第6話 不可視の軍団
エイイチの――シロワニとは大型のサメの一種である――グランアーマーの視界には、アラートは出ていない。すなわち目の前にいるヨウジが武装している可能性は低いという事だ。
何より、グラン反応がない。
つまりは丸腰という事になる訳だが、だとすればおかしい。
いったいどうやってロケット弾を防いだのだ。それにヨウジの、この自信に満ちた態度は何だ。本当に丸腰ならば、銃弾の飛び交うこの場所で何故こうも落ち着いていられるのか。
「悩むな」
ヨウジは面倒臭そうに言った。
「馬鹿の考え休むに似たり。貴様がない知恵を絞ったところで、思いつく事などたかが知れている。やめておけ。怖いと思ったら逃げればいい、それだけの事だ」
「黙れ。グランアーマーを持たないおまえなど、最初から恐るるに足らん」
シロワニは吐き捨てた。しかし。
「そう思うか? そう思うだろう。まあ貴様ならそう思うのだろうと思っていたよ、このクソ間抜けめ」
ヨウジの言葉が終わらないうちに、シロワニは前に出た。速い、インカは目をみはった。
「遅い」
ヨウジは嗤った。
シロワニは右の手刀を放つ。ヨウジは微動だにしない。だが届かなかった。目には見えない何らかの力が、シロワニの手の甲を押し、手刀の軌道を変えたのだ。
バランスを崩されながらもシロワニは踏み止まり、左の手刀を繰り出した。しかしそれも届かない。
再度崩された体勢からの、苦し紛れの回し蹴り。その脚は見えない謎の力によって、強く撥ね上げられた。
空中で一回転し床に降り立ったシロワニは、もう一度前に出ようと足を踏み出したが、その足下を見えない何かが薙ぎ払った。
瞬時に前方転回したのは、天性のセンスの成せる業か。ヨウジはフンと鼻を鳴らした。
「オシリスの四拳聖と言えばテロリストの間では有名らしいが、所詮はこの程度。僕には触れる事すらできん」
シロワニは構え直した。右の手刀を前に。左の手刀を腰に。
「おまえ、いったいどんな手品を使ってる」
「不可視の軍団」
「……何だと」
「僕を守っているのは、貴様らの眼に見えない無敵の軍団だ。グランアーマーなどという
そんな言葉を真に受けるエイイチではない。いや、この状況でいったい誰が真に受けるだろう。
「かわす事しか出来ない奴が御大層な事を」
「そういう事は、マグレでも当ててから言うものだぞ」
ヨウジの挑発に、シロワニが一歩踏み出した、そのとき。
秘密結社オシリスの四拳聖の一人、ク・クーこと火の聖戦士ジャッカルは、地を駆けるそのスピードが最大の特徴である。
だがそれも、イナズマの振るう
おかしな話だ。ジャッカルはグランアーマーを身にまとっている。そしてグランは鉄よりも遥かに硬い。ならばただの鉄で出来た脇差の一撃など、受け流せば済む。
しかし全開状態になった戦士の本能がそれを許さない。イナズマの一撃一撃は、そこに紛れもない「死」を感じさせた。怯えた自動小銃の群れの前に身を曝すよりもリアルな「死」を。
下がりそうになる自分を、背を向けたくなる自分を、ジャッカルは鼓舞した。踏み止まれ、これは壁だ、乗り越えるべき壁なのだと。
肩の力を抜け、腕を振れ、脚を動かせ、全身をバネだとイメージしろ。眼を耳を研ぎ澄ませろ。いける、やれる、追いつける。
イナズマは一気呵成に上段から斬り込んできた。それを両手の爪で受けた。止めた。止まった。ならば。
相手に剣を引く隙を与えず、ジャッカルは前に出た。押し込め、捕まえろ、こじ開けろ。両手の爪に全体重を乗せた、そのとき。
銃声轟くグランホーリー社西太平洋地区本社に、突如金管のファンファーレが鳴り響いた。
飛び回るラッパ鳥の口から溢れる音楽こそ、『天裁のマーチ』。それをバックに、夜のように静かな男の声が大音量で終戦を告げた。
「我が名は
突然天井に大きな穴が開き、降り注ぐ瓦礫が床に山を築いた。銃声の止んだ静寂の中、落ちて来た黒い塊が音もなく床に降り立つ。
漆黒のグランアーマーを身にまとった彼こそが、黒鉄のンディール。鋼鉄の拳を持つ男。
「くそ、こんなタイミングで」
シロワニは舌を打つ。一方のヨウジは、面倒臭そうにため息をついて見せた。
「まあこんなものだろうな」
ヨウジは手先を振り、追い払う仕草を見せる。行けというのだ。シロワニは当惑する。
「何の真似だ」
「ここは見逃してやると言っている。負け犬はとっとと逃げ帰るがいい」
その言葉に、シロワニの眼の色が変わった。だが。
壁を破って止まっていたダンプカーに再び火が入ったかと思うと、呻くようなエンジン音を上げて漆黒のグランアーマーへと突進した。
