクセイ・シュキーチンをシベリアに発見したのがこの力です。


 この能力が単にリタだけに現れた突然変異的なものなのかどうか、私達は興味を持って観察してきました。


 リタとイナズマが結婚し、最初に生まれたのはアカリ。けれどアカリには、天頂眼の遺伝は確認されませんでした。次に生まれたのがエイイチとヨウジ。この二人には天頂眼の能力の、ごく一部の遺伝が見受けられました。そしてその次に、ヒカル、あなたが生まれたの。


 あなたが生まれるとき、私達はとても期待していました。今度こそ、天頂眼を受け継ぐ者が生まれるのではないか、と。


 結論から言えば、私達の期待は裏切られました。別の意味でね。


 あなたは天頂眼の特徴である位置特定の能力だけではなく、おそらくお父さんから受け継いだのでしょう、相手の力量や特性を把握する能力まで兼ね備えていたの。


 それを私達は、星辰眼と名付けました。


 知らなかったでしょう。星辰眼に関しては極秘事項でしたからね、あなた自身にさえ教えられなかった。


 知っていたのはリタとイナズマと、あとは政府関係者でもほんの一部の人達だけ。でも秘密はいずれ、ばれるもの。


 今回オシリスがヒカルを狙った事で確信しました。秘密はもはや秘密ではありません。


 ならば、あなた達に話しても問題はないでしょう。いいえ、それどころか話さない事が害を生むかもしれませんよね。


 だからいま、こうやってお話しているの。わかってもらえたかしら。




「要はていのいいモルモットではないか」


 館から帰る車の中で、不意に気づいたようにヨウジはつぶやいた。

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