登校の第三話。

 田中さくらの隣を歩くという行為を、俺は甘く見ていたのかもしれない。


『おい...あれ、田中さくらだよな......』

『ああ...転校してきたって噂は本当だったみたいだ...』

『かわいいなあ...』

『好き』


 通学路である清ノ瀬商店街。清ノ瀬高校の制服に身を包んだ登校中の生徒たちが口々に美辞びじれいをならべたて、清ノ瀬駅に向かうお疲れ顔のサラリーマンもすれ違いざまに二度見する。


 そんな好奇の視線をいっぺんに受けてもなお、月見里さんは微笑みを絶やさずに『田中さくら』であり続けていた。


『んで、となりを歩くのが宮原夕陽だと』

『ああ、田中さくらの彼氏らしい』

『さて、失う四肢はどれがいいのだろう』

『樹海とドラム缶、どっちがいいかなあ』


 ...ちなみに俺はもう、視線に耐えられそうにないです!


 真面目な顔で俺の死体の処理方法について議論している男子共を見ると、自然と萎縮してしまう。他人の目を避け下を向いて歩いたら、少しはメンタルが回復した。


「おい、ちゃんと姿勢良く歩け」

「...はい」


 月見里さんが足を蹴ってきたので、俺は素直に従う。昨日から薄々思ってたがこの女、ちょいちょいサイコパス感あるんだよな...。

 当の彼女は再び耳打ちしてくる。


「ちゃんと私の彼氏であるという自覚を持ちなさい」

「そんな自覚持ちたくねえよ...」

「なにか言った?」

「いやあなんでもないです」


 月見里さんはため息をついてから、呆れたようにこめかみに手を当てた。


「姿勢もだけど、表情が駄目ね表情が。営業スマイルって言葉、知ってる?」

「ああ。得意分野だ」

「なら見せてみて」


 春休みの間に鏡の前で猛特訓した成果、見るがいい!さしもの月見里さんといえど、感心するはずだ。


「――――――(ニコッ)」

「さわやかすぎて逆に気持ち悪いわ」


 ひどい...結構自信あったのに!


「なんていうか、作り過ぎよ。もっと自然に...ほら、こんな感じ」


 月見里さんが笑うと、花が咲いたように彼女を包む空気感が華やぐ。テレビでよく見る田中さくらの姿だった。少し魅了されてしまう。


「...お、おお...すごい」

「いい?完璧な営業スマイルのコツはね、少しブサイクになることなの」


 彼女は笑みを引っ込めながら教えてくれる。なるほど、不細工になって相手の心を掴む。『私がブサイクな表情を見せるのは、あなただけなんだからっ!』ってことか。うん、そう考えるとグッとくるものがあるな。


「顔をくしゃりとする感じで...やってみて」


 ほう、できるだけ顔を歪める感じ...。


「む...こうか?(ニカッ)」

「やり過ぎてキモい...口角は左右対称に」

「こうか(ニヤッ)」

「まだ少しキモみがあるわ」


 そんなこんなで俺は笑い方の指導を受けながら登校した。

 幸い、彼女と話している間は周りの奇異の視線は気にならなかった。



* * *



「そこ座れ」

「はい」


 校門前で待ち構えていた加瀬先生に肩を掴まれ、そのまま職員室の応接間に通された俺は、昨日のように彼と対面していた。

 ちなみに月見里さんは「先に行ってるねダーリン♡」と、行ってしまった。面倒ごとだと予感したのだろう。勘がいいな。


「おい宮原。なぜお前が呼び出されたか分かるか?」

「分かりません」


 呼び出しを食らったのは二日連続だ。ただ昨日と違って、今日は本当に心当たりがないのである。なにもやらかしてないし。


「そうだろうな。今日はワシの都合だ」

「え、はあ...」


 このおっさんの意図が読めない。まあ朝のホームルームの時間まで、職員室に拘束してくれるのはありがたい。

 ほら、クラスに居たら何されるか分かんないから...。


「今日は宮原に、折り入って頼みがある」

「頼み...ですか?」

「ああ、大変言い辛いんだが...」


 言い淀む彼からは、普段の威厳を感じられない。屈強な身体が小さく見えた。加瀬先生は口を開くが、漏れるのは空気ばかりである。

 そしてむせかえるような長い沈黙の後、意を決したように告げたのだった。



「───田中さくらのスリーサイズを教えて欲しい」



「......は?」


 え?何言ってるの?

 俺の困り顔を見て、加瀬先生は照れたように頬をかく。


「いやあ、ワシは田中さくらの大ファンなんよ」

「それはなんとなく分かります」


 昨日の月見里さんの自己紹介のとき、泣いて喜んでる姿を見たからね。


「ワシは彼女のことなら何でも知っている...しかし、スリーサイズは未公表!これで大ファンなど片腹痛し!」


 熱弁する加瀬先生。こいつ、マジでやばくないか...?


「昨日、田中さくらはお前、宮原夕陽が彼氏であると言った」

「はあ、まあ...」


 違う!と全力で否定したいが、月見里さんに何をされるか分からないのでやめておく。


「まさか、ワシの田中さくらに彼氏がいるなんて...昨晩の枕は涙と抜け毛で汚れた」


 知らん汚い。あと、田中さくらはお前のでは無い。


「そして考えた...ならば彼氏である宮原夕陽に近づけば、彼女のことをより深く知れるのではないかと!」


 そう言って、加瀬先生は立ち上がって拳を高く上げた...何でこの人が生活指導教員やってんだ。指導される側だろ。


 俺のドン引いてる眼差しを受け、彼はゲフンと咳払いをした。


「と、とにかく。スリーサイズだけで良いんだ。教えてはくれまいか」

「...いや、申し訳ないけど。俺も知らないですよ」


 なんせ俺たちは偽カップル。スリーサイズどころか彼女のもくみすら知らないのだ。まあ仮に知ってても教えないけど。


「む...そうか」


 残念そうな表情を浮かべながら、ゆっくりと座り直す。そして加瀬先生は遠い目をしながら、俺に問うてきた。


「...ときに宮原。お前、体育は得意か?」


 なんだ、藪から棒に。


「別に得意でも苦手でもないですが」


 足はそこそこ早いが、球技はあまり得意ではない。成績は五段階評価中の三か四あたりを行き来している。

 加瀬先生は俺の答えに満足げにうなずき、教師らしからぬ提案を持ちかけるのだった。


「ふむ...なんだ、その。もしお前がスリーサイズを聞いてきてくれたら───今年の成績は期待しておけ.......」


 うわあ、最低だ......。

 そんな提案、乗るわけが...。



「いいでしょう。男と男の約束です」

「宮原...!お前という男は...!」

 


 加瀬先生は感涙かんるいしていた。


「───勿論、教えてもらったスリーサイズは他言はしない。男の約束だ」

「ええ。成績、頼みましたよ」


 うん、成績は高いに越したことはないしね!推薦入試もワンチャンあるし。

 しかし。問題は、どのようにして彼女のスリーサイズを知りるかである。

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