ンディールはその鼻面に、右の拳をひねりながら叩き込む。
ダンプのボディは花びらのように丸く広がり、エンジンもその一撃で砕け散る。しかし慣性の法則でダンプは前進し続け、結果、さっきまでダンプカーだった物はンディールを包み隠すような形になった。
「総員撤退!」
壁の穴からアマンダルが叫んだ。その指示は絶対である。エイイチは、ク・クーは、そしてノナは身を翻し、壁の穴へと向かう。軍警官たちは追いすがろうとしたものの、苦もなく逃げられてしまった。
ダンプカーであった鉄の塊の中から、鉄板を紙のように引きちぎりながらンディールが姿を現す。そしてヨウジの方を向いた。
「おまえが神討ヨウジか」
「ほう、これは驚いた。知らぬうちに僕は有名人になっていたらしい」
興味深げに笑うヨウジに、ンディールは冷たい視線を返す。
「何故いまになって姿を現した」
「家を出て今年で十周年記念だからな。キリの良いところで出て来ただけの事だ。そもそも僕が隠れて暮らさねばならない理由など、元よりありはすまい」
ヨウジとンディールの視線がぶつかる。火を発しそうな緊張感の中、ンディールが口を開いた。
「何故オシリスを逃がした」
「また何故か。何の事やらわからんな」
「とぼけるな。おまえがわざとシロワニを逃がした事はわかっている。双子の兄にまだ情があるか」
ヨウジは露骨に不快な顔をした。
「気色の悪い事を言わんでくれ。相手にする価値のない者を相手にするのが面倒臭かっただけだ」
「つまり、逃がした事は認めるのだな」
「貴様は戦いをやめろとは言ったが、逃がすなとは言っていない」
「ここでトンチ問答をするつもりはない」
「ならば力尽くで来てはどうだ。その方が話が早いぞ」
指先で招くヨウジに、ンディールの視線は鋭さを増す。しかし。
その名の通り、雷光の速度でンディールとの間に立ちはだかったイナズマに、ヨウジは眉を寄せた。
「貴様、何のつもりだ」
「もう終わった。これ以上騒ぎを大きくするな」
そう言うとイナズマは、脇差を鞘に納める。ヨウジはますます眉を寄せた。明らかに苛ついている。
「勝手に終わらせるな。僕にとってはこれからが始まりなのだ」
だがイナズマはヨウジに背を向けると、ンディールに向かい合った。
「息子の非礼を詫びさせていただく。常識を知らぬは親の不徳、許してやっていただきたい」
「おいこら、何を謝ってる」
深々と頭を下げるイナズマの背に、ヨウジは怒声を浴びせる。
「こっちは貴様など父親だとは思っていないのだ、余計な事をするな、この」
「ヨウ兄ちゃん!」
耳に届くヒカルの叫び声。振り返れば目に涙を浮かべて。
「それは酷いよ」
泣きたいのはこっちだ、と言わんばかりの顔をしたヨウジに、髪を振り乱して舞台から飛び降りて来たリタが追い打ちをかける。
「ヨウジ!」
感極まった声を上げながら抱きつこうとしたリタを、見えない壁が遮った。
「あら、何これ、何なのこれ」
「頼むから、そういうのは余所でやってくれんだろうか」
ヨウジの苛々は頂点に達しようとしていた。一方、ンディールはしばらく押し黙っていたかと思うと、不意に顔を上げ、掌を見せた。
「そこまでだ。今回の件は不問に付す」
イナズマの、リタの、ヒカルの顔が明るくなる。しかしヨウジは納得しない。
「いや付さんでいい、付さんでいい! こいつらの事なら放って置けばいいだろう」
だがンディールは首を振る。
「これは私見ではない。中央本部からの指示だ」
中央本部という事は、すなわち。ヨウジはンディールの背後に黄金の煌めきを見た。それは他を圧倒する光。君臨する絶対者。こうなってしまっては、もう鼻を鳴らして嫌味を言うくらいしかできない。
「フン、つまらん。まーたコルセアの坊ちゃまの命令か。やれやれ、飼い犬稼業も大変だな」
「調子に乗るな、小僧」
ンディールの言葉に込められた殺気は、その場にいた一同を凍り付かせた。ただ一人、白い歯を見せるヨウジを除いて。
「まあ良かろう、いずれ川は海へと流れ着くのだ。いまはそのときが来るのを待っておいてやるさ」
そしてヨウジは堂々と背中を向けた。それは攻撃できるものならしてみろとの意志表示。
自分が中央からの指示に逆らえない事を見越しての行動だろうが、ハッタリにしても度胸だけはある。もしかすると、噂に聞いたあれこれの幾つかは事実なのかも知れない。漆黒のグランアーマーの内側で、ンディールはそう考えていた。
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